事前準備をもとに、仮説を立てていた。
妹さんとのやり取りがあったその日を境に、伊藤守さんにとって、人とのコミュニケーションが、決定的なテーマになり、今に至るのではないか──と。
ところが、「あのね、そういう特別なきっかけで、ぼくは動いたことがないんですよ」という返事をもらい、仮説は消え、予定が狂う。
・「あのね、ぼくは、そういう特別なきっかけで、動いたことがないんですよ」──伊藤守さん(前編)
不思議なもので、そこから思いがけない話ばかりを聞くことになる。自分の身体が、いきいきとしていくのを実感していた。伊藤さんの表情も、どんどんと変化していったような気がした。
特集「あなたのキャリアに一目惚れしました。」
本特集では、ワンキャリ編集部が「一目惚れ」したキャリアの持ち主にお話を伺います。就活に直接関係ない話も多いです。いつか、あなたがキャリアを決めるときの一助となることを願って、お届けしたいと思います。
今回の惚れられた人:伊藤守さん(コーチ、経営者)
1951年、山形県生まれ。日本大学大学院 総合社会情報研究科 修士課程 修了。1975年に日本大学商学部卒業後、商社に勤務したのち、26歳のときに独立をして貿易商社を起業。1980年からはコミュニケーションに関する研修・教育事業および研究を始める。1984年、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンを創業。1996年に「coach」という言葉と出会い、1997年に株式会社コーチ・トゥエンティワンを設立して、日本初のコーチングプログラムの提供を開始。2001年、エグゼクティブ・コーチング・ファームとして株式会社コーチ・エィを設立。現在は、コーチ・エィの取締役、ディスカヴァー・トゥエンティワンの代表取締役会長を務める。人と人との関係やコミュニケーション、組織改革をテーマに、経営者を対象としたエグゼクティブ・コーチングに従事するほか、地方公共団体、教育機関、経営者協会などにおける講演活動や執筆活動も行う。主な著書に、『こころの対話』(講談社、1995年)、『もしもウサギにコーチがいたら―「視点」を変える53の方法』(大和書房、2002年)、『コーチング・マネジメント―人と組織のハイパフォーマンスをつくる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2002年)、『小さなチームは組織を変える―ネイティブ・コーチ10の法則』(講談社、2004年)、『3分間コーチ ひとりでも部下のいる人のための世界一シンプルなマネジメント術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年)など、多数。
今回の惚れたインタビュアー:佐藤譲(コーチ、編集者)
1986年、福岡県生まれ。2005年、京都大学法学部に入学。2009年秋に大学卒業後、株式会社スタジオジブリへ入社。鈴木敏夫プロデューサーと同じ家に住みながら、編集者として働く。2015年、日本テレビ放送網株式会社に入社。実写映画・アニメーション映画のプロデューサーを務めたのち、2018年に独立。ゲームベンチャーの立ち上げに関わったのち、現在は、『100年ドラえもん』(小学館、2020年)の宣伝ディレクションや、スタジオジブリ最新作のアート本の制作を担当するほか、トラストコーチングスクール認定コーチとしてクリエイター向けにコーチングを行う。また、大学生向けのキャリア支援としてWividとワンキャリアに関わり、ワンキャリアでは本特集「あなたのキャリアに一目惚れしました。」の立ち上げから参加。最も繰り返し読んだ伊藤守さんの本は『こころの対話』(講談社、1995年)。
<後編 目次>
●生きている人を信じるのが難しい
●対話の中での、新しいものの見方
●機嫌良くいること、孤立を味わうこと、固有に感じること
●新しい文脈を織り成す対話
●人は主体化のプロセスを歩んでいる
生きている人を信じるのが難しい
──妹さんとの出来事が、1980年になるか、ならないかの頃ですよね。伊藤さんは80年にコミュニケーションに関する研修・セミナーを行う事業をスタートします。
伊藤:1968年に、ビートルズが、インドに行きますよね。マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのもとへ。ぼくは1981年に、初めてインドへ行くんです。知り合いのアメリカ人のトレーナーに紹介されて。
インドって、グル(編集部注:サンスクリット語で「師」を意味する)がうじゃうじゃいますから、「どの人がマシなの?」と聞いて行ったのが、スワミ・ムクタナンダという人のアシュラム(僧院)でした。
結構大きなアシュラムで、たぶん、1,000人くらいそこにいたんじゃないかな。欧米の人がたくさん。ぼくが日本人の第1号か第2号だったと思います。そのアシュラムで暮らすんです。そして、メディテーション(瞑想=めいそう)をしたり、歌を歌ったりしているんです。一週間くらいいたんだけれど、ぼくは疑り深いから、「まぁ、どうかな〜」って感じでした。
アシュラムを離れる日、スワミ・ムクタナンダがコートヤードにいたので、前に出て行って「ちょっと話していい?」って聞いたんです。そうしたら、「いいよ」と言うので話しました。「日本に帰っても、あなたみたいな人がいるんだったら、紹介してくれない?」と聞いたら、「そういうもんは、いないよ」と言われて。へぇ〜、って思って、「じゃあ、ぼくに瞑想を教えてくれる?」と聞いたら、「いいよ」と二つ返事だった。目の前に座らせてくれて、「ずっと、見ていてもいいよ」と言った。
──自信があるんですね。
伊藤:自分を見ていていい、と言える人って、あまりいないよね。へぇ〜と思いながら、座った。
そして、はっと気がついたら、1時間半くらいずーっと座って見ていた。飽きなかったんですよね。「メディテーションというのは、うーんうーんと言っているんじゃないんだな」と思い、また、「どうも、こういう人が必要らしい」ということを思いました。だけど、どうも信用できなくて、日本に帰ってきました。
帰ってきて、しばらくたちました。たぶん、4、5カ月くらいたった頃だった。「やっぱり、あの人って、そうなのかな」と思い始めた。
──本物かもしれない、と。
伊藤:そういうことって、あるじゃない? あの人、そうかもしれない、って。「もう一度、会いに行こう」と思っていたら、向こうから手紙が届いたんです。「彼は亡くなりました」って。
そういうものなんだな、と思いました。信じるのが遅いと、こうなるんだな、って。死んじゃった人を信じるのは簡単だからね。生きている人を信じるのが難しいんだ、と思ったよね。
対話の中での、新しいものの見方
──ぼくはインドへ行ったことがありません。伊藤さんはその後も通うのですか?
伊藤:インドやアメリカにアシュラムがあって、よく行きました。
知り合いの医者を連れてインドに行ったとき、彼が「What is the human being?」ってグルへ聞いたの。「人間ってなんですか?」って。
新しいグルは女性でしたが、彼女は「ここにいる人たちは、みんな人間よ」と言いました。「じゃあ、ところで、ここにいる人たちは、あなたにはどう見えるの?」って聞きました。そうしたら彼女は、「みんなすごく幸せそうだ」って。
いくつかのやり取りをしたあと、最後に「あなたは、どういうときに幸せですか?」って聞いたら、彼女は「Being human being」って応えていました。「人間でいるとき」ってね。
そうしたら、その場はしーんとなって、「あぁ、こういう感じなのか、メディテーションって」と思いました。たぶん、禅問答とは違うんじゃないかな。禅問答のほうが早いですよね。
対話の中に、何か新しい発見や、ものの見方を見つけていくプロセスを体験していきました。
──ぼくは鈴木大拙さんの『禅』(ちくま文庫)でしか知りませんが、禅とは、生命の究極の運命についての問いを超越する体験で、禅匠たちはよく「早い」直接的方法を採ります。それに比べると、対話、という感じがしますね。
伊藤さんは1対1での、言葉や感情のやり取りに、何か可能性を感じたんですかね。
伊藤:ものの見方、理解の仕方、五感を通して入ってくるものの意味付け、をシフトさせない限り、新しい価値にはアクセスできないですよね。
あるアメリカ人が、「あなたの力でもっと世界を平和にしてくださいよ」ということを彼女に言ったら、「ここでの関係が平和じゃないのに、どうやって世界を平和にできるんですか?」という返事をしていました。ぼくは「なるほどね」と思いました。「1対1の関係の中で、何が創り出せるかによるんだなぁ」みたいなことを、そのときに思いました。
──インドやアメリカに行っているときの伊藤さんは、モヤモヤは晴れているんですか?
伊藤:いや、きっと、煮詰まっているんでしょう? だから、いろんなことをやっていた。
当時、「自分探し」がはやっていたと思います。ぼくはそういう気がさらさらありませんでした。自分探しをするっていうのはありえない話だな、と思っていましたから。「もしかしたら、神様が俺を探しているかもしれないから、ちょろちょろしちゃまずいんじゃないの?」みたいな感じでしたし。
「自分」というのは、この肉体のユニットの中に閉じ込められた存在なんだって信じ込んでいるけれど、人って「自分と誰かとの関わりの中に生きている」んじゃないですかね。
たとえば、ハワイですごくリラックスしているときだって、誰かとの関係を思い出しただけで苛つくわけだからさ。コンシャスネスっていうのは、人との関係性の中に生まれているものだから。だから、ハワイでのんびりしているときも苛立っちゃう。
機嫌良くいること、孤立を味わうこと、固有に感じること
──先ほど、伊藤さんは「難しいことが、面白いんだ」とおっしゃっていましたよね。コミュニケーションがテーマになったのは、特別なきっかけがあったわけではなく、少しずつ積み上がっていった感じなのでしょうか?
伊藤:たとえば、最近は「共感」や「仲良くする」「わかり合う」っていうことがはやっていますけれど。ぼくはそういうことを、あんまり信じていないんですよね。
ぼくが何をもって信じないか、というと、それはあんまり面白くないから。面白いことって、やっぱり、基本的には難しいんですよね。もちろん、「面白い」という言葉はなかなかリスキーだな、って思うんですけれど。
複雑で、解けないような問題が、面白いんです。そして、そういうものに立ち向かえる状態にしておく必要があると感じます。
──伊藤さんがずっと大事にしてきたことはなんなのでしょう?
伊藤:日々、機嫌良くいることですよね。機嫌良くいると、そういう難しい問題に、いつも立ち向かっていけますから。
機嫌が悪くなっちゃうと、世の中を恨んでいるわけですから。もうつまんないわけですよ。
機嫌さえ良けりゃ、こっちのもんですからね。ただ、ずっと機嫌良いばっかりだと、何も考えていないように見えちゃうんで(笑)。少し違うことを考えているようにしますけどね。なるべく、機嫌良くいたいな、と思っています。
──言うは易し、ですよね。
伊藤:これほど難しいこともないでしょう。
それから、孤立を味わうこと、です。なんかやろうとすると、必ず孤立したり、孤独になったりするんですよね。これは慣れの問題ですから、練習した方がいいですね。その場に10人がいて、9人が賛成って言っているけれど、自分ひとりは反対と言っているときに、味わうような経験って、多少必要ですよね。
ぼくがセミナーをやるとき、会場でみんなで意見をぶつけるのはいいんだけれど、個別に「ちょっといいですか」と、特に日本人は聞きたい傾向があって。それはぼくはやらないから、と言っているんですね。
あるとき、セミナーを3日か4日ほどやった帰り際に、出口を出て行ったら、ちょっと暗めの女性が、「伊藤さん、ちょっといい?」って現れて。
「それを、やらない、って言ったじゃない」と言ったら、「ちょっとだけいい?」って。
「やだ」って言ったんだけど、その人が「どうしても2分か3分」って。
「もういいや、どうぞ」と言ったら、「セミナー、良かったわよ」とぼくに言うんです。
「じゃあ、良かったじゃん」と言って、もう終わりだと思ったら、「もうちょっと聞く気になれないの?」なんて言われて。
「何が良かったの?」って聞いたらね、「みんなが笑っているとき、私は全然面白くなかった」と。そして、「みんなが笑わないとき、私は気が狂うほど、面白かった」と。「私はみんなと一緒じゃないけれど、私はそこに、自分という固有の存在を、なんか見つけたような気がして良かった」というようなことを言っているんですね。みんなと一緒じゃないんだ、と。
──彼女は、自分ならではの感覚を大事にできた気がして、伊藤さんへ感謝の言葉を伝えたかったんでしょうね。
伊藤:ぼくは「そうなんだー」と言って、「はい、さようなら」と立ち去ったんだけど。
みんなそれぞれ、固有に感じていることや、思っていることは、大事にしたほうがいいな、とぼくは思うわけ。
ぼくらがやっている「コーチング」は問いを立てていくわけですよね。いいコーチや、いい上司というのは、ひとつの問いに対して、無限の答えが出て来る状態を、導くんですね。10人いたら、10人とも違う答えを出してくる。そうじゃないコーチは、いっぱい質問をして、ひとつの答えに導いちゃうんですね。
同じことをやっても、みんな違うような答えや、感じ方をするのが、筋だろうな、とぼくは思うんだけど。自分が固有に感じているものが、すごく大事だと思っています。
だからといって、協調性がないわけじゃないんですよ? ぼくだってそれなりに協調性はありますからね。いや、まぁ、あんまり、ないかな。周りの人はあんまり信じないけれど、やりたくないこともやってきたんですよ。結構我慢もしてきたし、我慢強いな、と自分で思うこともありましたから(笑)。
新しい文脈を織り成す対話
──機嫌良くいること、孤立・孤独を味わうこと、そして、固有に感じたり思ったりすることを、大事にする。1995年に出された『こころの対話』には、そんな伊藤さんが既にいる気がします。「コーチ(coach)」という言葉に出会ったときは、どんなインパクトがあったのでしょうか?
伊藤:ぼくは84年頃に、ディスカヴァーという出版社を創っているんですよね。そして、セミナーの中で自分が言っていることは、文字にしたい、というのがぼくの希望だったので、そこで、CDサイズの本をたくさん書きました。それだけじゃなく、大和書房さんやいくつか自分の会社以外からも出版の声をいただいて、『こころの対話』は講談社から持ってこられた企画でした。
セミナーというのは、一人のファシリテーター、一人の先生で、その周りに参加者がいます。それぞれが数名でブレイクアウトして、セッションをやる時間があるにしても、進行はひとりの人がやっているわけですよね。マスの良さというのもあるんだけれど、「限界もあるな」というのは、ずっと感じていたことなんですね。「できたら1対1でやれないものか」というのは、1990年には考えていました。
でも、1対1で、というと「カウンセリング」になるでしょう? カウンセリングはやりたくないな、と思っている中で、「coach」という名前に出会ったんです。それはインパクトがあったわけです。つまり、問題解決や問題にフォーカスするわけではないんだ、っていうところが、新しかったんじゃないですかね。
何か新しいものに出会った、というよりも、自分がやっていたことに、ただ「コーチ」という名前が付いたところがあるんですけれども。
──お話を聞いていると、そんな感じがしますよね。コーチという名前を付ける前から、実態としては伊藤さんはコーチだった。
伊藤:ものの見方や、意味づけを変えていくと、いろんなものが大きく変わるんですよね。社会構成主義という考え方の中にあっては、どんな解釈をするか、その解釈が現実ですから。
ケネス・J・ガーゲンという人が、去年、日本に来たときに、一緒に話しました。
「解釈の中に現実なんかないんじゃない? こうやって、ものもあるし、こういうのを現実って言うんじゃないの?」って聞いたら、「目の見えない人にとっての現実とはなんなの?」と彼から逆に聞かれて。しばらく黙っちゃった。
ぼくたちはこの状態が当たり前なんだって思っているけれど。もっと違う状態の人たちが、山のようにいるという前提を考えること無く、「現実とは何か」ってしゃべっちゃうのは、不遜だなぁ……ってまたしばらくぼくは反省するわけです。
──言われてみると……ですね。ぼくにはその視点がなかったです。
伊藤:いろんな経験と、いろんな体験と、いろんな伝統をもって、ここにいるわけだから。
コーチでいえば、その人のコンテキスト(文脈)が読み切れない限り、コーチングなんかできないわけですよね。そして、コーチとクライアントは、一緒に新しいコンテキストを織り成していくわけですから。コンテキストって、ある種、歴史ですからね。
人は主体化のプロセスを歩んでいる
伊藤:佐藤さんは1986年生まれということは、おいくつなんですか?
──もうすぐ、34歳になります。
伊藤:その頃のぼくは、ずっと、ぼわ〜っとしていますね。
──でも、会社を経営されて、たぶん5期目くらいですよ?
伊藤:いや、だから、そういう部分は、役割もやることもあって、ハッキリしているんですけれど。それ以外の時間は記憶があまりないところを見ると、ぼわっとしているんだな、と思います。インドに行って、先生に会って瞑想していても、ぼわ〜っとしているし。
人間は主体化しているプロセスを歩んでいるのであって、覚醒しちゃうとかいうのは、なんか、ないんじゃないかな、とぼくは思いますけどね。
たとえば、「人が存在している」ことについて、あまりみんな、「このひと、存在しているな」って思わないじゃないですか? 前に、ゴルフ場でゴルフをしていたら、カモシカが横切っていったのね。みんな、ゴルフなんてやらないよね。カモシカを見るよね。存在感がすごいわけ。生きている! って感じ。だけど、ふつうに人を見ていて、そんなもん感じないでしょう?
自分自身も、存在しているんだ、ということについて、ピンときていないというか、モヤモヤしているから、存在していることを証明するために、いろんなことをやっているんだなぁ、って思いますよね。
で、存在証明をしていると、存在していることが薄まってしまうので、「自分は存在している」っていうこの感じを、体験するときが必要なんでしょう。存在することを、意識する、というかね。
あとは、サルトルが言っているように、「存在している」というのが分かったら、あとは「投企する」というか、「自分はどうあるか」とか「何をするか」とかっていうのは、それから選んでいくんだ、と。人間は人間として生まれてくるのではなくて、人間になっていく、とサルトルは言ったんだよね。「人間はあとになってはじめて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところのものになるのである」(ジャン=ポール・サルトル『実存主義とは何か』(人文書院、1996)より)って。
──立ち入った話ですが、30代の伊藤さんは、ご結婚をされ、お子さんを授かり、プライベートにもさまざまな変化があったと思います。主体化はしないんでしょうか?
伊藤:子どもが生まれても、主体化なんてしませんよ。結婚をしても、主体化なんてしませんよ。そんな簡単なもんじゃない。ぼくが、結婚はなんのためにするのかをちゃんと考えていれば、もしかしたら、主体化する可能性があったかもしれません。
子どもが生まれたからって、別に、お父さんになるわけじゃないですからね。誰も父親ってなんなのかの教育を受けずに、父親になるわけですから。母親ってなんなのかというエデュケーションもないわけですから。どこかで考える時間が必要なんだろうな、とぼくは思いますけれど。
そうすると、考える余地がないので、だいたい「みんなが何をしているのかな」っていうのに合わせようと思うようになるのかな、って思いますよ。
あるとき、結婚前だったかな。結婚をなんのためにするのか、というテーマについて、「結婚制度は明治時代の徴兵制がある頃に、こういう制度がつくられて、逃げられないようにするためにあるんだ」とうちの奥さんに話したら、「じゃあ、やめますか」と言われて。「いや、ちょっと……やめない」と言ったら、「なんで?」って聞くものだから。「それは……世間体というものがあるんだよ、おまえ」とか言ったらさ、「よろしい」とか言われて。
──奥さんがうわてですね。
伊藤:ぼくが「ぼくらの結婚、どうなっちゃうんだろうね」って聞いたら、「私が決めていますから、大丈夫です」とか言われて、「げっ」とか思って。「俺が決めないわけにいかないの?」と言ったけれど。それで、寄り切り! って感じ(笑)。
夢はかなっている
──たっぷりとお話を聞かせていただき、今日はありがとうございました。
伊藤:大丈夫でした? ぼくは軽率で失言が多くて、家に帰って、必ず反省するんです。1カ月くらい前の失言を、いまだに、引きずっている。「どうして、ああいうことを言っちゃうんだろうな」と思って。
あと、40代の半ばで『こころの対話』を書いた頃、講演をしていると、「伊藤守さんって、あの本の人ですか?」みたいに質問されることがあって。「あ、あれ、ぼくです」と答えるんだけれど。「へぇ〜」と言われて、「どういう意味だろう」と思って聞いたら、「もうちょっと、こう、悟った人だと思っていた」みたいなことを言われてさ。失礼しちゃうじゃないのねぇ、ぼくだって真面目に生きていますよ。失言は多いけれど。
──伊藤守さんって、著書のイメージなのか、名前の字面なのか、洗練されたイメージがあって、お話をしていると、たしかにギャップが……。
伊藤:それ、褒めていないんじゃない?(笑)
初めてセミナーで前に出て話したときって、ぼくは28、9歳でしょう? するとね、50くらいの弁護士の人が「はい!」って手を挙げて、「いつ先生が出てくるんだ?」って聞くんです。「いや、ぼくですよ」って言うんだけれど、「いつ本当の先生が?」って。「いや、だから、ぼくですよ」って。「もうちょっと、年かさのいった経験豊富な人が出てくるんじゃないかと思っていた」なんて言われてね。
そのとき、「早く年をとって白髪にならないかな」って思ったよ。だから、夢は、もうかなったね(笑)。
取材の時間のあと、伊藤さんから京都大学の大学院で講義を受け持っている話が出たので、私が暮らす京都にいらっしゃるときにお目にかかりたい、と伝える。また会って話したい。
「京都に行くときは声をかけますよ」と伊藤さん。次に会うまでに、もっともっと、伊藤さんが大切にしているものへ想像が働く自分でありたい。そして、新しいコンテキストを織り成す対話をしたい。
取材を終え、録音した伊藤さんの声を聞き、文字に起こす。
取材中の「過去の私」は、伊藤さんへ質問をし、会話をしている。
取材後の「現在の私」は、「過去の私」の声を聞き、緊張をしている。
「今の私なら、次は、こんな質問をする。……取材中の私はどうだったか?」
言葉を待つ。
「過去の私」が同じテーマで問いを立てたとき、「現在の私」はホッとする。おかげで、伊藤さんのあの言葉に出会えた。良い問いを立ててくれてありがとう、と「過去の私」を抱きしめる。一方、別の問いの可能性を感じるときは、「現在の私」から「過去の私」へフィードバックをする。それは、「過去の私」から「現在の私」への贈り物ともなる。
緊張と安堵(あんど)を繰り返しながら、伊藤守さんと「過去の私」の二人だけの時空を追体験する。文字起こしを終え、もっと伊藤守さんが大事にしていることを考えたくて、話題に出た人物の本を読む。
これまで何度だって読む機会のあったジャン=ポール・サルトルの『存在と無』を初めて手に取る。伊藤守さんと会う前から気になっていて、一層、興味が湧き出てきたハーレーン・アンダーソンの『会話・言語・そして可能性』を手に入れる。本を読みながら、伊藤守さんの姿を思い浮かべる。
取材を終えて、3週間がたつ。
取材中よりも、「現在の私」は伊藤守さんを身近に感じて生きている。そして、伊藤守さんに出会う「以前と以後」が、私の中には生まれつつある。
そういう出会いに感謝をしながら、伊藤さんから伺った話を、記事にまとめた。
<影響を受けた人>
ハーレーン・アンダーソン(心理学者、コーチ)
ひとりだけ、伊藤さんが影響を受けた方のお名前を教えてください、という質問を最後にした。「ひとりだけ、というのは難しいよね。すれ違いざまに影響を受けた人もいるし、こちらは気がつかずに影響を受けているかもしれないし」という前置きがあった上で、ハーレーン・アンダーソンさんの名前が挙がった。伊藤さんご自身はコーチとして活動しながら、20年以上、ずっと自分自身にもコーチを付けてきた。そのコーチのひとりが、ハーレーン・アンダーソンさん。「彼女に言われて論文を書き始めたので、すごくぼくに影響力のある人」とのこと。「人としてもすごく洗練された人だなって思う」と。取材後、ハーレーン・アンダーソンさんの『会話・言語・そして可能性』を読み、伊藤守さんの「対話」についてのお話に、新しい視点を得ることができました。
【撮影:保田敬介】
【特集:あなたのキャリアに一目惚れしました。】
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・「あのね、ぼくは、そういう特別なきっかけで、動いたことがないんですよ」──伊藤守さん(前編)
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