自撮ラーりょかちさんの書いたこの記事を読んだ。内定企業ラベル。内定企業マウンティング。それらは大学の3回生頃になってくると突如として現れ、そして社会人も数年経つとスーっと消えていく。分かる。超あるあるだ。素晴らしい!
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ところで自分の就職活動の期間を振り返ってみると、正にこの「内定企業」という分かりやすいラベルを獲得するための奮闘の歴史だったように思う。それは3回生の冬。就職活動が始まり、周りに外資系企業の内定者が出始めた。
周りが「内定した企業の名前」でマウントし合っていることを察した私は、何やら新しい『争い』が始まっているらしいことを本能的に感じとり、そしてごく自然に、「とにかく一番スゴそうな会社に内定してこのよく分からない争いに勝ち、鬼のようにモテまくりてぇ」と思った。
「とにかくゴールドマンサックスだ。ゴールドマンサックスに行くしかねぇ。金色の漢のサックス。よく分からないけど、ここしかねぇ」。発想がもう、IQ 13のハイパードキュンのそれである。
そしてこの「内定企業争い」という新たな戦場で一旗揚げるため勢い良くリクルートスーツを購入し、まずは定石通りリクナビに登録したその男性は直後、全ての外資系企業のエントリー期間が既に終わっていることを発見し、ゴールドマンサックスへの内定可能性が高めに見積もっても「0%」になったことを認識して薄暗い部屋で一人「テヘペロ♡」と呟いたのである。ただの阿呆だ。
さて、それから業界問わず日系の大手企業の説明会に一通り足を運び、「よく分からないけど、とりあえず広告とか商社とかがモテるっぽい」というチープな事実のみを認識。「モテそう」「凄いと言われそう」というただそれだけの理由で総合商社を志望。その後、それらしい「志望理由」なるものを捏ねくり回し始めた。
細かいことを全て排除して正直に実態を言えば、仕事内容でも社風でも何でなく彼はただ虚栄心と性欲を理由に業界を選んだのである。低俗な欲望の権化。群れの中で頂点に立ちたいと思い自分の胸をポンポンと叩いている野生のゴリラと発想のレベルが全く同じである。
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内定先マウントの争いに没頭し、他を出し抜きたい一心で就職活動を終えた後「内定者期間」という束の間のインターバルを経て会社に入ると、「企業名」でマウント出来る時代はヒュッと終わってしまった。そんなもので救われるのは、ごく僅かな期間だけ。
違う会社に入った昔の仲間で久々に集まって会社の話をしてみても、会社名でのマウント争いにかつて程の隆盛はない。学生の時ほど企業名が価値を持たない。これは各人がそれぞれの職場で実際に仕事をしてみて「ああ、会社とか仕事って、こんな感じなのか」と実感を得たことも大きいように思う。
学生が会社の説明会に行って企業の人事を見た時に感じる何とも言えない「凄み」や、学生が一つ上の内定者を見て感じる漠然とした「凄み」。
会社の名前というものが学生にとって必要以上に大きな価値を持ってしまう要因の一つには、学生にとって「会社」や「仕事」というものが余りにも未知数過ぎるということがあるのではないかと思っている。
え? 社会人って、どんな感じなんだろう? 何か分からないけど、企業の人ってやっぱデキる感じがするな……凄い……きっと発言一つに含蓄があるんだ……オーラを感じる……。
この意味不明な過大評価はもう、言ってしまえば童貞だったときに『学年で一番早く童貞を捨てた同級生』を見て感じた「凄み」に酷似しているのではないかとすら思うのだ。
一度自分も経験してみあると、「あ、セックスってこんな感じなのか」という実感を得られて、かつて『セックス経験者』に対して漠然と感じていた畏敬の念もアッサり消える。
皆が社会人になり、会社や仕事という存在が前よりも身近になった。仲間達がそれぞれの会社で何をしているのか、話を聞けば理解できる。そうなるともう、「企業名」に漠然とした価値を感じることもなくなった。
いずれにしても、一過性の何かだったのである。
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内定先マウントという謎の争いが終わり、そして戦いは次のステージに移った。まずは「仕事での評価」が戦いの軸になったようである。上司に認めて貰うべく必死に仕事に打ち込む日々が始まった。
戦いが終わり、また他の軸での戦いが始まる。「社内の評価」、「プライベートの充実」、「人脈」、「自分の意見がどれだけ民意を得ているか」、はたまた「どれだけ幸せな生活を送っていると周りに思われているか」。
戦場は年齢と共に変化し、複雑化し、そこには已然として巧妙にマウントの争いが潜んでいるようだ。『誰が人間として優位なのか』
振り返ってみれば自分は、この究極の命題を巡って、物心ついた時から毎日のように周りの人間と小競り合いを続けてきたみたいだ。
そのルールは「足の速さ」の時もあれば「喧嘩の強さ」や「頭の良さ」の時もあり、「素行の悪さ」になったかと思えば「運動神経」や「恋愛経験」になった。
そして「大学名」になり「内定先」になり「人脈」になり「仕事」になり「住居」になり「充実」になり「イイネ」「ファボ」「収入」「昇進」「経済的インパクト」「社会的貢献」、え〜っと、お次は「子供の受験」? にでもなるんだろうか。
ルールが変わっていく。戦い続けなくてはいけない。
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そういえば私という男性は最近、「もう自分を他人と比較してのマウント争いなんて懲り懲りだぜ」という、すこぶるカッコいい意見をよく口にしている。
何かにつけてマウントを仕掛けて来る人を見つけると、マウンテンゴリラならぬ「マウンティングゴリラ」だと呼んでいるし、マウント精神を剥き出しにした大人達が鬼のように意見をぶつけ合っているのを見つけては、「大マウントウ・スマッシュ・マウンティングブラザーズ」だと揶揄して大喜びしている。
自分はもう、妙なマウント争いやポジション取りには興味がない。他の人にどう思われるかなんて関係ない。自分の中での満足感だけを追求して生きて行く。こんなことを、声高に説いてドヤ顔をしている。
それぞれの幸せを見つければいいだけだ。自分はマズロー的枠組みで言えば承認欲求の争いを越え自己実現欲のステージに到達しているのだ。こんなことを言いながら悦に入る男性、わたしである。
そしてある日、家でウンコをしている時にこの自分のスタンスこそが「マウント」以外の何ものでもないということに、ふと気付いた。
「マウントなんてしない自分」は、「何かとマウントする人」に比べて偉いんだぞと、それを必死に、巧妙にアピールしているのである。優位を得るためのポジション取り。典型的なマウントだ。
本当にそう思っているなら、誰にも言わなくて良い。ただ皆の重んじるルールから静かに逸脱し、馬鹿にされて、意見など言わずに生きれば良い。マウントに言及する必要すらない。
優位に立ちたいという強い思いがあるからこそ、「マウント、ワロた」という巧妙な意見をわざわざ口に出したのだ。他者に対して優位に立つ為に新手のスタンスを持ち出してきた気の毒なブーメラン自己矛盾マウンティングゴリラa.k.a ハイパードキュン@IQ13。わたしである。
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正直に言おう。今日も今日とて脳内では煩悩と承認欲求がタイフーンのように猛威を振るっているし、そしてそれを人前では巧妙に隠している。
軸の複雑化した終わりなき無限マウント争いの中でもがき、自分は今だに誰かの設定した得体の知れない基準に無意識に乗っかり、やたらと記号的価値を追いかけ回しては「承認」を求めて日々頑張っている。
そういう意味では足の速さや遊戯王カードの強さ、合格した大学の名前や内定した企業名といった謎の価値基準で競っていたあの日から、会社を辞めて現在に至るまで、本質的な活動内容が何一つ変わっていない。形を変えながら、ずっと同じことを繰り返している。空虚で滑稽。悲しみのピエロマンである。
周りの人が気になる。どう思われているかが気になる。他人より優位に立ちたい。この際限なき欲望が生み出す無限の争いから完全に逃れようと思うのなら、きっと残された道は成功ではなく解脱。それしかないと、薄々気付いている。
それでも今日の自分が一番欲しがっているのは輪廻からの離脱に向けた適切な修行の手順などではなく、この記事をFacebookで見つけたあなたが哀れみの気持ちから押してくれるたった一つの「イイネ」
そしてささやかな承認を得た私が、僅かな期間のみ救われる ──
※こちらは2017年5月に掲載された記事の再掲です。