鬱(うつ)になるほどに、苦しかった就職活動。
自分の可能性を広げるべく、20代に数社を経験。
そして、突然のひらめきで、名古屋への移住を決めてフリーランスに──
今井さんのお話を伺いながら、自分の20代を思い返していた。私はずっと「やりたいこと」に出会いたくて、焦っていた。本の編集者や、映画のプロデューサーをやっていても、どこか、自分にピタッと合わない気がしていた。
30代前半の自分の転機となる出来事が訪れたとき、私は訳も分からず涙した。涙の理由を知りたくて、探求の旅に出た。
今井さんは、「雷に打たれた」と衝撃的な出来事を表現した。
出会いには、その準備が必要だと私は思っている。準備があるからこそ、その人の前に現れたときに「運命の出会い」となる。出会いには、生きざまが現れるんじゃないか。
取材中、今井さんの姿を見ながら、自分の感情に素直に向き合う大事さを学んでいる気がした。
はたして、私は真剣に生きているだろうか?
特集「あなたのキャリアに一目惚れしました。」
本特集では、ワンキャリ編集部が「一目惚れ」したキャリアの持ち主にお話を伺います。就活に直接関係ない話も多いです。いつか、あなたがキャリアを決めるときの一助となることを願って、お届けしたいと思います。
今回の惚れられた人:今井麻希子さん(CNVC認定トレーナー/コンサルタント/コーチ/ファシリテーター)
CNVC認定トレーナー、株式会社yukikazet代表、一般社団法人日本NVC研究所代表理事。国際基督教大学を卒業後、外資系コンサルティングファームやアニメ制作会社に勤務。生物多様性の国際会議への参加をきっかけにNGO活動に携わる。サスティナビリティやソーシャルをテーマに執筆・編集活動に従事する中、NVC(非暴力コミュニケーション)に出会い、互いに豊かさをもたらす精神的基盤であると確信。現在は個人や組織を対象にしたコーチング、リーダーシップ開発や、チームビルディング、組織開発などのサービスを提供。共訳書に『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』(海士の風、2021年)。
今回の惚れたインタビュアー:佐藤譲(プロデューサー・コーチ/人形つかい/「人形劇の図書館」研究員)
京都大学で国際政治学を学んだのち、スタジオジブリに入社。鈴木敏夫プロデューサーと同じマンションに暮らしながら、出版部で編集者として勤務。日本テレビへ転職後、映画プロデューサーに。代表作は『バケモノの子』『DEATH NOTE Light up the New world』『俺物語!!』など。独立後は京都へ移住。現在はプロコーチとして、さまざまな作家・クリエイターへのコーチングを行うほか、教育改革を行う藤原和博氏とともにオンラインスクールをプロデュースするなど、多方面にて活動中。また、2022年から人形劇を届ける活動も始め、京都の雑誌『ハンケイ5m』で「人形つかいパペ」としてエッセイを連載中。
<目次>
●ロジックでは生まれない意外な選択
●すごくすごく遠回りをしたけれど
●雷に打たれるほどの衝撃
●まさか学生時代の患者経験が生きるとは。
ロジックでは生まれない意外な選択
──自分の選択肢がどんどん狭まることへの危機感って、私にもあります。でも、今井さんほどアンテナの感度が良くなくて、家族に助けられています。自分はこのままだとあまりいいキャリア選択をしないんじゃないか、という予感ってどこから生まれたんでしょう。
今井:なんでしょうね。1つは1社目の外資系企業で人事として働いた経験もあるかもしれません。例えば、パフォーマンスとお給料って、必ずしも公平に比例していないなぁ、と思いましたし、外資系ならではの世渡り上手なジョブホッピング(短期間で転職を繰り返すこと)の仕方も垣間見ました。キャリアアップを考えると、この会社でスキルをあげるというよりかは、この会社もあの会社も行ったことがあるというのが良かったりして。
いま思うと、「人が働くって何だろう?」というようなことを、20代前半から考えさせられていたんじゃないかと思います。
──それにしても、ひらめいたとはいえ、思い切って場所を変えるのは意外性がありますよね。
今井:ロジカルに考えたら絶対に出ない選択なので、たまたまですよね。たまたまひらめいて、たまたますごく不思議な巡り合わせでドンピシャの物件が見つかった。そして、私が勝手に運命だと信じ込んだ、という根拠のないものですから。
──演劇で考えるとつかみやすいかなと思いながら聞いていました。主人公の役者が動かなければ何にも起こらない。主人公の選択が予想の範囲内だと、観劇しているお客さんとしては全然お話が進まなくて飽きちゃう。そんなときに「え!? 名古屋!??」という意外な物語展開は、見ていてすごく楽しいです。
今井:そうですね、自分でも1ミリも想像をしたことがない選択でした。その後、ある意味運命的な展開がまたありました。
すごくすごく遠回りをしたけれど
今井:2010年に名古屋で「生物多様性条約COP10」という国際会議が開催されることが決まっていました。人や言葉に触れることが好きなので、当時の私はライターとして活動したいと漠然と考えていたのですが、たまたま友達が名古屋の市民メディアをやっている人を紹介してくれたんです。そうしたら、「今度、国際会議があるんだよ。市民のネットワークをちょうど立ち上げるところなの。今井さんが英語ができて時間もあるなら、一緒に事務局をやらない?」って声をかけてくれて。しかも、「ぼくは市民メディアをやっていて、今後、生物多様性の記事を新聞社などでも出していくことになるだろうから、なんかすごくいい流れだと思うよ」と言われました。
その人は勝手に「運命だ〜! 今井さんはCOP10のために名古屋に引っ越してきたんだよ」とみんなに言って回って。みんなは信じているみたいなんだけれど、まったくのうそです(笑)。そんなことは知らずに名古屋に来ると決めたのですから。でも、それくらい運命的な出会いでした。
──ひらめいた名古屋行きがそんな展開に!
今井:当時、生物多様性というテーマはまだニッチで、聞いたこともない人が多かったです。私もそれまでは知らなかったです。そういう分野だったので、その領域で書けるライターさんもほとんどいなかったんですよね。生物多様性のことを取材してくださいと言われても、勉強しないと書けない。私は市民団体にいたから、すでに専門的な人が周りにいっぱいいて、ありがたいことにいつもトレーニングを受けているような環境でした。
そして、中日新聞さんが「Viva地球!」という生物多様性のコーナーを新聞に作ることになったときに、市民メディアの人へお声がかかって、「じゃあ今井さん、一緒に行って取材記事を作ろう」となって。いきなり新聞に載るインタビュー記事を書く幸運にも恵まれました。そうして、生物多様性分野の記事を書くライターとしての個性が出ていきました。
また、そのつながりで企業の社会的責任であるCSR(※)分野についても、インタビューをする仕事がだんだんと企業から依頼されるようになりました。ソーシャル系の記事が書けるライターというアイデンティティが出てきて、ワンキャリアさんが「外資BIG5特集ソーシャル編」という企画を進めるときに、たまたま私を見つけてくださって。電通さんからも、ソーシャル・ダイバーシティについての企画を進めるときに、声をかけていただきました。
ライターさんってたくさんいるけれども、ニッチで社会に必要な領域に立てたことは本当にありがたくって。恵まれていたんですよね。
(※)……従業員や消費者、投資者、環境への配慮など、企業が組織活動を行うにあたって担う社会的責任のこと
──それにしても、お話を聞いていると、東京で働いた最初の10年が遠い昔のように感じます。どこか別の人のお話を聞いているみたいです。
今井:そうですね、だいぶ切り替わりましたね。
1社目の仲間の話を聞くと、大体はエンジニア系の人が多かったというのもあって、今でも同じIT業界にいて、給与水準も高いし、多くの人がタワーマンションとかに住んでいたりします。自分はもう全然違う場所にいて、あの頃とは随分違う世界に来た感じがあります。
でも、今になって、NVCのトレーナーやコーチとして、別な角度からさまざまな企業の方と関わりを持ち、しかも人の内面や関係性に関わるところにつながりを持てているわけですよね。すごくすごく遠回りをしたけれど、新卒の頃にやりがいを感じていた領域に戻ってきた感覚もあります。
──東京を離れて、ライターとしてのキャリアが培われていく一方で、いよいよNVCやコーチング領域との出会いも生まれたんですね?
雷に打たれるほどの衝撃
今井:ライター業を続けながら、NGO(非政府組織)活動もしていました。社会活動に関わっていると、「問題を難しくしているのは、結局は人だな」と感じていました。異なる意見や価値観の違い。自分と反対側の人を敵とみなして、どうやって説き伏せようかと頑張る。その感じが私にはしんどかったんですよね。もちろん情熱がある人たちがすごくたくさんいて、心を打たれることもある。だけど、情熱ゆえに傷ついたり、消耗したりしていく人の姿も多く見ました。
社会の課題といっても、結局は人に関わる問題。人がいがみ合うことが根本にあるんじゃないか、と思っていました。そんなときに、2015年に国連防災世界会議が仙台であったんです。そのときに私たちのNGOは生物多様性の観点から生態系に配慮した防災・減災を提案しようと考えて、活動のチラシを持って行ったんです。そこでたまたま出会ったのが三浦友幸さんでした。
それがすごく大きな転機でした。
──どんな出会いだったのでしょう?
今井:三浦さんは気仙沼市でご自身も被災され、ご家族を亡くされています。彼は地元の復興に関わる活動をしていて。「地域の自然を愛しているし大事にしたいけれど、僕はそういった大事なことを守りたいからこそ『環境活動家』っていう風に自分のことを言わないんですよ」と教えてくれたんです。どうしてですかと尋ねたら、「なになに派と打ち出すことは、賛成派・反対派と分かれる。すると、自分と違う側の人とは話が合わないと思われて、対話が難しくなる。自分は対話する場を作りたいんです。どちらが正しいかじゃなくって、何を大切にしたいかをみんなで話せる場を作りたいんです」ってことを伝えてくれて。
そのことを聞いたときに、私は本当に、雷に打たれたぐらいの衝撃を受けました。その通りです、って心底思った。
それにすごく恥ずかしかったのは、実はその話を聞いた日の昼間に、三浦さんと一度会っていて。「こういうチラシを持ってきたので良かったら使ってください」と言って、自分の活動を紹介するチラシを三浦さんのところに束で置いていったんです。私は「あぁ、いいことをした」くらいに思っていた。
夜になって三浦さんのお話を聞いて、本当に本当に恥ずかしかったです。いいことをした、と思っていた私は何かに勝とうとしていた。すごく浅はかな感じがして、とにかく恥ずかしかったです。もちろん、そのチラシを作ったこと自体は別に恥じているわけじゃありませんし、三浦さんもその活動についてもっと知りたいと言ってくれて、その後、活動を一緒にしたり、サポートしたりする関係にもつながっていきます。
でも、私のチラシの渡し方が何度もフラッシュバックしました。本当に恥ずかしかったけれど、三浦さんのお話を聴けて良かったです。本当に良かったです。
──今のお話を伺って思い出したのは、今井さんの学生時代の話です。なぜか、就活において、模擬国連サークルの話を頑張ったこととして話せなかった。
私は、自分にとって決定的な出来事に出会うには、それまでのストーリーが必要だ、と思っています。三浦さんの言葉を聞いても、衝撃を受けない人はいくらでもいるかもしれない。でも、今井さんには雷に打たれたようなインパクトがあった。それって、今井さんにとっての大きなテーマだったんじゃないか、と思うんです。
模擬国連サークルって、国連の会議をシミュレーションするものでしょうから、どう対話するか、でもある。聞いていると、話し合いの場なんだけれども、どちらかというと、それぞれの国のいろんな事情があって、賛成・反対に分かれながら話していったんじゃないでしょうか。
今井:あぁ、それは考えたことがなかったです。きっと、私が模擬国連の活動に、どこか100%乗り気になれなかったことなんです。
アメリカってこうだよね、だから反対の立場を取るよね……そんな風に、どうやって賛成・反対の立場をとるみたいなやつが、心の底からは乗れなかったんです。シミュレーションをするのも楽しいけれど、本当に大事な対話の方法じゃない気がして、もともと勉強が苦手だったこともあって、だんだんと活動やリサーチに以前ほど情熱を注げなくなってしまっていたのです。そうして、自分はこのゲームに乗れない落ちこぼれだ、と思うことがあったと思います。
──三浦さんとの出会いを経て、いよいよNVC(非暴力コミュニケーション)が目の前に来るのでしょうか?
今井:彼の話を周囲の人に興奮して伝えました。こういう考えこそ大事なのじゃないかって。だけど、具体的にどうすればそんなことができるようになるのかが、なかなかつかめなかった。
私がやりたい領域は「みんなで大事なことを話せる場づくり」にありそうだと思ったのが2015年。そうして情報を探していたら、2016年のはじめに『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/安納献 監修、 小川敏子 翻訳/日本経済新聞出版、2012年)がAmazonのおすすめに出てきたんです。
──Amazonで知ったんですか!
今井:あのタイトルに「なんだこれ?」ってビビっときて。早速取り寄せて読んでみたら「やばい!」って(笑)。マーシャル B.ローゼンバーグ博士というのは、ノーベル賞かなにかを取った人なんじゃないか!? と大興奮でした。
その頃、名古屋から鎌倉に引っ越していて、周りの友達に会うたびに紹介できるように、いつもカバンに持ち歩いていました。でも、結構皆さん反応が薄くって。「字が多くて難しそうな本だね」「すごく真面目だね」みたいな感じで。私が前のめりすぎたのか、当時は私自身がコミュニケーションとかコーチングとかに興味がある人たちの世界に生きていなかったからなのか、周囲の人にはほぼ響かなかったんですよ。
私がこんなに興奮して持ち歩いているのに、誰も同じように「読んで興奮した!」と言ってくれない。孤独を感じながらワークショップに参加したりしました。たまたまなんですけど、あの本を監修した安納献さんが同じICU(国際基督教大学)卒で、プロフィールを見てみたら、同じ年に大学にいた。勝手にご縁を感じましたね。
──まさかAmazonでたまたま目にしたとは思いませんでした。
今井:さまざまなつながりはあるものの、直接的にはAmazonがおすすめしてくれなかったら出会わなかったです。今でも購入履歴で「あぁこの日に出会ったのかあ」って見ることができます。テクノロジーって侮れないなって思います。
まさか学生時代の患者経験が生きるとは。
──そこまでの今井さんのストーリーを聞いていると、NVCと出会うのは必然だったんじゃないか、と思えてきます。そして、あのローゼンバーグさんの本を読んだら……
今井:かなりの衝撃だったんですよ。ほんのちょっとのことが、なんで自分には気づけなかったんだろうとも思った。私の中で、三浦さんに会ったときの衝撃が、本当に重なりました。
本に書かれていたのは、まさにそういうことだったんです。正しい・間違いじゃなくって、何を大事にしたいかってことが、三浦さんが言っていたこと。そして、マーシャルは自分が憧れたり尊敬していたりする人たちの振る舞いをもとに研究したそうなのですが、私にとってもそうだったんです。三浦さんと出会って、活動するんだったら、ああいう活動家になりたいと思った。
NVCと出会ってからは、私はこれを身につけたいし知りたいし、学ぶことにもう全然迷いがなかったです。「見つかっちゃった! 出会っちゃった!」みたいな感じでした。
──あぁ、ハツラツと体が動く今井さんの姿が目に浮かびます。
今井:本格的に学ぶんだったら海外へ行って年間プログラムを受けるといいといわれたので、翌年、すぐに行きました。自分の中に納得のいく何かを見つけたいし、実感したかったので、その選択しかなかったです。
──たった1つの選択だけれど、東京でいつの間にか価値観が狭まっていたときとは、まるで異なりますね。
今井:NGOの活動もいったんお休みして、学ぶために動きました。ライターの仕事はたまにお声がかかったときだけにして。
NVCを学んで、分かち合う場をどうやって作れるか、を考え始めました。最初は無料の読書会という形でやり始めました。私自身が勉強をしたいので、一緒に勉強会をやりましょうみたいな形です。英語の資料があったら、それを私が翻訳する。そこからスタートして、すごく応援してくれる方が集まってくださいました。「タダでやってもらうともう一回やって、って言いづらいから、お金を取ってよ」と言ってくれて。それが後押しになって、ちょっとずつ講座を始めました。
──そうした活動が『「わかりあえない」を越える──目の前のつながりから、ともに未来をつくるコミュニケーション・NVC』(マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/今井麻希子、鈴木重子、安納献 翻訳/海士の風、2021年)へつながっていくんですね。
私がNVCの本を読んだときに思ったのが、私にはこれが必要だし、私たちの社会にも必要だ、ということでした。ローゼンバーグさんの本には深刻な怒りに満ちた場所での体験談がたくさん登場します。そうした場所での対話の可能性を開く生き方が提示されている、と思いました。
身近なところではSNSで怒りがあふれている光景を目にすることが日々あります。今、本当にNVCが必要なんじゃないか、私は何ができるか、と思いながら読んでいました。
今井:私でいうと、東日本大震災の後から特に、原子力発電のことを巡って、避難した方がいい、避難するなんて大げさだ、って友達の間でさえもちょっと蔑(さげす)み合うことがありました。あなたはどっち派? って。今でいうとコロナのワクチンを打つ打たないに近い光景だと思います。やっぱり、しんどかったですよね、人が人を蔑むというのは。知識が人を見下すものとして使われているときって、すごく残念な思いがする。蔑んでくる相手のことは、「こんなに意地の悪い人なんだ」ってその人のことも嫌いになっちゃう。つらかったですね。人は、自分の中にある本当の願いに耳を傾けることを通じて、自分自身も、他者も大切にできる。もっとクリエイティブにつながりあうことができる。そういう可能性を伝えたいし、そんな実践を育んでいきたいと今は考えています。
──すごく分かる気がします。最後に、学生時代の出来事が何か今のお仕事に生きていることがあれば教えてもらえませんか?
今井:今になって思うと、就活で鬱になって、心療内科に通い詰めた体験ですね。人の内面を扱う仕事の現場を、患者として体験できたので。
まさにNVCの本に書かれていることなのですが、多くの診療の場では「診断して、分析する」ことが主流だったんです。あなたはどういう生い立ちですか、長女なんですね、きっとこういうことがあったんですか……って。自分の生い立ちを1時間お話しておしまい。それで高額なお金がかかる。薬は効きましたか、ちょっと眠れましたか、ぐらいの話では、私の現実は何も変わらなかった。
一方で、私を救うきっかけとなったのは、人との温度感のあるつながりだったように思います。何かをつかもうと、ホームヘルパーの育成講座を受けて介護の現場に触れたり、演劇に触れてみたり。そういった現場で体験した温度感のある関係から、人が支えあうこと、生きる力を取り戻す力に可能性を信じることができたのだと思います。関係性の中で傷つき、関係性の中で癒やされた経験は、今、NVCを通じてリーダーシップ開発や関係性を育む仕事をする上で、本当に役立っていると思います。自分の感覚にうそをつかないで生きてきたことにも感謝したいですね。それがなければ、今のこの道にはたどり着いていなかったと思うので。あのつらかった経験を、巡り巡って、生かすことができた。ある意味、人生に無駄はないですよね。
目に見える出来事ではなくて、今井さんの感情に耳を傾け続ける。
すると、私自身の心が反応する。記憶のフタが開いていく。感情が浮かび上がる。
取材を終え、録音機を止める。
今井さんとの対話は止まらない。もっともっと知りたい。思いがつのる。
仕事には、こういう出会いがある。
特別なものにするかどうかは──私自身の意志だ。
【ライター:佐藤譲/撮影:池田憲弘】
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