小さな頃、誰にでも好きな動物がいたはずだ。
僕はカマキリやバッタが好きだった。じっと獲物を狙う姿、ピョンと飛び跳ねるときの脚の動き。草むらで見ていると、わくわくした。
でも、小学校の学年が上がるにつれて見なくなった。それよりも「理科のテストに答えられる方が、将来の役に立ちそう」と思ってしまった。大人になった今では好きだったことも忘れそうになっていた。
だからだろうか。著書の『キリン解剖記』を読み、話が聞きたくなった。
郡司芽久(ぐんじ・めぐ)さん。幼少期からキリンが好きで、大学生のころからキリンの研究を続けてきた。キリンの訃報を聞けば正月でも解剖に駆け付け(キリンは冬によく亡くなるらしい)、キリンに潜む謎を解き明かそうとしている。そこにはきっと、キリン研究を仕事にするからこその苦労もあっただろう。
「小さな頃から好きだから、仕事にしたい」。よく聞く言葉だが、就活は「自分はどう社会の役に立つのか」を説明する面もある。「好き」を忘れずにキャリアを歩んできた郡司さんは、「役に立つか」という問いとどう向き合ってきたのだろうか。
特集「あなたのキャリアに一目惚れしました。」
本特集では、ワンキャリ編集部が「一目惚れ」したキャリアの持ち主にお話を伺います。就活に直接関係ない話も多いです。いつか、あなたがキャリアを決めるときの一助となることを願って、お届けしたいと思います。
今回惚れられた人:郡司芽久さん(キリン研究者)
1989年生まれ。2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務、2020年4月から筑波大学システム情報系研究員。幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。解剖学・形態学が専門。哺乳類・鳥類を対象として、「首」の構造や機能の進化について研究している。これまでに30頭余りのキリンの解剖に携わり「世界一キリンを解剖している人間(かもしれない)」とのこと。第七回日本学術振興会育志賞を受賞。
今回惚れたインタビュアー:吉川翔大(編集者)
東京大学卒業後、2011年に新卒で中日新聞社に入社。長野、静岡、三重の3県で記者として働く。地方のユニークな人々や中小企業を取材する中で「楽しく働いている人の話を聞きたいし、もっとそんな人が増えてほしい」と感じ、2019年にワンキャリアに入社。1987年、京都市生まれ。
<目次>
●キリンのキャリアに励まされる
●本質が分かっていなければ、何も得られない
●無力感は「命」と向き合うことで乗り越えていく
●拙くても情熱を伝える。そこからキャリアは動き始める
●いつかやって来る問いから逃げない
●スルーしていた身近なものに、目を当ててもらいたい
●無目的、無制限、無計画。今すぐ役に立たなくても、未来のために
キリンのキャリアに励まされる
──『キリン解剖記』、とても面白かったです! ストーリーももちろんですが、郡司さんのキリンに向き合う真摯(しんし)な姿勢が心に残って。どんな思いで、この本を書かれたのですか。
郡司:「動物園に行ってキリンを久しぶりに見たいな」。そう思える本にしたかったです。キリンを最後に見たのは5年も10年も前という人は多いのかな、と思って。私は普段から動物園の方にもお世話になっているので、そこは最後までぶれないように書きました。
──キリンは人気の動物ですけど、動物園で見たいくらい好きな人は多くないのかもしれないですね。郡司さんにとって、キリンはどういう存在なのでしょうか?
郡司:実はそういう『情熱大陸』にあるような質問、たまに受けるんですよね(笑)。それで考えてみたのですが、キリンの進化を考えるとすごく励まされます。
──「励まされる」ですか? どういうことでしょう?
郡司:キリンって、誰が見てもキリンだと分かる姿をしているじゃないですか。そのアイデンティティーの強さにものすごく憧れる部分があります。研究者としてキャリアを歩み始め、「この人といえばこれ」といえるオリジナリティーがある人になりたいと思っていました。
でも、研究を進めていくと、キリンも全てにおいてオリジナリティーが高くてユニークな動物ではないと気が付きました。
例えばあの長い首もそうです。他の動物とは違う見た目ですが、いざ首の骨、頸椎(けいつい)という部分を見てみると、多少の工夫はあれども骨の数は7個で、私たち人間とベースは変わらない構造になっています。ベースが同じということは、進化の過程で劇的な変化が起きて今の姿になったのではなく、小さな変化、ほんの少しの工夫を積み重ねたのだろうと想像しました。
(Photo:Nicola_K_photos/Shutterstock.com)
そう考えると、すごく励まされました。ユニークな存在になるには、何かものすごく突飛(とっぴ)なことをしないといけない気がしますが、実はそうではない。小さな変化の積み重ねですごくオリジナリティーの高い存在になれるんだと思わせてくれます。
──それは、キリンの研究をする郡司さんならではの見方ですね。ある意味、キリンのようなキャリアを目指しているというか。
郡司:そうですね。私も本を出し、今でこそ取材をしていただく機会もありますが、目立つために特殊なことをした感覚はありません。他の研究者と同じように地道に活動をしていく中で、他の人がやっていないような研究にも届いたのかな、と思います。
ユニークな存在になるには突拍子のないことをするのでなく、時間をかけてでも小さな変化や工夫を少しずつ積み重ねることが大事なのだと、キリンの進化から教えてもらいました。
──それでいて、憧れでもあるのですね。
郡司:神々しいですよね。キリンは身長4〜5m、体重は700〜1500kgくらい。首だけでも長さ2m、重さが150kgくらいで、横綱白鵬関と同じくらいのサイズです。それなのに、歩いてもとても静かで、全然足音がしないんです。象やカバなどはドスドスと歩くイメージですが、同じ大きな動物でもキリンはすごく軽やか。でも、体を解剖していくと、重力に逆らって首を持ち上げるために特化した構造になっています。大きな生き物が重力下で生きるのはすごく大変なのだなと、解剖しながら思います。
一方で、実際に生きている姿からは、そんなふうには感じませんよね。だから、私もプレッシャーがあってもキリンのように軽やかに生きたい。プレッシャーを感じているようには見えないような軽やかさを持つ人間になりたいです。
本質が分かっていなければ、何も得られない
──解剖を通じてキリンを深く知れたからこそ、憧れも深まったのですね。そもそも、郡司さんが解剖の世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか。
郡司:大学1年生の秋、「博物館と遺体」というゼミ形式の授業を受けたのが始まりです。病気や寿命、事故で亡くなった動物の遺体を解剖する授業で、私が最初に解剖した動物はコアラだったと思います。担当教授は遠藤秀紀先生でした。
──遠藤先生は解剖学の世界では有名ですよね。いきなり素人が解剖はできない気がしますが、具体的な方法は遠藤先生からその授業で教わったのですか。
郡司:遠藤先生から最初に解剖をする前に教わったのは、メスの握り方だけでした。遠藤先生は「遺体と向き合う時間を大切にしろ」とおっしゃる方でした。タスク・ゴールがあり、それに向かって作業としてやると、記憶に残るような経験はできないという考え方です。
たとえ知識としての発展はなくても、その場で死体と2人で1つの部屋に入り、ずっとそこで模索し、時には「今自分は何をしているのだろう」と思いながら作業することで得られる経験がある。当時は「何を言っているんだろう」と思っていましたが、今になってみると分かる部分もありますね。
──「遺体と向き合う」って実際にやるのは大変そうです。
郡司:初期の頃に知ったのは、観察する難しさです。観察って作業自体は誰にでもできることです。基本的には自分の目を使い、見えているものをスケッチし、記録に取るだけですから。でも、やってみようと思うと、すごく難しい。見えているもののどこに本質があるのか。これが分かっていないと、情報量が多すぎて一体何を写し取ればいいのか全然分からないんです。
──そうか、本や模型と同じように筋肉や骨が並んでいるわけでもないでしょうし、「これが○○筋だ」と思っても、初心者だと本当に正しいかは分からないですよね。
郡司:同じ筋肉を見ていたとしても、先生はもっと有意義な情報を得て、もっといろいろなことを考えられるかもしれないのに、自分が見てもそこから何を考えていいのかすら分からない。そんな状態でした。
でも、あのときに先生から「この部分を見てみなよ」と言われたら、「この部分だけ見ればいいのか」と思ってスケッチし、何かできたような気持ちにもなっていたかもしれません。あそこで先生が突き放してくれたおかげで「自分は目の前に価値があるものがあっても、どこを見たらいいのかすら分からないレベルなんだ」と体感的に理解できたのは良かったと思います。
無力感は「命」と向き合うことで乗り越えていく
──でも、訳も分からないまま遺体に向き合うのは、つらくなかったですか。『キリン解剖記』で「無力感」という言葉を使っていたのが印象に残りました。
郡司:ニーナのときですね。私が初めて“解剖”(※)したキリンでした。
(※)……郡司さんの作業は「解剖」と「解体」の2つに分類できる。「解剖」は遺体を切り開いた後に筋肉の様子や動きを詳しく観察する一方で、「解体」は骨格標本を作るために皮膚や筋肉をどんどん取り外していく。郡司さんは遠藤先生の下でキリンを「解体」したことはあったが、キリンを「解剖」したのはこれが初めてだった。
──「『これが○○筋だ』と断言できる筋肉すら1つもなかった」と書いてあり、大きな壁に直面したのだろうな、と思いました。
郡司:解剖という行為は非日常的なことなので、知的好奇心が刺激され、どきどきすることもあります。一方で、相手が遺体なので、自分の中に知識の向上がないと、命を弄(もてあそ)んでしまった申し訳なさを感じてしまいます。倫理的に犯してはいけないことをした感覚です。
──そこで「もう解剖はやめよう」と思わなかったのですか。
郡司:倫理的に犯してはいけない、申し訳ないことをしたと思ったからこそ、ここでは終われないという気持ちが強くなりました。しかも、その直後、とても縁を感じる出来事があって。ニーナのパートナーだったシロというオスのキリンが数日後に亡くなったのです。
ニーナに対して申し訳ない気持ちがある中で、そのパートナーが亡くなり、すぐに献体を受ける機会があった。今度こそ同じ失敗は繰り返さないようにしたいと思ったのが、一番大きいです。
後は「つらい経験を忘れがち」というパーソナリティもあるのかもしれません(笑)。
──でも、科学の発展のために遺体をささげてくれるのなら、頑張らないわけにはいかないですね。動物たちはその意思を示せるわけではないけれど、すごく尊いことですね。
郡司: そうですね。今では献体を受けるキリンだけではなく、お世話をしていた人々のためにも、という思いもあります。
私は飼育員の方とも親しくさせていただいているので、亡くなって解剖することになったキリンを出産で取り上げた人の顔も知っています。お母さんが育児放棄をしてしまい、代わりにミルクをあげて大きくなるまで育てた飼育員さんもいます。
そういう方々が「この子の最後の瞬間を、役に立ててほしい」と献体をしていることを、昔よりも今のほうがよく理解しています。責任感は増していっています。
──解剖を始めて、キリンに対する思いにも変化はありましたか。
郡司:研究し始めてからの方が好きです。それは間違いありません。うなぎ登りです。今まではテレビや本くらいでしか知識を得る術がありませんでしたが、研究をしていると「こうなっているんだ、なるほど」と思う発見が小さなものから大きなものまであります。どんどん隠されていた魅力が出てきて、より好きだと思うようになっていきました。
──「好きだから知りたい」という気持ちが原動力なんですね。
郡司:「キリンが好きで研究しています」までは理解していただけるのですが、やっていることが解剖となると、「本当に好きだったら、解剖できないのでは」と思われることもあります。
でも、私は、好きだからこそ何かしらの理由で死んでしまったキリンに向き合い、発見をしたいという思いが強くあります。好きだからこそ解剖をしていることが伝わればいいな、と思います。
拙くても情熱を伝える。そこからキャリアは動き始める
──飼育員の方や博物館の方、多くの人の協力で郡司さんがキャリアを積んでこられた点も、『キリン解剖記』の中で印象に残りました。どうやって協力者を増やしていったのでしょうか。
郡司:周囲の人に本当に恵まれた。それが一番だと思いますが、自分の情熱を示すことは大事だと、今でもすごく思っています。
──情熱ですか?
郡司:最近は大学1、2年生の方からも「◯◯をやりたいんです」と相談を受けることがあります。でも、キャリアとして続けていきたいのか、人生で一度経験したいという感じなのかが分からないと、どんなアドバイスが良いのか分からないこともあります。自分の強い意志を拙(つたな)くても伝えることはすごく大事だと思います。
──郡司さんが学生時代にやっていたことはありますか。
郡司:研究室のゼミ用に作っていたプレゼン資料は印刷して持ち歩き、他の研究機関や動物園の人に会ったら「キリンのこんな研究をしているんです」と伝えるようにしました。キリンの遺体が毎回、私の所属する研究機関に献体を受けるわけではないので、「キリンの遺体が届くから、郡司さんに連絡するか」と思ってもらえるようにすることが大事だと思ったんです。
実際に、「次にこういう機会があったら郡司さんに連絡しますね」と言って、献体があったことを教えてくださる方は多くなったと思います。
──当時は学生だったと思いますが、不安はありませんでしたか。その道のプロの方に、何者でもない自分が「協力してください」とお願いするのですから。
郡司:分かります、そういう不安は。私が幸運だったのは、大学に入ってすぐに動き始めたこと、タイミングが早かったことかもしれません。
大学に入った直後は高校生に毛が生えたくらいの感じで、研究が何かも知らないし、社会の中で働くイメージも付いていませんでした。その上、18歳にもなって「キリンの研究者になりたい」という子どもみたいな夢を話すのは、少し恥ずかしい気持ちもありました。
特に今の生物研究の主流は、マウスやニワトリを飼って細胞や遺伝子を調べる分子生物学です。特定の動物を調べるにしてもシカやサル、イノシシなど農作物に被害を与える動物でしたので、キリンの研究がどこでできるかも分かりませんでした。
でも、キリンの研究ができないかと先生たちを訪ねて回ると「じゃあ、あの先生と話してみたら?」「この先生が書いた本が面白いよ」と笑顔で教えてくれて。そういう先生たちに最初の段階で会えたのが良かったです。
──誰も否定しなかったというのが、大きかったのでしょうね。
郡司:足りていないけれど頑張ろうとする若者がいたら、基本的には応援する人のほうが多いのだと思います。前向きにアドバイスをくれる先生たちに出会えたことで「足りていなくても、やりたいことを言っていいんだ」と思えました。
いつかやって来る問いから逃げない
──就職など別の道を考えたことはありませんでしたか。
郡司:就職を考えたことはありませんでした。もちろん大学時代の同級生の中には4年で卒業して就職した人もたくさんいましたが、やれるところまで研究をしてみようと思っていました。
──大学院まで進んでも、そのまま研究職で働けるかは分かりませんよね。そこのリスクを取る不安はありませんでしたか。
郡司:0ではありませんが、やはり一番の希望は「キリンの研究をしたい」でした。失敗しても大丈夫なように別の道が残るようにするために時間を使い、本当は一番したいはずの研究に時間を使えなくなるのは、本末転倒だと思いました。でも、結局はすごく楽観的で、最後は何とかなるかなと思っていました(笑)。
──そして、解剖学の道に進んだことで「キリンの研究がしたい」という思いが実現しましたね。
郡司:解剖学は好き嫌いではなく、キリンの研究をするための手段として選びました。そういう意味では、好きなキリンの研究をしてきた私のキャリアにおいて、解剖学だけは少し選択の仕方が違います。
私は行動学の研究室にも出入りをしていて、そちらを選ぶこともできました。「すぐは無理でも、いつかはアフリカに一人で行ってキリンの行動を研究することもできると思う」と言ってもらっていたので。
悩んだときに、大学の先生たちが若い研究者に向けて書いたコラムをまとめた本を読んだんです。その中で、ある先生が「自分にしかできないと思うことを選びなさい」と書いていました。自分ではなくても誰かがやると思うようなことに時間をかけると、人生のどこかで必ず後悔する、と。
それを読んだときに「キリンの行動学だったら自分でなくても誰かがやるな」と思いました。でも、たくさんのキリンを解剖してそこから何かを発見することは、自分にしかできないことではないかと思ったんです。
──今振り返ってみて、解剖の道を選んで良かったと思いますか。
郡司:良かったと思います。キリンを解剖したい人は世界的に見てもいないので、誰かと競ったり奪い合ったりすることも基本的にはありませんでした。
──一方で、苦悩もありそうですね。
郡司:キリンの研究がしたいと先生たちに言うと、「キリンの何が知りたいの?」と聞かれました。これは最初、尋ねられても答えられませんでした。
じゃあ時間がたてば突然湧いてくるのかというと、そうは思えなくて。自分が知りたいことは何かをちゃんと追求しないと、たどり着けないような気がしました。
──研究過程の模索は修士課程まで続きましたね。『キリン解剖記』では「先生に無難なテーマをもらおうか。キリンは博士課程に入ってから挑戦することにしようか。そんな考えが何度も頭によぎる」と書いてありました。
郡司:その葛藤はありました。でも、何を研究したいのかは、いつか自分で見つけなくてはいけないことです。それがいつか必ず来ることは間違いなかったので、そこから逃げてはいけないと思いました。
結果的に、「取りあえず頑張ってみよう」とやっているうちに、良いタイミングで研究テーマに結びつき、「キリンの8番目の“首の骨”」を研究することになりました。
「キリンの8番目の“首の骨”」の研究にまつわるストーリーは『キリン解剖記』で読むことができます
スルーしていた身近なものに、目を当ててもらいたい
──念願がかなってキリン研究者になれましたが、今後どんな研究者になりたいですか。
郡司:私の話を聞いた人が家に帰って家族に話したくなるような研究をしていたいです。
仕事や学校が終わって家に帰ってほっと一息つくようなとき「今日、こんなことを聞いて」と話題に上がるような研究をしていたいんです。そのためにも、研究してきたことを理解できる内容で面白く伝えたいです。
──確かにあの本を読んで、キリンの知らない一面をたくさん知ることができました。「かわいらしい見た目だけど、実はかわいらしくないのかも?」と思うような。
郡司:「実は角が硬い」というのもそうですよね。キリンの角って毛で覆われていて、イラストにするとてっぺんを丸く描かれることもあるので、柔らかいイメージを持っている方も多いでしょうし。
私自身もそんなイメージを持っていました。でも、実はしっかりと骨が入っていて、しかも鹿や牛の角とはちょっと違うような独特な構造だと知ったときには、結構見る目が変わりました。
──そういう驚きや発見を与えてくれるのも、科学の面白さですよね。
郡司:自然科学は自然がテーマなので、動物や植物といった私たちの身近にあるものを研究する一方で、普段はそんなに注目しないことがすごく多いです。今まで日常でスルーしてしまっていたものに目を当ててもらうことができたらいいですね。
──お手本にしている研究者の方はいらっしゃいますか。
郡司:研究者になりたいと思ってアカデミックの世界に入ってから、周りにはすごく格好良く生きている大人がたくさんいました。そこに憧れることはありますね。
──どのあたりが格好良く感じるポイントですか。
郡司:例えば、先生たちが2人で昔の研究の思い出話をしていたとき、「あのときは大変だったよ」と言うのですが、すごく笑顔で楽しそうに話されていて。「仕事=大変そう」というイメージがあったので「こんなに楽しそうに仕事をする人がいるんだ」と憧れました。
また、本当に100年後の人のために身を粉にして働いているような人たちを見ていくと、「格好いいな」と思いました。
無目的、無制限、無計画。今すぐ役に立たなくても、未来のために
──「100年後のために働く」ですか? どういうことでしょう。
郡司:博物館には「3つの無」という理念が根付いています。3つとは「無目的」「無制限」「無計画」です。今すぐに誰かが必要としないものでも、未来の人のために集めて残していくのが博物館の役目だということです。
ですので、誰が研究しているわけでもない献体がやって来て、骨格標本を作ることもあります。作業が数日かかることもあるので、その間自分の研究とかは置いておくことになります。私もキリン以外の動物の標本作りに携わってきました。
正直に申し上げると、学生時代はこの「3つの無」がやや負担だったこともあります。
──どんな点が負担だったんですか。
郡司:やはり現実に自分は生きていて、やるべきことや仕事、研究があるので、顔も知らない未来の人のために自分の時間を削ることに対して、いつも前向きな気持ちで取り組めていたわけではありません。すごく疲れているタイミングで自分の研究とは全然関係ないことをやっていると「寝たいな」とは思ってしまうこともありました。
そんなとき、実際に標本を作り続け、100年後の人のために身を粉にして働いている人たちが周囲にいたことで、少しずつ負担感が解消されました。「格好いいな」と思ったんです。私自身はしんどさを感じたからこそ、先人たちが残してきてくれたことにすごく感謝しています。
──先人たちの仕事の価値に気がついた、と。
郡司:キリンの解剖にはお金がかかります。輸送費から解剖した後に不要な筋肉を処分する費用まで。「日本でキリンの標本を集めても仕方ないよ。研究する人もいないし」。誰かがこう考えていたら、私の研究は成り立たなかったと思います。
それに、100年の時間の中で何人もの人が保管に関わっているはずです。それぞれの人の名前なんて全く分からないのですが、引き継がれてきた背景にはたくさんの人の苦労や情熱があって今ここにある。そんな名もなき人の助けで研究ができています。本当に古い標本を使って研究するときは、当時集めた人の名前なんて残っていないケースもあります。
しんどく感じるとき、「なんで今かな」と思ってしまうようなときこそ、この「3つの無」を大事にしなくてはいけないなと思います。
──郡司さんは、先人の思いをバトンとして受け取って仕事をしているのですね。
郡司:それはあります。最初は分からなかったんですけどね、それがバトンであることすらも。
学生時代に「3つの無」が負担だったときは「100年後の人のためにやってあげている」という意識が強かったのですが、少しずついろいろなことが分かってきて「自分も受け取っているんだ」という感覚が大きくなりました。自分が誰に渡しているのかも分からなかったバトンが、実は誰かから受け取っていたバトンだった。そんな瞬間があるんですよね。
そう考えると、自分が誰かに託そうとしているバトンも、きっと受け取ってくれる人がいるのだろうなと思えます。
──今は役に立つか分からない。けど、きっと未来に役立つものになる。そう思える仕事はすてきですね。
郡司:「3つの無」の話はあるイベントで話したとき、多くの人が「感動しました」と言ってくださりました。そうした感想が届くということは、今の世の中、きっと多くの人は今すぐに役に立つものを常に求められているのかもしれません。無制限はともかくとして、無目的や無計画は基本的にネガティブなものとして言われる言葉ですし。
私からしたら、研究室では当たり前の価値観で、昔はちょっと嫌だったくらいの言葉だったのですが、感銘を受けてくださる人がいるんだ、と驚きました。それで、この話は『キリン解剖記』の「おわりに」の章に入れました。
私自身、「その研究は何の役に立つんですか?」という言葉をかけられることもあります。だから、「3つの無」の話をすごく良かったと言ってくださる人がたくさんいるということに、すごく励まされました。
<郡司さんが「格好いい」と思うキャリアの持ち主>
楽しそうに仕事をする先生たちの姿を見ると、憧れます。振り返ってみても、私自身の人生の転機になるようなことは、決して役に立ちそうだからやっているわけではないことが圧倒的に多く、好きでやっていました。自分のやりたいことを知るためにも、「ハッピーな気持ちになる瞬間はいつなんだろう?」と自分の心と向き合い、その瞬間をちゃんと見つけてあげることが大事なのでしょうね。
【撮影:百瀬浩三郎】
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