緊急事態宣言で外出が制限され、大学だけでなく小学校まで、全国の学校が休校に──。
友達にも会えず、イベントも楽しめない。学生たちは一体どんな生活を送っていたのでしょうか。
今回ワンキャリアが取材したのは、教育業界でトップクラスの売上高を誇るベネッセコーポレーション。子どものころ「進研ゼミ」や「こどもちゃれんじ」にお世話になった、という方も多いのではないでしょうか。
国内教育事業に注力している同社は、休校に伴いどんな影響を受けたのか。オンライン授業やデジタルデバイスが普及した教育事業は今後どうなっていくのか。DXコンサルティング部部長の水上宙士氏に伺います。
連載:「アフターコロナ」の業界研究
新型コロナウイルスの感染拡大により、打撃を受け、変化を余儀なくされる業界は少なくありません。この連載では、各業界の企業を取材し、ビジネスへの影響と復活へのシナリオ、そして各業界の「ニューノーマル」の姿を浮き彫りにしていきます。
<目次>
●新型コロナで突然の臨時休校、3カ月の「空白」が教育事業と子どもたちにもたらしたもの
●一斉休校から4日で進研ゼミのドリルを無償提供。スピーディーな意思決定ができた理由とは?
●コロナ禍で加速したベネッセのDX。社内で40以上のプロジェクトが走っている
●デジタル化で参入障壁が下がった教育業界、「ディスラプター」と手を組む戦略も有力に
●子どもが減る状況は避けられないが、学びのビジネスチャンスは山ほどある
水上 宙士(みずがみ ひろし):株式会社ベネッセホールディングス DXコンサルティング部 部長
慶應義塾大学 商学部卒業後、ベネッセコーポレーションに新卒入社。「進研ゼミ」のデジタルマーケティングやTVCM・PRを含めたブランドマーケティングを担当。2020年より現職にて、社長直下の横断部門としてDXを推進。ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSや日本マーケティング大賞を受賞。
新型コロナで突然の臨時休校、3カ月の「空白」が教育事業と子どもたちにもたらしたもの
──2020年3月に全国の学校が一斉休校になったのは、緊急事態宣言の大きな象徴だったようにも思います。教育業界では、コロナ禍でどのような影響を受けたのかを教えてください。
水上:ベネッセはホールディングス全体で見れば、通信教育以外にも介護や学習塾など、幅広い事業を展開していますので、事業ごとにそれぞれ違った影響がありました。
例えば、最初の緊急事態宣言が発令された2020年度(2021年3月期)、大きなダメージを受けた事業もありますが、主力である国内教育事業の売上高については、前年比で5%ほど増加しています。一斉休校の時期に、自宅学習教材として「進研ゼミ」のニーズが高まったことなどが要因です。
ベネッセホールディングス「2021年3月期決算補足資料」より
──そうか、授業の代替として選ばれたというわけですね。
水上:はい。突然の休校要請に対応できず、子どもたちに与える教材がないという学校・ご家庭は多かったです。書店でもドリルが品切れの状態だったと聞いています。そもそも休業になってしまった書店も多かったですし。
──進研ゼミは家庭で行うものなので、休校による影響はあまりないと思っていましたが、プラスの影響もあったのですね。
水上:休校の影響はさまざまで、例えば、休校で楽しみにしていた学校行事が見直されたり、なくなったりしたこともあったと聞いています。その結果、勉強も含めた子どもたちのやる気の低下が起きていて、ベネッセとしても大きな問題だと認識しています。
ベネッセホールディングス「2022年3月期決算説明会」資料より
──そうなんですか!?
水上:コロナ禍が長期化したことで、勉強するモチベーションを上げるイベントがなくなったり、限定的な開催になったりしたことが要因ではないか、と社内では議論しています。
例えば、小中学生でいうと「夏休みにおばあちゃんの家に行くから、それまでに宿題を終わらせよう」など。中高生でいうと、文化祭や体育祭などのイベントが、定期試験に向けて勉強する「切り替えスイッチ」になっていたと考えています。
──勉強以外のイベントが、勉強のリズムを作っているなんて考えたことがなかったです。
水上:学校という場所は、勉強する習慣を作る機能もあるんですよ。朝7時ごろにちゃんと起きて、机に向かうというような。休校中には「子どもの生活リズムを取り戻したい」という悩みを抱えるご家庭も多かったです。
一斉休校から4日で進研ゼミのドリルを無償提供。スピーディーな意思決定ができた理由とは?
──確かにこの時期はニュースなどでも、休校の対応に戸惑う家庭の様子が取り上げられていたような気もします。
水上:ベネッセではこうしたご家庭を支援するため、「進研ゼミ」の教材の一部を無料で提供しました。一斉休校の要請があったのは木曜日の夜でしたが、次の月曜日にはプレスリリースを出しています。タイムリーに施策を打てたこともあり、多くのメディアに取り上げていただきました。
──すごい。土日を入れても4日で対外発表まで持っていったんですね。
水上:また、4月の第1週からはオンライン授業の無料提供を開始しました。算数のこの単元、国語のこの単元、といった学校の授業内容を補強する内容ではなく、将来に生かせる話やプロのアーティストによる音楽の授業など、子どもたちがワクワクするような授業を目指しました。「見たい授業があるからちゃんと起きよう!」と机に向かう習慣を取り戻すアクションを促す施策です。
──先ほどお話しされていた、生活リズムの改善を狙ったコンテンツというわけですね。どのような反応がありましたか?
水上:無料提供したドリルは2カ月で100万人の方に使っていただいたほか、オンライン授業も、のべ100万ユーザーに使っていただきました。リピートしてくれる方もかなり多かったですね。
──ベネッセほどの大企業だと、意思決定に時間がかかるイメージがありました。休校が決まってすぐにスピーディーな動きができたのはなぜですか?
水上:お客さまの助けになりたいという思いもありましたし、緊急時に合わせて意思決定のプロセスを変えたのも大きかったです。これまではいわゆる「PDCA」を回す形で事業を進めていたわけですが、コロナ禍で状況が目まぐるしく変わる中では、通用しにくいアプローチです。
今は計画を練るのではなく、顧客のニーズを捉えてすぐに行動する「OODAループ(※)」を採用しています。ベネッセでは一斉休校をきっかけに、週1回のペースで消費者意識調査を実施しています。調査結果を基に、お子さんだけではなく親も含めた困りごとや課題をトラッキングして共有する仕組みも作りました。
(※)……「観察(Observe)」「方針(Orient)」「意思決定(Decide)」「行動(Act)」の頭文字をとったもの。合理的な意思決定を円滑に進めるための業務管理手法の一つ
──週1ペースで、顧客のニーズを追えるというのはすごいですね。
水上:もちろん、これまでも定性調査を行うために毎週子どもたちと会っていたのですが、コロナ禍でそれが難しくなったために、方法を変えたという感じですね。マーケティングの手法や組織も、危機を経て進化したというわけです。
3月、4月は学年末の成績表が戻ってきたり、期末テストが返却されたりするため、進研ゼミに入会いただく方が1年間で最も多い時期です。例年であれば、ダイレクトメールの送付や、テレビやWeb上でのプロモーションを強化するところなのですが、休校になったのでその動きは通用しない。お客さまの声を聞かないことには、今後の方針が立てられないという状況もありました。
コロナ禍で加速したベネッセのDX。社内で40以上のプロジェクトが走っている
──このほかにコロナ禍で起きた変化はありましたか?
水上:社内でDXが進んだというのも大きな変化ですね。例えば、進研ゼミではデータ活用によるサービスの品質向上に取り組んでいます。
デジタルでの教材配信が可能になり、現在は会員の約7割がタブレット学習を行っています。そこで蓄積される学習履歴のデータを基に、苦手を克服するための学習プランを組む仕組み作りをしたり、定期テストの目標点に対し、どれくらい学習が進んでいるかを数値化する「習熟スコア」を導入したりしています。
自分のやったことや得意不得意に対して学習プランが変わるのは、紙の教材では実現できなかったことです。デジタルではより個別化が進み、できるアプローチもかなり増えています。
──デジタル化を通じて、できることが増えるのは面白いですね。新規事業なども含めて、さまざまなアイデアが生まれそうです。
水上:私が所属している「DXコンサルティング部」では、各グループ会社や事業部と連携して課題解決や新規事業立ち上げなどのプロジェクトを進めているのですが、現在は30〜40案件が進行しています。
2018年にDXコンサルティング部を立ち上げた当初は6案件ほどだったことを考えると、すさまじいペースで仕事が増えましたし、部署の人数も5倍以上に増えています。そのかいあってか、経済産業省・東京証券取引所が選ぶ「DX銘柄2021」にも選定されました。
──DXコンサルティング部が担当した、具体的な事例があれば教えてください。
水上:最近だと「ミライシード」というタブレット学習ソフトのUI/UX設計を改善するプロジェクトを始めています。GIGAスクール構想により、全国約3万校の小中学校でPCが一人につき一台が提供されている現在、ミライシードは約8000校の学校に導入いただいています(※2021年度実績)。
──8000校ですか! 相当なユーザー数ですね。
水上:ミライシードの主なユーザーは小学生なのですが、弊社には小学生を対象にしているタブレット学習サービスとして、進研ゼミ小学講座の「チャレンジタッチ」もあります。両者は顧客層が同じであるにもかかわらず、これまでUI/UXに統一感がなく、そこに疑問を抱いていました。
ミライシードと進研ゼミ小学講座は、それぞれ別の部門が運営しているので、確かに連携がしにくい面はあります。しかし、同じ会社である以上、できることもあるはずです。
──確かにそうですね。
水上:完全にデザインをそろえるのが正解ではありませんが、最適なUI/UXはあります。プロジェクトを立ち上げてからは、統一感を出すためにデザインをそろえたり、ボタンの位置を使いやすいよう変えたりするなど、改善を進めています。
このように他部門同士をつなげることも、DXコンサルティング部の仕事の一つです。今までは別組織で運営していたゆえに、つながりがなかった部門同士が連携することで、DXへの動きも活発になると考えています。
デジタル化で参入障壁が下がった教育業界、「ディスラプター」と手を組む戦略も有力に
──最後に業界全体の今後についても教えてください。大学などは特に、コロナ禍でオンライン授業が普及しました。今後はオンラインの学習が主流になるのでしょうか?
水上:全てがオンラインになるかというと、そうではないと思っています。お客さまの中でも、元の生活に戻ろうとする方と、新しい生活スタイルに対応しようとする方で、二極化しています。
学習スタイルにおいても、オンラインと従来のオフラインどちらにも対応できるように、両方の選択肢を残すべきだと考えています。両方に対応する、もしくは両方を生かす事業展開をする方針です。
──ベネッセでDXが進んでいるように、昨今教育全般でデジタル化が進んでいると思います。その流れを踏まえて、教育業界は今後どうなると思いますか?
水上:おっしゃる通り、デジタル教材を提供するプレイヤーはすごく増えていて、今後も増えていくと考えています。タブレット学習が普及したことで、コストを抑えて高品質な教材作成・提供が可能になったためです。
かつて、教育業界は新しいプレイヤーがなかなか入りづらい領域でした。巨額な投資が必要になるため、マスに対して個別の学習教材提供をできる企業が少なかったからです。中でもベネッセは、顧客基盤があり、必要に応じて必要分のみ迅速に印刷する「プリントオンデマンド」のような技術に投資する資金力があったので、紙の時代から個別化した教材の提供を実現できていました。
──新しいプレイヤーが増える状況で、ベネッセはどのように戦うのでしょうか?
水上:特に増えているのは、デジタル技術を駆使した既存の業界や市場を破壊する可能性のあるベンチャー企業、いわゆる「デジタルディスラプター」です。事業ごとにそういった企業をリスト化し、動きを把握しています。
その一方で、社外の人と一緒に新しい事業を作るという考え方もあります。われわれの部門では、「Digital Innovation Fund」という投資ファシリティの運営も行っていて、出資を含めて共同での事業立ち上げが可能です。
──ライバルである企業と一緒に、事業の立ち上げをするんですか?
水上:本来はそういったベンチャー企業に対して、対抗することが正しいのかもしれませんが、自分たちだけの力にこだわる必要はありません。重要なのは、今ある教育の課題に取り組むこと。一緒に教育業界を盛り上げていければと思っています。
子どもが減る状況は避けられないが、学びのビジネスチャンスは山ほどある
──面白い考え方ですね。ただ一方で、教育業界は少子高齢化で市場として広がりにくいのでは、という不安がある学生も多いと思います。
水上:ベネッセグループ全体でいえば、介護事業もあるので、少子高齢化によるプラスの側面もあるのですが、0〜18歳向けの事業領域では、当然、少子化によって事業環境が変わります。厳しくなる部分もあるでしょう。
しかし、先ほどもお話ししたようにタブレットが普及したことで、これまで以上に多様な学びのニーズに応えることが可能になりますし、学びに対するビジネスチャンスも増えると考えています。今後はコンテンツを提供するタブレットをプラットフォームとして、進研ゼミ以外にも、習いごとやさまざまな教材を提供する予定です。
──アップセルも狙うし、ビジネス領域の拡大も目指していくということですね。
水上:すでにダンスやそろばん、ブログラミングといった領域については「チャレンジスクール」という、幼児から高校生までをターゲットにしたオンラインでの習いごと事業も始めています。それに学びのニーズがあるのは子どもだけではありません。
最近では大学生・社会人向けのオンライン学習サービス「Udemy」も順調に伸びています。コロナ禍を契機に、オンラインで学習する環境が整ったことが追い風になりました。直近の調査でも、リモートワークが推奨された影響で「スキルアップしないと」と感じている社会人が増えています。
──確かに、これからの時代は個人のスキルや能力が必要だといわれていますし、スキルアップを目指す方も多そうです。
水上:対面で企業研修をできなくなったことも機会点になりました。オンライン研修の導入が増えて、Udemyもその一つとして活用されています。企業がDXを推進する上で、DX人材の育成が課題化することも多く、オンラインでスキルを身につけることができる講座は企業側としてもニーズが高まっています。
──仮にユーザーが減っても教育ビジネスには、さまざまなチャンスが眠っているというわけですね。最後に、教育業界を目指す学生に向けてメッセージをお願いします。
水上:教育の本来の目標は、その人にとって最適な教材を提供することですが、得意不得意や目標、実力は一人一人違います。もともとは一律的な教材の提供しかできませんでしたが、デジタル化によって本質的な学びの価値を実現できる環境になりつつあります。これから教育業界は本当に面白くなると思いますよ。
個人に合わせた学習を実現するためには、「何がその人に最適なのか」を推測するために、学習履歴などの膨大なデータが必要です。50年以上も進研ゼミを提供してきたベネッセにはそれがあるのが強みだと思います。興味がある方は、ぜひお話を聞きに来てください。
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ベネッセコーポレーション
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