就職活動を思い出すと、今でも苦い顔になること。それは「内定企業マウンティング」だ。
あれは一体何なのだろう。これまで「テニサーの3限遅れてくる人」だったのに、就活が終わるととたんに「博報堂内定者」になってしまう。そうして、いつも寝ぼけた顔をしていたテニサーボーイもなんとなく、偉そうな顔をしている。「できた人間だろ俺?」みたいな顔をしている。あれは一体何だったんだろう。テニサーボーイの何が変わったというんだろう。3限には相変わらず遅刻してきているというのに。
まるで人間性のクオリティだともいわんばかりに貼られている、無機質な「内定企業」というラベリング。なんとなくの人気企業ランキングになぞらえて行われる、ゆるやかなマウンティング。
「どの企業にも受からなければ、人間として否定されているような気がする」と、就活失敗者が語る言葉を聞いたことがあるが、これは何も赤の他人からの目線だけを気にした言葉ではないと思う。大学のゆるやかな友人や、仲の良い友人からの「あいつは社会不適合者だ」というやんわりとした視線は、静かに自己肯定感を殺していく。
2年目社員がお送りする、3年目社員現場リポート
私はこっそり留年している。そして新卒OLとしてはじめたこの連載だが、2回目にして2年目社員になってしまった。大学時代の同期は春から3年目になる。
今になって、大学時代の友人にちょこちょこ会うようになった。加えて自分が2年目社員になる時期なので、時々この「内定企業ラベリング」のことを思い出す。
そして今思うのは、あの頃見た「内定企業ラベリング」をいまだに引きずっている人は本当に少ないよなあ、ということである。
あくまでこれは自分が新卒2年0カ月目で、周りが3年目時点の話である。もっと転職する人や、結婚したり子供を育て始める人が増えてきたら変わってくるのかもしれない。だけど現時点では、もはやあのテニサーボーイに貼られていた「ゴールドラベル」に嫉妬している人なんてそうそういないと思う。
それは、いつまでも酒を飲むと語られる「センター試験の点数自慢」や、「受かったかもしれない大学自慢」や、社会に出ても一部企業では派閥として扱われるほどの「学歴マウンティング」と比べてももっともっとどうでもいいことだ。酒のツマミにもならない。
私たちの羨望(せんぼう)はどこにいったのか
しかし、確かにあの頃の私たちは人気企業の内定を持っているテニサーボーイに嫉妬していた。言葉にならない「いいなあ」という嫉妬の対象は、一体何になったのだろう。とっても抽象的で答えにならないレベルだが、私は「幸せそうに生きているか」ではないかと思う。
他人が「幸せそうに生きているか」ということを、現代の私たちはSNS上で測りがちだ。そして、嫉妬したりもしている。
でも、本当のそれは、FacebookやInstagramの投稿からは分からない。実際に会ってみてこそ分かることである。
具体的に仕事に関連していえば、「仕事が楽しいか(人間関係または仕事内容)」「仕事以外のことに満足しているか(プライベートの有無・待遇・あとはモテ)」みたいな話をしているときに、「幸せ」に対するその人の価値観が見えることが多い気がする。
私は正直、人より長い労働時間で働いている自負があるが、自分がやっている仕事に対して人が「楽しそう」と言うたびに「実際楽しいからね」って自信を持って言える。人間関係も不満はない。最近オフィスが広くなって、上司との物理的な距離ができて寂しく思うくらいである。
とある友人は、仕事内容は嫌いだが、一緒に働く人が大好きだと言っていた。毎週、先輩と飲みに行っては楽しい夜を過ごして、「お仕事頑張ろう」と自分でやる気をだしているのだという。会社の人に出会えてよかった、という言葉は内定した時期から変わらない。時々趣味に大量のお金を投資してストレス発散できるのは、彼女の会社の給料の高さと、十分な可処分所得を作り得る制度があるからだ。
毎日18時には帰って、自分の趣味を楽しむ友人がいる。いつか自分で本を出したいと話していた。企業に入ってから自分の夢を追いかける姿は、リアリストかつ少女性にあふれていてとても魅力的。
ただ、内定者時代のゴールドラベルが1番通用するのが「モテ」の領域かもしれない。一流企業に入った友人はきれいな女の人といつも一緒にいる。企業名だけで女の子が寄ってくるのだという。男の子の夢が詰まった毎日を過ごしているなあと思う。
「内定企業」が「勤務先」になるということ
労働とは生活の一部であり、だからこそはじまってみれば「他人が企業の名前についてどう思うか」の優先度は下がる。
自分の周りの友人が「企業の名前」しか持っていない内定者時代に、企業の名前が光り輝くのは当然かもしれないが、そのラベルは入社してしまったらすぐに剥がれてしまう。
就活生が選ぶ人気企業ランキングがあまり意味を持たないのは、あれは企業のブランドパワーの順位であり、PR戦略の結果とニアリーイコールだからだ。
私のように「他人にどう思われるか」が気になって仕方ない人間が、「みんなが欲しいもの」を手に入れたくなるのは分かる。だけど、学生が欲しいものを手に入れたって、それはすぐに陳腐化してしまう。高校生の時あんなに欲しかったミドルブランドのおサイフが、大学生になった途端チープに見えてしまうように。
「内定先マウンティング」は一過性の流行病
私は、内容自体に興味を持てる仕事を選んだ人間だし、その仕事自体も1年しかやっていないし、大きな声で「内定企業ラベリングばっかり気にするのは馬鹿馬鹿しい」とは言い切れない。
だけどもし、それに翻弄(ほんろう)されそうだったり、劣等感を覚えている人がいるならば、そんな安っぽい価値観に惑わされる必要はないのだとなでなでしてあげたい。あれは、毎年数カ月だけ蔓延(まんえん)する一過性の流行病のようなものだ。
「就活勝ち組」とか、誰かの基準で枠組み作っちゃう時点でイケてない。誰かの基準に乗っかることでしか不安を紛らわすことができない人たちに巻き込まれちゃいけない。
食べログのレビュー評価はたしかに便利で分かりやすいけれど、高評価のお店でしか「おいしい」と自信を持って言えないバカみたいな舌を持ったやつにはならなくていい。おいしくない高級店は、大事な人との夜をイマイチにするだけですぐに巻き返しがつくけれども、誰かの評価だけで決めてしまった勤務先は、若くて楽しいはずの20代前半の人生にじわじわ効いてくる。
※こちらは2017年5月に初公開された記事の再掲載です。