※こちらは2017年12月に公開された記事の再掲です。
就職活動において、私たち『おんなのこ』はゆるやかな派閥争いに巻き込まれる。
それは、「あなたはバリバリ社会で働きつづけたいですか?」という考えに基づく派閥だ。就職活動の企業説明会で質疑応答のコーナーの最後の方になると、だいたい女性が手を挙げて「女性が働き続けるための制度などはありますか?」と質問する。
各企業について『労働時間はどれくらいか?』『どれくらいで出世するか』といったような情報をスマホの検索窓に打ち込んでは凝視する私たちは、すべての情報に触れるたびに問いかけられるのだ。「ところで、あなたはずっと社会で働き続けたいの?」と。そうしてなんとなく自分が「ずっと働き続けるのか」「いつか家族を守る存在になるのか」のどちらかの派閥を選んでいる。
「おんなのこは家庭を守るのがいちばん!」という考えが当たり前だった時代を私たちは知らない。私の母も、親戚のおばさんたちも、就労形式はさまざまといえど、みんな子どもが生まれてからも社会に出ている人ばかりだった。
大体の一般家庭に育ったおんなのこなら、「まあ自分は大学を卒業したら他の男の子たちと何ら変わりなく企業に就職して、一度は働きに出るのだろうなあ」と考えているだろうと思う。
バリキャリママのキラキラの向う側にあるもの
だけど、私たちはゆるやかに絶望しながら派閥を選ぶ。
残念だけど、日本にはほとんど「楽しくて優雅なバリキャリママ生活!」は存在しないと思う。そんな生活をしている人もいるかもしれないけど、「正直、芸能人になるレベルで難しいんじゃないの?」と思っている。
いつか雑誌で取り上げられていた「働きながら育児も頑張るママ」は、6:00に起きて子どもを送り迎えして8:00に出社、16:00に帰宅して子供と遊ぶ、と記載されていたが、実際は帰宅して子どもを寝かしつけた後の23:00頃から再度仕事をはじめ、3:00に就寝していることを知っている。
また、ある人が私に過去の自分の女上司の話として、飲み会で話してくれたエピソードがある。出産を機に、仕事を早く終る職種に変更。子どもとの時間を楽しく過ごしていたが、ある時Facebookで同期が自分のやりたい仕事で評価されているのを見て、その場で涙が止まらなくなってしまったそうだ。
もちろん、職種によっては、バランス良く毎日を過ごしている人もいる。だけど、じゃあ自分がその選択肢を選ぶかと聞かれたら、その仕事は自分の就きたい仕事では全く無かったりする。
私たちの先輩は社会にあるふたつの役割の狭間で、いつも歯を食いしばって生きている。ラクラクふたつの役割をゲットできたような人はほんの一握りなのだ。
「おんなのこは家庭を守るのがいちばん!」という時代を、私たちは知らない。だけど同時に、「おんなのこは家庭も、自分のキャリアも両方守れるのが1番!」と胸を張って誰もが言う時代を、私たちは知らないのである。
欲張りな無所属の私たち
私たちは企業情報に目を滑らせながら小さく傷ついていく。頭の何処かで、いつか失速してしまう自分を想定しながら未来を描いている。そして働いてからも時々、小さいがどうしようもない壁の前で小さく絶望したりもする。
そしてだからこそ、私たちはゆるやかな派閥を心のなかに形成するのだ。自分の選んだ道を肯定するために。
「結婚して、仕事はやめることにしたの」という言う友人に、心の中で嫉妬しそうになりながら「いつか私は仕事で成功して、あの子じゃできない自由で優雅な生活をするんだから」と意気込んだりする。
女性と社会人の両方の役割において成熟していく楽しさを噛み締めながら毎日を自由に駆け抜ける同期の姿をSNSで眺めながら、「私には家族がいる」と目の前の幸せを握りしめたりする。
つかみたかった平凡な幸せをつかむには、『おんなのこ』の持っている時間はあまりにも短くて、自分が選ばなかった未来に折り合いをつけては、自分が手にしているものを何度も確認する。だけどやっぱり、手に入れられなかったものは、いつまでもまぶしい。
私たちは本当は、派閥なんて持っていない欲張りな「無所属」な人間なのだ。だけど、無所属のまま人生のいろんな選択肢を越えていくには、あまりにも必要になる言い訳が多すぎる。そうして私たちのゆるやかな派閥抗争は続く。
自分の向かう道をともに信じるための「派閥」づくり
とある若いおんなのこがSNSで発言していた内容を、私は強く覚えている。
「仕事で男性と比較されながら、容姿は美に全力で投資する女性たちと比べられ、一方でプライベートについては専業主婦と比べられる女性は生きづらい」
人生が予測不可能なのは男性も女性も同じである。だけど、おんなのこたちは「平凡なしあわせの作り手」として大きな役割をいたるところで求められすぎている。
だけどそれは一方で、幸せになる選択肢が多いと考えられるかもしれない。「女は仕事でつらくても結婚に逃げるって手があるじゃん」と嫌みを言う人がいるが、「仕事がダメでも王子様に幸せにしてもらえばいいし、王子様が来なかったら自分で小さなお城でも建てようっと」くらいの心持ちがいいのかもしれない。どの角度を向いても比較対象がいるのは、どの角度を向いてもその角度で幸せになっている人がいるからなのだ。
みんなで幸せになるために、おんなのこは忙しい。いつか「おんなのこ」ではなくなってしまう自分に、価値あるものを残してあげようとするのも難しい。
しあわせになる手段がたくさんある中で、似たような志向を持つ人たちがいることはとても心強い。仲間とは、人生を楽しくする秘訣(ひけつ)なのである。だからこそ、これからも私たちには「派閥」が必要なのかもしれない。
ただし、その「同じ志向を持つコミュニティ」は他の派閥を排他するために存在するものであってはいけないのである。私たちはもともと同じ、荒波を溺れないように必死に泳ぐサバイバーなのだから。
私たち、おんなのこの手のひらの中にはたくさんの幸せの種がある。私たちはいろんな世界で、幸せの輪をつくれる力がある。それぞれの派閥からどこかの芝生をあざ笑う声でうるさい世界ではなく、自分たちの芝生でリラックスする声を聞いていたい。
そしてほんとうは、いつかお互いの芝生がつながって、自由に行き来しながら自分だけで小さな派閥のような信念の上を転がっていけるような未来になることを祈っている。
両方の幸せを上手に選べなくても、自分たちの今いる世界をまずは肯定することはできる。そして本当の肯定とは、誰かを否定しなければ成り立つものではなく、今を楽しむことに夢中になることで成立するのだ。私たちは、いろんな芝生があることをすこやかに希望にしながら、それぞれの「派閥」に所属していることを楽しんでいこう。