なんで、こんなに、うまく話せないんだろう?
就職活動は、私にとって初めて他者に審査される場で、しかも、話したことのない大人たちを目の前にする。面接の場へ行けば行くほど、社会人たちが巨大に見えて、自分の中身がからっぽのように思える。何を求められているのかが分からなくて、本や体験談をもとに書類を作るけれど、知らない人間の話を書いている気がする。
京都から東京へ、何度、夜行バスに乗ったことだろう。何度、漫画喫茶やカラオケで夜を過ごしただろう。留年して、2度の就活をすることになった私は、終わらない苦悩の中にいた。
今井麻希子さんへインタビューをしながら、浮かんだのは蓋(ふた)をしていた苦しい記憶だった。今井さんはつらかった出来事もオープンに語ってくれるから、自然と、私は自分自身に問うことになった。
自分って、一体、どういう人間なんだろう? 何をやりたいのだろう? その問いは、就活だけでは終わらず、社会人になってからも、ずっと続いた。
今井さんへは別企画で取材を始めたのだが、お話を聞けば聞くほど、彼女のことをもっと知りたくなった。取材時間は予定の3倍になった。今井さんの経験を、ひとごとのようには聴けなかった。今井さんが「雷に打たれたような体験」を語るときには、私自身のある体験を思い出した。取材は、自分の20代から30代前半を省みる時間にもなった。
理屈を超えて、魅かれることがある。
長い時間がたってから、巡り会った意味を知ることがある。
今井さんとの出会いは、そんな予感がしている。
特集「あなたのキャリアに一目惚れしました。」
本特集では、ワンキャリ編集部が「一目惚れ」したキャリアの持ち主にお話を伺います。就活に直接関係ない話も多いです。いつか、あなたがキャリアを決めるときの一助となることを願って、お届けしたいと思います。
今回の惚れられた人:今井麻希子さん(CNVC認定トレーナー/コンサルタント/コーチ/ファシリテーター)
CNVC認定トレーナー、株式会社yukikazet代表、一般社団法人日本NVC研究所代表理事。国際基督教大学を卒業後、外資系コンサルティングファームやアニメ制作会社に勤務。生物多様性の国際会議への参加をきっかけにNGO活動に携わる。サスティナビリティやソーシャルをテーマに執筆・編集活動に従事する中、NVC(非暴力コミュニケーション)に出会い、互いに豊かさをもたらす精神的基盤であると確信。現在は個人や組織を対象にしたコーチング、リーダーシップ開発や、チームビルディング、組織開発などのサービスを提供。共訳書に『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』(海士の風、2021年)。
今回の惚れたインタビュアー:佐藤譲(プロデューサー・コーチ/人形つかい/「人形劇の図書館」研究員)
京都大学で国際政治学を学んだのち、スタジオジブリに入社。鈴木敏夫プロデューサーと同じマンションに暮らしながら、出版部で編集者として勤務。日本テレビへ転職後、映画プロデューサーに。代表作は『バケモノの子』『DEATH NOTE Light up the New world』『俺物語!!』など。独立後は京都へ移住。現在はプロコーチとして、さまざまな作家・クリエイターへのコーチングを行うほか、教育改革を行う藤原和博氏と共にオンラインスクールをプロデュースするなど、多方面にて活動中。また、2022年から人形劇を届ける活動も始め、京都の雑誌『ハンケイ5m』で「人形つかいパペ」としてエッセイを連載中。
<目次>
●「なんで急に私はこんなに落ちこぼれになったんだろう」
●自分の可能性を広げたかった20代
●10年たって「居心地のよい自分」が怖くなった。
「なんで急に私はこんなに落ちこぼれになったんだろう」
──今井さんにお話を聴きたいと思ったのは、ある本がきっかけです。
GAFAM(Google、Amazon、Facebook<現Meta Platforms>、Apple、Microsoft)のとある一社に勤める友人が『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』(日本経済新聞出版、2018年)をオススメしてくれました。国籍・人種がさまざまなスタッフが集まる社内で、お互いへの理解を深めるために、この本が読まれているのだそうです。
読んでみて、すごい本に出会った、と思いました。大事なことがたくさん書かれていて、私はまだ十分に理解できていないし、実践からはほど遠いとも感じました。同じ著者の『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』(海士の風、2021年)を読んで、さらに自分なりにNVC(非暴力コミュニケーション)への理解を進めたいと考えて、翻訳者の一人である今井さんのことを知りたいと思いました。
本日はよろしくお願いいたします。まずは、今井さんの大学生の頃のお話を伺わせてください。
今井:国際基督教大学(ICU)へ入学したのは、高校時代に留学を経験して、国連職員のような国際的な仕事をする存在に憧れたからでした。「そういうことに興味あるなら、ICUって大学が面白いよ」と聞いたのです。
大学入学後、そのまま国連職員を目指して真っすぐに進めばよかったんですが……すごく情けない話なんですけれど、私はそんなに勉強が好きじゃないことが分かって。国連職員って国際公務員だから、それを目指す過程では論文を書くなどの、アカデミックな素養も求められます。情熱がある方は大変な勉強を乗り越えるのでしょうけれど、私には苦しくて「自分に合っていない、適性がない」って思っちゃったんですよね。
──私も勉強が苦しくて、弁護士を目指すのを諦めた法学部生なので、ほんのちょっとだけ気持ちが分かります。就職活動はどうでしたか?
今井:就活落ちこぼれ生でした。「あなたは何がしたい?」って聞かれても、答えられませんでした。
実は、就職活動で人生初めての鬱(うつ)状態になったんですよね。大学生活では模擬国連のインカレサークルに入って、いろんな大学の人とも交わってもいたんですが、就活ってすごくリアルに「社会の評価」なるものがベタベタと貼られる感じがして苦手でした。値踏みされている感覚がすごく嫌でしたし、ショックでした。とある企業の説明会では「ここに呼ばれているのは選ばれた大学の人たちなんだよ、分かるかい?」と言われてゾッとし、その言葉に喜んでいる学生たちがいてとても居心地が悪かったです。
SPIの勉強とか、履歴書を書くとか、目の前にはどんどんやらなければいけないことが押し寄せてくる。でも、全然気が乗らないんです。
──やることがたくさんある上に、初めて経験することばかりで、しかも手応えがない。就活って目まぐるしいですよね。でも、模擬国連サークルで活動された今井さんには、アピールできることがたくさんあったのではないでしょうか?
今井:模擬国連では、学生たちが各国の大使になりきって、国連の会議のように議論をします。全米大会みたいなものもあって、私も国際会議に参加しました。
たしかに「模擬国連の活動をアピールしなよ」といろんな人たちから言われたんですが、なぜか、自分はしっくりきていなかったんですよ。なぜだろう? 値踏みをされる文脈で話す感じが嫌だったのかもしれません。
就活というものに、良い意味でも悪い意味でも、ちゃんと染まれなくて、どんどん迷子になっちゃって。しまいには、電話に出るのもつらくなり、鬱状態になりました。
なんとも言えない、あの孤独や焦り。「なんで急に私はこんなに落ちこぼれになったんだろう?」と自分を責めていました。私はそれまで順調だと思っていたけれど、急に足元が崩れちゃった。真面目に生きて、それなりに生きていたつもりだったけれど、なぜかうまくハマらない。
──お話を聞いていて、自分がしっくりきていないことは話せないというところが、誠実ですごいなぁ、と私は思ってしまいました。就活生の私は自分の言葉じゃないもので装い続けて、迷子になったので。
それでも、終わらない就活はない。一社目にはどんな経緯で入りましたか?
自分の可能性を広げたかった20代
今井:本当にありがたいことに、カナダの通信系の会社が拾ってくださいました。「君は人事に来るといいよ」と、人事の方が私に可能性を感じてくださって。
当時、人事の仕事については全然分かっていなかったんですけれど、お話を伺って、面白そうだなと思ったんですよね。会社訪問をした日に、来日していたアジア・パシフィック地域の人事エキスパートとして働く香港出身のカッコイイ先輩がいて。「こんな風に君もいろんな国へ行ける。人事は社員のやりがいを考える非常に重要な仕事なんだよ」と人事部長がおっしゃってくれました。すごく恵まれた形で、最初の会社に入ることができました。
──鬱状態になるほどにつらかったと思いますが、きっと、等身大の今井さんに魅かれた会社と出会ったんですね。もしかすると、すごく理想的な出会い方かもしれません。
今井:面接を進んでいくと、外資なので面接官が海外の方になりました。言語の特徴もあるかもしれないですけれど、英語での面接って、日本語よりもどこかストレートなんですよね。うそをついてる感じがなくて、すごくカジュアルに話せた印象がありました。それが、私にはきっと楽だったんですね。英語で話せた面接は、他の場合とずいぶん違う感じがしました。
就活ってなんであんなに苦しかったんだろう。私の中で急に椅子取り競争が始まっちゃったような気がしました。いつもと違う緊張が、友達の間でも走っていた印象があります。もう、なんか、難しかったです。今思うと、いろんな会社の人だけじゃなく、いろんな働き方の人と話せればよかったかもしれません。
──学生からすると、思いつかないですよね。社会人と出会う機会もなかなかないですし。新卒入社から数えて10年後にフリーランスとして独立されるまで、今井さんは4社に在籍されます。中にはアニメ会社の名前もあって、はた目には不思議なキャリアを歩まれます。
今井:1社目では人事部署で人材開発担当をしていました。新卒の研修の担当や、事業部の人事アドバイザーみたいな仕事もしました。人事の仕事はすごく好きでしたね。ジョブローテーション制度で他の部署も経験することができて、自分にとって適材適所な仕事も分かってきました。3年間、在籍しました。
2社目は、海外のベンチャー企業のために、日本市場でのパートナー企業探しをサポートするコンサルティング会社です。3年ほどコンサルタントとして在籍しました。ハードワークに慣れるまではつらくて、休ませてもらったこともあります。でも、自分の能力を振るえる環境で、楽しかったです。
──人事から、コンサルタントへとキャリアチェンジをされたんですね。ご自身の可能性をどんどん広げていく20代前半だと思います。企業同士をつなげるコンサルタントのお仕事はいかがでしたか?
今井:泥臭く動いた分の成果が出て楽しいのですが、私は人と関わることが好きだったので、どこか欠けている感覚もありました。企業と企業をつないでいく仕事は、関わる会社の人たちが生き生きと働くことには直接関与できない仕事なので。もうちょっと違う領域がいいなと思っていたことが、3社目につながったと思います。
──3社目は有名なアニメ会社のゴンゾです。ご経歴を伺って、コンテンツ企業が登場するのは、意外でした。
今井:もともと、何かを生み出す仕事にすごく興味があったんですよね。
学生時代に鬱になったことをきっかけに演劇をやり始めました。社会人演劇です。それがすごく楽しくて、ものを作る喜びを感じて、シナリオの学校にも通っていたんです。
ものづくりは産みの苦しみがあるけれど楽しい。制作に携わる現場ってすごく面白いし、良い意味で人間くさくていいな、と思ってゴンゾに入りました。当時、クールジャパンとか、ジャパニメーションとかといって、これからはジャパンのコンテンツの時代だという空気もありましたね。国際的なオリジナル作品を作る機運があって、アシスタントプロデューサーとして働きました。ゴンゾにとっては山あり谷ありの時代で、つらい時代を生き抜いた同僚たちとは今でも結束が強いです。
──私もコンテンツ企業でアシスタントプロデューサーをやっていました。アニメの現場はなかなか大変だっただろうな、と思います。
今井:アニメの制作現場は、私にとってすごく異文化で、いろんな価値観を持った人たちがぶつかり合う場所でした。「作品への愛」や「一緒に作るんだ」という気持ちが湧くと、仕事が大変でも、チームとして頑張れることを強く実感しました。海外の原作者と日本の制作側の橋渡しをする仕事をすることもあり、心を砕く仕事も多かったですが、「チームで作る」ことに関われたことが間違いなくモチベーションになりました。今もゴンゾの仕事を振り返ると「すごく好きだったな」って思います。
海外とのオリジナルコンテンツ開発案件がペンディングとなった流れで版権ビジネスの担当になって、もともとの入社意図からは外れてきた頃に、2社目のクライアントだった方が声をかけてくれました。日本オフィスを作るということで、私を呼んでくださったんです。コンテンツITの画像加工技術ソフトを作る外資系企業です。
──4つの会社は、どれも別領域の企業ですよね。今井さんの中ではどんな軸があったのでしょうか? たとえば「海外」×「コンテンツIP」のスペシャリストというような方向に行こうとしていたんですかね。
今井:当時、「そろそろちゃんと自分の柱を作らなきゃ」とは思っていたでしょうけれど、30代に向けて、まだいろいろ経験を積もうという感覚でした。そして、いろいろやってみたら、思いのほか、いろんな違う方向に人生が曲がっていくんだな、ということだったと思います。
──自分の可能性を広げていっていたんですね。4社目の会社は2社目のクライアントだったんですよね。縁がつながっているのもすてきです。
10年たって「居心地のよい自分」が怖くなった。
──少し仕事の話からズレるのですが、演劇はいつから始めましたか?
今井:就職する直前から始めました。その頃には鬱はだいぶ治ってはいたけれど、何かしら心の中で引っかかりがあって。たまたま、学校の掲示板に貼られたチラシで、舞台の情報を知ったんです。小金井市にNPO現代座という劇場があり、そこを拠点に活動している「コミュニケーション・ラボ21」という演劇集団。JICA(独立行政法人 国際協力機構)の職員の方も結構いらっしゃって、国際性のある社会派演劇作品もやっていました。
チラシを片手に劇場へ行き、「僕たちの自由空間」という不登校の子を題材にした演劇作品を見ました。いわゆるプロ劇団ではなく、演劇に愛を持っているふつうの人たちがやっているアマチュア劇団だったんですが、見てみてすごく良かったんですよね。
もともと演劇に興味はあったので、観覧後に「いつか私もこういう劇に関わりたいなと思います」ってアンケートに書いたんです。そうしたら、劇団の方から、すごく丁寧に「書いてくれたアンケートを見ました」って電話がかかってきて。「ご関心があるのでしたら、ぜひ来てください」と言われ、稽古に参加するようになりました。
──私はこの歳になって(36歳)、演劇をはじめて、その魅力にくぎ付けになっています。今井さんは演劇をどのくらいやられましたか?
今井:2社目まではやっていたので、4〜5年ぐらいは続けたと思います。公演は年に1度はやって、職場の人が見に来てくれました。懐かしいですね。やっぱり、すごく好きだったんですよね、ものづくりが。
──演劇ならではの、みんなで一緒につくり上げていく感覚ってありますね。1998年に新卒入社してから、2008年に4社目を退職するまで、およそ10年間の企業勤めを経験されました。どんな経緯で独立されましたか?
今井:4社目に在籍していた頃に、突然、「東京から離れたほうがいいんじゃないか」って勝手にひらめいちゃったんですよね。しかも「名古屋に行こう」って具体的に。小谷美紗子さんというミュージシャンのライブに行っていたときに「名古屋」ってひらめいたんですよね。周囲に話すと、わけ分かんない……って言われちゃうんですけれど。
──心が動いてひらめいたものは、私も理由を考えずに突き進むタイプです。名古屋はもともと何かご縁があったんですか?
今井:全くなかったんです。本当に突然ひらめいちゃって。しかも、名古屋へ行ってみたら、ドンピシャの物件が見つかった。「もう、何かに呼ばれているんじゃない?」と移住を決めました。最初は4社目の会社をリモートで続けようと考えていたのですが、場所を移動しても頭が東京にあると全然変化がないので、辞めることに決めました。
ちゃんと地に足がついた実感を得たくて、組織に属さない生活をしてみたいと考えていたので、生活のためにアルバイトをするなど、不安定な境遇だったので親にずいぶん心配されました。「本当はすごくつらいことがあって東京にいられなくなったんじゃないか?」って、たぶん、今でも知人の何人かは思っていると思うんですけれど、自分では全く違ったんです。人に触れることや、言葉というものが好きなので、漠然とライターやセラピストみたいな仕事っていいかもしれないと考え始めました。
──場所を移すのって、なかなかできないですよね。しかも、今井さんはこれまで住んだことがない場所へ行った。周囲からすると、よっぽど思いつめたように見えますよね。
今井:何かあったんかな? って思いますよね。東京であんなに楽しそうにしていたけれど、東京離れるって、何か人間関係の問題があったんじゃないかって思われる。でも、本当にそういうことでは全くなかったので。
──ひらめいちゃったものはねぇ。
今井:そのまま言うと「かわいそうな人……」みたいに受け取られることがあるから、あんまり言わないんですけれど。ひらめいたってことは、何かあるんかな? って私は思いました。
就職して10年がたち、東京の目黒区・学芸大学駅の近くに住んでいたんですが、10年間同じ場所で住み続けちゃったんです。居心地が良くって。そろそろ引っ越そうかなと思って、残念ながら、同じような価値観でしか探せなくなっていた自分に気づいたんです。目黒の周辺がいいかな、この沿線だとこうかな。……うわっ。どの選択肢も似ている。私、こんな風に人生を方向づけしちゃっていいのかな……って。多分そこはすごく思ったんですよ。すごくすごく。
──変化できない自分を見つけたときの恐れ、分かる気がします。
今井:私の「変える」って、この程度で固まっている。たまたま私はまだ30代になりたてで、当時は転職も30代前半だったらしやすいといわれていて、人に恵まれて拾われたけれど、「いったい私の人生ってなんだろう?」って思いました。東京でたまたま運がいいから渡れているけれど、ちょっと住む場所を変えたら成り立たない話だと思いました。何一つ不自由していない感じが逆に危ないというか、たまたま得ている自分の境遇が怖いと思いました。
変わらなきゃいけないと、すごく確信していたんですよ。
*
今井さんのお話を伺いながら浮かび上がるのは、「自分ってなんなのだろう?」と問う姿だった。ご自身の生かし方を、さまざまな仕事をされながら模索する20代の今井さんの気配を感じた。そして、自分の可能性を探求していたのに、いつの間にか価値観が狭まっていたんじゃないか、という30代前半の気づきと恐れには、強く共感を覚えた。私は今でも自分の生かし方を試行錯誤している。
また、就活という舞台で、模擬国連の活動を話すことにためらう感受性を持つ今井さんに、私は感嘆した。ご本人は大変つらかった時期だと思うから容易には言えないけれど、その感性がご自身の道を切り開く原動力になったのではないか、とも思った。次回の後編では、今井さんの独立後のキャリアを伺い、いよいよNVCとの出会いを聞いていく。
【ライター:佐藤譲/撮影:池田憲弘】
【特集:あなたのキャリアに一目惚れしました。】
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