「ある朝、目が覚めたら、あなたは『就活生』になっていました。どの会社へ入りたいですか?」
(※ただし、自身がこれまで所属した組織は選べません)
社会人の先輩をお呼びして、この「究極の転生質問」に答えてもらうシリーズ企画。今回は、キャリアデザインセンターやフリーランスを経験した後、NewsPicksの副編集長を務め、2022年にNewsPicks執行役員CCOに就任した、佐藤留美さんにご登場いただく。
<佐藤留美さんの「社会人年表」> ・1997年(24歳) Adobeの「Illustrator」を学ぶ学校に通い、デザインの技能を身につけ出版社に入社。 ・1998年(25歳) 株式会社キャリアデザインセンターに入社。キャリア雑誌「type」にて、記者として連載や特集を作る。 ・2003年(30歳) 株式会社キャリアデザインセンターを退職。 ・2005年(32歳) 編集企画会社「株式会社ブックシェルフ」を設立。フリーランスのライターとして、「週刊東洋経済」「PRESIDENT(プレジデント)」「日経WOMAN」などに人事、人材、労働、キャリア関連の記事を多数執筆。 ・2012年(39歳) 『なぜ、勉強しても出世できないのか? いま求められる「脱スキル」の仕事術』(SB新書、2012年)を上梓(じょうし)。 ・2013年(40歳) 『凄母(すごはは) あのワーキングマザーが「折れない」理由』(東洋経済新報社、2013年)を上梓。 ・2014年(41歳) 『資格を取ると貧乏になります』(新潮社、2014年)を上梓。 7月、株式会社ニューズピックスに入社。佐々木紀彦氏とNewsPicks編集部の立ち上げに従事。 ・2015年(42歳) NewsPicks編集部 副編集長に就任。 ・2018年(45歳) 『仕事2.0 人生100年時代の変身力』(NewsPicks Book、2018年)を上梓。 ・2020年(47歳) 「みんなでつくる仕事図鑑」をコンセプトにした、職業軸のキャリア情報メディア「JobPicks」を立ち上げ、編集長に就任。 ・2021年(48歳) JobPicks編集部より「JobPicks 未来が描ける仕事図鑑」(ニューズピックスパブリッシング、2021年)を出版 ・2022年(49歳) 株式会社ニューズピックス 執行役員CCO(Chief Community Officer)に就任。
2022年4月、23年卒の私は内定を得て就活を終えた──。だが、キャリアを選ぶためのさまざまな軸に出会いすぎて、情報過多の中、納得して終えられたようには思えていない。
「転職を意識して、つぶしがきくコンサルが良い」「ジョブ型時代に向けて新卒からスペシャリストの道を狙おう」「むしろ今の時代は、企業の安定性が高い日系大手に入るべきだ」
終身雇用の限界や、コロナ禍で生まれたニューノーマルな働き方、DX・SDGs・DE&Iなど、社会が急激に変化する中で、就活生である自分は、さまざまな価値観に翻弄(ほんろう)されていた。私のように、多くの情報の中からどのような働き方を信頼すべきか、悩む学生も多いはずだ。
そこで、今回お話をお伺いしたのが、佐藤留美さんだ。ネットバブルが到来した2000年頃に人材会社で「新しい働き方」を社会に広げながら、フリーライターとしてキャリア系の記事を執筆。今ではNewsPicks・JobPicksで、良い仕事に出会える人を増やすことに尽力しながら、ユーザーが成長するコミュニティを形成しようと奮闘している。
佐藤さん自身のキャリアを築く過程を追いつつ、時代の新しい働き方・考え方にどう対応していたか、さらには、自分の持ち味を活用できる「適職」に出会うための考え方に迫った。
<目次> ●学生結婚、既卒のハンデ。それでもキャリアを築く気概さえあれば、道は開ける ●ネットバブル到来。働き方の変革期に「新しい価値観」を社会に伝える楽しさを実感 ●自分の専門なんて、焦らずとも、世の中やマーケットが自然に決めてくれる ●40歳でフリーランスから再び会社員に。思い込みがアンラーニングされる日々 ●自分の持ち味、個性を発揮できる「適職」に出会える若者を増やしていきたい ●佐藤留美さんが選ぶ「3つのキャリア」
学生結婚、既卒のハンデ。それでもキャリアを築く気概さえあれば、道は開ける
──佐藤さんは青山学院大学の文学部に入学されたとのことですが、当時を振り返って、自分はどんな学生だったと思いますか?
佐藤:「文学少女」のような感じで、寝っ転がって本を読むのが一番好きな学生でした。サブカル少女ですね。
真面目に勉強する方ではありませんでしたが、やりたいことは昔から結構明確でした。文章を書いたり、工作とか手芸をしたり、何かをクリエイトする行為そのものが好きだったので、将来は文章を書く仕事をしたいなと思っていました。大学時代は、新聞社でアルバイトもしていましたね。
──幼少期から、書くことや読むことが好きだったのでしょうか?
佐藤:中学生、高校生では新聞部に所属していたし、映画狂でもありました。新しい視点を見つけることが好きだったのだと思います。ちなみに、新聞部では、学校の歴史や映画のことなど、何でも取材をして記事にしていました。
──というと、就活では出版社や新聞社を受けられていたとか?
佐藤:実は、在学中に学生結婚をしまして、就活をしていませんでした。キャリアを築くことも意識してはいましたが、当時の優先順位は結婚の方が高かったですね。
もし今、結婚や出産をしても仕事に就くこと自体は大丈夫だと思うんです。ただ昔は、ダイバーシティみたいな概念は存在せず、多様な生き方や多様な働き方が認められていなかったので、「学生は一斉に就活を始めて、一斉に内定を取ってください」という具合でした。
また、私の世代は異常に人数がいて、今の若い世代の倍もいるんですよ。就職氷河期だった上に、同級生が200万人もいたので、大学入試も就活も過当競争でした。そんな中、迂闊(うかつ)にも「既卒」になると大きなハンデを負うことを知らなかった私は、就職することが難しい状況にありました。
大学時代にタイのバンコクへ旅行に行ったときの写真(佐藤さんは左)。隣の友人は中学・高校の同級生であり、今でもNewsPicksで一緒に働いている親友だそう。
──それでも、出版社に入社されることになりますよね。経緯を教えていただけますか。
佐藤:専業主婦だったとき、当時出始めたAdobeの「Illustrator」を学ぶ学校に行き、デザインの技能を身につけて入社しました。
今では学費の高いスクールまで行かずとも、安価なオンライン学習もたくさんありますよね。私のように最初の就活に失敗しても、プログラミングスクールやオンラインでの授業などで勉強し、スキルを獲得して挽回(ばんかい)する方法もあるというのは、皆さんに強く言いたいですね。
──当時も佐藤さんのように、自分なりにスキルをつけて入社する方は多かったのですか?
佐藤:中途採用市場はポコポコ出始めてきたし、グロービスのようなサービスも含めて、専門的な技能を学ぶ場も増えてきた時期でした。自分は何に向いているのか、何に興味があるのかということと向き合って、技能を獲得してからキャリアを作る方もいました。
今、若者は「自律的キャリア」や「キャリアオーナーシップ(※1)」という言葉を、耳にタコができるほど聞かされていると思います。だから、自分でキャリアを形成する気概さえあれば、いくらでも道はひらけるのではないでしょうか。
(※1)……当事者意識を持ち、個人が自分のキャリアをどう設計すべきかを主体的に考え、行動すること。
──1社目の出版社では、どのようなことをされていたのですか?
佐藤:「デザインができます」と言い入社したものの、そちらの才能はゼロでした(笑)。ですから、出版社でそのスキルをほとんど使うことはなく、販売部門の部署に配属になりました。ただ、自分が部署の中ですごく使い物にならないやつでして。事務処理能力も低く、毎日、毎日先輩にいびられて、自己肯定感も自己効力感も下がる一方、自分は本当にやばいんじゃないかと思っていました。
そんな中、その会社の編集長と偶然飲みに行くことになり、「君、話が面白いから編集部に来なよ」と言ってくれて、首の皮一枚つながり、そこから編集の面白さに開眼することになりました。
私が学んだ教訓は「何かをやりたいとアピールしておくと、幸運なことに自分の取りえを発掘してくれる人がいるかもしれない」ということです。
編集者や記者として、人にインタビューしたり企画を考えたり、文章を組み立てたりして読者に届け、最終的に喜んでもらう。この一連のプロセスが全部好きだったし、自分に向いていると考えていたこともあった。「やらせてください」とずっと態度に出していたことが、功を奏したのかなと思います。
ネットバブル到来。働き方の変革期に「新しい価値観」を社会に伝える楽しさを実感
──その後、佐藤さんは出版社で培った編集スキルを生かし、キャリアデザインセンターに転職されます。2社目となるこの会社では、どのようなことをされていたのですか?
佐藤:「type」という雑誌を通じて、今のNewsPicksと同じように連載や特集を作っていました。当時は「第1次ネットバブル」が到来して、ITセクターが非常に盛り上がっていました。今でこそ大学生の就職先としてメジャーになってきたコンサルティング会社が、採用を強化し始めたのもこの時期です。
以前の日本は「個人」が全然流動化していませんでした。三菱商事や三菱UFJ銀行など「いい会社」に進んだ人は、とりあえず動かないと決まっていたんですよね。系列会社に行った人も、三菱の看板がついている以上は辞めないみたいな、そういう感じがすごかった。
──転職を意識して新卒入社する人も多い今では、信じられない話のように思います。
佐藤:そのタイミングで、ITやコンサルティングのような、知的アウトソーシング産業の波が来ました。人は終身雇用を前提としてずっと一カ所にいるのではなく、自分でキャリアを作ることができるんだみたいな価値観だったんですね。
個人でキャリアを作っていいんだとか、会社に向き不向きがあるように、職業だって向き不向きがあるから、自分で選びとることができるとか。こういう考え方って、すごく自由だなと思うんです。
自分の中で活性化する「持ち味」のようなものを生かせたときって、幸福を感じるじゃないですか。自分に向かないことをやっていてもつらいし、結果も出せない。反対に、自分に向いていることに熱中したら結果も出やすいし、お客さんは喜ぶし、上司や仲間も喜ぶ。いいことばかりですよね。きゅうきゅうと我慢するより、しなやかに自分のキャリアを選び取るみたいな価値観を広める特集などを作るのは、すごく楽しかったですね。
あと、当時は2000年ぐらいなのに、CFO(最高財務責任者)の特集やコンサルティングの特集を作りました。どこでもWi-Fiに接続できる時代ではなかったですが、インターネットでどこからでも働ける時代が来るんだみたいな特集も組みましたね。
──まさに今のリモートワーク環境そのものですね。総じてキャリアデザインセンターは、佐藤さんにとってどんな会社でしたか?
佐藤:リクルート出身の方が創業したこともあり、若かろうが社歴が浅かろうが、ちゃんとやる気があって責任感が強く結果を出せば、裁量を持たせてくれる会社でした。
当時「キャリア大賞」という企画を作り、この人のキャリアは自律的で面白いという基準で、高橋俊介さん(現・慶應義塾大学 SFC研究所上席所員)を審査委員長にお迎えし、勝手に表彰することをやりました。やりたいことをどんどんやらせてくれるという意味で、面白い体験をさせてもらい感謝していますね。
自分の専門なんて、焦らずとも、世の中やマーケットが自然に決めてくれる
──新しい働き方を普及させる連載を組むことができ、裁量を持って働くことができる。そんなキャリアデザインセンターを、なぜ退職されたのでしょう?
佐藤:「転職するなら平均年齢28歳の会社がいい」という記事を作ったことがきっかけです。あるとき、朝日新聞の記者の方が、特集に興味をもって取材に来てくれました。その方が週刊朝日に異動した際、「キャリア系の記事を作るから手伝ってくれない?」と私をお誘いしてくれて、副業を始めることになったんですね。
しばらくして、副業の収入が本業の収入を超えるまでに達し、同時期に会社から昇進するかと聞かれ。本業と副業のどちらを選ぶか考えた際、しばらくはプレイヤーとして、自分の腕一本で生きるようなことをやってみたいと思いました。30歳で退職し、40歳まで「ブックシェルフ」という自分の会社で、フリーライターをすることになったという経緯です。
──フリーライターの頃は、どんな記事を書くことが多かったですか?
佐藤:最初は頼まれるがままに、何のジャンルの記事でも書いていました。ただ33~34歳ぐらいのとき、どんどん仕事の内容がキャリアや組織などの方面に修練されていきましたね。なんでだろうと振り返ったとき、得意な分野やずっとウォッチして勉強しているジャンルの仕事が増えていることに気づきました。そのうち、自分の名前で連載してくださいとか、本を書いてくださいなどと、バイネームの仕事もいただけるようになりました。
そのときに、仕事って自分で評価したり決めたりするのではなく、人様が評価を決めてくれる要素も大きいのだと感じられました。自分で「私はこれの専門です」と言うのではなく、世の中やマーケットが「あなたはこれが得意ですよね」と示してくれるんだなと。
──周りが自然と、佐藤さんにキャリアや人材の記事をお願いするようになったのですね。
佐藤:そうすると、本人も得意なジャンルをリサーチしていくわけじゃないですか。専門性が高まると取材に生かせるし、クライアントの数も増える。自分の専門って、自分で何だと言って焦らなくても、勝手に出てくるものだなと思いました。
40歳でフリーランスから再び会社員に。思い込みがアンラーニングされる日々
──フリーランスを経た後、佐藤さんは2014年にNewsPicksに入社されました。最初のきっかけは何だったんですか?
佐藤:NewsPicksの創刊編集長で、「PIVOT」という会社を創業した佐々木紀彦さんがきっかけです。彼がまだ20代のときから、飲み仲間兼仕事仲間という感じで、彼が勤める東洋経済でもレギュラーで連載を持たせてもらうなど、非常に深い付き合いをしていたんですね。
そんな佐々木さんにお誘いいただいて、フリーランスを始めて10年になる40歳のときにNewsPicksに入りました。例えば5年や10年など、人によってキャリアにはリズムがあると思います。私も30歳で独立し、40歳でバック・トゥー・サラリーマン。もう一回会社員になり組織で働いてみると、キャリアとしても面白いなと思って、ちょっとやってみるかと。
あと佐々木紀彦という人間は、目端が利くというか、未来を見据える力が高い。彼が面白いという会社はそうに違いないと、直感を信じて飛び込みました。
▼佐々木紀彦さんの記事はこちら
・「私が就活生なら迷わず起業する」と言いたいところだけれど……。『起業のすすめ』著者・佐々木紀彦さんの『転生就活』
──NewsPicks編集部の立ち上げは、佐藤さんと佐々木さんのお2人でなされたと伺っています。最初の立ち上げ段階というのは、どのようなものだったのでしょうか?
佐藤:最初は2人だけだったので、本当に地獄のように大変でしたよ(笑)。特集記事も2人でずっと回していて。だから、常にどちらか一方は仕事をやっているので「飲み会に2人を一緒に誘えない」とよく周りから言われたんですよ。そのあと、1人雇えてね。1人、もう1人増えて……。ところが、もう1人は辞めちゃう。だけど1人雇って、もう1人も雇ってみたいな。そうやって、なんとか大きくしていました。
──本当に、スタートアップの初期のフェーズの例として話される感じそのものですね。
佐藤:スタートアップも、スタートアップですよ。今でこそ、丸の内にきちっとしたビルがありますけどね。当時はもう雑居ビルに毛が生えた程度のオフィスでした。
梅田さんという社長が「全社会議をやりますよ」というと、総務の人が出てきて、ゴザのようなものを敷いて、みんなでそこに体育座りみたいな。オフィスに高いお金を払える余裕がなかったので、本当に牧歌的なところからスタートしました。でも、楽しかったですよ。
──10年間続けたフリーランスから再び会社員に戻って、働き方はどう変化しましたか?
佐藤:幸いね、NewsPicksが所属するユーザベースグループには、「7つのルール」という行動指針の第一条に「自由主義で行こう」というものがあります。2014年の当時から、出社の義務もなければ、コアタイムのようなものもありません。きちんとやることをやって、結果を出していれば、働き方は問わないという自由な会社だったので、特段フリーランスからのハレーションはありませんでした。
あとNewsPicksは、初期のうちからデザインに力を入れていて、デザイナーとの協業で「インフォグラフィック」というものを作っています。デザイナーやエンジニアとの協業を通じて、異職種の人との仕事が増えると、フリーランスよりも、やりやすいなと感じますね。
こういう発想をするんだとか、このようにエンジニアの方は納期の管理をするんだとか、自分の思い込みみたいなものが、どんどんアンラーニングされていく。その過程がすごく面白くて、案外チームワークも自分に向いていたし、やっぱり組織っていいなと思いました。
自分の持ち味、個性を発揮できる「適職」に出会える若者を増やしていきたい
──今や多くの若手ビジネスパーソンに支持されているNewsPicks。立ち上げた時期から現在まで、編集部を大きくしていく過程で大変だったことはありますか?
佐藤:チームでのコミュニケーションですね。組織って4~5人で回しているときが、一番意思疎通がしやすいなと思います。10人を超えると一気に難しくなって、意思疎通のための時間を確保しないといけないため、目指す方向からずれてしまうこともしばしばあります。少人数のときは「はい、Aです」といえば、Aだといって全員で通じたことが、30人以上の体制だと、全員の意識などもばらついてしまいます。
──人数が増えたり、さまざまな価値観を持つメンバーが加入したりする中で、考え方をそろえるのは難しそうですね。
佐藤:そこで「アンラーニング」という考え方が大事になってきます。フリーランスから会社員になったら「自分が頑張ればいいんだ」みたいな発想は変えていく必要があるし、組織が大きくなったら「前のやり方でも大丈夫だろう」という考え方も改める必要があります。
もう「頑固一徹」のような考え方は、今の時代は結構苦しいのかもしれませんね。特に、スタートアップであれば、なおさら社内の状況がすごく変わるので、その変化を楽しめるぐらいが向いているのかなと思います。
・【超解説】あなたの価値を上げる「アンラーニング」実践講座
過去の経験や学びをいったん手放し、新しい知識やスキル、価値観をつかみ取る「アンラーニング」。今回お話を伺った佐藤さんご自身が構成した特集だ。
──また2020年、佐藤さんは職業軸のキャリア情報メディアである「JobPicks」を立ち上げ、編集長に就任されます。サービスを立ち上げた背景について、教えていただけますか。
佐藤:私自身、自律的キャリアが大事だと言いながらも、風に吹かれるように生きてきました。ただ、何かを表現することそのものに喜びを感じるタイプだと自覚しており、やりたいことも明確でした。しかし、世の中には、はっきりしている人は少ないかもしれません。
若者と接していたとき、もしかすると単純に「職業」というものを知らないだけかもしれないと思いました。私は当時、雑誌やWebを通じて、編集や記者という仕事を知っていたし、彼らのようになりたいと思っていた。だけど、他の職業が向いていた可能性もありますよね。
自分は心理学科出身なんですけど、人の心に昔から興味があったわけです。興味があるけども、「人事」の仕事を知ったのは後のことでした。いろんな仕事が世の中にあるということを、大学生や若い人に知らせるのって、すごく大事じゃないかなと考えています。
──確かに自分も高校生のとき、将来は、目の前にいた教師になんとなくなりたいなと思ったり、就活を始めたばかりの頃は、とりあえず営業職しか見えていなかったりしましたね。
佐藤:ある取材に行ったとき、学校の校長先生が「うちの生徒はみんな医者になる。先輩もそうだし、生徒の親も医者なので」と話していました。もっと適性の高いものがあるかもしれないのに、無視して一目散に走ってしまうとつらいなと思いますね。就活生が「人気企業ランキング」の上位から順に受けていくというのも同様です。
そこに行ったら幸せになれるか、その場所で輝けるかと言われると、必ずしもそうとはいえないですよね。人ってそれぞれの異なる持ち味、異なる個性を最大限に活用したときに、喜びを感じるんですよ。生きてきてよかったというような。そのような「適職」と出会えるご支援をさせていただきたいなと、ずっと思っています。
佐藤留美さんが選ぶ「3つのキャリア」
──最後に、就活生に転生した佐藤さんが選ぶキャリアについて伺います。
佐藤:1つ目は、先ほどもお話しした「人事」です。私が学生のときは、人的資本経営(※2)の概念すらまだありませんでした。その後、経営におけるヒト・モノ・カネの中で、お金はわりと調達する手段が出てきたわけです。
その中で今はやっぱり人を最大限に生かすことが、会社の生命線になっていると思います。人のポテンシャルをうまく引き出す仕事に興味があるので、まずは人事を選びました。
(※2)……人材を「資本」として捉え、積極的に投資を行い価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方。
──2つ目は?
佐藤:「公務員」をやってみたいですね。メディアって、半分公務員みたいな仕事だと思うんですよ。公共精神や倫理観がないといけないし、「これを伝えることによって、読者に何を感じ取っていただきたいのか」という部分に一定の責任があると思います。
周りを見ていても、「世の中を良くしたい、世の中に貢献したい」という思いや、貢献意欲のようなものが強い人が多い。多分私も不遜ながら、それが強いんじゃないかなと思っていて。
──私もワンキャリアという一種のメディアで働いていることもあって、すごく分かる気がします。
佐藤:公務員だったら、その思いをとても公明正大に言い切れるじゃないですか。例えば、都庁で働く人だったら、都のため・都民のために自分はこういうふうに貢献したいとか、厚生労働省で働く人だったら、この雇用の領域でこういうふうに国民の役に立ちたいとか。
あそこまで、世への貢献みたいなものを公明正大に言えるのは、いい仕事じゃないかなと思うんです。公務員の人って、自分自身の仕事や仲間の仕事に誇りを持っている方も多いので、共感しますし興味があります。
実は若いとき、公務員に対して退屈そうな印象を持っていたんですね。だけど後々、霞が関や都庁の方、行政への取材が増えると、「彼らはこんなに生き生きと働いていて、こんなにエンドユーザーである国民のことを考えていたんだ」ということが分かってきました。気が付かなかった視点だと感じたので、たまに20年前の私に言ってあげたいと思うときがあります。
──3つ目は?
佐藤:あとは「リクルート」が組織として面白そうだなと思いますね。常に60年間、新しいことをやり続け、常に世の中のモメンタムを見ながら、しなやかに組織も変わっている。
そういう意味では、リクルートはすごい会社だなと思います。「圧倒的当事者意識」を重視する社風も、私の価値観になんとなく合いそうな気がしますね。
──主体的にキャリアを形成する気概を持つことや、さまざまな仕事や働き方を知り、自分の持ち味を発揮することの大切さが分かったように思います。ありがとうございました。
佐藤留美(さとう るみ)
1973年、東京都生まれ。青山学院大学文学部を卒業後、株式会社キャリアデザインセンターなどを経て、2005年に編集企画会社「ブックシェルフ」を設立。「週刊東洋経済」「PRESIDENT(プレジデント)」「日経WOMAN」などに人事、人材、労働、キャリア関連の記事を多数執筆。最新刊に『仕事2.0』(NewsPicks Book、2018年)。『凄母(すごはは)』(東洋経済新報社、2013年)、『資格を取ると貧乏になります』(新潮社、2014年)など著書多数。2014年7月からNewsPicks編集部に参画、2015年1月に副編集長。2020年10月にJobPicksを立ち上げ編集長に、2022年7月から執行役員 CCO(Chief Community Officer)に就任。
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