新型コロナウイルスの感染拡大で叫ばれるようになった、外出や旅行の自粛。
厳しい打撃を受けた業界の一つが宿泊業界です。観光庁の宿泊旅行統計調査によると、最初に緊急事態宣言が発令された2020年4月の客室稼働率は全体で約16.3%でした。
8割以上の部屋が空室に──そんな状況下で大きな話題になったのは星野リゾート。なんと会社の「倒産確率」という衝撃的な数字を社員に公開したのです。
国内外で人の移動が制限されたことで、宿泊業界はどれだけの影響を受けたのか。旅行の需要が回復しつつある今、どのような施策を打っているのか。同社に話を聞く中で見えてきたのは、コロナ禍の先にある、日本の宿泊業界に訪れる危機でした。
連載:「アフターコロナ」の業界研究
新型コロナウイルスの感染拡大により、打撃を受け、変化を余儀なくされる業界は少なくありません。この連載では、各業界の企業を取材し、ビジネスへの影響と復活へのシナリオ、そして各業界の「ニューノーマル」の姿を浮き彫りにしていきます。
<目次>
●過去最大級の経営危機、倒産確率は約4割?シビアな事実を社員に「公開」した理由
●インバウンド需要よりも、国内市場が縮小しないかに危機感を覚えた
●都市観光に注力する星野リゾート 日本を狙う外資系ホテルができないことを
●禅や茶道の精神から学ぶ「主客対等」 日本らしい高級リゾートのあり方とは
●コロナ後も旅の意義は変わらない。長い目で観光業界の可能性を感じてほしい
鈴木 麻里江(すずき まりえ):株式会社星野リゾート 人事グループ キャリアデザインサポートユニットユニットディレクター
2012年星野リゾートに入社。新入社員の1年間は、全国3カ所の施設(軽井沢、西表島、福島)で勤務する。2年目には星のや京都へ異動し、サービス経験を積む。2016年に社内の学習休職制度を使い、経営学修士を習得。復職後は立候補制度により星のや京都のユニットディレクターに就任。現場でのチームマネジメントを経験したのち、2019年に再度立候補し、現職。
過去最大級の経営危機、倒産確率は約4割?シビアな事実を社員に「公開」した理由
──新型コロナウイルスの感染拡大によって宿泊業界が打撃を受ける中、星野リゾートはどれだけの影響を受けたのでしょう。
鈴木:全国的に稼働率が顕著に下がりました。最初の緊急事態宣言が発令された、2020年4月〜5月に関しては、前年度比で約8割~9割減でしたから。
代表の星野は「代表就任から約30年、何度か危機は経験したが、事業全体という点では、新型コロナウイルス感染症による影響が一番厳しい」と話しています。2020年5月には、星野は今後のコロナ禍における予測と当社の現状、そこにいくつかの要素を加味して試算した「倒産確率」を社内で公表しました。
──数字を発表しちゃうんですか! 実際どのくらいの確率だったのでしょう。
鈴木:当時は約40%でしたね。
──なかなか高い……皆さん、そんな数字を聞いて驚きませんでしたか?
鈴木:もちろん「本当に危機的な状況なんだな」と驚きましたよ。ただ、正直に話すと、最初に倒産確率を聞いたとき、「それ、言っちゃうの?」と笑ってしまいました。
企業によっては隠したり、外に出すのが恥ずかしい情報だと考える方もいるかもしれません。会社を去ろうという人もいるかもしれませんね。そのリスクをはらみながらも、社員に伝える星野リゾートのユニークさというか、正しい情報を共有した上で良い判断をしていこう、というカルチャーが徹底されているなと改めて感じました。
──なぜ、星野代表は倒産確率を公表したのでしょう?
鈴木:2つの意図があると思います。まずは、先ほども申し上げたように、有事のときだからこそ経営情報をオープンにすることが、フラットな組織文化を維持するのに重要だと考えているからです。情報の公開は、会社が社員と対等な関係にあり、社員を信頼し、大事にしていることを表現しているともいえるかもしれません。
そしてもう一つ、「つらいから頑張ろう」ではなく、ユーモアも含めた情報として伝えることで、士気を高める意図があったように感じます。特に星野リゾートの価値観や文化を理解しているスタッフからは、「これだけ厳しい状態を乗り越えるために、自分たちが考えないと」と話が上がっていました。実際に2021年10月頃には、GoToトラベルなどの影響も重なり、倒産確率は約10%にまで改善しました。
インバウンド需要よりも、国内市場が縮小しないかに危機感を覚えた
──星野リゾートというと、海外観光客にも人気が高いホテルという印象です。コロナ禍でインバウンド需要がほぼなくなったのは痛いのかなと思っているのですが、実際はどうなのでしょう。
鈴木:確かに、「星のや京都」や「星のや東京」という施設においてはコロナ禍以前、約半数は海外のお客さまが宿泊されていました。その方たちが来られなくなったというのは事実ですが、あくまで、星野リゾート全体というよりも、一部の施設において大きな影響を受けた、というのが私たちの見方です。
インバウンド需要に向けた施策には、皆さんのイメージほど多くのリソースを割いていません。どちらかと言うと、日本人の旅行市場が縮小することに危機感を覚えています。そのためコロナ禍前から、「界タビ20s」という20代のお客さまに向けた宿泊プランや都市型観光ホテルの運営など、国内市場向けの施策を重視していました。
──国内市場の方が大切なんですね。それは意外でした。
鈴木:インバウンド需要の伸びは注目されてはいますが、それでも日本の観光市場で使われるお金の大半、約8割は日本人の国内旅行者が消費しています。ここが縮小してしまうことの影響の方がはるかに大きいです。
現在は星野リゾートが提唱した、自宅から1〜2時間圏内で足を運べる近隣への旅行「マイクロツーリズム」が浸透してきたこともあり、海外観光客が減ってしまった分の旅行者が、近隣にお住まいのお客さまに置き換わる形で戻りつつあります。
──お話をうかがっていると、星野リゾートはコロナ禍でも強気な姿勢で経営と向き合っているように見えますね。
鈴木:コロナ禍だからといって、歩みを止める選択はありません。日本の市場だけを見ていたら、少しは歩みを遅めてもいいのかもしれませんが、日本の観光地は今、海外からも注目されています。
例えば、日光には複数の外資系ラグジュアリーブランドホテルの参入が予定されていますし、北海道のニセコもそうです。日本の有名なリゾート地、観光地、温泉地に世界的に展開している外資系企業の参入計画があるため、どう戦っていくかを本気で考えないと、日系の宿泊施設はどんどんつぶれてしまう状態になりかねないでしょう。
都市観光に注力する星野リゾート 日本を狙う外資系ホテルができないことを
──今後、外資系のホテル企業に対抗するために、星野リゾートはどのような戦略で勝とうとしているのか教えてください。
鈴木:弊社は競争戦略について、基本的にマイケル・ポーターが唱える「競争に勝ち続けるためには独自の存在になることが重要である」という考え方を採用しています。
これは、ある意味で無競争の状態なんです。顧客にはさまざまなニーズがあるので、それぞれの企業が独自の存在でいれば、事業は続けられるし、顧客のニーズも満たせる。だから、私たちが作るべき独自の姿や価値は何か、ということを考え続けています。
──具体的にはどういった施策があるのでしょうか。
鈴木:例えば「都市観光」向けホテルの強化です。私たちは、これまで「高級」や「上質」といったイメージをお持ちいただくことが多く、顧客層は旅行者全体からみれば、ごく一部だったといえます。ここ数年、新たに「都市観光」をコンセプトにした「OMO(おも)」や若者をターゲットにした「BEB(ベブ)」といった新たなブランドを展開しています。
各地域の魅力や旅する楽しさを伝えるためにも、「都市観光をする際に使えるホテル」という領域もカバーしていないと、星野リゾートが実現したいブランドポートフォリオにならないと考え、運営を開始しました。
──都市観光、というと「大阪」や「京都」といった都市への旅行ということですよね。従来のホテルと何が異なるのでしょう。
鈴木:「お客さまの真のニーズを発見し、提案する」ということを、これまでと変わらずにしております。皆さん、旅行でさまざまな場所に行って、美味しいものを食べて、でもそこから駅近のビジネスホテルに戻るときって、ちょっとテンションが下がりませんか?
──確かに駅近のホテルは大体1人部屋で、友人とも分かれちゃいますしね。
鈴木:せっかくの楽しい旅なのに、テンションが下がる場面があるのはもったいない。そういう思いから、OMOは「旅のテンションを上げる都市観光ホテル」というコンセプトで運営しています。各ホテルにはお客さまへ旅の提案をする「ご近所ガイド OMOレンジャー」がいます。彼らはツアーも企画しますが、その地域ならではのプランがあるとご好評いただいています。
例えば旭川で好評なのが、地元のスーパーでレンジャーとともに買い物をするコースです。地域を知るレンジャーが同行することで、そこでしか売られていないものをご案内できるため、参加者の皆さまも喜んでくださいます。
──分かります! ついつい、その土地ならではの食べ物やお菓子をお土産にたくさん買ってしまいます(笑)。
鈴木:スーパーはその地域らしさに出会える場所だと思います。お客さまだけでなく、スーパーの皆さまも、売り上げにつながると喜んでくださいます。その場所に暮らしているからこそ分かる、地域の素晴らしさや魅力、つながりをレンジャーが伝えることで、お客さまの旅に対するテンションを上げられると思います。
また、レンジャーたちは観光業務だけでなく、サービスや客室清掃、レストランサービスにも従事しています。さまざまな業務から得た情報は、お客さまの旅の計画を立てたり、選択肢を増したりする場面にも一役買っているんです。簡単な話に聞こえるかもしれませんが、そうはまねできないことだとも思います。
禅や茶道の精神から学ぶ「主客対等」 日本らしい高級リゾートのあり方とは
──都市観光向けのホテルは、これまでのブランドと比べても価格帯が手ごろで、若者向けという印象を受けます。逆に、さらに価格帯が高い領域へ進出することは考えているのでしょうか。
鈴木:現在、日本の宿泊業界において、1泊数百万円するような市場に参入している企業はほとんどありません。こうした西洋型の高価格帯のホテルは「バトラー」と呼ばれる、お客さま専属の客室係を置くなど、ある意味で「執事」に近いサービススタイルを提供しているのが一般的です。仮に星野リゾートがそれほどの高価格帯の市場に参入するとしても、西洋型ホテルと同じことをしようとは考えていません。
──もし、そういった市場に参入するとしたら、星野リゾートはどのような姿を目指していくのでしょう。
鈴木:私たちが日本型のラグジュアリーブランドとして目指すべき姿を定義するのは難しいですが、少なくとも、使用者と使用人というような「縦」の関係ではなく、主客対等でありたいと考えており、現在のサービス提供においてもその考えは反映されています。日本の禅やお茶の精神に近いものがあると思っていて、目指すのは、千利休と豊臣秀吉の「朝顔の茶会(※)」のような形だと考えています。
顧客以上に深く顧客の求める内容を考え、はっとするような体験を届けるのは、まさに日本らしいサービスではないでしょうか。ただし、それを実践するには、社員にも相当の教養と知識、表現力、行動力など、さまざまな力が求められるため、一朝一夕でできることではないと思っています。でも、だからこそコツコツと力をつけ、挑戦していきたいですね。
(※)……千利休の逸話の一つ。豊臣秀吉が茶道の番頭として雇っていた千利休に対し、庭に咲いている満開の朝顔を見るために茶会を開催させたが、利休は朝顔を全部切り、1輪だけを床の間の花器に差して秀吉を迎えた。秀吉は激怒したが、床の間を見た途端「目が覚めた」と述べたと伝えられている。
──日本の独自性と、世界を相手に通用するかを両立させるのは、やはり難しい問題なんですね。
鈴木:そういう意味では、コロナ禍によって、「星のや東京」や「星のや京都」を利用する主な顧客層が、訪日外国人から日本人へ変わったことで、自分たちの求める旅館のあり方に今一度向き合い、コアコンセプトを研ぎ澄ます時間が得られました。
星野リゾートは今後、世界で通用するホテル運営会社になりたいと考えています。これまでも「星のや東京」を中心に、海外進出に向けた新たな挑戦や運営を試みていましたが、日本文化や教養に精通した目利きのお客さまからのご助言を受け、新たな日本旅館のスタイルとそこで求められるサービスの内容に磨きがかかったと考えています。
コロナ後も旅の意義は変わらない。長い目で観光業界の可能性を感じてほしい
──コロナ禍を経て、人々の旅行に対する意識も大きく変わったと思いますが、今後どのようになっていくと思いますか?
鈴木:今回、変わらないことと変わることがあるというのを確かめられたと思います。変わらないのは「旅の意義」です。例えば、JTBさんが実施したアンケートによると、コロナ後に行いたいことの上位に旅行が入っていました。
コロナ禍で旅行が制限されたことで、人々が今いる世界から少し離れ、新たなものと出会い、知的好奇心を満たすことが人生にとって大切なことであり、旅が提供できる意義として変わらずにあることだと、この結果を見て感じました。
一方で変わるべきことは、環境負荷への影響を考えた取り組みや地域との共生、共創への対応です。地球という星の中で、自然や環境と共生していくことが非常に重要であることを再確認しました。より一層の危機感を持ち、素早い対応が求められます。
──今回、ホテル業界はコロナ禍の影響を大きく受けたこともあり、就職先として不安に思う学生も少なくないと思いますが。その点については、どのように考えますか?
鈴木:2つの視点があると思います。一つは星野代表の受け売りですが、地方は「ブルーオーシャン」ということです。どうしても東京は働く人も多く、人材の面でも市場の面でも「レッドオーシャン」になりやすいと思います。そのため、どんなに人より努力をしても、頭角を現して認められていくには並大抵の努力では足りません。
しかし、地方なら若手でもすぐに役立てることがあります。少ないスキルや経験でも役立つことができ、「ありがとう」と言われ、頑張ろうと思える環境で仕事を重ねるうちに、新しいチャレンジと向き合い、スキルを増やせるのは、地方ならではだと、私自身の経験においても感じました。いろいろな価値観を知るという意味でも、早いうちからいろいろな地域で仕事ができたのは、私にとっては良かったです。
──鈴木さんも全国のさまざまな地域での勤務経験があるのですね。
鈴木:はい、私が入社した当時、星野リゾートでは新卒1年目は全国3カ所の施設でOJTをするのが通例でして、私は軽井沢、西表島、福島と異動をしました。調理業務からレストランサービス、フロントサービス、客室清掃と教えを受け、本当にいろいろなことを学びました。
将来的にサービススキルを身につけた上でマネジメントに携わりたいと考えていたので、2年目からはその当時もっとも高価格帯で運営していた星のや京都への異動を希望し、約7年間従事しました。当社はマネジメントへの挑戦を自らの立候補で行うため、希望があれば、自分から手を挙げる必要があり、私も立候補をしたことでその後のキャリアを歩んでいます。
──もう一つの視点はなんでしょうか?
鈴木:もう一つは、長い目で業界を見たほうがいいということです。正直に申し上げると、私自身、深く考えてこの業界を選んだわけではありませんが、10年間の社会人人生を振り返ったとき、成長産業にいたからこそ、自身が成長できた部分は大いにあったと思います。
市場の成長に合わせ、会社も生き残るために変化しつづけます。星野リゾートで働く中で、新しくチャレンジができる場面がどんどん来るのは、観光産業自体が成長しようとしているからでしょう。
コロナ禍はいつか収束すると考えています。短期的には厳しい状況とはいえ、観光を担うビジネスや人材、スキルは一朝一夕で育つわけではありません。観光市場はこれから育つ、未来ある市場です。長い目で見て、この業界の面白さと可能性を感じて、門を叩(たた)いてほしいですね。
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星野リゾート
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