「むやみやたらとデジタル化を進めても、もうかるわけではありません。クライアントの収益の拡大が大前提で、そこは科学的にやっています」
この一言だけを見るとIT企業の記事にも思えますが、今回取材したのは凸版印刷。社名からは「アナログ」なイメージを抱きそうですが、1900年の創業以来「印刷」の枠を超え、さまざまな事業を展開しています。特に近年注力しているのがデジタル領域です。インタビューに応じてくれた梅川さんも、凸版印刷のデジタルマーケティング事業を担当しています。
「“個客中心”のマーケティング活動を、伴走型で支援する」と掲げる凸版印刷ですが、専門知識や技術が求められるデジタル領域で、どのような事業を展開しているのでしょうか。「僕自身も自分の感覚を頼りに仕事をしている右脳型だった」と語る梅川さんのキャリアの変遷から、凸版印刷のデジタル事業をひも解きます。
本業は印刷ではなく、課題解決。デジタルマーケティングを行う合理的な理由
──梅川さんは凸版印刷でデジタルマーケティングのお仕事をされていらっしゃいます。社名からしてデジタルとは縁遠いイメージしかなかったのですが、印刷以外の職種もあるのですね。
梅川:「印刷会社=紙」のイメージが大きいかもしれませんが、凸版印刷は昔から紙以外のさまざまな事業を展開しています。僕自身、入社して最初に配属された部署での仕事は、博覧会などの事業企画や博物館、プラネタリウムなどのスペースデザインを企画実行する仕事で、子どもたちの反応が間近で見られるのが楽しかったですね。
その後はマーケティングの仕事が中心で、マーケティング会社に出向していた時期もありました。入社して28年になりますが、印刷に関わったのは1年だけです。お店で商品をPRするためのディスプレーやポスターなどPOP広告を考えました。
梅川 健児(うめかわ けんじ):情報コミュニケーション事業本部 マーケティング事業部 コミュニケーションデザイン本部長兼エンゲージメントサービス本部長。
1992年入社。事業開発、スペースデザイン、セールスプロモーションなどの担当を経て、2006年にCRM専門会社である㈱BrandXing(ブランドクロッシング)に参画。CRMコンサルティング、マーケティング戦略立案を推進。2011年凸版印刷に帰任後、CRM部門を担当。サービスを拡大し、現在はデジタルマーケティング事業の推進に奔走中。
──展覧会のデザインまで手掛けているのは、意外でした! ますます印刷と関係のない気がするのですが……。
梅川:そうですね。前提として、当社には商材ありきではなく、得意先の課題やオーダーに向かって仕事をするという姿勢があります。スペースデザインも1970年に大阪万博が開催された際に得意先のニーズが高まったことが背景にあります。
デジタルマーケティングもクライアントのニーズの高まりを受け、かなり昔から力を入れてきました。現在ではデジタルマーケティングのソリューションは100%デジタル関連です。
──なるほど。ですが、IT企業ではなかった凸版印刷がデジタルマーケティングに取り組むのは大変ではないですか。
梅川:デジタル分野は未知の領域でしたが、当社には独自の強みがありました。
代表的なものが、独自のデータとマーケティングのノウハウです。DM(※1)発送などの業務を通じてクライアントから個人情報を預かっていましたので、当社には顧客分析するためのデータが蓄積されていました。また、クライアントからの依頼でお送りする内容を考えるケースも多かったため、顧客の年齢、性別、購買特性などを踏まえて訴求する情報を変えたり、タイミングを変えて反応率を上げたりするという「One to Oneでのコミュニケーション」においても企画実行力がありました。そこに、マーケティング設計能力やデータ分析技術、IT技術を組み上げていってデジタルマーケティングの事業を拡大してきたという歴史があります。
(※1)……企業から個人宛に送られる宣伝目的の印刷物やEメールのこと。ダイレクトメールの略。
──具体的な事例で印象に残っているものはありますか。
梅川:最近の出来事ですが、2020年10月1日から講談社とサイバー・コミュニケーションズと一緒に「コンテンツデータマーケティング(CDM)」という会社を設立しました(※2)。同社では、出版社がコンテンツビジネスで培ったデータやノウハウを独自の人工知能(AI)やテクノロジーに注入し、膨大なデータを解析。消費者に合わせて最適な広告を配信するなど、コンテンツと生活者との出会いを個別最適化するさまざまなソリューションを提供します。これまでの受託ビジネスから一歩進んで、一緒に事業を展開するという変わり目だと思っています。
漫画を読む手段も紙だけではなくなり、読者とコンテンツの出会いの基盤を出版社だけで作ることはなかなか大変です。これまでの出版支援というだけでなく、読者とコンテンツをつなげることができれば、ビジネスが次のステージに行ける気がします。
(※2)参考:凸版印刷「講談社、凸版印刷、サイバー・コミュニケーションズ、コンテンツ事業のDX推進にむけて合弁で会社設立」
──確かにマーケティングの可能性は広がりそうですね。今までだと読者アンケートのはがきでしか消費者行動に関するデータは得られませんでしたが、SNSや漫画アプリの普及で、さまざまなデータが得られる時代になったわけですから。
梅川:はい。それに、出版社は出版する本の量自体は減少していても、コンテンツの量は以前よりも増加しています。またライツ事業は以前より規模が大きくなり、グローバルに展開しています。そのような原石をうまくデジタルに乗せてビジネスをするということを、当社も一緒になってやっていこうとしています。
CRM専門会社の立ち上げを経験。帰任後「黒船」として組織改革に着手
──出版不況でもビジネスチャンスが広がっているのは、面白いですね。梅川さん自身は未経験からどうやってデジタルマーケティングの専門性を磨いてきたのですか。
梅川: 2006年に、凸版印刷が博報堂、日本IBM、DAC(デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム)と設立した「BrandXing(ブランドクロッシング)」という会社に出向しました。CRMマーケティング(※3)の専門会社で、立ち上げ期から参画し、顧客データに基づいてマーケティングを設計する仕事を経験しました。これまでは得意先の商品をどうユニークに訴求するかという仕事でしたので、視点が大分違うなと感じたことを覚えています。
(※3)……CRMマーケティング:顧客情報を分析し、消費者1人1人に合った戦略を考えるマーケティング手法。CRMは「Customer Relationship Management」の略。
──どのようなことが変わりましたか。
梅川:出向前は、右脳型で自分の感覚を頼りに仕事をしている部分がありました。
ですがマーケティングは数字を使った分析ができなければ、仕事になりません。また、立ち上がったばかりの会社なので、数字で証明できるものがないと投資もしてもらえませんでした。結果的に、数字やデータを重視する左脳型でものを考えるようになりました。
──出向先で考え方が180度変わったのですね。
梅川:出向から5年たって戻ってきたときには、相当異端児になっていたのではないでしょうか(笑)。社内も黒船が来たというような反応だったと思います。
一方で、出向先から戻ってきたからこそ「もっと、こうした方がいい」という社内の課題が見つけられました。違和感があった点は、全て変えました。
──具体的にはどんなことをしたのですか。
梅川:例えばPRは、商品起点から顧客起点に変えました。それまでは企画を組み立てるときに顧客データを活用するようなことはほとんどありませんでした。今では企画を考える際に「どう商品を売るか」ではなく、データを根拠に「消費者は何を求めているのか」で考えるようになりました。
また、企画の進め方も個人商店型からチーム型に変えました。個人商店型だったときは、当社のプロデューサー1名が企画を立て、外部の会社とともに施策を実行するのが普通でしたが、企画のお題はチームで共有し、皆でアイデアを形にしていくようになりました。消費者のニーズも好みも多様化する時代、その分課題はどんどん難しくなるので、チームでやる方が効果的です。
──理想はチーム型だったとしても、簡単に変えられるものではないですよね? 周囲に戸惑いはありませんでしたか。
梅川:最初は難しかったです。個人商店型でやっていた影響で、社員同士が意見を言い合う文化もありませんでした。それに私自身も出向前は個人商店型で、大きな案件をいくつも持っていたので「すごいな俺」と天狗(てんぐ)になっていた部分もありましたから(笑)、他の社員の気持ちも分かりました。
なので、まずは社内環境を整えました。打ち合わせ用のテーブルを以前の3倍くらいに増やし、気軽に話し合える場をつくりました。マーケターとエンジニアが別セクションだったのを、一緒に課題が考えられるように本部で同居するように組織も変更しました。2年くらい経過したところで「チームじゃないとダメだ」という雰囲気になったと思います。今ではマーケター、アナリスト、エンジニア、オペレーターが一緒になって得意先の課題を議論しており、それが当たり前になっています。
──梅川さんは、天狗になっていた自分をどうやって変えられたのですか。
梅川:出向した先には、それぞれの会社の猛者たちが集まってくるわけですから「自分は大したことはないな」と痛感しました。また、やり方が分からないことばかりで、天狗になる余裕もないくらい必死でした。特に立ち上げ期は、無重力の中でゴールを目指していく大変さを体験しました。
──無重力ですか?
梅川:新しい領域のビジネスでは、ゴールが設定されていないことがほとんどです。なんとなく進む方向だけは決まっているのですが、自分たちでゴールを設定する必要があります。そのゴールが簡単すぎても成果は出ませんし、大きすぎてもたどり着くことができません。自分たちができるギリギリの限界に設定をして進む必要がありました。
──経験できて得られたものは何でしょうか。
梅川:新しいことを成し遂げるためには、真っ先に自分が泥臭いことをする必要がある、ということですね。「君たちやってみて」という姿勢では、人は誰も付いてきません。今でも「まずは自分が火だるまになるんだ」という気持ちで新しいことに挑戦しています(笑)。
チャンスは「顧客体験品質と労働生産性のギャップ」にある
──組織再編でデジタルマーケティングの世界で勝ち抜ける土台ができたと思うのですが、今後はどんな事業を展開するのですか。
梅川:顧客体験品質と労働生産性のギャップ、そこにビジネスチャンスがあると思っています。
──どういうことでしょうか?
梅川:まず、日本の強みの一つがサービス品質の高さです。グローバル化の影響で、商品自体の価値はどの国でもそれほど変わらなくなるので、そこに付随する顧客体験が重要になります。その商品がいかに提供されるか、またどのように利用されるかによって商品の価値が変わるのです。
──顧客に「良い買い物だった」といかに思ってもらえるかが重要なのですね。
梅川:はい。その一方で、サービス品質を支える労働力は減少しています。そのギャップをデジタル技術で解決することができないかと考えています。
例えば、凸版印刷がAWL社と協業で進めているデジタルストアでは、AIカメラで来店者の属性やどの売り場に立ち寄ったかなどを分析し、来店者ごとに最適な商品広告を店内のディスプレーに表示する実証実験を始めました。
AWL社のAIカメラ技術と当社のCRM技術に、デジタルサイネージなどの店頭表現デバイスを組み合わせて、来店客の特徴に合わせたOne to Oneでの商品訴求を行います。接客スタッフが削減されていく中で、購買検討中の来店者にその人の属性情報と行動特性にもとづいた最適なコンテンツを訴求することで、購買における態度変容に大きな影響を与えることができます。
──面白いですね! 顧客体験品質と労働生産性のギャップがある市場であれば、他にも応用できそうですね。
梅川:むやみやたらとデジタル化を進めても、もうかるわけではありません。クライアントの収益の拡大が大前提で、そこは科学的にやっています。
そして、こうした社会の変化を当社が主体的に起こしていかないといけません。新しいことをやるには自分たちが先陣を切ってやる必要があると思っています。やっていないことをクライアントに提案はできません。
逃げずにクライアントに伴走する。真っ当に仕事をしてきたからこその信頼がある
──これまでも凸版印刷ならではのデジタルマーケティングの取り組みをお聞きしてきましたが、競合他社との決定的な違いを挙げるなら、何だと思いますか。
梅川:競合コンペのときに「なぜ弊社に決めたのですか」と聞くと、表現自体はポジティブではないかもしれませんが「逃げないから」とよく言われます。
──「逃げない」ですか?
梅川:クライアントにとって、マーケティングの仕組みを変えるということは、めちゃくちゃリスクが高いことです。基盤だけを作っても仕方がなくて、それをどう運用するのか、時には作ったものを変えながら伴走することが私たちには求められます。
IT企業や専門領域で技術が優れているベンチャー企業の場合、ある部分においては非常に優秀な一方で、途中でクライアントの希望が変化してくると「それはわれわれの領域ではない」と言われてしまう場合があり得ます。その点、凸版印刷はカメレオンのように変えられるだけの体力と伴走力があります。
──長く、広くやれるのが凸版印刷の強みだということでしょうか?
梅川:そうです。1年でトライアルとなるとベンチャー企業を選ぶケースもあるかもしれませんが、「長期で考えたら凸版印刷」と言われることが多いですね。これは先輩方が逃げずに真っ当に仕事をしてきてくれたからこそなので、感謝しています。
また、ソリューションの多さも強みです。100も200もソリューションがある会社は、世の中にたくさんあるわけではありません。クライアントの課題解決のためであれば、オンラインだけでなくオフラインにも展開できる強さがあります。
マーケターという職業において役職や年齢は関係なし。いいプランを描けるか、描けないかのストリートファイト
──梅川さんは今後、どのような仕事に挑戦したいですか。
梅川:僕はマネジメントをする立場ではありますが、一番楽しいのは企画を考えることです。特にマーケティングプランにおいては、年次も関係なく「いいものを書けるかどうか」が重要で、若いメンバーも遠慮がありません。いわばストリートファイトです。「そんなに言うなら、梅川さんはできるんですか?」と生意気なことも言われます(笑)。先日も5年目のメンバーがいい企画を書いてきたので、それを見ていると負けられないなと思います。
──年次に関係なく挑戦ができるということですか。
梅川:マーケティングやエンジニアリングにおいて若いことはマイナスにはなりません。ただ、仕事を任せるということは、会社がその人に投資をするということですから結果はシビアに要求しています。それは、どこの世界でも同じではないでしょうか。500万円を投資して回収できたら、次は1,000万円の投資というように徐々にハードルをあげていきます。
実際、若手の方がやりたいという人が多いんですよ。自分なりの「流派」が確立されていない分、新しいことに貪欲な傾向はあるかもしれません。2〜3年目の社員でも新しいサービスへの投資を提案してもらったり、主体的に稟議書(りんぎしょ)を書いてもらったりしています。
──「そうした若手に負けたくない」というのも梅川さんらしいですね。
梅川:僕は職人気質なのだと思います。最初の部署でプラネタリウムの企画を考えていたとき、子どもたちのリアクションが想像と違っていると一喜一憂していました。クライアントやその先にいるユーザーが笑っていないことに納得できない人間なのです。
今でもプレゼンをした後にクライアントが笑っていないと、どんなに評価されても納得できないですしね。
「議論したいと思える仲間がいるか?」自分に合う会社を見極める方法
──梅川さんのお話を聞いていると、凸版印刷には専門を極めたい人が向いているのでしょうか。
梅川:僕みたいなタイプだけでなく、いろいろなことを経験したい人も挑戦できるフィールドがあります。
先日、若手社員から「違う視点から事業を見るために、マーケターからエンジニアに職種を変えたい」という話を聞き、本質的に自分のキャリアプランを考えているなと思いました。社内転職でステップアップしようとする人がいるのはうれしいですね。
希望の職種に移るには今の仕事で結果を出していることが前提にはなりますが、サービスの幅が広いのは凸版印刷の特徴でもあるので、いろんなサービスを体験してステップアップしてほしいと思います。
──凸版印刷に向いていると思う人はどんな人でしょうか。
梅川:仲間づくりがうまい人ですね。1人でコツコツやる人もいいとは思いますが、当社では仲間をどんどん作れる人の方が生きる気がします。他人が持っている技術に嫉妬するのではなく、リスペクトして、その人のいいところと自分のいいところを掛け合わせてステップアップできる人の方がいいかなと思います。
現場を体験してもらうのが一番だと思うので、インターンやワークショップにできるだけ参加してほしいですね。
──インターンシップなどでは、どういうところを見れば自分に合う、合わないがわかると思いますか?
梅川:一緒に議論をしたいと思える人がいるかどうか、が一番だと思います。一緒にやりたいと思える仲間がいないのであれば、いくらやりたい仕事でもしんどいと思います。僕たちも面接でどんなことを言うかだけでなく、若手のスタッフとの相性なども見ています。
──最後にメッセージをお願いします。
梅川:凸版印刷は仕事にものすごく幅がある会社で、僕が入社した当時を知っている人は、今の僕がデジタルの仕事をしていると知ったら驚くと思います。自分でどんどん奪い取って、動いていくという人には面白い会社です。まずはインターンやワークショップを通して、体感してほしいですね。
▼企業ページはこちら
凸版印刷
▼イベントページはこちら
1dayワークショップ
【ライター:yalesna/撮影:赤司聡】