「20代は何でもできる。いろいろなことをやった方がいいよ」
長期インターンで出会った上司や就活で出会った社会人の方、そしておばあちゃんまで。どうしてみんなこう言うんだろう。そんなに「若さ」って尊いんだろうか。
言ってくれる皆さんは人生の先輩たち。本心からそう思って言ってくれているに違いない。
ただ、頭ではそうだと分かっていても現実はどうだ。
22歳のわたしは「就活どうしよ……」「わたしってダメだ」などと言い訳をし、悩んでいる。というか、逃げ続けている。そもそも、何をすればいいのかも分からない。
悩み始めると、答えを探すように本屋に足を運ぶのは昔からの癖だ。渋谷での長期インターン帰り、気付くと二子玉川の蔦屋書店にいた。そして、自己啓発コーナーに置いてあったこの本に目が釘(くぎ)付けになった。
・20代だから許されること、しておきたいこと 「ブレない」「流されない」「迷わない」自分になる6つのヒント(大和出版)
著者である博報堂フェローのひきたよしあきさん(60)は、新卒で博報堂に入社。
定年までコピーライターとして勤め、その傍ら、大学講義やスピーチライター、作家としてのキャリアを歩んできたという。
20代は多くの失敗をしてきた、というひきたさん。
この本には「人生」「人間関係」「仕事」など、6つのテーマで彼の経験を基にした独自の考え方が書かれている。数々の言葉に救われた私は、思い切ってひきたさんに連絡をとって、インタビューを依頼した。
「20代をどう過ごせばいいか、漫然と不安を抱える人は多いと思います。どうすればいいですか?」
自分の年齢から20を引いた数が「社会年齢」 20代は悩みや不安が多くて当然
12月上旬、渋谷のワンキャリアオフィスでインタビューに応じるひきたさん。穏やかな顔からは、ただ優しいだけでなく、いくつもの波乱を乗り越えてきた仙人のようなオーラを感じた。
「20代を飛び超えて30代、40代になった人はいませんよね。誰しもが通る道なんです。だからこそ若さという特権で、多くのことが許されます。この時期にしっかりとした基盤を持つことが、最も大切なんです」
自己基盤がまだできていないからこそ、悩みも不安も多い──。
ひきたさんはそう諭しつつ、「自分の年齢から20を引いてみてください」と言う。
22歳のわたしは20を引くと2。これがわたしの「社会年齢」なのだという。
「人間の2歳といえば、やっとまともに歩けるくらい。その段階で、自分の人生を悲観するのはおかしいですよ。人の補助をもらうのも、言葉数が少ないのも当たり前。体験することは全て新鮮なはず。20代なりの感情を武器に開き直ってください」
開き直れ……と言われても「やりたいことが分からない」という漠然とした不安は変わらない。
特に、私の頭を悩ませる就職活動は「やりたいこと」や「軸」が求められる世界だ。
悩めば悩むほど、道を決めるのが怖くなり、やりたいことを考えるのを先送りにした結果、さらに不安が募ることもあった。
ひきたさんは、そんな私に対して「やりたいことや明確な軸など、なくて当然」と言い切る。
「軸は明確に決まらなくていいんです。目標や軸なんて、働くうちに出てきますから。2008年に日本でスマートフォンが普及し始めてから、見たことがないような新たなビジネスが生まれています。市場の3、4年後だってどうなるか分からない。軸が明確に分かっていたところで、時代についていけないかもしれません。そちらの方が問題です」
軸はブレながら太くなる。変わらない芯を見つけるために「自分の葬式」を考えてみよう
軸ややりたいことは20代をかけて見つけていけばいい──。
ひきたさんは20代でやりたいことを見つける重要性をこう伝えてくれた。
「結局、自分は20代の頃に考えた夢を30代、40代で追いかけていた気がします。作家になりたい、人に教えたい。あの頃はふわふわ夢が散らばっていた。それが時間がたち、醸成されて、自分の体に出てきたんじゃないかと思います」
では、軸を見つけるためにはどうすればいいのか。
ひきたさんのおすすめは、自分への「弔辞」を書いてみること。
自分が亡くなって、その葬儀で友人が自分に贈るメッセージが弔辞だ。
「『どんな人で、どんな人生を送った』と言われたいか。その文章こそが、自分が望む人生の大目標になる……数年前にがんを患い、これからの人生をどう生きていこうかと考えていたとき、ハワイ大学名誉教授で死生学を専門にしている吉川宗男先生が、僕にこう言ったんです」
「自分の人生がどうあれば幸せな状態なのか」を考え、人生の終わりから逆算していく。自分の葬儀のイメージが思い浮かばなければ、ぼんやりでもいい。結局自分が何をしたいのか、を抽象的な言葉でも形にした方が良いのだという。もちろん、いろいろな経験を通じて弔辞が変わっていくのもOKだ。
スティーブ・ジョブズは若い頃「宇宙を凹ますような発明をしたい(Make a Dent in the Universe)」と宣言していたそう。「偉人と言われている人でも、大ざっぱな目標から始まっていることが多い」とひきたさんは話す。
そしてもう一つ。
「自分は◯◯な××する人です」というように「形容詞+動詞」で自分を表現してみることだ。動詞(××)で自分の仕事を規定し、形容詞(◯◯)で自分らしさを決めるのだという。
ひきたさんの場合は「周囲を励ますような(形容詞)言葉を伝える(動詞)人」だという。二つが組み合わさることで、自分らしさが出てくる。こちらもまた抽象的だと思われるかもしれないが、それで問題ないそうだ。
「あえて大きなくくりでいいんです。それは変化への耐性をつけるため。軸というのは若いうちは必ずブレます。いろいろな形容詞を試しながら付けていき、しっくりきたものを自分が成熟してから向き合っていけばいい。軸というのは、ブレながら太くなっていくんですよ」
自分の軸が「完成」したのは50歳。がんで内省の時間が増えたのがきっかけに
ひきたさんにとって、「伝える」というキーワードは就活当初から持っていたものだったという。
学生時代、ひきたさんは作家になりたいという夢があった。しかし、周囲のレベルの高さから作家になることをすぐに諦めた。
実力をつけるため、作家の要素にある「伝える」力を伸ばそうと考え、就活を始めたそうだ。
「別に広告代理店に絞って就職活動をしていたわけではありませんよ。伝えられるのであれば、テレビやマスコミ、新聞、教師などと絞らずに挑みました。この業界では何ができる、できないなどと考える必要はあまりありません。
今、業界の垣根は少しずつなくなってきており、自分の意志さえあれば、どんな仕事でもできます。まずは一旦(いったん)、自分に何の力が足りなくて、どんな力を身に付けたいのかを考えるべきです」
そして、ひきたさんは「伝える」をキーワードに複数の業界から内定をもらう。その中で博報堂を選んだのは、伝える対象の「時間軸」を考えた結果だという。
「新聞はすでに起こった事象を書くので、『過去』について書く力がつくでしょう。テレビは即時性の高い『現在』を伝える。広告はキャンペーンや発売情報など、未来の社会情勢を予測して打ち出すので『未来』を伝えるのだと考えました。今ならそれに加えて『ネット』もありますね。これは『瞬間』を捉える力が身につくと思います」
ひきたさんはその後、博報堂でコピーライターとして慌ただしい生活を送り始める。その間、仕事での大きな失敗や失恋、がんで体調を崩すなど、さまざまな逆境を乗り越えてきた。
「伝える」というキーワードが進化したのは、なんと50歳を過ぎてから。就活から30年がたったときのことだ。「人を励ますために伝えるんだ」。そう思えるようになったという。
「必要なのは内省する時間でした。体を壊したタイミングで自分の人生について改めて考えられたんです。それも20代で大枠のやりたいことを決めていたからこそ。ふと見渡すと多くのヒントが集まっていたんだと思います。1番大切な夢であった本を書くことがかなったのは50歳でしたが、それは2番目に好きだったことを仕事にし、1番好きなことを見失わずにいた結果なのだと思います」
振り返ると、数々の失敗と経験など人を「励ますために」伝えられる材料が格段と増えていたことに気付いたからだという。
それからひきたさんは、周囲を言葉で励ましていくことを意識して、本を書くようになったのだ。
つらかったら斜めに逃げてもいい。「道」でなく「地図」で逃走線を考える
ブレない、流されない、迷わない……。
ひきたさんのエピソードを聞いていると、20代を楽しく過ごす希望が湧いてくるものの、やはり、日々の生活を送る中で負の感情に飲まれることもある。
冒頭で語ったように、逃げ出したくなるのは日常茶飯事だ。
SNSに目をやると、やりたいことをやり、目の前のことに夢中になっている人だらけ。
例に漏れず、こじらせ20代代表のわたしはそんな人たちをねたんでしまうことさえあった。ひきたさんはどうだったのだろうか。
「しょっちゅう逃げてましたよ。逃げるって悪いことじゃないです。日本人の特徴だと思うんですけど、いろんな物事を『道』と表現しますよね。茶道とか、華道とか。その道が二股に分かれていると迷ったり、戻らなきゃいけなかったりするとき「撤退」という。これも『道』が前提の表現です」
何も逃げるのは「後ろ」でなくてもいいじゃないか。ひきたさんは逃げるときは「道」ではなく、「地図」で考えるようにしているという。
「一本の線で考えると後ろは撤退だけど、逃げるところが横だって斜めだって、いくらだってできます。二次元の地図で考えればいい。道一本で玉砕しようなんて古い価値観ですよ。そうじゃなくて、斜めにいったり、休憩したりする。一体どこが恥ずかしいのでしょう。自分と合わなければ合わないまま玉砕してつぶされてなんて、馬鹿馬鹿しいです」
合わなければそのままでいい。特に今はいくらでも道がある。
「終身雇用も年功序列もなくなっているのだから、就職観も自由になるといいですね」
そう、ひきたさんは語る。
「感情」ではなく「習慣」に頼ろう。コロナ禍でも生き生き過ごすために必要な考え方とは?
最近は新型コロナウイルスの影響もあって、就活や社会は大きく変わった。
やりたいこともできず、悩む人も多い中、20代をどう過ごしていけばいいのだろうか。
「私も初めての経験なので何もアドバイスはできません(笑)。昨年の5月には、体調を崩してしまいました。とにかく何もかも中途半端な時期でしたよね。メンタルがやられて当然だと思っています。誰にも話さずにいると、自分の中で話したいことや思っていることが発散されず、苦しくなってしまうんですね。定期的に人と話したり、ノートで自分の言葉をつづったり、アウトプットをすることを大切にしてみてください」
また、緊急事態宣言などで家にこもる日々が続いても、しっかりと心身を休ませることが大切だという。
「中には、休んでばかりいると、自分は怠け者だと悲観したり、自分を全く褒めたりすることをしなくなるんです。怠け者の反対は働き者だと思っていませんか? 怠け者の反対は、規則正しい生活をすることです。感情の浮き沈みで今日やること、やりたくないことを決めていると感情に任せて生きるようになるんです。それでは、いい20代は作られませんし、もったいないです。まずは小さなことでもマイルールや習慣をつくり、守っていくことが大切です。朝は何時に起きるとか、毎日日記を書くとかなんでもいいんです」
必要なのは、毎日にしっかりとした足跡をつけるちょっとした習慣だ。
怠け者の私には最も苦手な分野。コロナ禍で移動時間が減り、自分の時間が増えたがその時間をうまく使えているか? 自分の生活を少し見直してみるのもいいかもしれない。
取材後記──会いたくなるオトナを目指したい
「これから就活を始める学生にアドバイスをください」。そう言うと、ひきたさんは穏やかな笑顔で答えてくれた。
「何より、決めつけないことが重要です。世の中は伸び代が大きいので、決めつけてかかえるとしっぺ返しをくらいます。今日の取材は対面でしたが、やっぱりディスプレイではなく、実物に会いたいと思ってもらえる人になることですね」
画面越しでの就職活動が当たり前になりつつある今。
これからは、画面という垣根を超えようとする意識や力が、面白い人生を作るカギなのかもしれない。
別れ際に、ひきたさんから「りんご」と「(悩みを書き出すための)ボールペン」をいただいた。突然のサプライズで驚き「お礼をしたいのはこちらの方です」とぺこぺこするだけだったが、解散してじわじわと思う。
「ああ、こういう方がまたすぐに会いたくなる人なんだ……」
※こちらは2021年2月に公開された記事の再掲です。