キャリアの捉え方が変わりつつある今、博士課程を志す学生の考えにも変化が見られてきました。
「研究成果を世の中に還元するための手法として、私には起業は最適だと思いました。これからのドクターたちはアカデミアという枠だけにとらわれず、キャリアの多様性と向き合う必要があると思うんです」
こう話すのは、博士課程在学中に起業し、現在では各種メディアにも取り上げられている、株式会社ジーンクエスト代表取締役の高橋祥子氏。
高橋氏はベンチャーというカオスな環境に飛び込むことで、自己との対話が捗ると語ります。50社ほど受けたという就活時代の経験も踏まえ、詳しくお話を伺いました。
高橋 祥子(たかはし しょうこ):株式会社ジーンクエスト代表取締役、株式会社ユーグレナ 執行役員 バイオインフォマティクス事業担当。2013年、東京大学大学院農学生命科学研究科 博士課程在籍中に、遺伝子解析の研究推進ならびに、一般社会への活用を目指し、株式会社ジーンクエストを起業。個人ユーザー向けの大規模遺伝子解析サービスを展開する。2015年、同大学大学院 博士課程修了。2018年4月、株式会社ユーグレナ執行役員バイオインフォマティクス事業担当に就任。
在学中の起業は「ロジカルに考えた結果」 科学を発展させる1つの手段
──大学院在学中にジーンクエストを起業したきっかけはどういったものだったのでしょう?
高橋:博士課程の在籍中に、研究室の先輩でもあり、弊社で取締役を務める齋藤と「どうすれば研究を加速しながら、研究成果を社会に生かせるか」を議論したのがきっかけで、「起業」という選択肢を選びました。
よく「在学中に起業なんて思い切りましたね!」「周囲やご家族は反対しませんでしたか?」と尋ねられますが、全ては研究を社会にうまく活用していく上でロジカルに判断した結果です。
研究サイクルを効率的に動かしながら、社会にその成果を還元することを考えたとき、起業という手段が一番良かったんです。それに、起業を意識してから卒業まで2年近く時間があったので、そこまで待てないと感じ、在学中に起業しました。
──「博士号取得=アカデミアへの第一歩」と考えている学生も少なくありません。
高橋:もちろんそういう側面もありますが、働き方やキャリアが柔軟になった昨今、私たち博士号を持つ人材のキャリアも多様化が求められていると感じます。
皆さんに知ってもらいたいのが、大学院大学へ制度が切り替わって以来、博士号を取得できる環境が整っていく一方、増え続ける博士号取得者に対し、明らかにアカデミックポストの数が足りていない事実。これは理系と文系どちらにも言えることです。
つまり、アカデミアに残ってそこからキャリアを形成できるのはほんの一握り。しかしながら、この現状を理解してキャリアを選択している人は少ないように感じます。
実際に博士課程に向けて実施した進路希望のアンケート結果を見ると、「アカデミックポストに残りたい」という人が大半でした。彼らがアカデミアに残りたい理由をひも解くと、「その選択肢をよく知っているから」なんです。研究という環境に没頭しすぎるあまり、視野が狭まってしまっていると感じます。
学位取得後も研究という世界で活躍していきたいのであれば、なおのこと就職、起業など進路を広げて考えていく必要があるんです。
研究もビジネスもやることは同じ──高橋祥子は「経営者と研究者が融合した存在」
──研究とビジネスのバランスを保ちながら日々を過ごしていくのは、大変ではありませんか?
高橋:正直、ビジネスでも研究でも行っていることはほぼ同じだと思っています。求める結果に対して、資金や人材といったリソースの配分を決定し、ひたすら進めていく。そこで得られる価値が経済的なのか、学術的なのかの違いだと思っています。
特にジーンクエストは研究とビジネスがつながり、それが循環することで、サービス精度を高めています。
例えば、一般ユーザー向けの遺伝子解析サービスでは、疾病や体質のリスクなど、300項目以上の遺伝子を解析してお客様に結果を提供しており、これまで多くの方にご利用いただきました。集めたデータは、新しい科学の研究に応用して、その研究で分かったことをさらに遺伝子解析サービスの結果画面に反映させています。こうした研究とビジネスの価値の循環によって、より良いサービスをお客さまたちへ届けることが可能となるのです。
ジーンクエストの遺伝子検査キット。フルパッケージ版でも3万円程度で手に入る
──学問を社会に生かした仕事に就きたいと考える人が、特に理系には多いように感じます。高橋さんは、自分自身で研究を進める方がいいと思ったことはありませんか?
高橋:確かに私は自分で手を動かして実験するのが好きですが、それ自体が目的になることはまずありません。考え方次第だと思います。
それよりも「何のためにやっているか?」を考えることの方が重要ではないでしょうか。実験は作業の積み重ねによって成果が生まれます。だからこそ、目的を考えないで行動してしまうと、単なる作業で終わってしまうんです。それは経営も一緒です。
創業してすぐのころ、研究に専念できない現状に「これで良いのだろうか」と悩みました。「いっそ、研究者の道を捨てて……」という葛藤もあったほどです。
しかし、研究もサービスも全部がつながると分かってからは考え方が変わりました。今では、「研究者と経営者どちらなんですか?」と質問されたときには、「私は両者が融合した存在です」と答えるくらいです(笑)。
ちなみに、現在、時間としては経営者として活動する時間の割合は増えていますが、30以上の大学や企業の共同研究やプロジェクトに参加しています。1人の研究者としてプロジェクトに関わっていたときよりも、多くの研究に携われています。
50社受けるも、ほとんど落ちてしまった就活時代
──もともと、所属していた研究室には起業というカルチャーがあったのでしょうか。
高橋:そんなことはありません。製薬や食品業界など、大企業の研究職に就職する人が多かったです。大学院で一緒だった人たちと、仕事を通してバッタリ再会なんてこともあります。官僚になった人もいますね。かく言う私も、修士課程終了のタイミングで就職活動をしていました。
──なんと、就活を経験されていたのですね! よろしければ、その時のお話を聞かせてください。
高橋:大手食品メーカーや製薬企業など、いわゆる就活ランキング上位50社にランクインされている企業を上から順番に受けました。結局、ほとんど落ちたんです(笑)。
そんなこともありましたが、結局自分で会社を立ち上げて楽しく働いています。企業の面接官に評価されるだけが全てではないということは、皆さんにはお伝えしたいです。
──高橋さんご自身は、なぜ多くの企業に落ちてしまったのだと思いますか。
高橋:企業目線ではなく、自分目線で面接などの受け答えをしていたからだと思います。
起業でも就活でも私の軸は、「サイエンスの力を社会に生かすこと」です。面接では「就職後に自分がやりたい研究ができるのか」という点だけを気にしていました。ですが、それだと企業からは「この学生、我が社のために働く気があるのかな?」と取られかねません。企業に合わせた対応をしていたら、こんなに落ちることはなかったのではと思います。ただそれは、自身のスタンスに反するかなって。
──それは……なかなか強気な姿勢ですね。
高橋:そうですね。ただ、そうなったのは、自分が考える時間軸と面接官の時間軸が違ったという点もあります。例えば、生命科学の世界は日進月歩で進んでいます。それこそ、ヒトゲノムの解析がされたのはわずか15年前で、2001年時点ではヒトゲノム解読にかかる費用は約100億円でしたが、今は個人が3万円程度で遺伝子解析を受けられるまでになりました。
2〜3年でも大きなイノベーションが起こる領域で何かを成し遂げようとしているときに、「30年後、弊社でどうなっていたいですか?」というような、30年後も変わらない前提の質問を、面接官から聞かれたときに違和感を抱えたのは事実です。
周囲の環境で職業選択、そしてキャリアは左右される
──社会に研究成果を還元する意識を持つからこその視点だと感じました。この時に就活をしたのは、起業への布石だったのでしょうか。
高橋:いいえ、生命科学に携わり続ける一つの選択肢として、就職も一つの選択肢として考えていました。その時は、就職かアカデミアの世界に進むか起業するか、何がいいのかはまだ見えていなかったです。それこそ、齋藤と議論をしていく中で、起業という手段があることを知り、それが最適だと考えるようになりました。研究、そしてサイエンスが好き。好きなことに取り組みながら、社会課題を解決していくことが起業によって実現できるかもしれない……それを議論してたらワクワクしちゃって。
私、起業って花粉症みたいな要素があると思うんです。つまり、「そのような環境にどれくらいの量さらされたかで決まる」ということ。周囲に起業を意識させてくれる人が多い環境で刺激にさらされることで、全員ではないにしろ、私のように起業したくなる人が出てくるんだと思います。
また、東大には大学発ベンチャー支援の体制が整っており、大学生・大学院生が起業するというサイクルができつつあります。こうした支援体制は、他の大学にも広がっています。「起業=リスク」というイメージがある人もいるかもしれませんが、実際に各種支援を受けながら起業をした方が、他の道を選ぶよりも結果として低リスクだったなんてこともあるぐらいです。
創業当初は世間からの反発も、カオス体験から得られる「自己対話」
──高橋さんは研究室で刺激を受けたとのお話でしたが、刺激が欲しい学生たちに勧めたいことがありましたら教えてください。
高橋:やりたいことがない人や明確ではない人ほど、カオス体験をした方がいいと思います。そういう意味ではベンチャーはおすすめですよ。「自分が何をやりたいのか?」など自問自答する機会が増えます。もちろん大企業にも良いところはあるのですが、カオス体験という面で見ると、いろいろな意味で何もかもが整いすぎていると感じます。
また自分の経験以外にも、震災や災害、身の回りで起こったショッキングな出来事から大きな挫折やショックを通して気が付くこともあると思います。
今の日本はある意味で満たされた世界です。何かあったとしても、基本は国が助けてくれるだけの環境が整っています。だからこそ、別に無理してどこかを目指さなくても人生は過ごせる。しかし、そんな環境でも現実世界と自身が理想とする世界の違いに気付くことで、環境変化の糸口を見つけられるかもしれないのです。
──ここまでのお話から、高橋さんは常に自身で世界を切り開きながら前に進んできた印象を受けました。これまで自身の行動に対して、自問自答する場面などはありましたか。
高橋:個人ユーザーに向けた遺伝子解析サービスを始めるとき、想像以上に反対の声を受けたときには悩みました。「怖いことが分かったらどうするのですか?」「神への冒涜(ぼうとく)であり、それはエセ科学だ!」などのお声をいただいたことを覚えています。
とはいえ、遺伝子を通して社会や生活をより良くしたい一心で始めた事業です。それが「なぜ、ここまで言われないといけないのか」と深く考え、自身の内面にも向き合いました。その中で「生命の仕組みを解決したい、それを役立つ形で世界に出していきたい」と改めて心から思ったんです。本心を理解してからは、「世界中に反対されても、やりたいことをしよう!」と徐々に気持ちを切り替えていきました。
──挫折があって、最終的により意志が固まったんですね。
高橋:また、サイエンスは技術や研究結果だけに目が向けられやすいのですが、アーティスティックな面もあります。それこそ、遺伝子の世界って、まるで底が見えない海を調べているみたいなもの。
反対する方々へヒアリングする中で、一般的に遺伝子のことはよく理解されていないということが分かりました。それからは講演会などで、遺伝子について正しい知識を伝えるようにしています。世間への伝え方を試行錯誤する中で、遺伝子の海から分かることの楽しさ、私の科学に対する愛などの感情と情報を融合させながら話すことに価値があると気付きました。
伝え方に対する意識を変えたあたりから、遺伝子研究に関する報告が世界で取り上げられるようになりました。こうした要素が重なり、少しずつ世間も遺伝子に興味を持ち始め、受け入れられ始めたと感じられるようになったのです。
「主観」だけはテクノロジーで代替できない
──最後にこれから就活と向き合う学生たちに、高橋さんからアドバイスをお願いします。
高橋:就職活動って、基本的に選択を狭めていく作業だと思っています。だからこそ、「やりたいことを見つける」「経験のないことを率先してやってみる」など行動を起こしてはいかがでしょう。
例えば、3歳の子供に好きな食べ物を聞いたとき、おそらく「キャビア」とは言いませんよね。それは、キャビアという食材を知らないから。同じことが就活にも言えると思います。何を好きかが分からない人が多過ぎるんです。それこそ、皆さんの「やったことないリスト」、めちゃめちゃたまっていませんか。
その状態で就活を始めちゃうと、学生時代の私のようにリストの上から聞いたことのある企業しか受けなくなってしまうかもしれません。それはもったいないことです。
──高橋さんが、学生時代に実践していた方法がありましたら、ぜひ教えてください。
高橋:TwitterなどのSNSからでも十分だと思います。私が実際にしていたのは、気になる就活情報を発信する人をフォローしたり、興味のあるイベントにはDMでコンタクトを取ったりということです。最初はオンラインからのアクセスでも、そこからリアルな世界へと波及していきました。
こうした実体験があるからこそ、カオスに飛び込む勇気を持ってほしいなと思うんです。ぜひSNSをきっかけに、経験したことのない領域へ足を踏み込んでみたり、新しいことへ挑戦してみたりしてください。
これからはAI(人工知能)の時代などと言われていますが、どれだけ人工知能が発達しても、自分の気持ちは置き換えられません。つまり「自分がやりたい」という主観的な気持ちが大事なんです。主観だけはテクノロジーで代替できません。それだけは忘れないでください。
【撮影:保田敬介】
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※こちらは2019年10月に公開された記事の再掲です。