「ある朝、目が覚めたら、あなたは『就活生』になっていました。どの会社へ入りたいですか?」
(※ただし、自身がこれまで所属した組織は選べません)
社会人の先輩をお呼びして、この「究極の転生質問」に答えてもらうシリーズ企画。今回は、58歳で京都大学経済学部に入学され、現在2度目の大学生活を送られている瀧本哲哉さんにご登場いただく。瀧本さんは『定年後にもう一度大学生になる』の著者でもある。
取材・執筆はワンキャリ編集部のインターン生・鳥越が行った。
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もうすぐ大学生活が終わる……。
大学受験の失敗で生まれた劣等感から、数年後に迎える就活で成功することを目標に、学生団体や長期インターンの活動に励んでいた。「自分はこの場所で頑張っているんだ」と周りに誇示するように課外活動に専念していて、大学の授業なんてどうでも良かった。
ただ、それは大学生である自分からの逃げだったようにも思える。学生の本分は勉強だと言うが、自分の存在意義を考えるたびに、大学生らしい生き方ができていないことに悩み続けた。
ある日、書店に立ち寄ったときに、2度目の大学生活を送っている瀧本さんを知った。58歳で京都大学に入学され、興味関心の赴くまま講義をいくつも受けていらっしゃるという。
大学の何がそんなに瀧本さんを惹(ひ)きつけるのだろうか。自分がこの4年間で知ることができなかった「大学の意味」を確かめるべく、瀧本さんにインタビューを依頼し取材に臨んだ。
<瀧本哲哉さんの「社会人年表」> ・1980年4月(23歳) 国立大学を卒業後、金融機関に入社 ・2012年(56歳) 2度目の大学生になるために、会社勤務の中、受験勉強を始める ・2015年4月(58歳) 京都大学経済学部に入学(毎週金曜日だけの「パートタイム大学生」) ・2015年6月(59歳) 金融機関を退職(「フルタイム大学生」になる) ・2019年3月(62歳) 京都大学経済学部卒業。同年4月、京都大学大学院経済学研究科入学 ・2022年6月(66歳) 『定年後にもう一度大学生になる 一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方』(ダイヤモンド社、2022年)を上梓(じょうし)
<目次> ●58歳で京都大学に入学。若い学生に交じると自分を10代だと勘違いする ●学生の主体的な学びに期待する昔の大学と、面倒見がよい今の大学 ●「知りたい」が学びの原動力 ●自分の興味を探して向き合うことに学びの価値がある ●瀧本哲哉さんが選ぶ「3つのキャリア」
58歳で京都大学に入学。若い学生に交じると自分を10代だと勘違いする
──58歳で、京都大学経済学部に入学された瀧本さん。2度目の大学生活を始めようと思ったきっかけは何でしたか?
瀧本:次男が入学した北海道大学を訪れたときに、大学の雰囲気が良くて「もう一度大学生になりたい」と思ったことがきっかけです。京都大学を選んだ理由はいくつかあります。
・社会人になって京都大学出身の人たちと京大の話をする中で、京都大学に自由な学府のイメージを感じていた
・京都大学の入学試験問題の出題方式をみると、問題数が少なく、圧倒的に記述量が多いため中高年の自分に向いていると思った
・古都京都という静かで落ち着いた街に住んでみたかった
このような理由から、京都大学を受験しました。さらに、18歳で大学受験をしたときに京都大学に落ちた経験があったので、リベンジをしたかったという気持ちも少しはありましたね。
──一般的に大学生は10~20代の人が多いと思います。大学に入学することや若い学生と一緒に過ごすことに対する、ためらいや抵抗感などはなかったのでしょうか?
瀧本:大学受験のために予備校で模試を受けたとき、周りが制服を着た高校生ばかりで。自分が非常に場違いな感じだったし、高校生も「なんでこのおじさんはここに座っているんだろう」という感覚だったと思います。ですが、毎月のように試験を受けているとお互いに慣れてきました。高校生と顔なじみになってくると、いろいろと話せるようになるわけです。大学に入学する前から、私の方では若者たちの中にいることに抵抗感はなくなっていました。
──周りの高校生も、同級生に接するのと同じように、瀧本さんに接していたんでしょうか?
瀧本:そうですね。最初は「もう一回大学を受けるんですか」「どんな大学を目指しているんですか」といったように、向こうから私に声をかけてくれて。私からも話しかけるうちに、だんだんと親しくなっていきました。私に対しても、仲間意識みたいなものを持ってくれたのかなと思います。
本番のセンター試験の会場で彼らと会ったときにも頑張りましょうと言ってくれました。あのときの私の気分は、もう彼らと同じ18歳・19歳の受験生そのものでしたよ。
──同じ大学を目指す仲間であれば、歳なんて関係ないと思えてくるエピソードですね。
瀧本:大学に入ってからも同様です。若者と同じ入試を受けてきた学生であり、同じ定期試験を受ける。授業中に先生に当てられても、同じように答えられない(笑)。私がすごく優秀だったら声をかけづらいかもしれませんが、社会人経験が生きる分野ではないところでは、学力レベルは全く同じ。若い学生は結構安心したみたいですよ。
学生の主体的な学びに期待する昔の大学と、面倒見がよい今の大学
──瀧本さんの1度目の大学生活と2度目の大学生活で大きく違うと感じたことはありますか?
瀧本:大学に通うのが40年ぶりですし、1度目の国立大学と今の京都大学の違いというのもあるかもしませんが、1度目と2度目は何から何まで全く違いましたね。
私が大きな違いを感じたのは、先生と学生の関係性です。今の先生は90分間しっかり授業を行い、丁寧にPowerPointで資料やレジュメを作ってくださったり、PowerPointの中で動画を流してくださったりします。とにかくサービス精神が旺盛だなと感じることが多いです。
昔はもちろんインターネットもない時代ですから、先生は黒板にチョークで書いたり、自分の教科書を読んだりするだけでした。ある面では不親切だし、中には学生に教える気もない先生もいたと思うんです。ただ多くの先生は「この程度は学生自身で勉強するだろう」と、自分で主体的に学んでほしいという考えがあったのかなと感じます。
──私自身勉強を頑張ってきた方ではないので言える立場にないのですが、今は授業を受ける環境は充実しているものの、確かに学習意欲が高い学生は少数である気がします……。
瀧本:私が所属する今の京都大学も、単位さえ取れればそれでいいと考えている学生が、かなり多いと思います。楽な授業を履修して講義もなるべく出ずに、定期試験前にノートやレジュメをかき集めて暗記し、合格最低点の60点を取れればそれでいいやみたいな。私も京都大学の学部生のときに、定期試験の対策をするためのLINEグループに入れてもらったのですが、過去問や誰が作ったか分からない回答が出回っていて驚きましたね。もちろん、私も大いに利用させてもらいましたが。私のノートを撮影した写真が出回っていたこともあり、改めて昔の大学生活と全然違うと実感しました。
あと、昔の方が先生と学生の距離が近かったように感じます。学生数が関係している可能性もありますが、ゼミの指導教員に限らず、先生の研究室をふらっと訪ねていろいろと話すことがありました。今は先生との関係が希薄な印象があります。
「知りたい」が学びの原動力
──そんな中、瀧本さんは大学院で、現在どのような研究をされているのでしょうか?
瀧本: 私の目下の研究テーマは「『差別』の社会経済史的考察─近代日本における身分・民族・職業─」です。第一次世界大戦から第二次世界大戦までの25年の間を中心に、京都に居住していた被差別部落の人々や在日朝鮮人、それに遊廓(ゆうかく)で働く女性などが、どんな働き方をしていて、京都経済の中でどういう位置づけにあったのかということを研究しています。
──瀧本さんがこのテーマを研究しようとした背景は何だったのですか?
瀧本:私は経済学部に入ったので、もちろん経済学部の授業は受けるのですが、法学部や文学部など、他学部の授業も受講していました。その中で、近代の京都の歴史を学ぶ授業があって、そのテーマの1つが京都の遊廓でした。
その授業の定期試験はペーパーテストではなくてレポートが課されたのですが、先生から「瀧本さんは経済学部だから、遊廓について統計的に調べてレポートを書いたらどうですか」と言われました。このレポートを通じて京都の遊廓に興味を持っていろいろ調べるうちに、娯楽産業としての遊廓は京都の消費経済の中で重要な位置づけにあることが分かりました。そこで、遊廓について卒業論文を書くことにしたんです。
──戦前の被差別部落の人々や在日朝鮮人の研究については、何かきっかけがあったのですか?
大学院博士課程2年目のおととし春に、たまたま、高度成長期の京都の、在日朝鮮人集住地の記録映画の鑑賞会があるのを知って、興味本位で見に行きました。高度成長の象徴である新幹線の沿線にこんな世界があったのだと気づき、そのすぐ近くに大きな被差別部落があったことも初めて知りました。私の専門は経済史なのですが、経済の視点から見て、こうした人々の経済活動はどのような位置づけにあったのか知りたくなりました。文献や論文を読んだり、かつて被差別部落であった地区に住んでいる人たちと交流したりするうちに、戦前の日本経済が発展していく中で、被差別部落の人々や在日朝鮮人が重要な役割を果たしていたことに思い至りました。
遊廓もそうですが、自分が知りたいと思ったことを勉強していくうちに、いつのまにか博士論文のテーマになっていたのです。
──なるほど。瀧本さんが大学院で研究を続けたいと思ったのは、やはりご自身が「知りたい」ことを追究していきたいということなのでしょうか。
瀧本:そうですね。学部生の頃は、自分の興味関心の赴くままにさまざまな授業を片っ端から受講していました。大学院生になってからは、自分が「知りたい」と思った分野を自分なりに能動的に研究するようになりましたね。例えば京都大学には、経営管理大学院や公共政策大学院があります。そこには民間企業勤務の経験者や官公庁から派遣された方々がいます。彼らの学びの目的は、今後の実務で役立つことを習得することです。これに対して、私がやっていることは将来仕事や何かに使えることではありません。ただただ疑問に思ったことを知りたい。それが、私の研究の源泉になっていると思っています。若い大学院生は、将来、研究者になることを考えると、自分の興味関心だけでテーマを選ぶのは難しいように感じています。将来のない年寄り大学院生の特権だと思っています。
「卒業式で、山極総長(当時)より経済学部卒業生代表として学位記を受ける筆者(出典:2019年版京都大学卒業アルバム)『定年後にもう一度大学生になる』より」
──今のお話と関連して、就活や社会人での仕事に生かすために、例えば経済学やマーケティングなどの実学を学んでおきたいという学生が大学には一定数いるイメージがあります。瀧本さんが入学された経済学部もそうだと思うのですが、将来的に何かに生かせるものを優先的に学ばなければと思う学生に対して、どのような印象を持たれていますか?
瀧本:もし私が若い大学生に戻ったとしたら、やっぱり就職を意識すると思うんですよ。そうすると、実学が優勢になるのはしょうがないことです。大学では、経済学部などの授業が一番実務に近いかもしれないというのも分かります。ただ、サラリーマンを経た私から見ると、経済学部で経済学を学んでいても、直接そのまま実務に役立つことはほとんどないと思っています。
例えば、商学部や経済学部で会計学を学ぶよりも、簿記を専門的に学ぶ専門学校に行く方が、よっぽど会計の実務知識を身につけられます。実は、京都大学経済学部のある会計学の先生のテキストには、簿記の基礎である仕訳がいっさいが出てこないんですよ。そういうテキストを使って勉強していると、就職して経理部に配属されてもすぐに何かできるかというと、ほとんどできないと思う。ただ、若くて頭が柔らかいうちにそのテキストでしっかり勉強しておけば、会計の考え方や発想みたいなものが後々になって生きてきたり、自分では自覚していないけど40~50歳のときに何かの役に立っていたりするかもしれないと思いますね。
大学での学びは、実務には直結しないけれど、どんな分野であっても真剣に勉強していれば、いつか自分を助けてくれることがあるかもしれないと思っています。もちろん、私も最初の大学生の頃はそんなことを思いもしなかったですし、もっときちんと勉強しておけばよかったと今になって後悔しています。
自分の興味を探して向き合うことに学びの価値がある
──人生の「モラトリアム期間」と呼ばれる大学生活。サークル活動などの課外活動に勤しむ中で、本分である勉学をおろそかにしてしまう学生も多いと考えています。私自身も、就活を見据えて、大学1年生は学生団体に、大学2年生以降は長期インターンに最も時間をかけており、常に講義や研究は二の次で「学生としての存在意義」を見失うことも多々ありました。このように悩む学生に対して、瀧本さんのアドバイスをお聞きしたいです。
瀧本:私は1度目の大学生活4年間は、だらだら過ごしていました。ほどほどに授業に出席しつつ、特に何かに集中することもなく4年間が終わりました。その後36年間ずっとサラリーマンでしたから、今になってみれば、大学生活って本当に貴重だったと思うんですね。
この歳になると、肉体的にもそうだけど、感受性も鈍くなってくる。若いときの方が傷ついたりうれしくなったりと、感情が豊かな時期なので、20歳前後の4年間は大事にしてほしいと思います。大切な期間にせっかく大学という学びの場に入ったのだから、スポーツやサークル、バイトを頑張るのはもちろんいいと思いますが、1つの授業・ゼミでも何でもいいので、何か自分だけのテーマを見つけて、それをやり続けてみてほしいなと感じますね。
──何か自分なりに興味を持って学んでみたいと思うことを見つけるということですか。
瀧本:そう。大学の授業や自分が興味ある分野の読書を通じて学んでみたいことを見つけて、勉強や研究を進める中で、自分自身と向き合うことになると思うんです。その中で「自分は何をやりたいのか」という問いが出てくる。将来は商社に行きたい・学校の先生になりたい・建設会社に入ってビルを建ててみたいなどと、自分の中から出てきた答えにはおそらく「適性」があるはずなんですよ。そして適性があるということは、それは「長く続けられる仕事」だと思います。
──「やりたいこと」を見つけることは大事。自分が大学生の中でテーマとしたいことを考えたり、自分と向き合ったりするプロセス自体が、やりたいことを見つけるヒントになるということですね。
瀧本:どの学部に入ったのかは、自分の興味がどこにあるのかとは関係ありません。法学部に入ったとしても、実は文学への関心が高かったというのもいいんじゃないかなと思います。
瀧本哲哉さんが選ぶ「3つのキャリア」
──最後に、今就活生に転生したとしたら、瀧本さんはどのようなキャリアを選ぶと思いますか。3つ選んでください。
瀧本:1つ目は「理学部・農学部の教員」です。地球の成り立ち、森林の生態、生命の神秘に触れる仕事をしたいと思っています。
大学の一般教養科目で理系科目の授業を受けたのですが、例えば、理学部の先生は岩石や植物などの人間不在の自然を対象に、営利を追求する世界とは全く関係ないところで真理を追究している。アフリカで取ってきた岩石や、東南アジアで採った植物を見せてくれたり、そういうことを生き生きと話してくれたりするんですよね。
先生たちは、もう単純に岩石や植物が好きでしょうがないという感じなんです。私から見ると、本当にただの石ですよ。それが珍しいからとか、元素の構成がなんとかだとか言われても、正直、全然分からないですけど、すごくうれしそうに「見つかった」と話していらっしゃって。私も、自分の好きなことをやれたらいいなと思います。
──2つ目は?
瀧本:全国の中小企業を支援する仕事に就きたいという理由で、「経済産業省の中小企業庁」を選びました。お役所の人も政治家の相手をするのはいろいろ大変だと思うんですけど、公共の仕事ってやりがいがあるんじゃないかなと思っています。
施策を打つことで、中小企業で働く人が少しは企業活動がしやすくなるとか、彼らの生活の支援ができるとか。そのような仕事は、面白そうだと感じています。
──3つ目は?
瀧本:金融政策にかかわる仕事をしたいので「日本銀行」を選びました。銀行員だったので分かるのですが、民間企業は営利を追求しますよね。一方、大学で金融論などを勉強し直してみると、日本銀行の政策というのが、非常に公共的な役割を果たしていることが改めて分かりました。金融面でそういう仕事ができるというと、やはり日本銀行を選びたいなと思います。
今回選んだ3つのキャリアに共通するのが「民間企業ではない」という点です。民間企業で働くことは、決して悪いことじゃないんですよ。民間企業の納税は非常に重要な社会貢献だと思っています。ただ、もう一度サラリーマンになるのであれば、今度は公共的な仕事をしてみたいです。
──大学生活で自分の興味があることを探す大切さがひしひしと伝わりました。瀧本さんが研究に没頭されている理由も分かったような気がします。ありがとうございました。
瀧本哲哉(たきもと てつや):京都大学大学院生
1956年、北海道函館市生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程在学中。 23歳で大学を卒業後、金融機関に36年間勤務。次男が通学する北海道大学のキャンパスに強く惹かれ、もう一度大学生になることを決意。56歳になってから、会社勤務のかたわら手探りで受験勉強を続け、58歳で京都大学経済学部に合格。入学後は、興味関心の赴くままに専門科目や教養科目を履修し、4年間で経済学部の卒業に必要な専門科目の単位数の1.4倍、120単位を取得。卒業式では、学業成績が評価されて経済学部卒業生の代表として総長から学位記を授与された。卒業論文は優秀卒業論文賞を受賞。著書に『定年後にもう一度大学生になる 一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方』(ダイヤモンド社、2022年)。
写真の場所は、瀧本さんが学部生の頃に住んでいた京都大学吉田寮。
▼瀧本さんの新刊紹介
・定年後にもう一度大学生になる 一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方
単位さえ取れれば、それでいい。すっかり大学のぬるま湯につかってしまったそこのあなた、大学に入学する前に感じていた「あのきらきらとした思い」を取り戻してみませんか?
58歳で京都大学に入学した瀧本哲哉さんが語る、定年後に「もう一度大学生になる」ことの楽しさをふんだんに詰め込んだ本書。人生2度目の大学受験を突破する秘訣(ひけつ)や、家族に大学入学を説得する方法など、学び直しに意欲がある中高年向けの指南書のように思えます。
しかし、私が真におすすめしたい読者は「大学生活に満足できていない学生」です。「若者と接していると自分の年齢を本気で勘違いする」と語る瀧本さん。学ぶことに歳なんて関係がないと気づくだけでなく、若者として「瀧本さんに負けないバイタリティを持たなければ……!」と、本を読んで前向きな気持ちになりました。
これからゼミ活動を本格化させる学生にとっては、瀧本さんの「文学部の授業に出席したことで遊廓が卒業論文のテーマになった話」、「たまたま見た記録映画が博士論文につながった話」など、研究テーマの発見の仕方が参考になることでしょう。京都大学に憧れを抱いている人にとっては、名前はよく聞くけど、その正体はよく知られていない「吉田寮での瀧本さんの生活」が興味深いものとなるに違いありません。
何より大学4年生の後半ともなると、もっと勉強しておけばよかったと後悔する学生が、どの大学でも数多く出てくるものです。後悔をせずに大学を清々しい気持ちで卒業したいと思う方は、まずは「自分の関心の赴くまま、学部を問わずに授業を楽しく履修する瀧本さんの姿勢」を真似(まね)するところから始めてみてはいかがでしょうか(文・鳥越壮一郎)。
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