「ある朝、目が覚めたら、あなたは『就活生』になっていました。どの会社へ入りたいですか?」
(※ただし、自身がこれまで所属した組織は選べません)
社会人の先輩をお呼びして、この「究極の転生質問」に答えてもらうシリーズ企画。今回は、『ゼロ・ウェイスト・ホーム ―ごみを出さないシンプルな暮らし―』(アノニマ・スタジオ、2016年)『プラスチック・フリー生活―今すぐできる小さな革命―』(NHK出版、2019年)の翻訳者であり、『サステイナブルに暮らしたい―地球とつながる自由な生き方―』(アノニマ・スタジオ、2021年)の著者として知られる服部雄一郎さんにお話を伺う。
<服部雄一郎さんの「社会人年表」>先日、京都大学の宮野公樹さんにお話を伺ってから、「土」について考えていた。「どんどん土になっていくさま……マジでヤバいよ?」と言ったときの宮野さんの表情と声色が頭から離れないからだ。また、これまでの人生で数名の方から「土をさわりなさい」と言われてきた。今こそ、私は動くべきときではないか?
・1999年(22歳)
大学卒業後、音楽系の事務所で制作の仕事に就く。
・2001年(24歳)
東京大学総合文化研究科修士課程へ(翻訳論)。
・2004年(27歳)
国際交流基金で舞台芸術の仕事に就く。
・2006年(29歳)
神奈川県葉山町役場へ転職し、ごみ担当に配属される。「ゼロ・ウェイスト」(※1)と出会う。
・2010年(34歳)
「ゼロ・ウェイストのメッカ」カリフォルニア州バークレーへ。公共政策大学院に通い、ゼロ・ウェイストNGO(非政府組織)「GAIA」でインターンもする。
・2012年(36歳)
NGO「GAIA」のインド・オフィスで短期契約スタッフとして6カ月間働く。また、南インドにあるエコビレッジ「オーロヴィル」(フランスからの入植者たちが荒野を切り拓(ひら)き、30年かけて築いた)も訪ねる。
・2014年(38歳)
もっとサステイナブルに暮らしてみたい、という思いで高知県の山のふもとへ移住。
・2016年(40歳)
『ゼロ・ウェイスト・ホームーごみを出さないシンプルな暮らし』(著:ベア・ジョンソン、訳:服部雄一郎)を上梓(じょうし)。
・2019年(42歳)
『プラスチック・フリー生活―今すぐできる小さな革命―』(著:シャンタル・プラモンドン、ジェイ・シンハ、訳:服部雄一郎)を上梓。
・2021年(45歳)
『サステイナブルに暮らしたい―地球とつながる自由な生き方―』(著:服部雄一郎、服部麻子)『ギフトエコノミー ―買わない暮らしのつくり方―』(著:リーズル・クラーク、レベッカ・ロックフェラー、訳:服部雄一郎)を上梓。 ・現在 山のふもとで、週に1度カフェを開いたり、NGO支援の仕事などを経たりして、ここ数年は翻訳業や文筆業、トークイベントが中心の日々。現在は、リジェネラティブ農業(※2)に関する書籍の翻訳(今年5月刊行予定)や、小学生向けのフランスの環境児童書の翻訳(同刊行予定)、そして、自らが挑んだサステイナブルな家づくりについての書籍を執筆中(同6月頃刊行予定)。
そんな折、街を歩いていると、「斗々屋」というお店を見つけた。ゴミを出さないスーパーマーケットとして、さまざまな食材の量り売りをしている。店内では、コンポスト用の土も販売されていて気になり、店内に置かれているものを一つ一つ見ていった。店内で働いている人たちから「素晴らしいものを伝えたい!」という明るい空気が発(はっ)せられていて、刺激を受ける。
店の奥には本がいくつも置かれていた。いずれもサステイナブルな生き方を紹介する本だった。驚いたことに、目に留まったすべての本の表紙に「服部雄一郎」という名があった。すぐに全ての本を手に入れて読んだ。そして、ますます服部さんの生き方を知りたいと思い、お時間をいただいた。
(※1)……ごみをゼロにすることを目標に廃棄物を減らす環境社会政策。
(※2)……農地の土壌をただ健康的に保つのではなく、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復に繋げることを目指す農業。「環境再生型農業」とも呼ばれる。
迷走をしていた自分に足りなかったもの
──著書の中で、20代前半から「翻訳」という仕事に興味があったと書かれていました。服部さんは翻訳学校に通い、大学院で翻訳論を学ばれました。現在、さまざまな本を翻訳されている服部さんは、若い頃の願いが叶(かな)っているように思います。一方で、20代の頃は、自らに専門性がないことにずっと引け目を感じていたことも本の中で明かされています。学生時代は、どんな就職活動をして、どんな人生の選択をしたのでしょうか?
服部:大学は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に通っていたので、周囲にはやる気に満ちた学生がたくさんいました。私もやる気はあったのですが、どこかズレているところがありました。今から考えると「こういう仕事がしたい」というビジョンを描けていなかったんですよね。ですから、行きたい企業が思いつかなくて、就職活動は苦しみました。「社会問題にアプローチするような、公共性の高い仕事や、非営利な仕事ができたらいいな」と観念的には思っても、当時はそんな就職先が見つからなかったんですよね。
行きたい企業もないうえ、当時は就職氷河期で簡単に雇ってもらえない。本当に壁にぶち当たりました。大学4年生になった就活1回目の年は、交換留学に逃げました。フランスの大学へ行って、文化・芸術がもともと好きだったので劇場通いをしていました。「アートの仕事だったら楽しくできるかも」と、今となっては幼稚な考えで会社選びをしましたね。アート系の音楽事務所に手紙を送って、採用してもらいました。
──いわゆる就職活動とは異なる入り方ですね。私も手紙を書いて取材をし、アルバイトから正社員になったので、服部さんの就職活動と近いです。
服部:そうして入った会社は、補助金なしには成り立たない業界の風土があり、また、大御所といわれるような人たちの権威の下で動くところがありました。思い描いていたようなクリエイティブな仕事場ではありませんでした。何より、働いてみて分かったのは「会社勤めが自分にはどうしても合わない」ということでした。このまま企業で仕事を続けていっても、自らのキャリアを築ける気がしませんでした。そこで、「翻訳」のようなスペシャリスト系の仕事をしているほうが、自分には居心地が良さそうだ、と考えました。翻訳をものにできないかと思って、翻訳論の勉強ができる東大の大学院に逃げたというのが実情です。
──服部さんを後から知った私からすると、若い頃から終始「翻訳」という軸があった方なのかと思っていましたが、ご本人としては「逃げた」という感覚だったんですね。
服部:自分のダメな部分ばかりを伝えてしまうのですが、当時の自分の選択はいちいちピントがズレていたんですよね。翻訳の勉強をしてみよう、と動いたのはいいのですが、今から考えると大学院へ行くのは間違いでした。翻訳の実践をしたいのに、学問の世界へ行ってしまって、自分が求めていた勉強とはまるで違いました。論文をまとめられなくて留年もし、本当に迷走していました。
──今から振り返って、あの頃の自分に足りなかったものってありますか?
服部:仕事をするにあたって、自分に合ったオプション(選択肢)が描けていなかったのだと思います。いわゆるモラトリアムだったのかな。自分に自信がないような、でも自分を過大評価しているような……。自分に合った場所がどこかにあるはずだと思うものの、確かなビジョンはない……。そういう20代前半でした。
大学院を卒業したあと、結局は翻訳を仕事にする勇気が持てなくて、政府系の文化交流機関である国際交流基金に就職し、舞台芸術の仕事を数年間しました。この時点で、ほぼ何のキャリアもないままに20代後半。いろんな迷走を経て、年だけ重ねて、「自分は本当にダメなんだな」と思って、「理想の仕事を求めるのはもうやめよう」と割り切って働いてみたら、意外なほど楽しかったです。多くを求めなくなって、周りの人とも楽しく働けて、ちゃんとお給料ももらえました。20代の後半は機嫌良く働けていたと思います。
大学を卒業したばかりの頃の服部さん
ごみ担当になって吹っ切れた
──20代の終わり、服部さんは「もっと楽しく子育てをしたい」という思いから、都心から郊外へと転居します。そこで偶然、町役場の中途募集が出たことで転職し、ごみの部署へ。服部さんに「ごみ」というテーマが生まれ、その後のキャリアでずっと一貫しているように感じます。30代前半で家族と一緒にアメリカへ「ごみ留学」をするのも、自分に当てはめると、かなり勇気がいる決断だなと思います。服部:町役場への転職のタイミングで、吹っ切れていたのだろう、と思います。キャリアにおいて、もう守るべきものがなかったんです。
20代の多くの若者が、なんとなく「なりたいキャリア像」って持っていると思うんです。たとえば、転職はOKだとしても、あんまり変な転職はしたくないな、とか。あんな転職をしたら、もう次がないんじゃないか、とか。そういうキャリア観は自分にもあったはずですが、私はあまりにも迷走を繰り返してしまいました。子育てのために引っ越したことをきっかけに、町役場に転職をして、しかも、よりによってごみ担当になったことで、自分が守りたかったキャリア観が崩れて、本当にどうでもよくなったんです。プライベートは幸せだったし、自分にとって大切なものはあるから、あとは生活ができればいい。海外留学をしたのも、キャリアのためではなく、人生に思い残しをしたくないという気持ちからでした。
──ごみ担当になったことは、本当に大きな出来事だったんですね。
服部:自分の気持ちの中で、迷いがなくなったんでしょうね。自分が思うことへ、そのまま真っすぐ進んでいけるような自信……自信と表現するとちょっと違うんですけれども……何でしょうね? 変な躊躇(ちゅうちょ)がなくなったんですよね。やりたいと思ったことをやっていこう、失うものはないし、と吹っ切れました。
それと同時に、生きていくために、何でもやろう、という覚悟ができました。かっこ悪くたって構わない。そして、人生のいちばん大切な部分にフォーカスする、という実感が持てたのはごみの仕事を始めてからですね。私の若い頃は、自分が勝手に作った「縛り・枠組み」の外から見る、ということがどうしてもできなかったんです。いま、20代の若者を見ていて、そうした枠組みを飛び越えている人はたくさんいますから、必ずしも年齢ではなくって。人生のどこかで、培ってしまったんでしょうね。もちろん、枠組みに順応して、自己を実現する人もいるんですが、私の場合は、自分の幸せはそことは別の所にあったということですね。
──私も耳が痛いですし、なかなか気付けないことだなぁ、と思います。
役場でゴミ担当として働いている頃の服部さん(写真中央)
どんな場所にもチャンスと必然は転がっている
──ここからは、服部さんが「もしも今、就活生に転生したら、どんな会社選びをするか?」を伺いつつ、「ごみ」というテーマができた以降のキャリアについても教えてもらいたいと思います。服部さんからは事前に、3つの選択肢を挙げていただきました。服部:振り返って見ると、自信がなかった20代のときから、関心のある領域は大きく変わっていないんですね。一般的な企業というよりは非営利な路線に昔も今も関心があって。昔の自分は、そうした方面へ進む道を思い描けなかったけれど、今は、新しい会社・組織もずいぶんできています。私が就職活動をした90年代末、社会問題に取り組むソーシャルアントレプレナー(※3)もいたでしょうけれど、私はあまり知らなかったんですよね。今はそうした起業家がどんどん出てきて、今後さらに活性化していくでしょう。私はそういう仕事の可能性にワクワクするし、やりがいが大きく広がっている気がします。
ボーダレス・ジャパンは、まさにそうした領域に注力をしている会社なので挙げました。「社会問題に取り組む仕事をしたい」をダイレクトに体現するパワフルな企業で、起業家を多数輩出しています。ボーダレス出身の社員がつくった会社もどんどん生まれています。私は、ボーダレスから生まれた「ハチドリ電力」という自然エネルギーの会社から電気を買っています。まだまだ社会全体から見たら小さいかもしれませんが、確実に変化を生んでいる。それって、すごいことだなぁ、就職先としてもきっと楽しいんじゃないかな、と思いました。
──たしかに、服部さんの20代のお話を伺うと、一般企業への就職というよりも、もっともっと公共性の高いところへ行きそうな学生だったんだろうな、という気がしますよね。
服部:なんででしょうね。売上を伸ばす事業やマーケティングを考えることに「自分はどこかおかしいんじゃないか」というくらい関心がないんですよね。そういう役割になったらなったで面白いのかもしれませんが、「どんな仕事でもやっていいんですよ」と言われたときに思い浮かぶのは、社会問題に取り組む領域になっちゃうんですよね。
──転生就活の質問からは少し話がそれるのですが。ご著書を読むと、ご自身の中に「ごみ」というテーマができたあと、現在のように「翻訳」と結びつくまでは、ちょっと時間がありますよね。なぜでしょうか?
服部:20代のときは「文学の翻訳」だと思い込んでいたんですよね。フランス文学の翻訳の講座とかに通っていたんですよ。そういう自分が、あるとき、「ゴミの本なら翻訳できるじゃん」と思いついた。そこから環境系の本の翻訳、しかも英語に舵(かじ)を切ったのは、そこだけ、頭が柔らかかった。ダメダメなことばかりだった自分ですが、その発想だけは偉かったなって思えます(笑)。
進路に迷ったり、なかなか内定が得られずに苦しんでいたりする学生さんっていると思います。昔の自分には「本当はそんな風に思い悩む必要はなかったんだよ」と言いたいです。どんな場所にもチャンスと必然は転がっている、と今は思えます。あんなにダメダメだったけれど、なんとかきっかけを拾えて、それを結び付けられる可能性も転がっていた……そんな実感を持っていますね。
(※3)……社会的な課題に対してビジネスやマネジメントのスキルを応用し、問題の解決とともに収益の確保にも取り組む企業家のこと
ズレこそが自分の個性をつくる
──お話を伺えば伺うほど、どんな時期の服部さんも、行動しているように聞こえます。翻訳に関心があって、学校へ通ってみたエピソードもしかり。後から考えると、大学院へ行ったり、フランス文学の翻訳を学んだりと、ピントがズレていたように感じるかもしれませんが、行動しているからこそ、その後のきっかけが見つかったと捉えられる気もします。服部:そういう部分もあるかもしれないですね。でも、当時の自分の意識としては「逃げ」という感覚でした。現状で輝ける人っているじゃないですか? 逆境でも頑張れたり、どんな状況でも何かを掴(つか)めたりする人って、すごい強さだと思います。私の場合は、わりと「逃げ」に走るタイプで、「ここだとダメだから、他を探そうか……」と、客観的に見ても結構ダメな感じでした。
今あえて、当時の自分にプラスの評価をしてあげるとすれば、何か行動をしていると、どんなにズレていても、ズレこそが自分の個性をつくってくれる、というところがありますよね。他人とズレちゃって、それを引け目に感じるんですが、ズレがあるからこそ人と違う自分でいられる。それが強みになる瞬間もあるんですよね。
──悩んでいる渦中ではなかなか気づきにくいですよね。2社目は「パタゴニア」を挙げています。
服部:パタゴニアは素晴らしい会社だと思っています。世界的なブランドでありつつエシカルの理念を体現する企業で、企業文化や風土にも学ぶところが多そうですよね。すべてが理想ということでもないのでしょうけれど、お手本のような会社だな、と思います。
いわゆる「新卒採用」でない採用形態も健全なイメージがあります。前・日本支社長の辻井隆行さんも、もともとはアルバイト入社だったそうです。そういうフラットな風土が、とてもいいな、と思います。
日本のような、みんなで一斉に就活をして、それを逃すとヤバい……という制度については、私はあまり良くないと思っていて。それよりも、アメリカのように職業を乗り換えていくとか、どんな道でもOKとかの方がいいんじゃないか、と感じるので、パタゴニアの採用の仕方はいいなと思いますね。
──パタゴニアは、ずっと「再生紙100%」のお持ち帰り袋で、かつ、マイバッグを呼びかけていましたよね。最近では、お持ち帰り袋も完全になくなりました。
服部:常に先を行っている企業ですよね。働いている社員さんも仲が良さそうで楽しそうなのもいいですよね。前向きなアクションがどんどん出てくるだけの風土があるのだろうな、と思います。きっと、会社の中でも、新しいことをどんどん語り合っているんだろうなぁ、と。私はそういうことこそを楽しいと思うので、パタゴニアを挙げました。
社会課題と仕事を結び付けることって、大学生だと「どうやったらいいの?」と壁にぶち当たりがちだと思うんですけれども、そういうことを実験している形を見せてくれる会社の一つがパタゴニアだと思います。今の自分だったら、そうした環境に身を置いてみたいです。
キャリアとしての非営利団体という衝撃
──3社目は、特定の組織ではありませんが「欧米の非営利団体」という選択肢を挙げていただきました。これは特に服部さんならではの発想だと思うので、詳しく伺いたいです。実際に、アメリカとインドで、ゼロ・ウェイストのNGOにいらっしゃった経験も合わせて、教えてください。服部:「ごみ」についてより学ぶために行ったアメリカの大学院は、国内トップレベルの公共政策を学ぶ大学院でした。だから、そこに集まっている生徒たちについて「エリート志向なのかな?」「国連などの国際機関に行くのかな?」と思っていたのですが、同級生の3分の1の就職先は、草の根の非営利団体だったんです。本当にビックリしました。
日本で非営利団体といえば、助成金頼みで「手弁当」が当たり前。キャリアどころか生活費も成り立たないんじゃないか、というイメージでした。アメリカでは、トップレベルの大学院を卒業したキャリアの人たちが非営利団体に入り、新卒でも月収40万円以上みたいな給料をもらって、専門知識を使って、社会的な弱者を助けている──本当にビックリしました。こんなやりがいのある仕事が世の中にはあるんだ……って。キャリアとしての非営利団体があるんだ、というのが衝撃的でした。
日本にはそうした職業の可能性がなかった中、私はそれを知れたことがよかったです。日本人としてアメリカでずっと働き続けることは、みんなに向いているかは分からないし、人それぞれです。そもそもビザが下りるかどうか、という問題もある。でも、チャンスがあるなら、知るためだけでも、行ってみるのはいいと思います。知ると知らないとでは、その後の働き方がずいぶん違うような気がするんですよね。
──服部さんはアメリカの大学院生時代にNGOでインターンをされて、その後、インドオフィスでも働かれます。実際に働いてみた実感としては、どんな違いがありましたか?
服部:本当に自分のままでいられる、という感じでした。居心地が良かったですよ。上司も子どもを連れてくるし、妻が弁当を届けに来て一緒に食べることもありました。非営利団体に限らず、海外にはわりとそういう風土はあると思いますけれども。
それぞれの個性が異なることが前提になっていました。たとえば、当時からリモートで働いている人は全然オフィスに来ない人もいて、オフィスに来なくてもOKでした。いろんな意味でビックリしたし、いいなって思いました。私が就活生なら、欧米の非営利団体のパワフルさを学んで社会に生かしたいな、って考えます。
──ちなみに、具体的にこういうタイプの非営利団体を、今なら目指す、というのはありますか?
服部:いろんな価値のある非営利団体があると思います。日本だとなかなか馴染(なじ)みがない部分かもしれませんけれども、アメリカでは「差別の対象になっていて貧困になっている」といった「社会的弱者」の存在がはるかに身近で、そういう人たちを助ける支援団体など、すごくパワフルですよね。
たとえば、学校でトラブルが起こったときなどに、学校と掛け合うだけの知識がなくて泣き寝入りしがちな人たちのために、教育委員会との交渉を肩代わりし、うまく教育を受けられるように手厚く無料でサポートしている非営利団体などもありました。そういう非営利団体に、二つの修士号を持っているような辣腕(らつわん)の弁護士さんが相談員として働いていましたね。
わが家の長男には障害があるため、アメリカに行ったときにすんなりとサポートが受けられなくて、一時期、ちょっと困ったんです。そんなとき、そういう支援団体を紹介されてお世話になりました。一生、忘れられないですね。本当に助かりましたし、感動しました。
ダイレクトに人のためになる仕事って本当にあるんだ……と思い知らされました。自分の能力を人のために使い、社会問題を解決できる人がいる。かっこいいと思いました。
──そういう選択をしている人を身近に感じた話を聞くと、私も視野が広がります。
服部:どうしても、日本で就職活動をしていると「この枠の中で、なんとかうまくやらなきゃ」と思ってしまうかもしれません。私は、そういう焦燥感がありました。だけど、全然違うよね、と思います。いろんな働き方があるし、いろんな世界があるし、困っている人もいる。そんな中で、自分は何ができるか? そう思うと、可能性は無限大だな、って思います。そういうことを早い時期に知れたほうが、自分は楽になるんじゃないかな、と思いました。私も、海外の非営利団体でずっとキャリアを築いていくことにはならなかったけれども、知り得たことは自分の力になったと思います。
──本日はありがとうございました。
服部さんのお話を伺いながら、私がいま一番関心があるのは、「いかに、自分たちの力で、生きていけるか?」だと思った。そのためには、知らないうちに他人まかせにしている自分の行動に自覚的になることが必要だと思った。顕著な例が、ごみ出しだ。ごみは、指定の袋と曜日で出せば、他者に持っていってもらうことが当たり前になっている。私は、無自覚に、誰かに依存していて、自立からほど遠い。私は「自立する方法」を模索したいのだと思った。
服部さんへの取材後、まずは、段ボールコンポストを自作して、自宅で堆肥づくりを始めた。家庭で出る生ごみを土へと変化させることができる。この原稿を書いている今は、コンポストを始めて3週間になり、微生物の力で、土がどんどんと変化していくのが、本当に面白い。
原稿には入れられなかったが、取材中に、パートナーである麻子さんも紹介してくださり、ご家族で営んでいる暮らしの豊かさを垣間見た。麻子さんからは「畑をやっていれば、タネを送りますよ!」と声をかけてもらった。近い将来、私は自分の畑を持ちたい。
組織も、個人も、サステイナブルかどうかを問われる時代。服部さんの生き方とキャリアに、私は大きな刺激をいただいた。インタビューを読んでくださったあなたには、まずは『サステイナブルに暮らしたい』(著者:服部雄一郎・服部麻子)をオススメする。
服部 雄一郎(はっとり ゆういちろう):1976年生まれ。東京大学 総合文化研究科修士課程修了(翻訳論)。葉山町役場のごみ担当職員としてゼロ・ウェイスト政策に携わり、UCバークレー公共政策大学院に留学。廃棄物NGOのスタッフとして南インドに滞在する。2014年高知に移住。自身の暮らしにもゼロ・ウェイストを取り入れ、著書に『サステイナブルに暮らしたい―地球とつながる自由な生き方―』(アノニマ・スタジオ、2021年)。訳書に『ゼロ・ウェイスト・ホーム ―ごみを出さないシンプルな暮らし―』(アノニマ・スタジオ、2016年)、『プラスチック・フリー生活―今すぐできる小さな革命―』(NHK出版、2019年)、『ギフトエコノミー ―買わない暮らしのつくり方―』(青土社、2021年)、絵本『エイドリアンはぜったいウソをついている』(岩波書店、2021年)など。
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