「たとえ会社を辞めることになっても、ヒマラヤに登る。それだけは決めていたんです」
この信念を貫き、新卒3年目で三菱商事を辞めた男がいる。KAIGO FIRST代表取締役の萩原鼓十郎さんだ。
2017年、標高6,426メートルを誇り、ヒマラヤ山脈の中でまだ誰も山頂にたどり着いていなかったラジョダダの世界初登頂に成功。あくなき挑戦心で幾重の困難を乗り越えてきたはずの萩原さんだったが、帰国後に就職したベンチャー企業は8カ月で退職。「商社に勤めていたが、商売の原理原則が身に付いていなかった」と振り返る。
現在は起業し、学生向けにYouTubeで動画配信もしている。3年目で辞めた後のキャリアは商社とは無関係に思えるが、それでも三菱商事にとても感謝しているという。商社時代の経験が今、どのように生きているのか。そして、辞めた今だから分かる、商社を目指す学生に伝えたいこととは──。彼の挑戦と後悔に迫った。
萩原 鼓十郎(はぎはら こじゅうろう):KAIGO FIRST株式会社代表取締役。
早稲田大学卒業。在学中は山岳部に所属。卒業後、2015年4月に三菱商事株式会社に新卒入社。コーポレート部門であるIT企画部(情報システム部門)にて社内ITインフラ業務に従事。2017年8月に同社を退職後、ネパールにある未踏峰ラジョダダ(6,426メートル)の世界初登頂に成功。2019年2月KAIGO FIRST株式会社を共同創業。YouTube動画やホワイトボードアニメーションを活用した企業PR動画の制作を中心とした映像制作会社を運営中。
Twitter:@KJR_HAGI
ヒマラヤの未踏の山に登るには、三菱商事を辞めるしかなかった
──今日はよろしくお願いします。まずは商社時代を含めた簡単なキャリアと今のお仕事について教えてください。
萩原:学生時代の同級生と2019年に起業した「KAIGO FIRST」で代表取締役をしています。YouTubeのマーケティングを中心とするサービスを提供しておりまして、動画の普及に合わせ、今後大きくニーズが伸びると考えています。また、僕自身もYouTubeチャンネル「トップ就活チャンネル」で動画を上げているんですよ。
──拝見しましたが、最近は毎日のようにインタビューの動画が上がってますよね。萩原さん自身は三菱商事の卒業生と聞きました。
萩原:はい。私は2015年に新卒で三菱商事に新卒入社し、山に登るために2年後に会社を辞め、その後、ハードウエアを扱うベンチャーに転職しています。
──え、山に登るために辞めたんですか!?
萩原:ええ。もちろん、それだけではないですけど(笑)。もともと僕は、大学時代に山岳部に入っていて、三菱商事に興味を持ったのも、憧れていた部の先輩が入社したのがきっかけなんですよ。
3年目の時に後輩から「ヒマラヤの未踏の山に登らないか?」と誘われ、上司とともに長期休暇を人事部に相談したところ、最終的には「会社を辞めるしかない」となってしまって。
──山を登るのに、会社を辞めないといけないんですか?
萩原:未知の山を登るというのは、それだけリスクが高いということなんですよね。何か事故が起きても、会社として責任が取れるわけではない。残念なことではありましたが、組織的に判断しかねるというのも分かります。ですが、僕は絶対にヒマラヤに行くと決めていたので辞めることにしました。
ラジョダダ初登頂時の写真(出典:稲門山岳会)。
スタートアップへの憧れ 「大企業の看板で仕事をしている自分が恥ずかしい」
──そうだったんですね……。三菱商事では、どのようなお仕事をされていたのですか。
萩原:僕が配属されたのはIT企画部、いわゆる社内の情報システムを扱う部門でした。基本的にはITインフラを扱う業務に携わっていましたが、新しい発想を期待され、課の若手全員が先端技術の調査も行うことになりました。2016年ころは、ちょうど人工知能(AI)などの技術が盛り上がり始めており、関連するイベントに足を運んだり、若いベンチャーの経営者などと会ったりして、技術導入の相談などをしていたんです。
採用にまつわるところで言えば、文字認識機能を使って自動でESを判定してくれるAIとか。そういったサービスを、IT部門の予算で検証してみるのが僕の仕事でした。
──もともと、IT系の仕事に興味があったんですか?
萩原:いえ。配属の第一希望で出したのは「生活産業グループ」です。ローソンさんとの事業など、分かりやすくて面白そうだったからですね。ITグループは第二希望で出していました。山岳部もそうなのですが、人があまり配属されないような部署に入る方が、尖(とが)ったポジションになれて、キャリアも尖っていくのではないかと思いまして。
──その時点で多くの人とは、違う道を歩むことになったと思いますが、どういうメリットがあるのでしょう。
萩原:さまざまなスタートアップを創業している方たちに会えて、刺激をもらえたのは大きいですね。その姿がかっこよく見えたのも、商社を辞めようと考えた一因です。「僕も商社の枠を超えて新しく何かを始めよう」と思ったんですよ。
彼らからは強い覚悟というか、人生をかけている感じが伝わってきました。自社のサービスが三菱商事に導入された大きな実績になる。僕みたいな平社員に決裁権はないと分かりつつも、何回も提案に来てくれました。やれることは何でもやるという姿勢はすごいと思いましたし、逆に自分が、大企業の名前で仕事をしているように感じられて、恥ずかしくなってしまいました。
──商社も含め、会社員として仕事に人生を賭ける方もいるかと思いますが、そういう方たちとスタートアップの方々とは、違うということですか?
萩原:スタートアップの人たちは、事業のリスクもリターンも自分に強く紐づいているように見えます。リターンも大きいですが、会社がつぶれてしまうリスクもある。そうなると、例えば新しく社員を雇うときの重みなどは全く違いますよね。商社の場合は、出向先で人間関係がうまく行かなくても本社には戻れます。一方、スタートアップであればそうはいきませんから。
8カ月で退職──商社出身でもスタートアップで通用しなかった理由
──萩原さんは、その後スタートアップに転職したんですよね。
萩原:はい。先輩たちが紹介してくれた、技術開発をしているハードウエアのスタートアップに3番目の社員として転職しました。JAXAが絡むような大きなプロジェクトに参画できるよう、技術を売り込みコンペで勝つ、という大きなミッションを任されたのですが、あまり活躍できず、8カ月で辞めることにしたんです。
──それは社運がかかった相当な重責ですね……。
萩原:憧れだけでできる仕事内容ではなかったです。その時に、自分自身の課題を振り返ったのですが、そもそも、商社に勤めていても、いわゆる商売の原理原則を実体験として理解していなかったことが、セカンドキャリアで苦労した一番の原因だと考えています。
──商売の原理原則、ですか?
萩原:いわゆる、物を安く仕入れて高く売るということです。僕の両親が公務員だったり、部活ばっかりでインターンの経験もなかったりと、民間企業で働いている人のイメージが湧かないまま、商社に就職してしまった。しかも、配属された部署もモノを売る側ではなく、発注する側。本当に今まで一度も、「1円を稼ぎにいく」というビジネスの流れを見てこなかったんです。
その後、友人を誘って起業しましたが、いろいろな苦労をしました。長く商社勤務をしていきたいのならばまだしも、いつか大企業の看板を持って独立しよう、起業しようと考えている学生には、「独立に役立つスキルが1から身につく仕事じゃないことが多い」と伝えてあげたいです。少なくとも、「営業サイドの中でも1円を稼ぎに行く仕事」に行くことをおすすめしますね。
商社に入りたいなら、小さくても「自ら売り上げを作る経験」を
──今振り返ってみて、商社で働き続ける人と、辞めて飛び出す人との違いはどこにあると思いますか?
萩原:僕の総合職の同期は160人から170人くらいいますが、そのうち10人から15人くらいはやめましたね。
これは個人的な仮説を持っているのですが、「働く上での筋肉のつき方」の違いなのかなと。商社のように、際立って大きな組織の中では、立て付けを守りつつも自分がやりたいことを通していく力が大事です。一方、小さな組織では「何もない場所から、新しく何かを作っていく力」が必要とされます。どちらがいいか悪いかではなく、向き不向きの問題ではないでしょうか。
──それでは、辞める人たちに共通していることってあるのでしょうか。
萩原:辞めた人に限りませんが、商社に入る人は「どうにかする力」がありますね。それは商社に入ってから身につくのか、それとももともと身についているから商社に入れるのかは分からないのですが、周りを見ても、特に若くして辞める方は、基本的に商社時代に担当していた分野とは別の領域に挑戦している印象です。
──もしも、会社が登山の休暇を許可してくれていたとしたら、今でも商社で働いていると思いますか?
萩原:どうでしょうね。ただ、商売の原理原則が分かった今、もう一度入れたら、商社の仕事をもっと楽しめるんじゃないかという気持ちが強いです。当時に比べて、仕事の見え方がだいぶ変わると思います。
逆にそこを理解していないと、商社で活躍するのはなかなか難しいのではないかと思っています。あと「海外で生活して働いてみたい」という気持ちは大きかったので、それは経験してみたかったですね。
──新卒で商社を志望する学生は多いですが、ビジネスの感覚を持って新卒入社する方はあまり多くないと思いますが。
萩原:そうですね。営業配属だったら、1から学べるのでいいと思うのですが、そうじゃないと僕のように苦労すると思います。学生時代に長期インターンに入り、現場で学ぶことやインターンじゃなくても、今はフリマアプリなど気軽に物の売買ができる時代なので、どんなに小さくてもいいから自ら売り上げを作る経験をするだけでも、商売の基礎を理解できるのではと思います。
「総合商社はさまざまなことをやっているから、やりたいことがなくても大丈夫」という短絡的な考えでファーストキャリアに選ぶのは、非常にもったいないです。
「新しいことはできないと思った方がいい」 商社志望の就活生への警鐘
──実際、自分のやりたいことが明確なのであれば、商社に行かずとも自分で会社を立ち上げたらいいのではないかという意見もありそうです。
萩原:確かにそうではありますが、僕は商社のような大きな組織であっても、上司は若手のことを案外見ていてくれると思います。人事に限らず、身近に接する上司となる部長や課長もそうです。
最初から商社でやりたいことへのビジョンを明確に持ち、言い続けていれば、チャンスは広がるのではないかなと思います。僕の場合は入社当時から、山に登りたいと話していたので、部署の上司は理解してくれていました。実際に「ヒマラヤの未踏の山に登りたい」と相談した時も、上司は否定せず、最終的な決定権を持つ人事部にどう話を持っていくか一緒に考えてくれました。
──ご自身の経験を踏まえ、商社を志望している就活生にアドバイスするとしたら、どういうものがありますか?
萩原:最初の配属時にコーポレート部門か営業部門かはっきりと分かれるのは、キャリア形成の観点からも大きな分岐点となります。これは商社の大きな特徴で「配属ガチャ」とも呼ばれていますが、入社人数も多いので、適正を考えた上での配属リスクは一定、仕方ないことだと思います。
──最初にコーポレート部門に行ったら、もう営業部門には行けないのですか?
萩原:まれなケースですね。数%の事例をあたかも多くの社員がやっているかのように見せている感じはミスリードだと感じます。だから、商社を目指す方がいるのであれば、入社後のイメージとして、2つの職種の根本的な違いを分かっておいたほうがいいですね。
──他に気をつけるべきポイントはありますか?
萩原:基本的に、新しいことはできないと思って入った方がいいと思います。昔からある業務を淡々とこなしていく仕事を求められることも多いですし。
──新しいことができない理由は、レガシーな事業が占める割合が大きく、新規事業が重要視されにくい、というイメージでしょうか。
萩原:そうですね。新規事業は芽が出るまでが大変です。「めちゃめちゃ頑張ってようやく利益が1億円出ました」となる一方で、既存事業に同じリソースを注げば、1億円以上の利益がポンと出てくることもある。商社に限らず、既存事業がうまくいっている企業の場合、新規事業は構造的に生まれにくいと思います。
商社に限らず、大企業の新規事業には「何年以内にいくらの利益を出してください」といったルールが設けられるのが一般的で、そう簡単にできるものではないと思います。
また、新しい産業は商社が取り扱う既存産業をつぶすことにつながる可能性があります。自動車業界で例えると、ライドシェアリングの流行に乗ってライドシェアアプリの会社に出資しようとしても、「メーカーさんの車を売らせてもらっている中で、ライドシェア事業は利益相反になり得るのでは」と言われてしまう可能性もあります。
──なるほど。巨大企業ならではの悩みとも言えそうですね。
萩原:それでも、決算を見ると商社は莫大(ばくだい)な利益を出している。給与が高い理由もそこにあります。どのような社員が入社しても、きちんと数千億もの利益が出るというのは凄まじいこと。利益を出し続ける仕組みが整っているのが、商社の魅力なのです。辞めた今でも、三菱商事にとても感謝しています。
──具体的には、どういった部分に感謝しているんですか?
萩原:まずは、さまざまな業界の話を聞く機会がある、という貴重な経験をさせてもらえたことですね。
同期が基本的に全員丸の内で働いていて、彼らが世界中の全ての業界に関わって働いているのは面白いです。「この業界って今どんな状況になっているの?」と彼らにいつでも聞けるのは、いい仕組みだと思います。もう1つは、働く上での視座が高くなったことでしょうか。三菱商事には「三綱領(※)」という社是があるのですが、それを知った上で価値観が醸成されたのはありがたかったです。
(※)……事業を通じて豊かな社会の実現に努力する「所期奉公」、公明正大で品格のある行動を意識し、活動の透明性を堅持する「処事光明」、全世界に立脚した事業展開を図る「立業貿易」の3つからなる三菱商事の企業理念。
商社パーソンの新たな生き方を提示したい、僕が動画配信を始めた理由
──ワンキャリアユーザーによる就活人気ランキングでは、商社に行くことが「花」とされていた時代から、最近はコンサル人気が上回ってきています。
萩原:今は個の力が強くなるトレンドがあるので、独立することを視野に入れた上で、役に立つファーストキャリアを選ぶ方が多いのではないでしょうか。商社は、基本的に昔からあるレガシーな産業を担当する方が多いので、独立するならやっぱり、新しい業界で挑戦してみたいのでは。そのブリッジングがなかなか難しいと思いますね。
──独立後、YouTube配信を始めた理由は何だったのでしょうか?
萩原:一緒にやっている長内とは、2人ともそれぞれ商社で働いていた時からの友人でした。当時、自分の山登りを正当化するためにも「商社パーソンの新たな生き方を提示したい」と考えており、彼のように商社にいながらも社外で面白いことをやっている人を集めたんです。
会社の枠に囚われることなく活動することが認められる社会を──と訴えるコミュニティを作る活動をしようと思っていたんです。紆余(うよ)曲折ありましたが、最終的に長内も僕も関心が高かったYouTubeを使って、商社勤務経験を就活生のために生かすチャンネルを始めたんです。
その後、その活動に共感してくれる元商社の人がだんだんと増えて、結果的に当時やりたかった、商社の枠に囚われない、面白いことをやっている人が集まるコミュニティになりました。
──トップ就活チャンネルは、これからどうしていこうと考えていますか。
萩原:トップ就活チャンネルは「人生の選択肢をお届けする」をコンセプトにお届けしています。
現状は元新卒人気企業勤務の方にインタビューを行い、「入社、退社、転職」などのキャリアイベントのきっかけや当時の考えを聞いています。会社を辞めて外に出た人以上に、社内に残っている人にも思いや考えはあるので、今後は会社の中の人にも発信していただける媒体にしていきたいです。
また、学生の皆さんには、商社に入ったからといって、必ずしも未来は明るいわけではないことを伝えたいですね。商社に入ることがゴールではなく、その先を見据えていくこと。覚悟を決めて、商社で本当にやりたいことを考えてから、志望するのがいいと思います。
特集「転職時代になぜ商社」も同時連載中
本特集「商社を喰うか、喰われるか」では、総合商社を離れた立場から、商社にまつわる「ぶっちゃけ話」やキャリア観を聞いています。しかし、これはあくまで総合商社を見る1つの視点に過ぎません。
ワンキャリア2020年の「商社特集」は、2つの側面で記事を展開しています。もう一方の特集「転職時代になぜ商社」では、総合商社社員の「商社で働き続ける理由」に迫っています。こちらの特集もぜひご覧ください。
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