※本記事は、noteに掲載した記事を転載・一部加筆したものです
(転載元note:「『ご自愛する』という戦い方」)
こんにちは、ワンキャリ編集部です。
就活解禁となり、本格的に就活対策を始める時期になりました。
寝る間を惜しんでエントリーシートを書き、時間を見つけては筆記試験の対策をする。息抜きだったカフェの時間に面接を入れる。日々は目まぐるしく過ぎていき、休もうかなと思っているうちに明日が来てしまう。
もちろん、目の前のことに全力で向き合うことは未来の自分を作るためには重要です。でも、「今」の自分を大切にする力も身につけてほしい。そんな気持ちを込めて、ワンキャリ編集部からみなさんにこの記事をお送りします。
「ご自愛する」という戦い方
私はハードワークが好きな若者だった。
ライター紹介:つっきー
愉快なアラサ〜会社員。新卒でITメガベンチャーに入社後、編集っぽいことやテレビっぽいことをやったのちに転職したり副業でコラムを書いたりして暮らしています。オタクです。みなさんご自愛ください。
Twitter:https://twitter.com/olunnun
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大卒で「忙しい」「激務」といわれる業界に入って4年、「生活」らしい生活をないがしろにして最近まで過ごしてきた。
深夜まで働いてタクシーで帰るとき、車窓から見える誰もいない街は嫌いじゃなかったし、仕事仲間と夜更けに飲むビールはおいしかった。
社会に自分のやるべきことがあり、ちゃんと必要とされていて、そこに身を投じる毎日は刺激的だ。文句も愚痴ももちろんあるけれど、それすら上がり下がりの激しい毎日を演出する要素の一部のように感じていた。
生活や自分の心身を多少ないがしろにしていたとしても、仕事を通して得られる劇物のような快感や充実感には取って変えられないし、なんならちょっとぐらい忙殺されているほうが社会人として格好がつくとさえ思っていた。
しかしその日は唐突にやってきた。去年の夏のことだ。
朝起きると、背中が痛い。
ちょうど肺のうしろ側の背中が痛いので呼吸もできない。
さらに、なんか手足がかゆい。見ると両手両足の甲に謎の発疹ができている。きもい。
突然の背中の痛みと発疹なんて何科にかかればいいのか見当もつかなかったが、冷静になってみて浮かんだのは「過労」の二文字だった。
「渋谷 心療内科」で検索して上位に出てきた病院へなんとかたどり着き、診察を受けた。
診察内容は早い話が「働きすぎ」で、自律神経やら諸々が乱れて体が先に悲鳴を上げていたということだった。「あなたはしばらく会社を休まなければならないですね」と医者は言った。
「自分は戦線離脱しなければいけないのか……」という敗北感8割と、「やっと休める……」という安心感2割が湧いてきて、「はあ」とか「へえ」とかアホのような返事をしたのを覚えている。
待合室で会計を待っている間、ほかの患者たちを見ると「普通そう」な人たちばかりで、明らかに「病んでそう」な人は見当たらなかった。「みんな普通に疲れたんだな」と思った。普通の顔をして、普通に頑張って、みんな普通に疲れているのだ。
そんな経緯で私は2カ月、会社を休んだ。
休みの間はご飯を作ったり、『HUNTER×HUNTER』を一気見したり、ふらっと旅に出たり、区民プールへ行ってみたりして過ごした。
『凪のお暇』という漫画があるが、まさにあの期間は人生のお暇だったと思う。
はじめの2日くらいはほとんど寝たきりで、社会から置いていかれるような気持ちに陥り、好きなアニメも漫画も一切内容が入ってこなかった。それは普段の自分からすると信じがたいことで、そのこと自体にもショックを受けた。
ありがたいことに、ご飯に誘ってくれる友達や優しい言葉をかけてくれる人たちのおかげで少しずつ調子を取り戻し、2週間ほどでかなり(なんなら休む前より)元気になり、海外や国内の好きなところへ好きなだけ旅に出る暮らしができるようになった(おかげで貯金は一時激減したが後悔はない)。
そして、周りの人たちの助けと同じくらい、自分を取り戻す上で不可欠だったのが、「自分を大切にする生活」だった。
「食事と睡眠、適度な運動」
健康診断で必ず言われる規則正しい生活の3要素を、かつての私は「定時で帰れる職種の人が守るもので、ハードワーカーである俺には関係のないことだぜ」と思って気にも留めていなかった。ダサい。ダサすぎる。その結果として働けなくなっているお前が一番ダサいのだ。
よく食べ、よく寝て、適度に出歩くお暇生活を始めた私は「自分を大切にすること」の大切さを心で理解した。
ストレス解消のために深夜にネットで買っていた服を、お店でゆっくり試着して買うこと。
仕事を言い訳にして行かなかった美術館の展示へ行くこと。
デスクじゃないところでゆっくりお昼ごはんを食べること。
そんなささいなことを積み重ねるうちに、私はみるみる元気になっていった。
こんなに心身ともに快適な状態になるのは久しぶりで、なんでかつての私はわざわざ不快な状態になる方へ邁進(まいしん)していたのか、ばかばかしく思えるくらいには絶好調だった。
お暇生活が終わってからは結局同じ業界に戻ったのだが、あの2カ月で心の底から理解した「自分を大切にすること=ご自愛すること」の大切さは自分の中で今も根付いており、生活の指針になった。
あれから1年が過ぎ、通院もせず仕事にも支障なく暮らすなかで気付いたことがある。
「ご自愛する」ことは「戦い」であるということだ。
まず、きちんとご自愛する暮らしは気を抜くとすぐにできなくなる。
ハードワークや深夜残業によって得られる自己肯定感は麻薬だ。「頑張ってる感」がお手軽に得られてしまう。
お手軽な「頑張ってる感」に惑わされず、効率的に健康を保ちながら働くのは、闇雲なハードワークより難しい。でも、どうせ戦うならこっちの技能を身につけたほうが良いに決まっている。社会人人生は思っているより長いのだ。
そして、仕事を効率よく切り上げ、家を清潔に保ち、栄養ある食事をとり、最低限の睡眠をとる暮らしを守るには強い心が必要だ。怠惰に負けない心、行かなくていい飲み会を断る心、メイクだけは落として寝る心。
「ご自愛する暮らし」はゆるふわスローライフではなく、強い精神力とマネジメント力を要する戦いである。
ビジネスマンの戦いは『キングダム』みたいなサクセスストーリーや『半沢直樹』みたいな根回しバトルだけに限らないのだ。
しかし、ご自愛の大切さを身をもって経験した私でさえ、しばしば調子を崩しそうになる。
絶対に破れない締め切りや、寝る間を惜しんでもこだわってやりたい仕事はどうしてもある。一生懸命働いているのだから。
だけど、それは自分をないがしろにしていい言い訳にはならない。それを言っちゃダサい。
一流のアスリートがそうするように、「普段から心身のメンテナンスをして、試合の後にはちゃんと休む」のがビジネスマンにとっても当然のタスクなのである。
「ご自愛する」戦い方がもっとうまくなったら、働くことはもっと楽しくなるのではないか。そんな気持ちで、ご自愛したらTwitterで #今日のご自愛 をつけて投稿していくことにした。
ご自愛の定義は、心身が健やかになる行為全般としているので、規則正しい生活のほかにも、気持ちがハッピーになるお買い物や、その他自尊心が守られる行動も含まれる。
飽き性なのでいつまで続くかどうかはわからないが、たまに見てくれたらうれしいし、一緒にご自愛活動してくれたらさらにうれしい。
そんなわけで、みなさんくれぐれもご自愛くださいませ。
※こちらは2020年1月に公開された記事の再掲です。
(Photo:Gumpanat/Shutterstock.com)