「どうして、人間の創造性は、奪われてしまうのだろうか」
ー 天才と呼ばれる人がいる
天才は、この世界を良くも悪くも、前進させることが多い。だが、彼らは変革の途中で、殺されることも多い。それは物理的な意味も、精神的な意味も含めてだ。
以前から、そのメカニズムを解き明かしたいと思っていた。そしてようやくわかった。
天才は、凡人によって殺されることがある。そして、その理由の99.9%は「コミュニケーションの断絶」によるものであり、これは「大企業がイノベーションを起こせない理由」と同じ構造である。
どういうことか?
「天才と秀才と凡人」の関係を、図で書くとこうなる
まず、天才と秀才と普通の人(=凡人と定義)の関係を整理するとこうなる。
まず、天才は、秀才に対して「興味がない」。一方で、凡人に対しては意外にも「理解してほしい」と思っている。
なぜなら、天才の役割とは、世界を前進させることであり、それは「凡人」の協力なしには成り立たないからだ。加えて「商業的な成功」のほとんどは、大多数を占める凡人が握っていることも多い。さらにいうと、幼少期から天才は凡人によって虐げられ、苛められてきたケースも多く「理解されたい」という気持ちが根強く存在するからだ。
だが、反対に、凡人→天才への気持ちは、冷たいものだ。
凡人は、成果を出す前の天才を認知できないため、「できるだけ、排斥しよう」とする傾向にある。この「天才→←凡人」の間にある、コミュニケーションの断絶こそが、天才を殺す要因である。
コミュニケーションの断絶は「軸と評価」の2つの軸で、起こりえる
そもそも、コミュニケーションの断絶は「軸と評価」の2つで起こり得る。
・軸……その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的
・評価……軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的
例えば、あなたがサッカーを好きだとする。友人はサッカーが嫌いだとしよう。
二人は喧嘩した。この時のコミュニケーションの断絶は「評価」によるものだ。具体的には相手の考えに対して「共感できるかどうか」で決まる。「鹿島アントラーズが好きだ」という評価に、共感できれば、Goodであり、共感できないとBadである。
だが、この「評価」は、変わることがある。
例えば、あなたと友人は夜通し語りあい、あなたは「鹿島アントラーズ」の魅力をパワーポイントを使って説明したとしよう。友人は、その話聞いてとても共感したようだ。この時、Good or Badという「評価」が変わったわけだ。
このように「Good or Badという評価」は相対的である一方で、「共感できるかどうかで、決めること」は絶対的なものだ。「評価」は対話によって、変わることがあるが、「軸」は変わることがない。したがって、「軸が異なること」による、コミュニケーションの断絶は、とてつもなく「平行線に近いもの」になる。
そして、天才と秀才と凡人は、この「軸」が根本的に違う。
天才は「創造性」という軸で、ものごとを評価する。対して、秀才は「再現性(≒ロジック)」、凡人は「共感性」で評価する。
より具体的にいうと、天才は「世界を良くするという意味で、創造的か」で評価をとる。一方で、凡人は「その人や考えが、共感できるか」で評価をとる。
したがって、天才と凡人は「軸」が根本的に異なる。
本来であればこの「軸」に優劣はない。だが、問題は「人数の差」である。人間の数は、凡人>>>>>>>天才である、数百万倍近い差がある。したがって、凡人がその気になれば、天才を殺すことは極めて簡単なのである。
歴史上の人物で、最もわやすい例は、イエスキリストだろうし、もっと卑近な例でいうと、かつてのホリエモンが分かりやすい。
大企業でイノベーションが起きないのは、3つの「軸」を1つのKPIで測るからである
そして、最近、これは「大企業で、イノベーションが起きないメカニズム」と全く同じだと気付いた。つまり、大企業でイノベーションが起きない理由も「3つの軸を1つのKPIで測るから」なのだ。
かつて、自分が大企業で働いていたとき、経理財務として「社内のイノベーションコンテスト」に関わっていたことがある。その時に、強烈な違和感を感じた理由が、今スタートアップに来てわかった。
革新的な事業というのは、既存のKPIでは「絶対に測れないもの」なのだ。
全ての偉大なビジネスは「作って→拡大され→金を生み出す」というプロセスに乗っとっているが、それぞれに適したKPI(Key performance indicator)は異なる。そのうち、「拡大」と「金を生む」のフェーズのKPIは、分かりやすい。
拡大は「事業KPI」で見れるし、金を生むフェーズは「財務上のKPI」ではかることができる。経営学の発展によって、プロセスが十分に科学されてきた功績だ。(詳細は上の表をご覧いただきたい)
問題は「創造性」である。
言い換えれば「天才か、どうか」を、指標で測る方法がないことである。
創造性は、直接観測できないが、凡人からの「反発の量」で間接的に測ることができる
結論をいうと「創造性」は、直接観測することはできない。そもそも、創造的なものとは、既存の枠組みに当てはまらないため、フレームが存在しないからだ。
しかし、ある方法を使えば、“間接的”には観測することができる。それが「反発の量」である。
これはAirbnbの例が分かりやすい。AirbnbやUberは、リリースされた時、社会から「強烈な反発」を受けた。あるいは、優れた芸術には、ある種の「恐さ」が必要と言われる。つまり、凡人の感情を観測すれば、「創造性」が間接的に観測可能なのである。
これをビジネス文脈でいうと、こうだ。
本来、企業は、破壊的なイノベーションを起こすには「反発の量(と深さ)」をKPIに置くべきであるが、これは普通できない。なぜなら、大企業は「多くの凡人(=普通の人)によって支えられているビジネス」だからだ。反発の量をKPIに起き、加速させることは、自分の会社を潰すリスクになる。これが、破壊的イノベーションの理論(クレイトンクリステンセン)を人間力学から解説した構造になる。
では、どうすればいいのか? どう天才を守ればいいのか?
というのも、本来は、3者は協働できるケースも多い。コミュニケーションの「軸」は異なっても、「実は言っていることは同じ」であることはマジで多い。となると「コミュニケーションの断絶による、天才の死」は不幸でしかない。
世界の崩壊を防ぐ、「3人のアンバサダー」
コミュニケーションの断絶を防ぐ際に、活躍する人間がいる。
まず、「エリートスーパーマン」と呼ばれる人種は、「高い創造性と、論理性」を兼ね備えている。だが、共感性は1ミリもない。分かりやすいアナロジーでいうと、投資銀行にいるような人だ。
次に「最強の実行者」と呼ばれる人は、何をやってもうまくいく、「めちゃくちゃ要領の良い」人物だ。彼らは、ロジックをただ単に押し付けるだけではなく、人の気持ちも理解できる。結果的に、一番多くの人の気持ちを動かせ、会社ではエースと呼ばれている。(そして、一番モテる)
最後に「病める天才」は、一発屋のクリエイターが分かりやすい。高いクリエイティビティを持ちつつも、共感性も持っているため、凡人の気持ちもわかる。優しさもある。よって、爆発的なヒットを生み出せる。ただし、「再現性」がないため、ムラが激しい。結果的に、自殺したり、病むことが多い。
まず、世界が崩壊していないのは、この「3人のアンバサダー」によるところが多い。
天才を救う「共感の神」:大企業に必要な「若い才能と、根回しおじさん」理論
先日、とある「超大企業」の方と議論したとき面白い気づきがあった。
それは、大企業がイノベーションを起こすために必要なのは「若くて才能のある人と、根回しおじさんだ」という話だった。これを「天才と、根回しおじさん理論」と呼びたい。
言わずもがなだが、大企業のほとんどは「根回し」が極めて重要だ。新しいことをやるには、様々な部署に根回ししないといけない。だが、天才は「創造性」はあるが、「再現性」や「共感性」は低いため、普通の人々を説得できない。骨が折れる。だから、天才がそれを実現するために必要なのは「若くて才能のある人物を、裏側でサポートする人物」なのだ。つまり「根回しおじさん」と呼ばれる人物である。
僕は、これと全く同じことを考えていた。というのも、凡人と呼ばれる人の中には、「あまりに共感性が高くて、誰が天才かを見極める人」がいるのだ。それを「共感の神」と呼んでいる。
共感の神は、人間関係の機敏な動きに気がつく。結果的に、人間の関係図から「誰が天才で、誰が秀才か」を見極め、天才の考えを理解することができる。イメージでいうと、太宰治の心中に巻き込まれた女、が分かりやすい。
多くの天才は、理解されないがゆえに死を選ぶ。だが、この「共感の神」によって理解され、支えられ、なんとか世の中に居続けることができる。共感の神は、人間関係の天才であるため、天才をサポートすることができる。
これが、人間力学からみた「世界が進化していくメカニズム」なのだ。
天才は、共感の神によって支えられ、創作活動ができる。そして、天才が産み出したものは、エリートスーパーマンと秀才によって「再現性」をもたらされ、最強の実行者を通じて、人々に「共感」されていく。こうやって世界は進んでいく。これが人間力学からみた「世界が進化するメカニズム」だ。
なぜ、こんな記事を書いたのか?
少し前、ある上場企業の役員と話したとき、こう聞かれた。
「北野さんって、そもそも、人材領域にどれぐらい思い入れがあるんですか?」
人材領域への思い入れについて言うと、正直、僕は、普通の学生さんへの就活支援には、あんまり強い思い入れはない。なぜなら、僕らがサポートしなくても、他の素晴らしいサービスがあるし、きっと良い会社に巡り合えるからだ。
だが、マイノリティへの支援には強い思い入れがある。この世界、特にこの国は、天才と呼ばれるような「他の人と少し違う子」は圧倒的に生きにくい。そして僕がもしも、彼らの才能を正確に理解し、背中を押してあげることができるとしたら、それにはめちゃくちゃ強い思い入れがある。自分もどちらかというと「日本社会の不適合者」だからだ。
だが、これまでは、その天才をサポートするための「理論」や「セオリー」が分かっていなかった。今回、この記事を書くことで、自分のそれが整理され、結果的に、たった1人でも「天才」が救われたとしたら、これ以上に意味のあることはあるだろうか?
企業に対しても同じ気持ちだ。僕がワンキャリアを通じて人材マーケットで一番やりたいことの1つは「成長産業へ、優秀な人を紹介すること」だ。日本には「優良だが、知名度のないスタートアップ」がたくさんある。彼らを支援することは、世の中のためになると確信している。この記事、あるいは著書『転職の思考法』を読んだ人が、一人でも成長産業へ働く場所を移してくれれば、こんな嬉しいことはない。
※この記事は北野唯我の個人ブログ「週報」2018年2月23日の「凡人が、天才を殺すことがある理由。―どう社会から「天才」を守るか?」を一部加筆修正し、ダイヤモンド・オンラインに同タイトルで掲載した記事の転載です。
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