こんにちは、ワンキャリ編集部です。
まもなく商社の冬インターンの季節が到来します。総合商社でのインターンシップは、商社への就職を検討している場合、参加するメリットが大きくなります。
商社ビジネスの理解が深まるのはもちろん、インターンで優秀と判断された場合、早期に内々定が確約されることもあるためです。実際に18年卒の伊藤忠商事では、インターンの優秀者に対し、早い人で3月には内々定を与える措置を取っていたそうです(選考対策ページより)。
まだ就職を検討していない場合でも、その後の選考に有利になることもあるため、受けて損のないものといえるでしょう。今回は、総合商社のインターン選考を受ける方向けに、「共通して聞かれる設問」の対策方法や、実際のES通過例をお伝えします。
その他の年度のインターン質問回答例はこちらをご覧ください。
【エントリーシート(ES)突破例】
2018年卒版/2019年卒版/2020年卒版
※本記事は選考対策ページおよびユーザーから投稿いただいた選考体験談の情報を基に作成しています。今年度も同様の質問が課されることを保証するものではありませんのでご注意ください。
共通して聞かれる3つの設問「成長を実感したこと」「主体的に行動した経験」「インターンの志望動機」
各社のESで尋ねられる内容を見比べると、以下の共通項を持っていることがわかります。
1. 成長を実感したエピソード
2. 主体的に行動した経験
3. 自分がどのような人間だと思うか(インターンの志望動機)
1. 成長を実感したエピソード
幅広い人や企業と関わっていく総合商社では、周囲に良い影響を与えながら成長していく人材が望まれています。成長の過程、苦労したこと、そこから得たものなど、具体的なエピソードをもとに回答していきましょう。
2. 主体的に行動・挑戦した経験
商社のインターン選考で求められる資質は「リーダーシップ」です。意見をとりまとめて合理的に決断できる人材、周囲の人を巻き込んで行動できる人材など、主体的に動けるという点が評価対象となります。自分が思うリーダー像は何か、どのようなリーダーシップを持っているかなどの体験談や意見を盛り込むようにしましょう。
3. 自分がどのような人間だと思うか(インターンの志望動機)
志望動機は、ESではもちろん面接でも尋ねられます。総合商社で働いてみたい理由・熱意を、商社の業務内容に関連付けながら簡潔にまとめておくと良いでしょう。「商社が扱うサービスや商品が、自分の人生にどのように関わっていたか」などのエピソードを織り交ぜると内容に深みを持たせられます。事前の企業研究は怠らないようにしましょう。
それでは、上記3つを踏まえた、ESの対策を解説していきます。
総合商社のESの対策法:秘訣は「簡潔に自分を表現する」
インターン選考のESでは、自分自身のエピソードや人間性を、400字~800字程度で答える設問が多くあります。そのため、過去の活動や経験を、冗長にならず具体的に掘り下げることが重要です。
自分のエピソードの事実関係や、その時考えていたこと、乗り越えた際の感情・考え方の変化など、さまざまな視点から自分の経験を事前に深掘りしておきましょう。では、以下で実際に各社ごとに通過したESを見ていきましょう。
【保存版】三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅、双日、豊田通商のES突破例 怒涛の38選!
それでは、実際に18卒のインターン選考を突破したESを紹介していきます。文章の簡潔さ、組み立て方だけでなく、各回答でどのようなアピールをしているのかもチェックしてみると、ESを書く際の参考にできるでしょう。
三菱商事 冬インターンのES例文
設問1. これまでに最も成長を実感したエピソードについて、何が成長のカギであったかを含めて、教えて下さい。(400字以内)
<回答1>
成長のカギは、「ニーズを追求する姿勢」でした。私は、特技のピアノ演奏を人に届けることが好きで、大学では◯◯部に入部しました。しかし現代では◯◯という音楽ジャンルの認知度は低く、◯◯で行う演奏会の客数は20人程度でした。そこで私は、演奏会の客数増加への挑戦として、複数回の宣伝ストリートライブを企画しました。ライブ中の課題は、足を留めてくれるお客様の数が伸び悩んだことでした。私は、聴き手のニーズを満たせていないと考え、各演奏に対するお客様の反応や感想の記録を、部員達と協力して行いました。その結果、客層と演奏の雰囲気にミスマッチがあると判明したので、バンド編成や演奏構成を客層に応じて適宜変える工夫を試みました。そして、宣伝ライブは次第に盛況となり、本番の演奏会では以前の倍以上の動員数を記録しました。「聴き手のニーズを考え抜く姿勢」が成果に繋がると気付け、成長を実感しました。
<回答2>
私のエピソードは、アルバイトです。私は大学生になったら飲食店で料理を作りたい、そしてお客様の接客もしたいと思っていました。そこで、パンを店舗で作成しているカフェで働くことにしました。しかし、パンは仕事に慣れた人だけが作ることができるということを知りました。私はどうしたらパンを作らせてもらえるのか、一緒に働く人の動きを見て考えました。すると、全体の仕事が分かり、他の人の立場も分かる人が任されると気付きました。そのためには仕事ができると周囲から認められることが必要であると感じ、積極的に仕事を行いました。その結果、店長をはじめ多くの人に認めてもらうことができ、約1年後パンを焼くことを任せてもらえるようになりました。このように自分がやりたいと思ったことで、現状を把握、自分に欠けているものを理解し、時間がかかっても実現する力を養うことができました。成長のカギは長期間に渡る努力です。
<回答3>
私はガソリンスタンドでの営業を通して売上の生産性向上に務めた際に成長を実感した。スタンドでは給油コーナーでお客様に声をかけ、点検をさせてもらい、必要があれば整備をしていただく。しかし、セルフスタンドは「給油だけ」をしにくるお客様が大半であるため大半は断られる。半年前の私は「これをしないとダメです」とお客様の立場ではなく「私自身の都合」でセールストークをしていた。そこで社員に相談し「お客様の都合を考えろ」とヒントを貰った。そこで、お客様の自動車の「乗り方」、「使用頻度」などを聞き出し、ニーズにあった商品の提案をすることに注力した。ロープレでトーク練習を繰り返し、少しずつ獲得数を増やしていった。ニーズに応え、それに沿うように必要な整備を理由付けして提案し、お客様からの信頼を得ることができるようになった。結果的に生産性や時給が上がり、士気が高まった。成長の鍵は「聞き上手」になることだ。
設問2. あなた自身、または身近な存在の経験や行動を踏まえて、ご自身が考える「リーダー像」について説明してください。(400字以下)
<回答1>
理想のリーダー像は、「メンバーの個性や能力を最大限引き出せる人物」だと考えます。私は、◯◯バンドのリーダーとして活動しています。当初は、曲目や演奏の内容、ライブ構成に至るまで、自身で積極的に決めていました。しかし、あるライブ終了後、「メンバーの表情が見えてこない」という一言をお客様から頂きました。私は、メンバー全員がポテンシャルを発揮しきれていなかったのだと考えました。そこで、演奏やライブ内容について、メンバー同士で意見交換する時間を多く取るようにしました。その結果、メンバーからは、「以前よりもやりがいが増した」と言われました。当のお客様からは、「バンドの形が見えてきた」という言葉を頂き、その後何度も足を運んで頂けるようになりました。取り組みを通して、各メンバーがやりがいを持って自分の個性や能力を発揮できる環境が整ったことが、チームとしての演奏力の底上げに繋がったのだと考えます。
<回答2>
私が思うリーダー像とは、リーダーとしてグループを統率する一方で人の立場を思いやる人だと思います。私は昨年度、文化祭実行委員で物品協賛のリーダーとしてグループをまとめました。企業に電話をかけて協賛していただくという活動内容で、取り扱う企業数が多く管理することが難しい業務でした。昨年の経験を基に、進捗管理の仕方を決めました。また、1年間のスケジュールを作成してグループを統率し、文化祭で成功することができました。次にグループの人たちに活動内容が仕事と思われるかもしれないと思いました。しかし、文化祭実行委員の活動は学生活動の一貫であるため給料が発生するわけではない、リーダーとして活動を仕事と思わせてはいけないと考えました。そのために活動内容以外に楽しいと思ってもらえるようなグループにすることを目指しました。私は文化祭実行委員を通してリーダー像について以上のように考えました。
<回答3>
目標を合致させ、広い視野を持つことが理想のリーダー像と考える。◯◯でプロジェクトの委員長を務め意識改革を行った際に、これを意識してチームを牽引した。世界の晴れ舞台で活躍したいと思い、昨年からプロジェクトの委員になった。しかし、参加大学により「意識、積極性の違い」に気づき、企画の方向性が見失われていると考えた。今年度に入り私が委員長になり、意識を変えるチャンスだと考えた。プロジェクト目標の再確認、各委員の意思確認を行った。会議では委員全員から広い意見収集を行えるよう事前に課題を出し、意見収集は全員に行うことにした。また、タイムキーパーを設け会議の効率を上げた。結果的にプロジェクトに対する積極性や生産性が増し、今までにない視野で提案を引き出せ、プロジェクトに拍車がかかった。
三井物産 冬インターンのES例文
設問1. 「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があります。あなたならどんな苦労を買いますか? その理由と共にお答えください。(400字以内)
<回答1>
「挑戦の中でもがき苦しむ苦労」を買いたい。その理由は挑戦によって、新しい自分の姿を見出すことができたからである。私は高校野球部の2年時に腰痛発症とスランプという逆境に同時に直面した。100人近い部員のレギュラーとしての重圧やケガの痛みを我慢しながらのプレーは当時の私には大変辛かった。日々のミーティングではチームメイトからレギュラーの資格があるのか厳しく指摘された。私は今まで、出している結果が自分の価値だと考えてきたが、結果を出せない自分をどうすることもできず、自分を見失いそうだった。しかし小さな努力の積み重ねが結果に繋がってきた経験から、新たにピッチャーとしてもチームに貢献すべく、2つのことを引退までの半年間続けた。部内で1番早く早朝練習に出ることと、昼休みの自主練習だ。今まで不足していたピッチャーの練習に使える時間が増え、2番手ピッチャーの地位も確立することができた。
<回答2>
私は異なる価値観を持つ人々に触れる経験を積むための苦労を買いたいと考えています。私は、自分が中心となって組織を動かし、目標を達成することができた際に大きな喜びを感じる人間であり、将来的により大きな組織を能動的に動かし、その結果として社会に大きな影響を与えたいと考えています。私はこれまで高校の◯◯会におけるリーダーや、大学における50人を超える体育会の副将の経験など、リーダーシップをとる経験については積んできたという自負がありますが、様々な価値観を持った集団に対してもリーダーシップをとれるようになりたいと考えており、日本人とは異なる価値観を持った人々と共に何かを行う経験を積みたいと考えています。これまで他国の同学科との合同プログラムへの参加、△△(海外)でのインターン経験など行ってきましたが、今後はこういった機会をより増やしていきたいと考えています。
<回答3>
困難な状況に直面した際に、もがきながら立ち向かい続け、それを乗り越えるという経験を買いたいと考える。なぜなら困難を克服することで、圧倒的な自己成長を見込むことができるからだ。現に私自身、そのような経験がある。例えば、◯◯大学に留学した際、拙い英語しか話せなかったのに加えスラング等を知らなかったため、ルームメイトとのコミュニケーションがままならず、輪に入れていなかったという苦しい経験がある。その際諦めて逃げてしまうのではなく、語彙力を積極的に増やす、会話の中でボディランゲージを活用する等努力をし続けた。その結果、次第に輪に入れるようになった。この時、困難な状況に立ち向かうことで得られるものは大きいと実感した。若い頃から困難な状況に挑戦心を持って取り組み、それを乗り越えることで多くの経験値を蓄積すると共に自分の知識やスキルを磨くことができ、人一倍自己成長を図ることができると考える。
設問2. 創業100年の老舗和菓子屋が徐々に客足が途絶え売上がじり貧になっていたところ、起死回生し、売上がうなぎのぼりとなりました。再生の過程を順を追って説明してください。(800字以内)
<回答1>
和菓子屋はまず、売り上げがじり貧となっている原因を洗い出した。そこには大きく2つの原因があった。主要顧客層の高齢化と家庭での消費の落ち込みの2つだ。和菓子屋はこれらの原因に対して2つの施策を打った。
1つは空港内、特に両替所前での販売店の設置だ。これは特に外国人観光客の爆発的な購買力を取り込むためだ。訪日外国人観光客数は、2016年には過去最高を記録した2015年をも上回り、初の2000万人を記録した。空港に設置すれば観光地に関わらず、外国人観光客全員をターゲットにできる。また、両替所前に設置をすればお土産を買い損ねた観光客や両替ができない分の小銭を使いたいという心理を利用し、購買につなげることができる。さらに空港限定商品も置くことで、客の購買意欲を掻き立てた。この施策で高い購買力を持つ顧客層への確実なターゲティングが可能となった。
2つ目はオフィスコンビニへの商品の設置だ。菓子類の年間消費量のうち、70%は家庭だが、20%はオフィスである。和菓子屋はその20%に目を付けた。70%を占める家庭での消費は大きなパイを占めるが、競合がとても多い。それに対し、20%を占めるオフィスに関して視察を行った結果、商品のラインナップにはほとんど和菓子がないことを発見した。その要因は和菓子特有の性質である(1)手の取りにくさ (2)食べづらさだった。1へは特に20~30代女性を意識し、洋菓子に比べ脂質が圧倒的に少ないため、ヘルシーなスイーツであることを強く打ちだしたカラフルなパッケージ&個包装とした。2へはオフィスワーカーの仕事シーンをイメージし、品質や味は維持したまま、片手で食べられる、手や机を汚さない商品を置くことで購買意欲を上げた。
オフィス×和菓子という新たな市場を創り出し、圧倒的なシェアを持つことに成功した。現状分析開始から1年半で売り上げはうなぎのぼりとなった。
<回答2>
対象とする老舗和菓子屋は、営業時間が11時から21時、立地が日本橋付近、店内は一般的なカフェ程度の広さ、提供する商品は羊羹を中心とした和菓子であるものとします。20年前には1時間当たり平均15人が羊羹一つ分である平均2000円を消費し、一日当たり30万円程度の売り上げがありましたが、5年前には客数がおよそ半分となり、売上は半分の15万円程度まで落ち込んでいました。この状況に危機感を覚えた店主は5年間で売上を3倍にすることを決意しました。まず始めに、客数が減った原因の特定を目的として、店主は顧客がその和菓子屋で羊羹を買うまでの流れを考えたところ、(1)そのお店について知る、(2)興味を持つ、(3)入店する、(4)購入する、でした。(1)と(2)に関して、常連の顧客を除くとこの店について知るためには店の前を通過するしかありませんでしたが、お店の前を通ってふらっと入店する客は以前から非常に少ない状況でした。また、(3)に関して時間の経過によって常連の顧客の高齢化が進み、来店する面倒を嫌って常連客が減少していました。以上の分析から店主は、取り組むべき課題は、店前を通過する顧客の入店率の向上と常連顧客に対する販売経路の変更の二つだと考えました。前者に関して、店前を通過する人々の属性の調査の結果、平日は高齢者が多く、休日は若者が多いという情報を基に、それぞれの客層の方に興味を持ってもらうために、平日は休憩スペースの設置と試食の提供、休日は和と洋が融合した若者向け新商品の開発し、積極的にアピールすること、小分けにして500円程度から購入が可能にすることを実施しました。また、後者に関して、ネット販売を開始し、常連客の下へチラシを送付し、来店する必要性をなくしました。結果として、後者の策は短期的に、前者の策は緩やかに売上増加に寄与し、最終的に当時から5年後には売上は3倍に増加しました。
<回答3>
当店は創業100年という老舗であるが、近年は和菓子離れが進み、これまでの商品つくりや販売方法では、先細りとなっていくことが予想された。そこで、商品を見直し現在にマッチした商品の開発と、店舗による販売を主とした販売方法を改めるなど、抜本的な経営の見直し変革を実行するものとした。商品開発は、老舗として守ってきた伝統を残しながら、贈答用が主であった性格からカジュアル感覚で食することができるようなコンセプトとした商品を開発することとした。販売方法は、老舗というブランド力を活かし行政の地域振興策に積極的に参画することとし、商品の発信力を向上させることとした。和菓子への支出金額は30代未満が年間4千円であり、70代以上の支出金額の4分の1程度である。若者世代は洋菓子やスナック菓子への支出が多いため、それらのテイストを取り入れた和菓子を開発し、多くの世代から受け入れられる商品を揃えることとした。従来の伝統的な商品とともに、販売の主力となる新しい商品として位置付けた。
販売方法は、地域の歴史とともに歩んできた商品であることを強く打ち出し、行政や商工会議所などとともに地域振興に寄与させることに取り組み、ご当地キャラクターや大河ドラマといった、大衆によく知られ人気のある作品と提携するなど、全国的に発信ができる環境つくりを行った。あわせてインターネットを活用した宣伝活動(ホームページの開設やSNSの活用)や販売ルートの開設(駅ビルでのお土産販売、インターネットショッピングなど)をし、老舗というブランドと地域振興を融合させた戦略をもって、従来の店舗販売を主としたものから大きく変革させた。このような変革へは有能な人材が必要であり、若いパティシエの採用や販売ルート開拓に長けた人材を採用し、また工場設備も増強した。将来は工場施設に隣接させたアンテナショップを開設し商品はもとより地域の発信基地としての役割を担っていく。
伊藤忠商事 冬インターンのES例文
設問1. あなたが使命を果たすべく全力で取り組んだ経験と、そこから学んだことをどの様に生かしているか教えてください。(800字以内)
<回答1>
私が使命を果たすべく全力で取り組んだのは、留学先の大学で経験した日本語教育インターンである。そのプログラムでは、約30人の生徒が受講する日本語講義の内容企画、会話指導を3ヶ月間担当し、「不満のある生徒を生まない講義」を当初からモットーとして掲げていた。なぜなら、講義に関する事前アンケートを行った結果、「もっと楽しく学習したい」、「授業ならではのことを学びたい」という声が多かったからである。そのことから、語学学習における強い動機の重要性を感じ、自分こそが講義を一新しなければならないという使命感に駆られ始めた。そこで、私はこれまで数々の日本語学習者と接してきたことにより培われた「自国文化を伝える力」をこの機会でも生かそうと考えた。具体的には、会話練習の一環として行っていた暗記型のロールプレイを廃止し、グループ討論を増やすことである。さらに、その中で扱うテーマや文法学習の際に用いる文章の中には、「学校生活」、「恋愛観」、「オタク文化」を始めとした様々な日本文化を盛り込んだ。そうすることで生徒の関心と学習意欲が高まると考えたためであり、生徒の興味を引くようなアイデアを発案しては実践するという過程を繰り返した。そのような取り組みにより、結果的に生徒の発言回数や出席率にも顕著な変化が表れ、最終回で実施した授業満足度アンケートでは、「やや不満」もしくは「不満」という回答数0という結果に終わることができた。以上の経験を振り返ると、実践の場でこのような成果が得られたカギは(1)「外国人が好きな日本文化を把握していたこと」と(2)「自国の魅力を伝えたいという熱い思い」の2点であると考えている。
<回答2>
千人以上が出場する部活動大会の運営のため、トラブルからの復旧作業に全力で取り組んだ。 私は、体育会の一員としてチーム全体の舵取り役を担うとともに、外部団体の長として、全国大会等の運営代表を務めている。インカレ等の全国大会の運営のほか、社会人の全国大会の運営にも携わっており、他大学代表や社会人とともに活動している。 昨年の◯◯◯◯大会(社会人実業団も出場する、一年で一番大きな試合)において、台風の影響により試合開催の危機に直面した。大会の現場作業は全て私達が行っているため、出場する選手のためには、運営団体として何としても復旧させる使命があった。 危機が発覚した直後に私は仲間を招集し、共に復旧作業を開始した。前代未聞の出来事であり、どのような手順を踏めば良いか全く分からなかったが、大会運営側としての責任は勿論、組織トップとしての責任から、ずぶ濡れになりながら徹夜で復旧を完遂した。仲間全員と共に「選手のため」という使命に向き合い、全力で作業に打ち込む事が出来たため、自然トラブルも乗り越える事が出来た。 この経験から、「何事も自発的に早い段階から行い、情報を共有する」ことを自分の指針として得た。本件の様な被害が予測出来ないトラブルが差し迫っている時は、(1)試合開催に最低限必要な物資はあらかじめ避難、点検しておく必要性、(2)緊急時の行動を自分だけでなく関係者全員分把握し、速やかに作業が開始出来る状態である必要性、が教訓となった。 現在私達は「選手の為の大会運営」を運営目標として掲げている。選手から大会運営に関わる各大学OBの方々まで、様々な人と報告、連絡、相談を繰り返し、障害となりうる出来事を丁寧に処理している。
設問2. あなた自身と伊藤忠商事の共通点を教えてください。(800字以内)
<回答1>
(1)「革新性を持った挑戦者」であり、(2)「個人の力で勝負する」点である。貴社は非財閥系商社の雄であり、北米においては子会社を通じてピュアエナジーを買収し、アジアにおいてはCITICグループへ巨額出資するなど、積極的かつスマートにビジネスを展開してきた。また、貴社は非財閥系商社の雄であり、社員が「野武士集団」と称されていることに表される通り、会社の看板に頼ることなく各々が「個」としての力を発揮することが求められていると推測される。物事に取り組む際、多くの場合は何かしらの形で他人と協力し、規範を乱さないような行動が求められる。しかし、私が今までに取り組んできたことを振り返ると、組織における成功には各々の「個」としての力が常に深く関わっていたように感じられる。そのように感じた経験の一つとして、留学先でボートレースチームに所属していた経験がある。その活動に参加した動機は、【1】「その地ならではの体験がしたい」という好奇心、【2】「新しい環境に身を置きたい」という挑戦心、の2点であり、そこでは主にレースに向けての筋力強化、作戦会議、近場での水上練習等を日々行っていた。しかし、「絶対に地方予選を突破する」という目標を掲げていた一方、チームには経験者が少なく、当初は個人間で大きな実力差や熱意の違いが存在していた。そこで私は、目標を果たすべく指揮者に立候補し、練習方法を改善することで各々の力を引き出そうと考えた。具体的には、全体練習の中で不必要な時間を省き、個人の強みと弱みを元に分類した少人数グループで取り組む練習を取り入れた。なぜなら、周りが補いながらも各々が弱点を克服して強みを伸ばすことで、「個」としての力が伸ばせると考えたからである。実際に予選本番では、それぞれに合った役割で強みを発揮した結果、経験者が多い他のチームを圧倒し、約30チーム中2位の成績で決勝へと出場することに成功した。
<回答2>
目標達成の為に人一倍働き、慢心せず小さな事を積み重ねて結果を残す所が共通点と考える。 私は高校生から部活動を続けており、一つの目標に向かって地味な努力でも継続し続けることが出来る。例えば、高校時代は選手として、体格の良い選手に勝つべく自主的にトレーニングを重ね、三年生の夏にレギュラーを奪取し、全国大会へ出場した。 また、所属する部活動では「タテ(礼儀)、ヨコ(協力)」の繋がりを経験し、外部団体活動では、「ナナメ(所属組織も年次も価値観も違う人相手)」の繋がりを経験した。特に、所属する部という自分の居心地の良い領域から外れるナナメの関係では、相手やその関係者からどう見られるかを常に考える様になった。また、自分が認めてもらう為には、人間関係の構築を始め、期待相応、それ以上の働きをすることが必要であり、成長の鍵になると経験した。 私は、どんな些細な目標であっても、チームの中で一番貢献して達成することを喜びと感じている。個人ではなくチームで働くことで、何倍も難しい事に挑戦、達成することが可能であり、喜びも共有出来るからである。また、人一倍働き結果に貢献する事で、他人からの信頼を得られるからである。これらの強み、価値観を、一つのモノを産み出すプロとしてではなく、様々な商材・地域・機能を扱う総合商社というフィールドで活かしたいと考えている。 その中でも、貴社の非資源事業に魅力を感じている。資源事業と比較すれば一件あたりの金額規模は小さいが、よりきめ細やかな日々の積み重ねで総合商社ナンバーワンという成果に貢献出来るという、地味な努力を続けられるという自分との共通点である。また、他社より約3割以上も少ない単体社員数で利益を上げていることは一人当たりの生産性が高いという事と解釈し、少数組織で人一倍働く事を信条としていた私にとっては共通点となると考えている。
丸紅 冬インターンのES例文
設問1. 過去を振り返り、あなたは周囲からどのような人物だと思われていると考えますか? 具体的なエピソードや、そう思うきっかけ等を交え、お答えください。(400文字以下)
<回答1>
一見冷静、真面目だが、実は熱い、芯があると評価されていると感じる。時には変人と言われることもある。基本的に黙って行動するタイプであるので、初対面のうちは真面目と評されることが多いが、学生時代、部活動において、試合経験の少ない下級生に「自分のミスで試合に負ける怖さ」を伝えるために映像を交えて話した際に、同期や後輩に情熱を持っていると評された。自分の考えの根拠としては、やはりまず行動しない人間には信頼は与えられないという考えがあり、また常に周囲とは異なる独自の存在でありたいという信念がある。後者に関しては幼少期からの母親の影響と、学生時代アメフトという、一つでも他者と違う大きな武器があれば戦力となれるスポーツをしていた影響が強い。社会人として働くとしても、自分の武器となる能力を見つけて磨き、また他者とは異なる新しいことにチャレンジすることで組織に貢献したいと考えている。
<回答2>
私は計画性があり、責任感の強い人であると思われていると考えます。理由は2つあります。まず1つ目は、大学の◯◯部の主務を任せられたことが言えます。まず、主務という仕事は部の予算を管理することや、大会の運営、スケジュール管理などがあげられます。特に予算の管理では、きちんと現状を分析し、限られた予算の中でより部が強くなるために考え抜きました。そのため、私は無駄な出費をなくし、物品購入や新しく遠征を取り入れることができました。2つ目は、「レギュラーとして、日本一に貢献する」という目標をたて、取り組んだことです。すぐにできる課題、時間のかかる課題を明確にし、優先順位をつけて日々練習に取り組んだため、着実にレベルアップすることができました。これらの経験から、私は計画的で、責任感のある人間であると考えられます。
<回答3>
私は「困難に直面しても諦めず、足掻き続ける人物」だと思われていると考える。大学時代、体育会男子◯◯部に所属し、その中で、1年生時に怪我をし1年間の離脱を経験した。怪我の間、2つの事を意識し行動した。1点目は常に外からの視点を持ち戦術分析や個人のプレー分析を行い、復帰した際に武器となるものを作る事。2点目は裏方に徹し能動的に雑務などを行う事で少しでもチームへ貢献する事である。復帰後は、周囲と同じ努力ではハンデの克服は出来ないと考え、得意分野を伸ばす事よりもチームの弱点を補える選手になる事を重視した。実際に3年生時には異なるポジションに転向する決断も行った。結果、4年生まで1度も1軍に上がったことがなかったにもかかわらず、4年生時には1軍に選ばれチームの勝利に貢献できた。実際に周囲から「諦めない姿勢」を評価される事が多かったため、「困難に直面しても諦めず、足掻き続ける人物」であると言える。
設問2. 大学(院)時代に、最も力を入れて取り組んでいた(または現在取り組んでいる)活動についてお答えください。(400字以下)
<回答1>
体育会アメフト部での活動である。◯◯大がスポーツで強豪私立に勝つ、というチャレンジングな選択にロマンを感じた。4年時にはキック長の役職についていたが、近年最大の弱点がキックチームであった。そこで、システムと意識の両面から改革した。◯◯大はアスリートが少ない分頭を使って工夫しようという考えのもと、従来全体練習後に疲労状態で半分自主練習のような雰囲気で行われていたキックの練習を全体練習の前半に移動し選手の怪我防止、練習効率の向上につなげた。また同輩の多くが練習時間の増大を主張する中、私の発案により試合で求められる数値指標を書いてグラウンドや部室に張り出し常に意識させた。その結果キックチームの成績は大きく向上した。私はこの経験から、組織には特有の強み弱みがあり、それを生かして問題解決に取り組むことの重要さを学んだ。また周囲とは違う意見でありたい、独自性を持ちたいという自分の性格が生きたと考えている。
<回答2>
私は○○部に所属し、全日本優勝を目標に活動しました。特に私が上級生の時には、部がより高い基準で活動するようにまとめました。まず、部員と真摯に向き合い、コミュニケーションを大切にしました。より高みを目指さなくてはいけない意義を何度もチームに説明し、個人とも積極的に話し合い、上級生の考えをチームに浸透させていきました。次に、誰よりも熱い思いを持ち、愚直に競技に取り組みました。チーム全体の練習だけでなく、トレーニングや動画での振り返りなど、自分から部員を集め、チームのレベルアップを図りました。そして、一人一人が高い基準でチームを考え、行動できるようになったため、大きく成長することができました。その結果、春はなかなか勝てなかったチームですが、秋には目標を達成することができました。私は社会に出た後も、目標を決め、プロセスを考え、愚直に取り組んでいきたいと考えています。
<回答3>
4年生時に「部として初のアメリカ遠征を成功に導いた」ことだ。上述した◯◯部において、部としては初の試みであるアメリカ遠征に挑戦し、自身が中心となって実現に向けて取り組んだ。その際、最も困難だったのは試合相手の確保である。日米間には競技レベルに大きな差があり、さらに日本の一大学に対する信用もなかったため、当初は試合の打診をしても敬遠されてしまった。そこで自分たちの願望ばかりを伝えるのではなく、試合を行うメリットが両方にあるということを明確に提示した。信用を得るために資料作成を行ったり、電話による直接交渉等の方法も取った。結果として、アメリカの1部リーグに所属する◯大学を含む全◯大学との試合・練習会を含む遠征が実現した。成功に至った要因としては、もちろん周囲からのサポートに恵まれたという事もあったが、失敗をしても修正を繰り返し、確実にチャンスをものに出来た事が重要であったと感じる。
設問3. あなたが丸紅のインターンシップに応募した理由と、このインターンシップにかける意気込みを教えてください。(300字以下)
<回答1>
学生時代の経験を通じ「魅力的な人間」に憧れ、また何か迷ったときは無難な選択を避けてきた。そのため、世界を舞台に個人の熱量や能力を武器に勝負する総合商社、中でも年齢や地位にかかわらず挑戦者のマインドを常に持つことを是とする貴社に魅力を感じた。また、人々の生活に直結する非資源分野に強みを持つことも理由の一つだ。実際に各部門に配属され業務を経験することで、貴社で働く人の魅力や雰囲気を感じると共に、学生時代から、常に組織の中で周囲に埋没せず独自の存在であろうとしてきた自分の「個」の力がどこまで通用するか試し、そしてまたその力に磨きをかけ今後のキャリア形成に役立てたい。
<回答2>
私は「世界トップレベルで仕事をする」という夢があります。そのため、商社マンとして世界各国で働きたいと考えています。そこで、貴社では若いうちから大きな仕事ができる、海外でチャレンジできるという文化があると聞いて、御社に興味を持ちました。そのため、貴社のインターンシップに参加し、様々な経験を自分の肌で感じてみたいと考え、応募させていただきました。このインターンシップを通して、商社マンとしての仕事、世界を舞台に仕事をする姿勢、考え方を勉強させていただきたく思います。
<回答3>
私は働く事を通じて「自分を育ててくれた海外に恩返しがしたい」。私は小学生時代の6年間を◯◯で過ごした。人種や宗教観の異なる様々なバックグラウンドを持つ人との生活は、自身の人間形成に大きく影響を与えたと感じる。そのため、将来は日本の高い技術力を用いて自分を育ててくれた海外に恩返しがしたいと考えている。貴社のインターンシップに参加し、多種多様な分野において大規模な事業を海外展開している総合商社で働く事が最適であるかどうかを見極めたい。また、挑戦心に溢れ、自分次第では若手から裁量権が大きいと公言する貴社において、社員が何を志し、何を意識して働いているのかを実務を通じてより深く知りたいと強く思う。
双日 冬インターンのES例文
設問1. あなた自身のこれまでについて、具体的なエピソードを交えて自己紹介をして下さい。(200字以上、400字以内)
<回答1>
私は今まで少しでも関心を持ったことは全てやってきました。広大で素晴らしい世界のことをできる限り知り、自分の可能性を高め続けたいと強く思ってきたのです。子供の頃、◯◯の田舎の小学校が私の世界の全てでした。そこから段階的に世界が広がり、経験や知識が増える度、私の世界はより鮮やかで幸せなものになりました。大学生として◯◯に出てきて興味の幅は一層広がりました。経済学、バーでのバイト、語学留学、海外バックパッカー、グローバル人材育成プロクラム、◯◯交換留学等、沢山のことに様々な目的で挑戦しましたが、その根本には常に自分の世界、可能性を広げ、人生を豊かにしたい、という思いがありました。因みに今は人生初のフルマラソンに向け努力を重ねています。この生き方のお陰で私は毎日凄く幸せです。私は一生をかけて世界を広げ、様々な人に出会い、多くを学び、自分を高め続けます。私はそんなことを願う人間です。
<回答2>
私を最も端的に表す言葉、それは「川を上りきる鮭」だ。私は現在コンピュータサイエンスを取り入れた研究を行っている。自身が無知であるコンピュータを使いこなしたいという思いから、敢えて苦手分野である上記研究に着手した。私は研究室配属と同時にプログラミングを任された。最初はコンピュータの知識が乏しく、その初歩もままならなかった。しかし、1.専門書を重活用する、2. その著者に連絡し教えを仰ぐ、3.先輩方へ積極的に質問する事により知識を蓄えた。試行錯誤を繰り返しながら知識を実践へと移し、まだまだ一人前とはいかないものの、今では抵抗なくプログラミングをこなせるまでに成長する事もできた。このように私は、産卵のため逆流を上がる鮭が如く、「目標達成指向の下、逆境においても粘り強く努力する事」ができる。総合商社という全く異分野の地でも、書物や人脈を駆使し粘り強く努力する事で、私が掲げる目標を達成していきたい。
<回答3>
私は小学1年生から現在に至るまで、テニスを続けて来た。小学5年生の時に初めて県大会を勝ち抜き◯◯大会に出場したが、そこで周りのレベルに圧倒され、プロになることを断念した。まさに井の中の蛙大海を知らずであった。それからはテニスを一番に打ち込めるものとしながらも勉強との両立を図り、中高大の3回の受験で志望校を掴んだ。また小学生の頃から何かとリーダーの立場になり、新しいことをして変化を起こすのが好きであった。中学校では◯◯委員長として、様々な新しい施策を行い、成果を収めた。テニスでも中、高とキャプテンを務め、中学3年時にはキャプテンとして学校史上初の全国大会を掴んだ。大学ではサークルの◯◯として、学内優勝を目指すチームをまとめた。
設問2. 今の自分に不足していると感じる点と、今後、それをいかに改善し、成長していきたいかにつき、記述して下さい。 (200字以上、400字以内)
<回答1>
私には楽観的に行動することが不足しています。私の理想は悲観的に考え楽観的に行動できることなのですが、今の私は悲観的に考え悲観的に行動しがちです。今まで多くのことに挑戦しました。例えば◯◯留学。渡航前は様々な苦難を考え、それに備える必要がありますが、渡航後は腹を括り、前向きに取り組む必要があります。しかし私は行動をしている最中も時折悲観的になっていました。勉強を頑張りながらもどうせ単位取れないだろうなと考えることなどがあったのです。悲観的とはいえ、実行してある程度の成果を得てはいますが、私はこんな自分が嫌いです。この改善には小さくとも沢山の成功体験を重ね、自分を信じてあげられるようになる必要があります。臆せず新しいことに取り組み、努力し得た自分の成功を今後は肯定的に捉えていきます。それにより、私は今よりもっと真摯に、必死に物事に取り組むことができ、より高い信頼を得る人間に成長します。
<回答2>
興味を持つ分野に偏りがある点だ。化学などに対しては興味を持ち、自ら勉強し知識を吸収してきた。一方情報学などに対しては興味を持てず、与えられた課題をやるまでに終わってしまった。結果的にコンピュータ操作が苦手となり、レポート作成やエクセル課題において苦労してきた。この経験を通して、幅広い分野に興味を持ち知識を吸収する事の重要性を再認識できた。またグローバル化が進む中、多様な価値観を許容するためにも多くの知識が不可欠だと考える。そこで私は、幅広い分野に興味が持てるようになるために、種々の業界のインターンに参加している。ここで得た経験と既存の知識を統合させる事で、新たな興味が生まれると考える。例えば、医薬品情報を伝えるMR職のインターンに参加した事で、情報ではなく医薬品そのものを患者に届ける「物流」に興味を持つ事もできた。これからも様々な経験を積む事で興味の幅を広げ、多くの知識を吸収していきたい。
<回答3>
今の私に不足しているものは、自信である。例えば◯◯としてチームをまとめる際も、自分の意見や指導、練習メニューが間違っていないか常にマイナスな視点から見てしまう癖があった。他にもっと優れたアイデアがあると気付くと、自信をなくし声も小さくなってしまう。日常的にも容姿や服装に自信をなくしてしまうことがある。この原因は他人と比べる癖であるということを大学在学中に気付き、できるだけ人と比べないように努力をした。物事に対し、優劣ではないそれぞれの良さを見出していこうとした。しかし人と比べないというのは難しく、改善することはできなかった。そこで今後は、劣等感を越えるだけの自分の良さに気付いていきたいと思う。ある点で人より劣っていても、これだけは負けないというぶれない強みを発見、そして身につけていきたい。
設問3. 「何のために働くのか」について、現時点でのあなたの考えを記載してください。(200字以上400字以内)
<回答1>
私には二つの働く目的があります。一つ目は自分の理想とする格好いい自分であるため、二つ目は大好きな日本のためです。まず、私は生涯を通じて、幅広い視野や知識を持ち、変化を恐れず、自分の可能性を広げ続ける人間でありたいと思っています。そんな格好いい自分であるために、私は多様な人に出会え、地理的、事業的にも幅広い世界を経験できる場で働いていきます。次に私は日本が大好きです。これは海外生活のお陰で気づきました。普及している日本製品や日本食、日本について嬉しそうに語ってくれる友人、礼儀正しい日本人旅行客、私の身を案じ連絡をくれる家族や友人。海外でそうやって日本と接する度に、私は強い喜びを感じ、日本人に生まれてよかったと心から感じました。世界は常に変化しており、日本も今後どうなるかわかりません。そんな日本を支え、人々が誇りを持って幸せに生きていけるようにしたい。そのために私は全力で働きます。
<回答2>
「人々の幸せに貢献するため」に働きたい。私は友人に講義のまとめノートを貸して喜んでもらえた時や、アルバイトで顧客からお礼を言われた時など、私が他者を幸せにできたと思える瞬間に喜びを感じる。そのため、人々の幸せに貢献できる人間になりたく、大学はその貢献度合いが高いと考える◯◯部を志望した。そして就職活動時期になり、何が最も人々を幸せにできるのかを考えた時、それは新薬開発だと考え、製薬企業のインターンシップに参加した。その際、製薬企業やその周辺物流企業には海外への流通ルートがない事を知り、創出した医薬品を、必要としている海外へ迅速に届ける事ができない現状に懸念を抱いた。この経験を通して、新薬開発も重要だが、物流という観点からも人々の幸せに多大に貢献できるのではないかと考えた。畢竟するに、私は「人々の幸せに貢献する」ために、具体的には「医薬品を必要としている人の元へ迅速に届ける」ために働きたい。
<回答3>
私は、「与え返していくこと」が働く意義であると考える。私は生まれてからこの社会に様々なものを与えられている。豊かに生きるために必要なものは必ず何かの働きによって生まれるものであって、一つとして欠かせないものだ。それは人だけでなく自然や動物、この社会のシステムなのかもしれない。今後社会で働くということは、その与える側に立つということになる。私はその与える立場として働くことで、形は違えどこの社会に様々なものを与え返していきたいと思っている。私はこの考えを大学でも持っていた。サークルで1年目に先輩や仲間から与えられたことに感謝し、2年目以降は主将という与える立場としてサークルに貢献していきたいと思ったのだ。私はこの与え返すというサイクルが社会全体を動かしていて、それこそが働く意義であると考えている。
豊田通商 冬インターンのES例文
設問1. あなたの性格とそれを最もあらわすエピソードを教えて下さい。(300字以内)
<回答1>
私は一度決めたら絶対にやり遂げる性格です。高校入学時に自分の経験の幅を広げたく、新しいことに挑戦したいと思い、◯年間続けた野球ではなく初心者として◯◯部に入部しました。新しい環境に飛び込んだことで出来ない自分に向き合うことになり、挫折や劣等感を味わいましたが、始めたからには自分ができる最大限の努力をし、絶対やり遂げる。という気持ちで自分を鼓舞しました。そして自分の力量を理解し、現状の自分に必要なものを常に考え、全体練習に加えて朝練習と部活後の自主練習に友人の協力も得ながら◯年半取り組ました。その結果、最後の大会では試合に出場でき、チームに貢献できる選手になることができました。
<回答2>
アメリカと日本の大学生と共に日本全国の◯◯向けのサマースクールの運営に携わり、プログラムの企画運営のみならず、班のリーダーとして高校生をまとめ、アメリカの大学生と二人で授業指導をしていました。その際に◯◯の間で英語やモチベーションのレベルの差があり、授業を円滑に進めることができませんでした。そこで、各回最後の十分間をその日の反省と今まで自分が「苦労した経験」をスピーチする時間にしました。その結果、相互理解が深まり、一人一人の向上心はもちろんのこと、クラス全体の雰囲気が改善され授業の効率が上がりました。この経験から学んだことは主に二つあります。人前で話すという行為を繰り返すことで自分の言動に自信がもてるようになり、より一層自主的かつ積極的に動けるようになるということ。そして、私が◯◯に提供したきっかけを通じて一人一人の成長が感じ取れた時の達成感、やりがいの大きさです。
設問2. 今まであなた自身が周囲に影響を与えたエピソードと、そこから学んだことを教えて下さい。(400字以内)
<回答1>
◯◯会の1年生支援団体で主催した交流企画の◯◯を務めました。
企画当初、団員の中で例年通りの方針でいいという雰囲気があり、発言や提案をする人も偏るという状態でした。私はこの団内の「温度差をどうにかしたい」というのと、やるからには私たちの個性を活かした企画を「全員で作りたい」という気持ちがありました。そこで、前年の例から改変を行うという方針から個人が一つずつ新しい提案をして、それについて全員で意見を言い合うという方針に変えたところ、活発に新しい提案や意見が飛び交う雰囲気ができ、当初あった団内の「温度差」をなくすことができました。結果、「全員が同じモチベーション」で企画に取り組め、私たちの個性が活かせた例年ではなかったような奇抜な企画を作ることができました。この経験で私は「全員が同じモチベーション」で、「全員で意見を伝え合う」ことが団体での取り組みにおいて大切であるということを学びました。
<回答2>
私は思いやり、行動力、責任感のある性格です。高校生の頃に、ディベートのチームメイトの内の一人が精神的ストレスによって不登校になってしまった。その際、彼女に負荷のかからないような対策を考えたり、他のメンバーを誘って彼女と会う機会を設けたり、担当の先生と話し合いをしたり、と彼女が復帰しやすい環境を整えることに尽力しました。私は、一緒に頑張ってきた仲間を大切にできる「おもいやり」、そして、それを実際にアクションとして起こせる「行動力」があります。また、やチームプレーをする際に、自分個人だけでなくチームの一員としてとるべき行動は何かということを考える「責任感」もあります。
おわりに
インターン選考のES突破例をご紹介しましたが、ESを書く際に重要なのは「自分自身の行動の掘り下げ」と、「その商社を選ぶに至った明確な志望動機」の2つです。
どう主体的に行動してきた結果、いまの自分があるか? を簡潔に伝えるよう意識しましょう。
総合商社のインターンは、今後も得難い経験となって活きるものです。選考を突破し、就活に向けてスキルを積み上げられるよう願っています。
▼エントリーシート対策をまとめた特集記事はこちら!!