失敗、それは誰もが避けて通れない道。
連載企画「しくじリーマン」では、社会人たちが経験した失敗談と、そこから得た学びを皆さんにお届けします。
学生時代から「自撮り女子」として活躍していたりょかちさんが、会社員になって抱えた苦悩とは?
「続けること。それ自体が才能だ」という人がいる。正論だと思う。コツコツ何かを続けられる人は強い。すべての才能を伸ばし続けるための最強のカードだといえるだろう。
だけど、そんな「続ける才能」を持たなかった私たち凡人に関しては、「続けない努力」というのもとても大事になってくると私は思う。今回は「何事も続かない私に必要だと気づいてしまった、ヒットを打ち続けるために必要な、続けない努力」についての話をしたい。
プチ有名人として、新卒1年目を過ごすメリット
普段、私は平凡なサラリーマンだが、良くも悪くも人と少し違うことを1つ挙げるならば、入社する前から「自撮り女子」として取材を受けていたり、入社してすぐに連載を持ったりしていたことだ。
これに関しては本当に「いい面」も「悪い面」もある。入社した頃からたくさんの人が自分に興味を持ってくれたり、知っていてくれたりしたことはかなりの財産になった。
若くして連載を持たせてもらったことも、それ自体がかなりの幸運だと思っている。新卒1年目あるいは2年目として就活生に対して文章が書けるのも、そのような幸運に恵まれたからこそだ。
実際、文章を書いたりするようになってから、普通に会社員をしていたら会えなかったであろう人にも、行けなかったであろうお店にも、出会えなかったであろう仕事にもたくさん出会うことができた。私が上京前に田舎から見ていた、「東京で社会人になる」「SNS上で名前が知られた人になる」という夢に確かに近づいている。
負けたくないから、もっとやる。もっとたくさんやる。
だけど一方で、「WEBディレクターの仕事は片手間なのでは」というような嫌味を言われたりしたことがある。嫌味だったのか心配だったのかなんだったのか今になっては分からないが、当時の私は「どっちも本気でやってるのに」と悔しくなった。
また実際に、本業の他で仕事を持つということは、実際にそれだけ時間も脳みその稼働も他に当てるということでもある。スキルが身に付いていない新卒社員がそういうことをやるのは、もしかしたらリスキーなことかもしれない。良い仕事は、良い仕事からしか生まれない。そして「いい仕事」とは、最初のうちは横並びの同期と比べて語られがちだ。だとするならば、最初に本業にすべてを賭けて取り組んでいる人間には敵わない。
意地っ張りで負けず嫌いなだけでなく、不器用だった私は、ひたすらプライベートの時間を投資して、両方一生懸命やることしかできなかった。ただ、両方大好きな仕事をやっていたので、重い気持ちはなかった。
私のしくじり:好きなことに100%で立ち向かえないつらさ
だけど。
ある日、「りょかちさんは休日何をしてるんですか?」と聞かれて、「何してるんだろう、私」とふと我に返ってしまった。「毎週夜遅くまで考え事をしたり、文章を書いたりしているけれど、何が楽しいんだっけ」と思ってしまった。一人の20代前半の女の子として、東京に引っ越してきて、新しい友だちもそんなにできないし、都会的な遊びも全然してないし、だからといって、普段の仕事において、自分を優秀なプレイヤーだとも思えなかった。そうしてすぐに文章が書けなくなって、企画が出せなくなって、日中めまいがするようになった。
難しいもので、好きなものに向き合っている人が逃げ出したくなる時というのは、1番逃げ出してはいけないときだったりする。
それは「打席が回ってきているのに、思うように準備ができていなくて、打てる気がしない時」だったりするからだ。
この時の私は、周りにとって自分の価値が向上しているのを感じても、「自分は自分が好きですか?」と聞かれたらぜんぜん好きじゃなかった。もっと苦しかったのは、「自分は自分が出したアウトプットを好きだといえますか」と聞かれたときに首をかしげそうになったことだ。
居酒屋のハイボールが私に教えてくれたこと
幸運なことに、それからすぐに、とある友人が私をそんな状態からさらいだしてくれた。
休日にご飯を誘ってくれたり、一緒に旅行に行ってくれたりする機会があった。その人にとってはなんでもない休日だったんだと思うが、私はなんにも考えずに居酒屋でハイボールともつ煮を食べながら、素直に「こんなに何も考えない休日っていつぶりだろうか。休日ってこういうことをするためにあるんだなあ、明日からまた頑張れそうだ」と思った。
そして、優秀な先輩方と飲みに行く機会があり、そのときに気付いてしまったことがある。当然だが、彼らが最初から優秀なわけではなく、徐々に自分をアップデートしていること。
そしてそのアップデートが、何かが「できるようになった」ことだけではなく、何かを「しなくてよくなった」ことにつながっているということだ。
しくじりから得た学び:「続ける」才能と「続けない」努力
以前記事でも記載したことがあるが、労働とは生活だ。それはつまり「続ける」ことが基本となる。
しかし、仕事を続けることにおいて、大切なのは「続ける才能」だけでなく、「続けない努力」も大切だと、私は思う。
まずは「続ける才能」について。これは身も蓋もないが、「仕事として、続けられるくらいの高いアウトプットを出し続けられるか」ということだ。2年目社員になり、沢山の企画を実行に移してきた今になって思うのは、「当たる企画を実現すること」も難しいが「当たる企画を実現し続けること」はもっと難しいということ。面白いものを作ることに関して、運が味方してくれることがあっても、面白いものを作り続けることに対しては、運が味方してくれることはないのである。
そして、「続けない努力」について。これは「マイナスな状況を生み出している原因を続けないための工夫」のことをいっている。
とあるハードワーカーな経営者は「週末にひとりで夜ふかしをするのが趣味」と話していた。人に囲まれて嫌でも格好つけなければならない彼にとって、それは至福な時間なのだろう。私にとっての週末のハイボールもまた、『非生産だけどすき』な時間を作ることに意味があったと思う。『リフレッシュ』という一言で語ってしまえばそれはカンタンだが、多くの「やらなければならないこと」に囲まれる中で「やらなくていいけど、すき」を組みこんで距離をつくることは、自分の「やらなければならないこと」が「やらなければならないし、すき」なことだったことに気付かせてくれる。
また、優秀な先輩や先輩に共通していたのは「社会人基礎力」の高さだった。先輩はExcelやPowerPointを使用するのがとても速くてキレイだった。同期は英語を話せる上に、韓国語を習得中だった。
彼らはもちろん難題に対しての課題解決能力がとっても高い。ただ、それ以前に、自分の頭の中を他人に見せるための資料作成や、仕事相手との言語的コミュニケーションに優れており、私よりも「やりたいことのために、最低限できておくべきこと」を満たすために必要な時間が少なかったのだ。
先輩は、企画者として製作者の胸が高鳴るようなきれいな資料を素早くつくることができる。同期は、複数国にまたがる複雑な問題も、多様な言語でうまくコミュニケーションして折衝することができる。私がその問題に取り組んだらどうだろう。資料を作ること自体に時間が掛かりすぎてしまうかもしれない。自分の思いを、伝えきれずに仕事が終わってしまうかもしれない。
本業以外に仕事を持っていて時間がないなら、時間を余計に投資するだけでなく、投資する時間を減らす工夫をすることが必要だったのである。そういう、「マイナスな状況になっている理由を特定して、解決するために努力する」ことが快適に、「続ける」ことを可能にしていくのだということに、その時気付いた。
君がしくじらないために:ホームランを打てない私達が、できること
「信頼」とは何か。それは、「こうしたら、こうなってくれる」という、ある意味こちら側の予想に対しての確率の高さを意味している。それは、ホームランを年に1回打つ人間には得ることができない。ヒットでも、3打席に1回は打ってくる人間にこそ持ち得るものなのである。
私達が、誰かに信頼されるために必要なこと。それは「正しく続けること」なのだ。信頼は居場所になり、自分を守ってくれるものとなる。
ただ、私達が何かを続けることにおいて、案外「悪い状態が続いている」ことが障害になることは多い。
毎日遅くまで働いていて、疲労した状態が続いている。だったら、基礎体力をつけるためにジムに行くのがいいかもしれない。最近、資料作りばかりしている気がするなら、ショートカットキーをたくさん覚えてみるのもいいかもしれない。
自分の望む未来を手に入れるために、自分自身を作り上げるのと同様に、自分の嫌いな自分に敏感になり、「続けない」ために努力しよう。
いかがでしたか?
先人の失敗に学び、よりよい社会人生活に備えてくださいね。では、また次の「しくじリーマン」のエピソードでお会いしましょう。