今回は、有名進学校から東大に進学したインターン生の就職活動の話をお届けします。
その経歴だけを見ると順風満帆な人生に見えますが、彼自身にとっては閉塞感と隣り合わせの人生でした。その葛藤と決意を彼自身に語ってもらいます。
「コスパのいい人」という虚像を作り、逃げたことを覆い隠した高校時代
多くの人が初めて自分が試される場である高校受験。「地元じゃ負け知らず」の私は危なげなく、有名進学校に合格しました。
晴れて入学したその有名進学校で、しかし、私は大きな挫折を味わいます。
数学オリンピックの金メダリスト・高校生クイズで優勝した人・両親が東大理科三類出身で異常に頭が切れるイケメン・東大病院の教授の子供……有名進学校は枚挙にいとまがないほどの天才集団でした。
「地元じゃ負け知らず」の私も、そんな天才たちの前ではただの凡人。天才集団の中で頂点を目指すのは途方もないことに思え、戦いの舞台から降りる選択をしました。
代わりに選んだのは「やっていない割にできる人」というおいしい立ち位置。
「これだけやっておけば手を抜いてもまあ怒られないだろう」というラインをいち早く見極め、最低限の労力でそこそこの評価を得ることを目指しました。
勝手に作り上げた「コストパフォーマンスのいい自分」という虚像に酔い、「周りの天才たちと向き合うことから逃げた」という現実を見ないようにしていたのです。
「東大までの人」不完全燃焼しかない大学時代
そして、大学受験。「東大入学」を目標として勉強していましたが、高3での受験は失敗。浪人を経て、かろうじて東大への進学をつかみました。
そして晴れて東大に合格するも、ここで壁にぶつかります。
私は「東大入学」そのものを目標としていたからです。当然、東大に入ってやりたいことや将来の目標といったものは何もなく、東大入学と同時に目標を見失ってしまいました。
そんな私に手を差し伸べてくれたのはサッカーサークルでした。新しく始めたスポーツは練習した分だけ上達します。どんどん上達していくサッカーがとにかく楽しく、サッカーに没頭する生活が続きます。
しかし、猛烈にはまっていたサッカーにも転機が訪れます。
自分よりもはるかにうまい、中学校からサッカーを続けてきた人と知り合い、再びあの感覚に襲われます。
「この人たちに勝つためにどれだけの練習が必要なのだろう……」
高校時代に芽生えた「コスパ」の意識です。
そして、私は高校時代と同じ「現実逃避」という選択肢を取りました。完全燃焼に挑むことなく、サークルをフェードアウトしたのです。
そうこうするうちにやってきた「取り組むべきもの」は卒業論文。
しかしここでも私は、自分で「これだけやれば卒業はできるかな」といったラインを引き、最低限の労力で乗り切りました。またしても不完全燃焼。現実と真正面から向き合うことは避けていました。
自分の「Will」を持たない私が生き生きと就職活動に臨めるわけはなかった
大学院に進学し、将来のことを考え始めたところで大きな不安に襲われます。
頭に浮かぶのは漠然とした「幸せになりたい」という気持ちだけ。どんな仕事がやりたいのかなど、具体的な将来像がまるで見つからないのです。
一体何が自分の幸せにとって大切なのか。どう考えて将来像を設計すればいいのか。何も分からないまま就職活動を開始しました。
夏に参加した数社のインターンを通して、自分の強み・改善点について把握はできました。しかし、自分で、今の環境で、強みを伸ばすこと・弱みを改善することはできないと感じ、環境を変えてみることにしました。
レベルの高い人に囲まれ、その人たちの刺激を受ければ自分が変わるのではないかと淡い期待を抱いて。
見つけた環境は、ベンチャー企業で長期インターン。
新しい環境で多くの学びがありました。技術的な成長もありました。
しかし、自分の一番の課題であった「自分の目指す将来像の設計」については全く進展が見られませんでした。
将来の選択肢が広いからとコンサルを受けたり、将来日本に必要だからとベンチャーを受けたり、安定・知名度・待遇がいいからと商社を受けたりしました。自分が自信を持って「◯◯志望です!」といえる業界はありませんでした。自分の意思が全くなかったのです。
このままずっと進路が決まらないのではないか……。漠然とした不安に包まれ、やるべきことが手につかない日々が続きました。
インターンの上司からの叱責がスタート地点になった
漠然とした不安に追われ日々が過ぎていきます。何事にも本腰を入れることができず、長期インターンでも成果を出せない日々が続きます。
「進路について考えたい」と言い訳をして、最低限の仕事だけしてやり過ごす毎日。
変わろう! と思い環境を変えてみたのにも関わらず、私はまた現実逃避をしていたのです。
対して、同期は将来像が明確で就活も好調。インターンもしっかりとした目的意識を持って取り組み、どんどん成果を出していました。
目標に向かってとんとん拍子で成長していく同期と、何も前に進まない自分。精神的につらい時期が続きました。
ある日、あまりに成果を出せない私に上司がしびれを切らしました。
「最低限の成果を出すことばかりで、ユーザーのために何ができるかということがまるで考えられていない。仕事に取り組むスタンスがなっていない。いい加減一皮むけてほしい」
思い返すと自分は高校時代から同じようなことばかりを繰り返していました。
やるべきことに全力で取り組まず、楽に乗り切ることばかり考えている。楽ばかりしているので充実感がなく、常にもやっとした感情が付きまとっている……。
前々から薄っすらと感じていたことではあります。同時に目を背けることに慣れすぎたことでもありました。
それを、他人に明確に指摘されることによってあらためて、自分が長い間抱えてきたコンプレックスを自覚することができたのです。
明確になった「ありたい姿」を実現するために
ここで変わらないといつまでたっても幸せになれないのではないか。
「ここまでやればOKライン」がない中で突き抜けるために努力を重ねる経験をしないと、いつまでも充実感のない人生を送ることになってしまうのではないか……。自分の幸せはこのコンプレックスを乗り越え、充実感のある生活を手に入れた先にあるのではないか……。
自分の将来像が明確になった瞬間でした。
自分のコンプレックスに向き合える環境に飛び込もう。
そう決心しました。
その軸でもう一度企業を見直すことにしました。
その時期からでも選考に間に合う全ての企業と接点を持ちました。日系大手企業・外資系コンサルティングファーム・ベンチャー企業……。完全にフラットな状態でいちから考えてみました。
「いい意味で何とかなってしまう」日系大手は自分の求める環境ではないと一番に除外。
そして、外資系コンサルティングファームよりも保険がないぶんOKラインが最も引きにくいといえるベンチャー企業が最も自分に合っているのではないかと考えるようになりました。
それからはベンチャー企業に絞って就職活動を行いました。結果、企業理念と自分の考えがぴったりと一致する会社に出会うことができました。そして面接では、ありのままの気持ちと目指す将来像を話しました。その上で無事内定をいただくことができました。
私の就職活動は達成感と納得感を得られたことで幕を閉じました。
「将来やりたいことが分からない」就活生へ向けて
将来が見えない時期というのは不安で、その不安が永遠に続くのではないかと感じると思います。
しかし、その不安から逃げないでください。自分の中にある不安・悩みの底には自分の悩みを生み出しているであろう価値観・考え方・コンプレックス、必ず何かが眠っているはずです。その自分の奥底に眠る何かと向き合って初めて納得いく決断が下せるのだと思います。
その不安を本当に解消できた時、世界の見え方はガラッと変わるはずです。マイナス思考だった考えがプラス思考になり、空が普段の何倍もきれいに見えたことを鮮明に覚えています。
自分と同じような悩みを抱えている学生さんがどれほどいるかは分かりませんが、正解のない就活を終えるうえで、皆さんの一助になれれば幸いです。
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