日本のIT業界を牽引(けんいん)する「ソフトバンクグループ」が東証一部(※)に上場したばかりの1999年。激動の時代に同社に入社したのが、後に最年少役員(当時)となる芝陽一郎氏です。新卒で「野村総合研究所(NRI)」に入社し、ソフトバンクを経て、独立後はさまざまな事業を立ち上げる連続起業家として活躍しました。
そんな芝氏が現在経営するのは、企業のデジタル化を支援する「アイスリーデザイン」。将来のIPO(株式上場)を目指し、新卒採用にも力を入れています。大きなチャレンジに踏み切った背景を、芝氏は「昔は『自分が楽しいから』という理由で起業をしていた。今は『いかに世の中に貢献できるか』が最大の関心事」と語ります。
ビジネスにおけるさまざまな修羅場をくぐってきた芝氏は、アイスリーデザインの経営を通じて何を成し遂げたいのか。ワンキャリ編集部が迫りました。
(※)……現在、東京証券取引所の市場再編により「東証一部」は「東証プライム」へと変更されています
<目次>
●孫正義の下で身につけた「何とかする力」
●経営者としてのサバイバル能力が事業を花開かせた
●学問からビジネスの世界へ。勝てる場所を探した20代〜30代
●成功体験を捨て、日本のIT業界のアップデートに挑む
●自ら火の粉をかぶりに行く道も。大手では味わえない経験がキャリアになる
孫正義の下で身につけた「何とかする力」
──芝社長は大学院を卒業後、NRIを経てソフトバンクに入社されました。約5年間の在籍期間で最年少の役員にも就任しています。その後、アイスリーデザインを立ち上げられました。起業されたきっかけを教えてください。
芝:家族や親戚に経営者が多かった影響もあり、学生時代から起業には興味を抱いていました。直接的なきっかけというなら、やはりソフトバンクでの経験が大きいです。
私がソフトバンクに入社したのは28歳の時でした。当時は1990年代末期から2000年代初頭に発生した世界的なインターネットバブル(ITバブル)の真っただ中。「ヤフー(Yahoo! JAPAN)」を運営するソフトバンクは軌道に乗って時価総額が20兆円を超えた時期でした。事業部門を次々と分社化したり、携帯電話やインターネット回線を提供する会社としても飛躍したり、非常に勢いがありました。
芝 陽一郎(しば よういちろう):アイスリーデザイン 代表取締役
1972年宮崎県生まれ。98年早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了。ロータリー財団の奨学生としてドイツのビーレフェルト大学にて社会哲学を専攻。野村総合研究所にて金融機関向けのシステムコンサルティング業務に従事後、ソフトバンクにて海外ベンチャーキャピタルとの折衝、投資案件のデューデリを担当。同グループ最年少役員となる。その後、一部上場企業を対象に投資事業ポートフォリオ再編、バイアウトのアドバイザリー業務を提供、複数のIT企業で役員を歴任。2006年にアイスリーデザインを創業。36カ国120都市に渡航した経験を持つ。
芝:中途入社の私は、自分の希望によって遊撃部隊のようなポジションに配置されて、投資対象の調査や海外のベンチャーキャピタル(VC)との折衝などを担当していました。入社後、最初に取り組んだのはシリコンバレーの投資案件だったと記憶しています。
それ以降もアサインされるのはレールが敷かれていない案件ばかりでしたが、担当した以上は自分でどうにかするしかありません。他のメンバーも「赤字なのをどうにかしてほしい」「トラブルが起きているから、どうにかしてほしい」など、無理難題をどうにかすることが仕事でした。
非常に厳しい世界ではありましたが、勉強になりました。そのような案件を経験して、気付いた時にはグループ会社の役員の末席に連なっていました。
──とても刺激的な環境だったようですね。
芝:現在のソフトバンクも変わっていないと思いますが、当時は孫正義社長を筆頭に、IT業界で名が知られた先輩方がグループ会社の役員としてそろっていました。その中でも孫社長は圧倒的で、右脳と左脳で同時に物を考えているような印象を受けました。実際に緻密な計算をしているかと思えば、直感的なひらめきで一気に決断してしまう。それに呼応する、「日本IBM」や「日本マイクロソフト」などのIT企業で経験を積まれてきた優秀な役員の方々に囲まれ、心身ともにタフにならざるを得なかったです。
経営者としてのサバイバル能力が事業を花開かせた
──ソフトバンクでの壮絶な経験を経て独立されます。最初はどのような事業からスタートされたのですか。
芝:今でいうフリーランスのコンサルで、複数の会社の役員をやったり、自ら中古車輸出をしたりして現在のアイスリーデザインの起業に至ります。前身となる会社を設立したのが2006年で、現在のDX(デジタル・トランスフォーメーション)支援につながる事業を始めたのは2011年です。この2011年は第2創業期と呼んでいますが、最初に事業化したのは、企業のウェブサイトをスマートフォン(以下、スマホ)の仕様に変換するというサービスでした。当時はiPhoneの出始めで、徐々にスマホユーザーが増えていた時代でした。
──時代の変化を先読みして、始めたのでしょうか。
芝:いえ、実はこの時期は別のサービスの営業活動を行っていました。その際に、あるお客さまから「現在のPC向けウェブサイトをスマホでも見られるようにできないか」と相談されたことが、きっかけでした。
相談されてすぐに調査したところ、まだサービスとして確立している企業がほとんど存在しないことが分かりました。これは大きなチャンスであると捉えて「ウェブサイトをスマホに最適化」などの告知を出したところ、いくつかの大手企業から問い合わせをいただきました。
ただ、当時はサービスとして形になっていたわけではなく、スタッフは私とアルバイトの2人だけ。オフィスは友人の会社を間借りしている状態でした。
──えっ、そんな状態から何とかなったんですか!?
芝:慌てて商談のための営業資料を作成して、エンジニアも1人雇いました(笑)。でも、一から自社開発する時間はありません。最低限のシステムだけでも開発してくれるパートナー企業を見つける必要がありましたが、国内では技術的に可能な企業が見つからず、ウクライナの企業と提携し、ようやくプロトタイプが作成でき、最初のお客さまとの商談が成立しました。
──すごい……。ソフトバンク時代の「何とかする力」が発揮された瞬間ですね。
芝:思い返してみると、始まりは度胸、ハッタリでしたね(笑)。
自分が経営者になることで実感したのは、「直感」や「サバイバル能力」の大切さです。さまざまなニーズはありますが、それをチャンスとして捉える直感が働くかどうかで勝負が決まるようなところがあります。
そして、「これはいける」と思ったらそこに向かって全力で走る。そんな行動原理はソフトバンクの孫社長を見て学びました。実際の経営では山あり谷ありで、時には経営者が全ての責任を負うこともあります。そのような局面でも会社を存続させられるかどうかは、経営者のサバイバル能力にかかっていると思います。
学問からビジネスの世界へ。勝てる場所を探した20代〜30代
──そもそも、新卒でNRIに入ったのは、どうしてでしょうか。
芝:もともとはアカデミックの世界に進みたかったのです。大学時代に哲学を専攻し、学部に5年、マスター(修士課程)に3年を費やしました。大学院に進むための学費を稼ぎたくてインターネットに目を付け、学生起業もしました。
今では想像できないかもしれませんが、当時はインターネットが普及したばかりで、ホームページを開設している企業はほとんどありません。そこで、ホームページの開設を請け負うべく、サーバーの管理ができる理系の仲間を見つけて、ビジネスを開始しました。一時はホームページの開設だけではなく、ホテルチェーンなどの予約システムの開発や、プロバイダーの運営も行っていました。
それ以前も叔父が貿易会社を経営していたので、学んでいたドイツ語や英語を生かして買い付けの手伝い、学校が休みの時期は、手伝いで得たお金で海外を旅して回っていました。
また、実家は母方が呉服屋、父方の家系は大学の先生か医者・弁護士ばかりでしたので、周囲にサラリーマンがいない家庭環境でした。そのような環境も手伝ってなのか、将来は大学院を出て学問の世界で生きるか、かなわなければ自分で起業をしたいと考えていました。
──いきなり起業して利益を出せたのもすごいですが、そこまでして学問を極めたかったのですね。
芝:大学院ではドイツのビーレフェルト大学に1年間の留学をする機会に恵まれました。そこで痛感したのが、知識人のレベルの高さでした。例えば、教授の家に遊びに行くと図書館くらいの本があり、何カ国語も操れて、ラテン語で書かれた書物も読める。また、哲学を専攻している現地の学生たちは資産家の子どもが多く、経済的な心配をすることなく、いくらでも研究や思索に没頭することができる。これはどう考えても世界水準では戦えないと感じました。
諦めきれず、当時、同志社大学の教授をやっていた叔父に相談してみたら、「おまえの専門だと、大学院に残ってもポストが得られるまでに何十年かかるか分からないぞ」と言われました。その頃から徐々に企業への就職を意識するようになっていったと思います。
そして、留学が終わり日本に戻ってから就職活動をスタートしたところ、幸いなことに4社から内定をいただくことができました。最終的にはNRIへの入社を決めましたが、実はこの時にソフトバンクからも内定をいただいていました。
──NRIではどのような業務をしていたのですか。
芝:NRIは新卒社員の4割ほどが大学院卒でした。周囲は優秀な人ばかりで、私は金融系のポートフォリオを組むという業務を担当していましたが、やはり東大で物理学を専攻してきたような同僚が作るポートフォリオは次元が違います。この時もドイツにいた時と同じく、対等に戦えないと感じました。今思えば、諦めるのが早いですね(笑)。
──でも、アイスリーデザインの起業につながるわけですから、自分に合う選択ができたのだとも思います。
芝:実は、アイスリーデザインの事業もギリギリの時期がありました。その前の事業がうまくいかず、個人でも株式運用で損をしたので、30代後半の頃は個人資産で数千万は失っていました。
そこから、先ほど話したサイトのスマホ変換サービスが軌道に乗りました。初年度から売上が1億円ほどに達し、次年度以降も売上は倍増していきました。その後、3〜4年でピークアウトしましたが、今も活躍する多くのメンバーがこの時期に入社してくれました。そして、現在のモバイルアプリやウェブアプリの開発、サービスのデザインなどといった事業の基礎を作ることができました。
──数千万円の損失から億単位の売上までV字回復。並大抵のことではないですね。
芝:学生時代からビジネスをやっていた感覚としては、数億円のビジネスを作るのは簡単です。でも、そこから数十億、百億、一千億と目指していくとなると別の話で、難しくなっていきます。そして、アイスリーデザインが挑んでいるのは、その領域です。
──どういうことでしょうか?
成功体験を捨て、日本のIT業界のアップデートに挑む
芝:ソフトバンクでも、その後の起業でも、一定のもうけが出る仕組みを考え、実現することはやってきました。器用貧乏な面もあると思うのですが、そこに私自身の楽しみを感じながらやってきました。
でも、どんなサービス・プロダクトもライフサイクルがあります。先ほどのスマホ変換サービスも「そもそも、最初からスマホで見ることを前提にサイトを作りましょう」というスマホファーストの流れになっていく中で、需要がなくなっていきました。
だから、売上が伸びている最初の3〜4年のうちに、伸び悩んでジリ貧になっていく前の先手を打っておくことが大事なんです。
──アイスリーデザインでは、その一手は何だったのですか。
芝:過去の成功体験を捨て、受託メインに切り替えました。具体的には企業のDX支援です。
弊社には、デザイナーもエンジニアもディレクターもいて、上流工程から開発から運用までを受託できる体制ができていました。戦略はコンサル、デザインはデザイン会社、プログラムはソフトウェア開発企業(ベンダー企業)と分業制になりがちなところをトータルで支援することで、クライアントの新規サービスや既存事業のイノベーションにつながります。
切り替えた当初は「UI・UX」という言葉も世の中に浸透していませんでしたが、クライアントから「御社はデザインしたものを、そのままシステムとして作れるのがすごい」と言われたことがピボット(事業の方向転換)のきっかけとなりました。
今では、大手通信キャリアや金融機関、メーカーなど東証プライム上場企業からベンチャー企業まで幅広い企業がクライアントで、既存のベンダー企業にはできないきめ細かなソリューションに定評をいただいています。
──なるほど。事業を転換した先には、どのようなビジョンがあるのでしょうか。
芝:遅くとも2027年までのIPOを目標に掲げて事業を展開しています。自分たちの仕事を通して、世の中に貢献したいという思いからIPOを目指しています。現在のところ最適化されているとは言い難い日本のIT業界のアップデートや、遅れている日本のDXを構造から大きく変革していきたいと考えています。
──IT業界のアップデートとIPOは、どのように結びつくのでしょうか。
芝:なぜ日本のDXが思ったように進まないのか。その理由はいくつもありますが、私はIT業界の産業構造に問題があると考えています。
ソフトウェアを一つ開発するにも外部に依頼せざるを得ない企業がほとんどですが、それを請け負う業界は多重下請け構造になっており、コンサル会社、デザイン会社、ベンダー企業などが水平分業型でそれぞれの業務を行います。このような構造では、設計から開発、運用などを全て同じプレイヤーが行う垂直統合型が当たり前の欧米と比べるとスピード感に欠けてしまうわけです。
──現在の事業は、日本のIT業界への問題意識とも通じるわけですね。
芝:一方で、日本のベンダー企業は約2万社あるといわれていますが、その90%は売上規模が10億円以下の中小企業です。つまり、マーケットのフラグメンテーション(分散化や断片化)が大きすぎるため、産業構造自体が最適化されていない状態にあります。このようなIT業界の産業構造が見直され、垂直統合型に近付くほど日本のDXは加速し、人々の生活も豊かになるはずです。
しかし、現在の産業構造を作ってきた既存のベンダー企業が自らを垂直統合型に変えていくのは難しい。イノベーションを起こすには、弊社のような新しいプレーヤーが必要であると考えています。そして、IT業界そのものを変えていくには、ある程度の企業規模が必要となるため、IPOを目指しているのです。
自ら火の粉をかぶりに行く道も。大手では味わえない経験がキャリアになる
──芝さんはこれまでの経験を生かせば、規模は大きくなくても一定の利益を出すビジネスを続けることもできたと思います。このタイミングで「大きな賭け」に出た理由は何でしょうか。
芝:今の私の関心事が「いかにして世の中に貢献していくか」だからです。振り返ってみるとキャリアの最初のうちは自分が楽しいからという理由や、経済的に満たされることを目的に働いていました。しかし、それだけでは満足できないことも実感するようになりました。
日本の将来を考えたとき、自分の能力をどのように使うのか、世の中のために使うことができるのか、そんなことを考えるようになりました。次の世代の若者が夢と希望を持って働ける世の中にしたい。そう考えたとき、IT化の遅れが日本の競争力を下げている現状をどうにかしたいと思いました。
──新卒採用にも力を入れているのも、このビジョン達成に必要だからでしょうか。
芝:この先の日本は労働人口が確実に減少していきます。社会全体が人材不足に陥っていく中で、私たちのような人的資本をベースにしている会社は、どれだけ良いチームを作れるかが成長の鍵です。そのためには、メンバーの一人一人が「この会社は最高」といえる会社にしていく必要があります。新卒入社の早いタイミングで、やりがいを感じながら個々の能力が開花していくこと。それこそが成長の分水嶺(ぶんすいれい)であると私は考えています。
──現在のアイスリーデザインに入社すると、新人はどのような経験ができるのでしょうか。
芝:デザイナーやエンジニアであれば、研修やトレーニング、OJTを経て早く各セクションで活躍してもらうことになります。弊社で働く一番の魅力は、「会社を作る」という経験ができることです。この経験は大手企業では得られないでしょう。
また、アイスリーデザインの仕事は、やればやるほどノウハウやナレッジが積み重なってきます。そのため、得たものを自分一人で留めるのではなく、全員で共有して、仕組み化しています。ちょっとしたデザインでもレギュレーション通りに実行するだけではなく、「会社を作る」というテーマの下で組織や事業が良くなるための仕組みをメンバーの一人一人が作っていく。これにより、会社がどんどんアップデートしていきます。これこそが競争力の源泉であると考えています。
──最後に、就活生の皆さんにメッセージをお願いします。
芝:就職は人生における大きな選択です。悔いのないように、自分にとっていちばん納得のいくチャレンジをしてみてください。もし、昔の私のような「何とかする人材」になりたいのであれば、起業して雇用を生み出す側に回ってほしい。自ら火の粉をかぶりに行くような道かもしれませんが(笑)、それを楽しめるなら起業もアリです。
そういう意味では「次の日本を作っていきたい」と思う人とは、ぜひアイスリーデザインで一緒に働きたいです。大企業の肩書は手に入りませんが、若い時から攻めの姿勢であれば、人一倍の経験ができますし、特別なスキルも身に付くでしょう。
「新卒では大企業に入った方がいい」といわれてきましたが、時代はものすごいスピードで変わり、今はベンチャーがキャリアになる時代です。意欲的なチャレンジャーを迎えるべく、アイスリーデザインの扉はいつでも開いています。
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【ライター:中野渡淳一/編集:(株)デファクトコミュニケーションズ/撮影:赤司聡】