専門商社と聞くと、「特定の素材や商品を取り扱う会社」といった印象を抱く人がいます。しかし、岡谷鋼機は他とは一線を画しているのです。
鉄鋼(鉄鋼・特殊鋼)に情報・電機(非鉄金属・エレクトロニクス)、産業資材(メカトロ・化成品)、生活産業(配管建設・食品)の4セグメントを合わせ、連結で9,000億円以上もの売上を誇る岡谷鋼機は、「ものつくり」に必要な商材をサプライチェーンの川上から川下まで、一様に取り扱っています。また、世界23カ国に展開し、国内外に多くの製造子会社を抱えグローバル最適調達パートナーとして「ものつくり」に貢献しています。
「大手商社の場合は業務が細分化されているイメージがありますが、岡谷鋼機では仕入れから販売まで、一気通貫で仕事に携われます」
「商いのボリュームは大きく堅実な会社基盤がありますが、組織の規模感がちょうどよくて、仕事で困ったときは社員に相談しやすいんです」
……そう語るのは、塚田祐史さんと大藤加奈子さん。同社の強みはどこにあるのか、岡谷鋼機の「ものつくりへの貢献」とはどのようなものなのか。2人の経験からひもときます。
岡谷鋼機は「商い」の幅が広い専門商社
──岡谷鋼機は創業から350年も続く歴史ある専門商社ですが、貴社の特徴を改めて教えてください。
塚田:専門商社と一口にいっても、鉄鋼に特化した商社や、化成品に特化した商社などがありますが、当社は稀有(けう)だと思います。岡谷鋼機のセグメント別売上高の比率は、4割が鉄鋼、3割が産業資材、2割が情報・電機、1割が生活産業となっています。つまり、ある分野に特化しているのではなく、各分野の商いのボリュームがそれぞれ大きいということです。このような売上構成の専門商社は他にはありません。これは岡谷鋼機の大きな特徴だといえます。
10営業本部がある当社では、ほとんどがものつくりに必要な商材を扱っています。自動車や航空機などで使われる鋼板や特殊鋼部品、樹脂原料、それら素材を加工するための設備、その設備の中で使われている半導体やFA機器(※1)など、扱う商材は多岐に渡ります。
また、取引先の工場建設や配管資材、さらには食品の取り扱いもあります。このように、「ものつくり」の川上から川下までをトータルに取り扱っている商社です。
(※1)FA機器……ファクトリー・オートメーション機器、工場などにおける生産ラインや検査を自動化するシステムでこれらを実現する機器
──塚田さんの今までのキャリアを教えてください。
塚田:1993年に新卒入社し、名古屋本店メカトロ部に配属になりました。最初に担当した仕事は大手鉄鋼メーカー向けの設備営業でした。その後、静岡支店への転勤を経て、2004年に上海に海外赴任しました。上海にはトータルで12年いましたね。
最初の8年は上海岡谷鋼機で日系企業の中国進出の支援をしながら、設備の輸出入を担当していました。2011年に製造子会社へ出向となり、そこでは社長として会社の経営に従事しました。
2015年に帰国し、名古屋本店長代理になり、名古屋本店の業績向上のため、営業戦略を策定。特に、成長産業(航空機、IoT、ロボット)への取り組みとして、岡谷鋼機の総合力を生かした部署横断プロジェクトを統括しました。
2017年にエレクトロニクス部電機システム室長となり、2018年からエレクトロニクス部長となって現在にいたります。日本、海外、本店、支店、製造子会社と渡り歩き、岡谷鋼機で経験しうることは全て経験しましたね。
──現在担当している業務内容や役割について聞かせてください。
塚田:エレクトロニクス部は半導体・電子部品・FA機器の販売が主なビジネスです。私はメカトロ本部での経験がありますので、エレクトロニクス本来の半導体やFA機器以外に、メカトロの知見を生かしてDX(デジタルトランスフォーメーション)の取り組みをしていきたいと考えています。
──塚田さんが岡谷鋼機に入社した理由は何ですか?
塚田:一番は、海外で働きたかったからです。もともと学校の先生になりたい気持ちもあったのですが、一度はビジネスの世界も経験したいと思い岡谷鋼機に入社しました。それから30年になりますが、そのまま岡谷鋼機で働き続けていますね。
常に新しいことにチャレンジすることが面白いと思うようになったのと、何より自分の提案によって、お客さまに喜んでもらえることが自分の喜びにもなっていったからだと感じます。
塚田 祐史(つかだ まさちか):名古屋本店エレクトロニクス部長
1993年に岡谷鋼機に入社。初期配属は名古屋本店メカトロ部。静岡支店を経て、2004年、上海に海外赴任となり、上海岡谷鋼機に勤める。2011年、上海の製造子会社の社長となる。2015年に帰国し、名古屋本店長代理となる。2017年、名古屋本店エレクトロニクス部電機システム室長となり、2018年から現職。
──ありがとうございます。では大藤さんのご経歴を聞かせてください。
大藤:2005年に新卒入社し、刈谷支店(愛知県刈谷市)の自動車部品室に配属されました。そこでは主に自動車のTier1(※2)メーカー向けに自動車部品の営業を担当していました。その後、2013年に東京本店メカトロ部へ異動となり、最初は航空業界向けに設備の営業をしていました。
2度の育児休業を経て復職し、今は主に電気自動車のリチウムイオン電池を製造する会社向けの設備や部品の営業を担当しています。自動車業界全体が電気自動車に向かっていく中で、リチウムイオン電池業界は活況の市場となっており、その分野に新規ビジネスとして取り組んでいる状況です。
(※2)Tier1……一次請けの企業
──現在担当している業務内容や役割について教えてください。
大藤:刈谷支店で部品のビジネスに携わってきたので、メカトロでその知見を生かして基礎をつくり、1つの仕事として大きなビジネスを立ち上げることが、部署から期待されていることでもありますし、私がメカトロ部にいる意味でもあると思っています。会社からは管理職としての役割を期待されており、後輩の指導も担当しています。
──岡谷鋼機に入社したきっかけを聞かせてください。
大藤: 独立系商社は商材を取り扱う上で自由度が高く、幅広い製品を提案できる点が魅力的に感じていました。私も国内外で仕事を創ってみたいという気持ちがあり、先輩社員と話をした際に女性社員も海外で勤務していることを聞き、自分自身が働く姿をイメージすることができました。
また、就職活動中に比較的社員と接する機会が多く、そのときに岡谷鋼機で自分が長く働く姿が具体的に想像できたことが決め手となったんです。
実際は思っていた以上に地道で泥臭い仕事も多く、お客さまのニーズを把握するために工場に通い続ける日々もありました……。ただ、そういった行動が提案力を高めることにつながったと感じています。
大藤 加奈子(おおとう かなこ):東京本店メカトロ部メカトロ室
2005年に岡谷鋼機に入社。豊田本部刈谷支店に配属となり、Tier1向けに自動車部品の営業を担当する。2013年、東京本店メカトロ部へ異動。キャリアの中で2度の育児休業を経験。現在は主に自動車のリチウムイオン電池製造会社向けの設備や部品の営業を担当している。
社員全員顔見知り。「ものつくり」の川上から川下まで仕事に携われる
──独立系の専門商社である岡谷鋼機の強みについて教えてください。総合商社との違いも聞きたいです。
大藤:大手総合商社の場合は大きな仕事の中で業務が細分化されていて、社員はその中の一部を扱っているイメージがあります。しかし、われわれの場合は最初から最後まで仕事に携われます。独立系の商社だからこそ扱う商材の自由度が高く、自分次第で仕事を創り上げていくことができます。
塚田:会社の規模感も程よく、他部署との垣根も低いのが岡谷鋼機の良さだと思います。例えば他の企業では年末、社内の懇談会で同じテーブルになった社員同士が名刺交換をするといった話を聞いたことがありますが、そういうことは、われわれからすると考えにくいです。
大藤:ほとんどの社員を知っていますからね。仕事上で接点がない人でも名前を聞いたことがあったり、噂(うわさ)が耳に入っていたり、岡谷鋼機の社員のことは何かしら知っていますね。
──貴社は企業理念で「ものつくりへの貢献」を掲げています。今後どのような事業領域に注力していきますか?
塚田:現在、岡谷鋼機では「グローバル」「イノベーション」「チャレンジ」を大きなテーマとして取り組んでいます。エレクトロニクス領域では特に「イノベーション」で、新技術に注力します。DXやスマートファクトリー、CASE(※3)などがここに当てはまります。
「もの売りからこと売りへ」といわれていますが、当社も「こと」、つまり「もの」を売るだけではなく、顧客の課題解決ができるソリューションを提案する方向に大きく舵(かじ)を切っています。
(※3)CASE……Connectedコネクテッド、Autonomous自動運転、Shared & Serviceシェアリング・サービス、Electric電動化の頭文字をとった、次世代の自動車業界が注目する分野のこと
「異国で仕事をさせてもらっている」という感覚を持たないといけない
──塚田さんは上海に赴任し、製造子会社の社長を経験しています。海外で会社経営する上で慣れない環境もあったと思います。どんな苦労や困難がありましたか? それをどのようにして乗り越えましたか?
塚田:駐在した国で文化が違う人たちが部下になるので、そのコミュニケーションの取り方に苦労しました。その中で、現地の社員を尊重することは常に意識しました。自分が異国で仕事をさせてもらっている感覚を持つことは非常に大切です。
その後、製造子会社の責任者になってからは、とにかく方向性を明確に出すことと、社員の環境を整えることに注力しました。社長としてやりたいことを現場の人にも心を込めて伝えることに心血を注ぎました。
「ものつくりの会社において大事なのは『品質』と『安全』だから、とにかくこの2つを守ってください」という話を社員に向けて、毎朝朝礼で話しました。仕事を通して社員と一緒に喜びも悲しみも共有しながら、人間関係を築いていきました。
2000年代初頭、中国では日系自動車メーカーの進出がブームだったので、「これから日系企業が増えるから、品質の良い設備を作れば中長期的な収益を得られる」というトレンドがあったのです。そこで、私は現地のメンバーを鼓舞しました。
ただ、彼らの給料は、基本給よりもインセンティブの部分が厚いので、目の前の売上を得ることに意欲的で、最初はなかなか中長期的な仕事に取り組んでくれませんでした。
しかし、将来的に業績が伸びていけば、継続的に利益が得られるので、それを社員に還元できます。そのため、売りたいものや、ものがなぜ売れるかを細かく説明したんです。日本ならではの顧客と長期的なパートナーシップを結ぶビジネスを、彼らに理解してもらえるように尽力しました。
他部署や取引先メーカーを主体的に巻き込み、総合力を生かして仕事を創り出す
──商社の醍醐味(だいごみ)として「仕事を自分で創り出す」という特徴があると思います。大藤さんが特に印象に残っている仕事について教えてください。
大藤:入社して3年目のころ、大手Tier1メーカーから「今、鉄で作られているものを樹脂化したい」というお話がありました。当時私の部署では樹脂を取り扱ったことがなかったので、樹脂メーカー探しから始めなければなりませんでした。
一社一社メーカーを回って当たりをつけていたところ、コストの問題でどうしてもターゲットプライス(目標価格)を達成できないことになったんです。
どうしようかとさまざまなメーカーと協議し、社内でも部署を超えてたくさんの先輩たちからアドバイスを受けました。そして、ある部品に工夫をすれば実現できるかもしれないとわかったのです。
それを実現できるのが佐渡島のメーカーでしたので、現地に出張に行って交渉を重ねることで、実現できました。最初に相談をいただいてから3年ほどたっていましたね。
これは新技術として客先から評価を受け、表彰をいただくことにもなりました。この出来事を通して、商社発信でもメーカーと協力することで「ものつくりの変化に関わることはできるんだな」と感じました。
お客さまの現場へ通ったからこそ、この相談をいただき、佐渡島の現場まで行って現地の人と交渉し実現できたと思っています。
「現地・現物・現人」の三現主義(※4)は本当に大切だと痛感しました。また、社内のいろいろな先輩たちにアドバイスをもらう中で提案ができたことも深く印象に残っています。
(※4)三現主義……「現地」「現物」「現人」の頭文字をとった造語。実際に現地で現物を見て、関係者と直接コミュニケーションを取り、問題解決を図ること
──先ほど、社員同士は顔見知りだと伺いました。だからこそ、業務を進めるうえで何か困ったことがあると、社内の誰かにすぐ相談できるわけですね。
大藤:はい。違う部署の相手でも直接話したことのない相手でも、とてもフランクに聞ける雰囲気です。
塚田:「困ったときにいつでも誰にでも相談できる」のが、岡谷鋼機の本来の強みであり、総合力につながっていると感じています。
その強みを伸ばそうと、若手・中堅社員を集めた部署横断プロジェクトを続けており、部門を超えてアイデアを出し合っています。難しいことをするのではなく、日々の仕事をしながら目に入ったものを発信するイメージです。
入社2カ月目で顧客対応。失敗を恐れずに挑戦する社風があるから、主体的に行動できる
──入社してから一人前として仕事を任されるようになるまでは、どのようなステップを踏むのでしょうか?
塚田:私の場合は入社2カ月目から担当を任され、先輩社員から業務を引き継ぎました。社内で教わったこと以上に、お客さまに鍛えていただいたことで一営業担当として成長していけたと思います。
大手商社の場合、自分の担当を持つまでに何年もかかると聞いたことがあります。若手だと「早く独り立ちしたいのに仕事を任せてもらえない……」といったジレンマを抱えることもあるようです。それだけ大手は戦力の層が厚いのだと思いますが、当社では1年目、2年目から戦力として仕事を任されることもあります。
早い段階で仕事を任されるのは不安もありますが、まわりに相談すれば丁寧にフォローしてもらえるし、先輩たちは「失敗してもいいから行ってこい」というスタンスで送り出してくれます。もちろん、ほったらかしではなく「何かあったら自分たちがどうにかするから」と言ってくれます。そういう状況のなかで結構自由にやらせてもらえていたなと思います。
──岡谷鋼機では入社1年目で顧客対応を任されることがあるのですね。新卒入社の学生は不安があるかもしれませんが、失敗を恐れずにチャレンジできる風土があるのは魅力的に思えます。大藤さんは2度の育児休業を経て、現場復帰されています。育児休業の際、自分のキャリアが止まってしまうことに不安はなかったでしょうか。
大藤:キャリアの分断というよりは、復帰したときに成り立つのかという不安のほうが大きかったです。私は2021年6月に復帰したのですが、今もまだ試行錯誤をしています。時間的な制約もあるなかで、仕事を続けられているのは上司や同じ部署の方たちに助けていただいているからです。
また、会社の制度としてベビーシッター代の補助などもあるので、それらをフル活用しています。子育てしながら働いている先輩もたくさんいらっしゃいますが、環境は人それぞれで違いますので、私の環境の中でどうするかということを考えています。
──若手時代の経験が、どのように現在につながっていると思いますか?
大藤:今は働き方改革が進んで残業も少なくなっていますが、私が若手だった頃は、忙しい部署だったこともあり、夜遅くまで働くこともありました。
全ての仕事に対して常に100%の力を出し切って業務を行っていたんです。そのときの経験があるからこそ、今は「全エネルギーの8割をこの仕事に投入して、残り2割のエネルギーを新規取り組みに充てる」など、自分のリソースをうまくコントロールできるようになったと思います。
また、若手社員時代は時には上司から厳しいことを言われることもありましたが、支店全体の人間関係はとても良かったです。
例えば、誰かの仕事でトラブルが発生したらみんなでその現場へ行って解決するようなチームワークのある支店でした。そのようなチームのメンバーに認められたい、という思いがモチベーションになることも多かったです。
塚田:人間関係がよくない職場では、定時まで働くのもしんどいかもしれませんね。私も若手のころは遅くまで働くこともありましたが、ときには他愛(たわい)もない話をしながら楽しくやれていたなと思います。
岡谷鋼機で活躍できる若手社員の3つの特徴は「失敗を恐れずに動ける」「アドバイスを素直に聞ける」「自主的に考えて動ける」
──新卒学生にはどのようなことを期待していますか?
塚田:グローバルに挑戦したいというマインドは持っていてほしいですね。また、新しいことに意欲的で好奇心旺盛な人は当社で圧倒的に伸びています。新しいことにチャレンジするためには、そのために時間を作ろうと頭を使う必要があります。自分の興味のあることに注力するために、やるべきことを短時間で成し遂げるのです。
あとは、自分の意見を自分の言葉で言えることも大事だと思います。意見は人それぞれなので、それが正しいか間違っているかは関係ありません。自分の意見を押し殺さずに、臆さずに言ったほうがいいと感じます。若手社員にも積極的に意見を発信していくことを期待しています。
大藤:「失敗を恐れずに動ける」「アドバイスを素直に聞ける」「自主的に考えて動ける」この3つを実行できる人は伸びると思います。
──その3つの要素が岡谷鋼機で活躍できる特徴なんですね。逆に、活躍できない人の特徴はありますか。
大藤:はい。先ほど述べた3つの要素は、当社で結果を出している社員に共通している点なので、これらが自然にできる人は岡谷鋼機でぐんぐん伸びると思います。活躍できない人でいうと、例えば、すごく優秀で勉強ができる人でも、周りの人のアドバイスを素直に受け入れられない人は、成長の足かせになるのでもったいないと思います。
──ありがとうございます。最後に、就活生に一言メッセージをお願いします。
大藤:選考の過程で、できる限り多くの社員の話を聞く機会があるといいかなと思います。一般的に会社を辞める理由の1つに人間関係が挙げられているようです。
仕事の内容は入社してみないとわからないところがありますが、その会社の雰囲気やどういう人と一緒に働くことになるのかは、社員と接してみればある程度わかります。
仕事がつらかったとしても人間関係がうまくいっていれば、周りと協力して頑張れることもあるので、そこで働いている人の話を聞いて接点を持つことは大事です。
塚田:就職活動はいろいろな会社を見られるいい機会なので、あまり自分を型にはめずに多くの人に話を聞くといいでしょう。また、自分自身を知るいい機会でもあります。自分は何者なのか、なぜそれをやりたいのか。自分の内側に向き合い、とことん考える時間を持ってみてください。
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【ライター:森英信/撮影:齋藤大輔】