「新型コロナウイルスで何が変わったか?」
そう聞かれたら、多くの社会人は「通勤」と答えるでしょう。
会議や授業がオンラインに移行したことで、会社や学校に行く必要がなくなった。東京から満員電車が消え、新幹線もガラガラ……そんな光景をテレビで見て、驚いた人も多いのではないでしょうか。
当然、鉄道業界は未曽有の大打撃を受けました。再度の緊急事態宣言の影響もあり、乗客数がコロナ前の水準まで戻る保証はありません。
ビジネスの根幹が揺らぐ中、各社はどのように生き残りを図るのか。今回ワンキャリアが取材したのは東急電鉄(東急)です。
「家と仕事場を往復する2点間移動の時代は終わりつつあります。これから鉄道は自社単体ではなく、グループを巻き込む総合力の勝負になるのではないでしょうか」
そう語るのは地域連携・マーケティング課の後藤修平さん(※所属部署は取材時点)。詳しく話を聞くと、同社が打撃を受けた1番の理由は定期券、そして復活のカギを握るのもまた定期券であることが見えてきました。
人の移動が減った未来における鉄道の価値とは? アフターコロナの鉄道業界の姿に迫ります。
連載:「アフターコロナ」の業界研究
新型コロナウイルスの感染拡大により、打撃を受け、変化を余儀なくされる業界は少なくありません。この連載では、各業界の企業を取材し、ビジネスへの影響と復活へのシナリオ、そして各業界の「ニューノーマル」の姿を浮き彫りにしていきます。
後藤 修平(ごとう しゅうへい)
東急電鉄株式会社 鉄道事業本部 運輸計画部 地域連携・マーケティング課 課長。2003年、東京急行電鉄(現:東急株式会社)へ入社。鉄道事業本部にて駅係員、車掌、運転士などの現場業務、鉄道用地の仕入れなどを担当し、2013年に経営企画室へ異動。2016年からは観光事業開発部 企画開発課の業務も兼務。同社のオープンイノベーション活動の一環として訪日外国人向けガイドマッチング事業・地域PR事業を手がける株式会社Huber.へ出向し、セールス領域を担当。2018年10月に鉄道事業本部へ異動し、鉄道利用の需要促進に関する企画業務や沿線地域の活性化を目指したイベントの企画などに携っている。
「定期券」による理想的なビジネスモデルが崩壊、東急電鉄を襲った「私鉄の勝ち組」ゆえの厳しい現実
──先日発表された決算(2020年度第2四半期)を見ましたが、通期の予想が、連結全体で約450億円の赤字となっていました。
後藤:そうですね。鉄道についても人の移動が激減したこともあり、経営環境は非常に厳しい状況です。
現在、鉄道の利用者はコロナ前の7〜8割近くにまで戻りましたが、ひどいときは5割ぐらいまで下がりました。新型コロナウイルスが収束するか分からないため、業績の見通しが立たない状況でもあります。
──なるほど……。業績の悪化はやはり乗客の減少が原因だと。
後藤:特に、定期券を購入される方が大きく減ったことが鉄道経営にとっては非常に厳しかったです。
──定期券ですか?
後藤:皆さまは(1回目の)緊急事態宣言が終わった後、定期券を購入されましたでしょうか?
──あっ……確かに買っていないですね。オフィスに行く機会が減ったので、割に合わないなと思いまして。会社としても、オフィスに通勤した日数分の交通費を支払うルールに変わりました。
後藤:そうですよね。新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、多くの人がオフィスへ行かなくても良い働き方に変化しました。それは、定期券を購入することが当たり前ではなくなり始めたことを意味していると思います。
2020年度 第2四半期決算(投資家様向け説明会資料)より
──言われてみれば確かにそうですね。まとまった収益を得る手段がなくなってしまう。
後藤:6カ月定期券のように、先に半年分の運賃が得られるということは、キャッシュフローの観点で見ればとても理想的なことです。私たちはその収益で安全・サービス向上につながる設備投資や沿線の整備を行ってきました。ところが定期券をお買い求めになるお客さまが激減したことで、このモデルが根幹から崩れてしまったわけです。
──実際、定期を買う方ってどれくらいいらっしゃるんですか?
後藤:100万人くらいじゃないでしょうか。関東の私鉄7社で比較しても、通勤定期の減少率は東急電鉄がダントツでした。私たちの路線は主に都心部と住宅地を結ぶ路線であるため、主要なお客さまは、通勤や通学で定期券を利用される方が大半を占めております。
──なぜ、東急が一番なんですか? どの私鉄も住宅地と都心を結んでいると思いますが。
後藤:われわれも通勤定期の減少率の背景を調査したところ、東急沿線に住んでいる方は大企業に勤めている方が多く、いち早くテレワークへ移行したことが分かりました。出社しなくても仕事ができる体制が整っていたり、既に近くにサテライトオフィスが備わっていたりしていたんです。こうした状況では、それが裏目に出たと考えています。
人が消えるのが最大のリスク。新型コロナで問われる「東急沿線に住むメリット」
──徐々に利用者数が戻っているとはいえ、完全にコロナ前の水準にまで元通り……とはいかない面もあると思います。そのリカバリーや今後の成長は、どう考えているのでしょう。
後藤:感染拡大が落ち着くことが前提ではありますが、まず短期的なリカバリーとしては、「いかに皆さんに外出してもらうか」がポイントになります。最近では「Go To トラベル」や「Go To イート」など、国や自治体が助成金を出す形で、外出を促進しようとしていました。こうした景気刺激策に鉄道業界が絡めるかがポイントです。
実際、今回のGo To トラベルでは旅行代理店やホテル事業者しか事業主体になれませんでした。仮に事業主体となれていれば、自分たちでキャンペーンの対象となる切符などを作れていたと思います。こうした支援を生かして、当面の収益源をカバーするという戦略が求められているのです。
──収益強化もそうですが、コストカットも必要ですよね?
後藤:はい。夢のない話かもしれませんが、広告宣伝費は10億円規模で節減しましたし、現場でも電車の運転方法が見直されました。工夫の結果、1カ月で億単位の電気代を節約することもできました。
──そんなに変わるんですか!?
後藤:本当にささいなことですが、力行(りっこう=アクセル)する時間が1秒減ると10円〜20円の節約になります。例えば、田園都市線は渋谷から中央林間まで27駅ありますから、全ての駅間で1秒減らせば300円くらいにはなるはずです。これを全路線の全ての電車で実施すれば、1日でも結構な金額になることが分かると思います。今は現場の駅係員、運転士も、自分たちができることを探し、アイデアを提案してくれます。運転方法の改善も現場からの声でした。
──危機を乗り越えるために全社が一丸となっているわけですね。短期的なリカバリーの先には何を見据えていますか?
後藤:中長期的には「沿線に囲い込む」ということが重要になるでしょうね。リモートワークができるようになり、「都心へのアクセスの良さ」が住居の優先条件から外れるようになると、東急沿線のエリアが選ばれなくなるということも起こり得ます。グループ企業は基本的に鉄道の沿線でビジネスを展開しているわけですから、そうなると総倒れになるリスクもあると考えています。
鉄道会社だけがもうかればいいという構図ではなく、沿線にお客さまが定着していただけないと意味がありません。東急沿線に住んでいるメリットを享受できる環境を作ること。これを鉄道単体で実現するのは難しく、グループ全体で一層進めなければならないと考えています。危機感は大きいです。
鉄道単体で出かける用事は作れない──グループ企業の巻き込みが復活のカギに
──鉄道単体で実現するのは難しい……となると、他社も含めて、鉄道に加えてさまざまなグループ企業がないと、今後は事業が立ち行かなくなる可能性が高いということですか。
後藤:各社で戦い方は異なりますが、そういう面は一定程度あると思います。基本的に電車に乗るのは、どこか別の場所に行く用事があるときです。ということは、移動をする目的をどう創出するかがカギです。
例えば、2019年に南町田に作った「グランベリーパーク」という大規模なショッピングモールでは、町田市との連携で生まれた文化拠点や公園との一体空間が好評を得ています。こういったスポットを作れば、お客さまが来てくれる──これは今までも当社が取ってきた戦略ですが、鉄道事業だけではこういう動きはできません。このように、グループ会社の力を借りたり行政と連携を取ったりするなど、移動の目的を作ることができないと鉄道会社は厳しくなる時代が到来するのではないかと考えています。
──なるほど。グループ企業とうまく連携できれば新たなチャンスが生まれると。
後藤:東急グループの強みは、さまざまな事業を展開している、いわゆるコングロマリット企業であることだと考えています。他社にまねできないような組み合わせができるはずで、新たなビジネスが生まれるチャンスだと思っています。
例えばホテル。仮に「東急の定期券を持っている人は、二子玉川エクセルホテル東急でテレワーク向けのデイユース(日中利用)ができる」みたいな話があったら面白いと思いませんか。他にも、駅に設置したスマートフォンの充電器を定期券の所持者は無料で使えるようにしたり、シェアサイクリングが使えたり。そんなビジネスを考える戦略が求められると考えています。
──総力戦で価値を生んでいく、という発想になるということですね。
後藤:実際、定期券についてはグループ他社と協力して、乗車以外の付加価値を付けて購入を促そうと考えてもいます。先日、「DENTO(デント)」という都心通勤者の移動・就労ニーズに対応する新たなサービスをリリースしました。田園都市線郊外と渋谷駅・東京駅を結ぶ通勤バスのチケットや、東急線沿線のワーキングスペース利用チケットのほか、定期券をお持ちのお客さまには、限定メニュー(東急線の電車や東急バスの1日乗り放題100円チケットなど)や東急グループ内外の優待割引などを行うことで、定期券保有の新たな付加価値を提供しています。
2点間移動の時代は終わった。多拠点移動に合わせて「定期券」のルールが変わる?
後藤:新型コロナウイルスの感染が拡大する前から、定期券の購入者離れは社内で課題とされていました。2020年1月に「東急線・東急バス サブスクパス」という、電車やバス、そしてグループ企業の飲食店や映画館などを定額で使えるサービスの実証実験を発表していました。
──公共交通機関と周辺施設がコラボした取り組みというわけですか。面白いですね。具体的にどのような内容ですか?
後藤:東急線全線と東急バスの一部路線が乗り放題になるほか、駅構内にあるそば屋を利用できたり、横浜駅や川崎駅周辺などにある5カ所の「109シネマズ」で映画を好きなだけ見られたり、専用の電動自転車と駐輪場を利用できたりといったオプションを用意しました。利用傾向やニーズを見て、本格的な導入を検討する予定でしたが、コロナの影響で延期になってしまいました。
──定期券の新しい使い方を模索しているというわけですね。
後藤:新型コロナウイルスの影響もあり、それこそ、自宅と会社という2点間のみを移動する時代は終わりつつあると思っています。今日はオフィス、今日は営業先、今日はサテライトオフィス……という感じで、多くの拠点を移動する時代になっていくのではないかと考えています。
東急電鉄は、私鉄では珍しく東京西南部エリアに8路線が面的に組み合わさっています。そのため、2点間の定期はやめて、全線を使えるような定期券を作った方が利便性が高いと考えたことが、この実証実験を行ったきっかけです。今は既存の定期券にどのような付加価値をつけるかを考えています。
──今後、電車に乗って仕事に行くのが当たり前じゃなくなるときに、電車の価値はどう変わっていくのでしょうか?
後藤:30年、50年後と考えたときに、そもそも電車が存在しているのかというのは難しい問題だと思っています。少なくとも、人の輸送という機能の必要性は減っているのではないでしょうか。
一方、直近で考えると、人の活動範囲が小さくなると私は予想しています。もしかしたら、最寄りから2〜3駅のエリアで仕事もプライベートも完結させ、短距離的に鉄道を使う人が今後は増えてくるかもしれません。私たちは駅を中心とした生活圏を「駅勢圏」と呼んでいますが、小さな駅勢圏を定住者にとって魅力的な街にしていくことが良いのではないか、と考えています。
──なるほど。最後はまちづくりにつながるわけですね。
後藤:はい。東急は「まちづくりの会社」とアピールしています。鉄道も、街に支えられてここまで発展したのだと思っています。東急線の面的なネットワークを生かせば、人の輸送以外にも、例えば宅配便の荷物を輸送するなど、新たな道は出てくるはずだと考えています。ここは、他社と異なる東急の強みを生かしたいところです。
前例主義からマーケティング重視へ 分社化+コロナ禍で意思決定も「超高速」に
──ありがとうございました。ちなみにコロナ禍を通じて、社内の雰囲気などは変わりましたか。
後藤:コロナ禍もそうですが、2019年10月に鉄道事業が分社化したことがインパクトとしては大きいですね。東急電鉄株式会社として、新しい時代の変化に適応するために、経営層の意識も大きく変わったと思います。意思決定のスピードが早くなりましたし、より顧客ニーズを考えるようになったと思います。
──今まではそうではなかったと?
後藤:「お客さまの安全を守る」という使命は今も変わりませんが、どうしても前例主義というか、顧客創造に向けた新たなチャレンジには慎重にならざるを得ない部分がありました。今はそれも変わってきています。
先ほどお話ししたサブスクパスは、社長と副社長に提案したらすぐテストマーケティングに進めました。「もうかる、もうからないではなく、次につながるようなデータが取れるかに価値がある」と。経営層との距離感が近く、すぐに行動へ移せるという意味で、若手が活躍しやすい会社になったと思います。
──新たな施策を打つという意味で、マーケティングの重要性も高まっているということですね。
後藤:はい。今まで私たちは「ライバル私鉄に負けるな」という意識はあったものの、そもそも他社の強み、東急電鉄の弱み自体をきちんと分析できていませんでした。
今や新型コロナウイルスに関係なく、鉄道も顧客ニーズを考えないと選んでもらえない時代です。油断していると10年後にはお客さまが離れてしまう……そう考えていたら急にそのような未来が来てしまったという印象です。思い込みで事業を進めるのではなく、きちんとユーザーの声を聞く。これは鉄道業界全体が向き合うべき課題だと考えています。
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