「外資BIG5特集」の第2弾は、外資系戦略コンサルティングファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、現在東北の復興支援に軸を置く、一般社団法人RCF(※1)代表 藤沢烈氏へのインタビュー。
震災発生の翌月には、混乱状態にある被災地の情報整理や課題分析に後方支援として貢献。震災から5年たった今も、行政や企業との協働で復興にむけ奔走する日々。そんな多忙を極める藤沢氏のベースに今も昔もかわらずあるものは、「目のまえのことに全力で取り組む」というブレない姿勢だった。
前編では、藤沢氏が目の前の仕事へ全力で取り組む理由に迫る。
(※1)RCFとは、2011年9月に設立した一般社団法人。情報収集や分析を活かした災害からの復興、および社会課題解決に関する事業などを行う。
藤沢氏は言う、「いちばん難しい仕事」で幕を開けたマッキンゼー時代
藤沢烈氏:
大学卒業後、外資系戦略コンサルティングファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、現在東北の復興支援に軸を置く、一般社団法人RCFの代表を務める。
KEN(聞き手):
ワンキャリアの若手編集長。28歳。博報堂、ボストンコンサルティンググループ出身。ビジネス経験とは別に、学生時代にボランティア団体を設立・プロボノ支援等のソーシャルセクターでの活動経験を持つ。
KEN:社会事業コーディネーター(※2)として、東北の経済再生や地域コミュニティの創出に尽力されている藤沢さんですが、大学在学中にミニコミ誌(※3)を創刊したほか、場づくりのためのサロン運営やレストランバーの経営など、学生時代から大変エネルギッシュに活動されていますよね。新卒でマッキンゼーを就職先に選ばれた理由はなんだったのでしょうか?
(※2)社会事業コーディネーター:「社会の課題から未来の価値」をつくる仕事。住民、自治体、企業、NPOなどと協業することで黒子として社会をリードする。
(※3)ミニコミ誌:自主制作の雑誌全般のこと。ミニコミ(ミニ・コミュニケーション)とは、マスコミの大量伝達に対比してつくられた言葉で、特定の範囲を対象とする情報伝達方法のことを指す。
藤沢:学生時代、経営スキルが足りずレストランバーを閉店させてしまった経験から、マッキンゼーで経営を勉強したいと思ったのです。でも失敗したことがあって、入社早々に「いちばん難しい仕事をやらせてください!」と言ったところ、本当に難しいプロジェクトを担当することになってしまって……。とても後悔しています(笑)。
KEN:それはまたすごいですね。具体的にその「いちばん難しい仕事」とは、どのようなものだったのでしょうか?
藤沢:ある鉄道会社の全社変革プロジェクトでした。成長戦略、生産性向上、コストカットの実現、それらを全部やるという形で。僕は2年目で千億円単位のコストカットをすべて任されたのですが、マッキンゼーが当時初めて取り組むクライアントだったこともあり、スムーズにことが運ばず追い込まれました。
KEN:「いちばん難しい仕事をやらせてください」と、新卒で、しかも入社早々に言えたのはなぜだったのでしょう?普通、相当度胸がないといえません。
藤沢:やっぱり成長したかったということがあります。それともう1つ、「いろいろな仕事がしたい」ということも伝えました。実際にさまざまな職種、テーマ、新規事業も営業も、見事にすべて経験させてもらいました。その分毎回勉強しなくてはいけなかったので、苦労の連続でもありましたね。
もう一度就職活動をやり直すとすれば、やはりマッキンゼーを受ける
KEN:私もコンサルティングファームにいたのでわかるのですが、コンサルティングって本当に全力投球ですよね。そこそこ楽しみながらやれる仕事ってほかに結構あると思うのですが、もし藤沢さんが新卒として就職活動をやり直すとすれば、またマッキンゼーを選ぶと思いますか?
藤沢:選ぶと思います。僕は目の前にある仕事に全力で打ち込める環境を常に求めています。そういった意味では、コンサルティングファームは取り組みがいのある仕事ばかりですね。全力で仕事にぶつからないと生きていけないくらいです。だからこそ、マッキンゼーをもう一度受けてもいいと思います。ただ、「一番難しい仕事をやりたい」とはもう言いません(笑)。
KEN:なるほど(笑)。そのマッキンゼーを2年で退職されたわけですが、2年という期間はご自身なりにどのように捉えていますか? 長かったのか、短かったのか。
藤沢:2年たった頃に知り合いのNPO法人を手伝うことになり辞めたのですが、長すぎず短すぎず、ちょうどよかったですね。コンサルタントとして一人前になれたとはまったく思っていませんが、とにかく全力で打ち込んだ2年間でした。
マッキンゼーで学びRCFの活動で活きていることは「度胸」と「分析力」
KEN:さまざまなプロジェクトを通してマッキンゼーで学んだことが、RCFの活動で活かせていると感じることはありますか?
藤沢:「度胸」と「分析力」の2つがあります。
1つ目は「度胸」です。コンサルティングは提案がすべてで、大手企業の課題を捉えて御社にはこれが必要だとぶつけ続ける仕事です。おかげで、今は大手企業を相手にした折衝ごとも苦手意識なくやれています。
2つ目は「分析力」。震災復興の仕事の特徴は、エリアが広範囲に渡り、地域によって解決すべき課題がまったく異なることです。その1つひとつを整理してアプローチできているので、これもマッキンゼー時代に培ったスキルが大きいですね。
RCFの活動:ソフト面でのまちづくりが課題
KEN:震災から5年が経ちますが、復興の現場はどのような段階なのでしょうか?
藤沢:まず「まちをつくる」という復興の大テーマがあります。道路や住宅などのハード面ができて終わりではありません。人が暮らして、仕事があるというところまでが復興です。そのためには、そこに住んでいた人々に「また戻ってきたい」と思ってもらう必要がある。ソフト面での問題解決が必要です。ハード後のソフト面でのまちづくりって、実は経験のある人がほとんどいません。そこで、今我々が行なっているのがこのソフト面でのまちづくりです。地域ごとの計画を理解しながら、誰とどのような取り組みを行えばまちがつくられるのかを、分析しながら実行に移すことです。
KEN:一般社団法人ということは、活動資金は、主に寄付や行政からの助成金になるのでしょうか?
藤沢:うちは事業型なのでどちらでもなくて、企業や行政から業務として請け負っています。このまちにとって今最も必要だと感じる事業を我々が提案し、市や町が必要だと手を挙げたら実行に移します。
地域コミュニティ再生の解決策は、「祭り」
KEN:ソフト面の問題解決は、ハード面より難しい印象があります。具体的には今どのような取り組みをされているのですか?
藤沢:RCFは、例えば岩手県の釜石市、福島県の双葉町、大熊町などと連携して活動していますが、1つの例として「祭り」の運営サポートです。住んでいたまちを離れてしまうと、お互いほとんど連絡できず、まちに対してのアイデンティティが失われるペースが早いのです。10歳以下の子どもなら避難先での生活のほうが長くなり、なおさらです。そのような状況でまちに対する気持ちをどう維持するかを考えたときに、コミュニティの結束を最も実感できる祭りを実施することにしたのです。
KEN:確かに祭りはそうですね! 地域のコミュニティを再確認できて、かつ毎年訪れるものです。反響はいかがですか?
藤沢:まちの人もすごく大事にしてくれていて、多少離れた地域に住んでいても祭りのためにやって来ます。数年ぶりに再会して抱き合う場面などを見ると、こちらも嬉しくなりますね。
藤沢氏の世界が目を向けるゼロからのまちづくり事例
KEN:一般社団法人やNPOは、そもそも成果が測りにくく、ソフト面だとさらに成果が見えにくいと推測します。どうやって行政を説得したのかが気になります。
藤沢:まさにそのとおりで、目に見えない支援になります。ソフト面でのコミュニティ支援が政策的にいかに必要かを行政に訴えて、我々なりにKPI(※4)を立てて達成する。行政からすると、最初はなんのことやらという感じでした。そんなものは勝手にできるものであって、行政が何かやるもんじゃないとむしろ怒られました。でも今は各地で最重要課題の1つになっています。この5年の仕事で魅力に感じていることは、ゼロからのまちづくりに行政や企業、住民と協業しながら取り組めていることです。人口減少期のまちづくりの事例は、今後世界的にも非常に重要になるはずです。
(※4)KPIとは、Key Performance Indicatorの略。組織や事業、業務の目標の達成度合いを計る指標のこと。
KEN:この事例が世界で?
藤沢:はい。昨年イラク政府の高官が、福島を見たいということで来日しました。福島には原発、イラクにはIS(イスラム国)問題があります。いつ郷里に戻れるかわからない避難状態をどうしのぎ、将来を見据えて暮らすべきかを福島から学べるのではないかという理由でした。
KEN:なるほど。福島の例がモデルケースになると。
藤沢:私もなるほどそうかと思いました。福島の状況ってレアケースだと思っていたのですが、イラクの難民問題と重なるのかと。それでイラクの高官の方を、福島の行政や現地の事業者、日本政府関係者とも引き合わせることにしたのです。震災復興に深く関わるほどに、世界に広がる可能性のある普遍のテーマに取り組んでいる実感が大きくなっています。
藤沢氏が今でも目の前の仕事に全力でコミットする理由
KEN:震災以降の5年間、東北の復興に本気で向き合っているからこそRCFを続けられているのだと思いますが、藤沢さんが目の前のことに全力で取り組むスタンスを取られているのは、何か原体験があってのことなのでしょうか?
藤沢:原体験というより、このやり方が合っているんです。20歳のときに10年後こうなりたいと思ったとして、それは10年前の発想です。ある程度世の中を予測して動く逆算型よりも、変化を巻き起こす側でいたいのです。それにはまず目の前のことに集中して、起きた変化に全力で対応して適応できる人間でいようと思っています。
経営に失敗してしょうがなくマッキンゼーに入った藤沢氏。
KEN:仕事に対する取り組みややりがいも、基本的にはマッキンゼー時代とソーシャルセクター(※5)で働く今とでは変わらないと。
(※5)ソーシャルセクターとは、環境・貧困などの社会的課題の解決を図るための持続可能な事業や組織を指す。
藤沢:仕事へのスタンスは変わりません。僕が一貫して言いたいことは、「仕事を手段にしてはいけない」ということ。マッキンゼーに入社したとき、コンサルティング会社に行きたい後輩に、「藤沢さんはマッキンゼーに行くためにお店をやっていたんですね」と言われたことがありました。
KEN:レストランバーの経営がマッキンゼーに入るための手段だったと。
藤沢:はい。まったく逆で、店をやりたかったのですが、経営に失敗してしょうがなくマッキンゼーに入ったので、後輩の言葉は衝撃でした。マッキンゼーの採用基準はリーダーシップです。私の場合は店を経営するなかでやむなく身に付いたもので、マッキンゼーに行くためにリーダーシップを身に付けようと考えていたわけではありません。だから、とにかく目の前のことに無我夢中でのめり込むうちに、結果的にリーダーシップが身に付いたぐらいがちょうどいいんじゃないかと。学生には、あまり変に先のことを考えず、そういう感覚でいてほしいですね。
──後編「『NPO経営はベンチャーが上場するのと同じくらい難しいと感じる』外資・起業・NPO全てを経験した藤沢氏が語る経営の本質」に続く
WRITING:開洋美/PHOTO:河森駿
藤沢烈:
一般社団法人 RCF代表理事。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立し、NPO・社会事業等に特化したコンサルティング会社を経営。東日本大震災を機に、RCF復興支援チームを設立(現・一般社団法人 RCF)。2012年2月の復興庁設立時から翌年8月まで同庁政策調査菅も務める。総務省地域力創造アドバイザー、文部科学省教育復興支援員。著書に『社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場』(2015年、講談社)。共著に『東日本大震災 復興が日本を変える―行政、企業、NPOの未来のかたち』(2016年、ぎょうせい)、『ニッポンのジレンマ ぼくらの日本改造論』(2013年、朝日新聞出版)、『「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会』(2011年、春秋社)。
ブログ:http://retz.seesaa.net/
Twitter:@retz
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