20人中3人。これが何の数字か分かるでしょうか?
答えは現役閣僚に占める総合商社出身者の人数。政治家といえば官僚や秘書から転身するイメージが強いかもしれませんが、茂木敏充 現・外務大臣(丸紅出身)、赤羽一嘉 現・国土交通大臣(三井物産出身)、岸信夫 現・防衛大臣(住友商事出身)の3名は総合商社を経験し、政界に進出しています。
国会議員、地方議員まで広げるとその人数はさらに増え、政治家は商社パーソンのセカンドキャリアの一つと考えることもできるのです。
総合商社の卒業生を取材する「辞め商」特集。今回お話を聞いたのは松田龍典さんです。丸紅の穀物トレーダーとして6年勤めたのち、政治家を目指し退職。現在は日本維新の会の東京都政対策委員として大田区で活動しています。
商社と政治。一見対極にあるような仕事ですが、意外と密接に関わっているのかもしれません。一体、両者をつなぐものは何なのか。商社出身の政治家のキャリアに迫ります。
松田 龍典(まつだ りゅうすけ)
1987年7月生まれ。神戸大学大学院 農学研究科を卒業。大学院では小麦の生育異常に関する研究に取り組み、卒業後は丸紅株式会社へ入社。入社後は穀物グローバル課に配属され、日本への穀物の安定供給のため、世界を飛び回る。2019年7月、丸紅を退職し、政治の道を志すことを決意。2020年7月には大田区から東京都議会議員補欠選挙に立候補するも、次点で落選。
商社マンから政治家へ転身。異端のキャリアはなぜ生まれた?
──松田さんは現在、東京都議会議員を目指していると伺いました。現在、どのような活動に取り組まれているかを教えていただけますか?
松田:2019年9月から、やながせ裕文参議院議員事務所の地元秘書として大田区を拠点に政治活動を開始しました。2020年には都議会議員補欠選挙に立候補するも、落選してしまいました。次の選挙に向けて、現在は、日本維新の会の東京都政対策委員として大田区で活動しています。
──松田さんはなぜ商社を辞め、政治家を目指そうと思ったのですか。
松田:「商社のビジネスが実社会とかけ離れ過ぎている」と感じたことが、辞めるきっかけでした。
私は丸紅の穀物グローバル課に配属され、6年間、アメリカやオーストラリアを中心に小麦の買い付けを担当していました。そこは毎日、数十億規模の取引が常に飛び交う戦場で、電話一本でタイタニック規模の大きな船が小麦を運んでくるような世界だったんです。
──それはすごい。確かに普通に生活していたら、そんな金額を見ることはないですね。
松田:最初は大きなプレッシャーを感じていましたが、徐々に慣れ、最終的には相場が変わって1億円くらいもうけても「ちょっといいことあったな」くらいにしか感じないようになりました。100万円の札束だって見たことがないのにですよ(笑)。
自分たちが輸入した小麦が工場でパンやパスタとなり、市場に供給されるというのも頭では分かっています。ただ、自分の働きが人々の役に立っているかが分からなくなってしまったんです。本当に自分がやるべき仕事はこれなのか、と。
「規制」という不条理なハンデを背負って、世界と戦う日本企業
──なるほど。そこで自分がやりたいことを見つめ直したわけですね。
松田:はい。私は自分のやりたいことが「自分の判断一つで、生活が変わるような取り組み」だと気がつきました。政治の世界に飛び込もうと思ったのは、商社にいる中で「ルールを作る人は強い」と感じたからです。
──ルールを作る? どういうことでしょう。
松田:私が担当していた「小麦の輸入」には、非常に多くの規制があります。例えば、商社がどんなに「これは買いだ!」と思っても、月に輸入できる数量は国が決めています。知ってました?
──う……、お恥ずかしながらそれは知りませんでした。国内の需要を守るためですか?
松田:その通りです。日本では輸入した小麦は政府が一元管理し、各社に販売しています。買い取り価格が一律のため、全国どこの港で引き取っても月1万トンでも10トンでも1トンあたりの金額は同じですし、大企業でも中小企業でもこのルールは変わりません。
一般的な取引であれば、取扱数量が増えるほど単価が下がる傾向にありますよね。包括的に供給するためとはいえ、他国ではこのような規制はあまり聞きません。
──小麦の輸入一つをとっても、そこまで厳格なルールが定められていたのですね。
松田:このように、日本には自国を守るために決められた不条理なルールがいくつも残っています。その制約の中で企業はビジネスを行うわけですから、「足枷(あしかせ)」をつけながら世界と戦っているようなもの。ハンデ戦を余儀なくされているんです。
この30年間で世界の企業ランキングはガラリと変わりました。上位にいた日本企業が順位を落としたのは、企業が努力をしなかったのではなく、もしかすると、市場の状況に合っていない「国策」が、足を引っ張っていたからかもしれません。
しかし、法律を作る政治家は、よもやそのルールが「世界でビジネスをする上で邪魔になっている」とは思っていないでしょう。そのルールを変えるには、政治家になるしかないと思い、6年間勤めた丸紅を辞めました。
──ルールを作る人が強いから、自分もその立場になる必要があるということでしょうか。
松田:それよりも「どんな理由でそのルールを作っているのか?」を知りたいからです。どんなルールでも、それが生まれるには何か理由があります。そのルールが作られた背景や思考回路を知り、理由が分かれば足枷を外すことができるはず。
社会を守るためとはいえ、一生「足枷」をつけたまま生きていたくない。商社にいなかったら、足枷がついていることすら気付かなかったと思います。
入って3年は下積み。だが、10億円程度の取引は任せてもらえた
──政治家を志した裏には、商社で得た気付きがあったんですね。ルール作りというと「商社には仕組みを作って、運用していくことに長けた人が多い」と聞いたこともあります。
松田:それはありますね。丸紅では本当にいろいろな経験をさせてもらいました。駐在はなく全て出張でしたが、買い付け担当国以外にも、ロシア、ウクライナ、ルーマニア、カナダ、シンガポール、台湾など、さまざまな国を訪問しました。
多少の調整はあるものの、10億円規模の取引は自分たちの裁量で取引していましたし、僕たちみたいな若手社員が、取引先の40〜50代の方たちを相手にビジネスを進めていくのが当たり前でした。想像していた以上に、若手に任せてもらえる権限が大きかったですね。
──商社で手がけた仕事の中で、特に印象に残っているものはありますか。
松田:トラブルの話ではありますが、極寒の釧路で、港に着いた小麦に大麦が混入していたことがありました。このままだと取引ができないため、作業員の方と一緒に1週間、船の中で仕分け作業を行ったのは心身ともにキツかったです。今となってはいい思い出ですが(笑)。
──そんなことってあるんですか……。ハードな思い出ですね。
松田:あと、ロシアとの折衝は良い意味でも悪い意味でも、思い出に残っています。正直、何でもありの国でしたね。
政府の力が強いので、国内の情勢によっては政府が輸出予定を差し止めるなんてこともありました。実際にロシアから日本へ船を出そうとしたら公安警察が来て、「船を出すな」と止めるんです。「この小麦がないと日本も困ります」と彼らを説得し、何とか出航させたことがあります。
──これもまたハードな……でも少し意外でした。商社は入って数年は「下積み」だと言う方が多いので。
松田:確かに最初の3年は大変でした。残業時間も凄まじかったですし、会食が終わってから、会社に戻って仕事なんてこともザラです。今は新型コロナウイルスの影響もあって、そういうことはないとは思います。
4年目からは業務を覚えてきたこともあり、初めて仕事を面白いと感じました。5年目が一番楽しく、6年目にはひととおりマスターした手応えを得ましたね。僕の場合は、先ほどお話しした理由で商社を離れたわけですが。
──そこから先、商社に残り続ける人はどういう方なのでしょう?
松田:そうですね。一概には言えませんが、ある種ドライな人が向いていると思います。1億円損しても平気で仕事ができるぐらいのメンタルが求められるので、多くの人が日常と切り離して仕事をしています。ただ、私にはそれができなかった。それだけの話です。
「100万円くらいは誤差」が仇(あだ)に──商社マンがスタートアップで通用しなかった理由
──丸紅の退職後は秘書として活動しつつ、同時にスタートアップでも働かれたと聞きました。それは一体なぜですか?
松田:まずは「スキルの埋め合わせ」ですね。これまで商社でしか働いたことがなかったので、他でも通用する能力があるのか確かめたかったんです。自分への投資に大きく時間が割けるのは、30代前半までだと考えていて、これが最後のチャンスだと思って1年半で10社くらいに参加しました。
──10社も!? そんなにできるものなんですか?
松田:あくまで業務委託という形だったので。同年代が立ち上げた企業を中心に、アグリテックやフードテックなど、前職と近い専門性が生かせる業界から始めて、徐々に領域を広げていきました。ただ、正直この1年半はめっちゃキツかったですね。
──「キツかった」というのは、なかなかうまくいかないところがあったと。
松田:はい。即戦力として活躍できる自信があったのですが、最初は全くダメでした。持っているはずの武器が全く使えないというイメージです。出来高制のベンチャーで営業を行ったときには、2カ月でたった6万円しか稼げませんでした。
──それは……。商社時代だと考えられないような額ですね。なぜうまくいかなかったのですか?
松田:商社である意味「浮世離れ」したビジネスをしていて、ピントがずれてしまっていたのだと思います。例えば、これまで、電話一本で億単位のお金が動く環境で働く中で、「100万円くらいは誤差」という認識がありました。
しかし一般的な企業では、モノを買ったり、サービスを使ったりする際に100万円というのは大きな決断になりますし、スタートアップの場合、100万円が足りないために企業がつぶれてしまうことさえある。ビジネス上での「金銭感覚」が決定的にずれているわけです。これでは話も噛(か)み合いませんし、売れないのは当たり前ですよね。
──なるほど。確かに商社での「王様」のようなビジネスとスタートアップでは、あらゆることが違いそうですね。
松田:立ち上げたばかりの会社だと赤字からスタートするため、経営者が1年ぐらい無給で働いているケースもありますし、従業員に給料を支払えないケースも見受けられます。これが普通なのかと驚いてしまいました。
──商社時代に培われた「物差し」が壊されたわけですね。
松田:商社なら取引で大損しても、ボーナスが数十万円減るくらいで済みますから。守られた場所にいるんだと再確認できました。そんな感じで、ピントが合うまでには3カ月くらいかかりましたね。スタートアップで働いたのは、1年半という短い期間でしたが、商社で過ごした6年分以上の成長をしたように思います。
「何をやっているかよく分からない」。だから、総合商社はコロナでも生き残れる
──最後に松田さんの就活についても教えてください。なぜ商社を目指したのでしょうか。
松田:大学院時代、小麦の遺伝子組み換えの研究を行い、雨が少ない地域でも育てられる品種について研究していたので、商社の他にも食品メーカーなども候補にしていました。
ただ、OB・OG訪問などで出会った人たちと商社の人たちを比べると、商社の方が自分とは異なる経験や考えを持つ方が多かった。そういう環境に身を置く方が、世界が広がると感じたのです。もちろん、「かっこいい」「高収入」「海外に行きたい」といったミーハーな理由もありましたが……(笑)。
──丸紅以外の総合商社も受けたんですか。
松田:7大商社は全て受けましたが、私が一番行きたかったのは、商社の中でも穀物事業に強い丸紅でした。当時の総合商社は学部生が8割、大学院生が2割という採用環境だったので、大学院生なりに、知識面も含め、自分が穀物事業にどれだけ役立てるかをアピールした記憶があります。それが功を奏したのか、穀物を扱う部署で働けることになりました。
──昨今の新型コロナウイルスの影響で、総合商社は大きく業績を落としました。もし、松田さんが現在も商社に勤めていたとして、コロナをきっかけにキャリアを考え直したり、辞めたりしていたと思いますか?
松田:新型コロナウイルスは人々の生活様式を変えてしまうほどの大変な脅威です。ただ、総合商社という視点で見ると、コロナはビジネスにおける一つの要素でしかありません。コロナで社会が変わっても、商社は業態を変えていくだけです。
これまで、そういった変化を総合商社は何度も経験してきました。買った売ったの世界から、仲卸の世界へ、そしていつの間にかグループ企業の収益が商社の約8割を占めるようになりました。ただ、僕自身の場合は業態が変わっても、社会への影響を感じられないのは同じなので、遅かれ早かれ辞めていたように思います。コロナは関係なかったんじゃないかと。
──業績の悪化に合わせて「商社は不要」という記事もビジネス誌などで散見されます。率直に伺いますが、松田さんから見て総合商社は日本に必要だと思いますか。
松田:少なくとも、現時点では必要だと思います。総合商社が日本社会に与える影響と役割が大きいからです。
総合商社とは、一言で説明するのが難しいくらい幅広いビジネスを手がけている企業です。だからこそ、今後も形を変えて柔軟に時代のニーズに合わせられるわけです。逆に商社の業態を一言で規定できるようになってしまったら、そのときが総合商社が消えるときなのだと思いますね。
商社は社会や世界を知る窓になる。「やりたいことがない人」ほど目指すべきだ
──先ほどは、商社の「中」にいたら辞めるかどうかという質問をしましたが、逆はどうでしょう。今、松田さんが就活生だったとしたら、総合商社を目指しますか?
松田:目指すでしょうね。私は穀物のトレーディングを通じて、社会情勢や世界を学びました。例えば米中貿易摩擦が起きたときは、トランプ氏のツイートで億単位でもうかったり、損をしたりすることもありました。一時期は、社会のできごと全てを数字で考えるようになってしまったほどです(笑)。
──政治などの問題も絡んでくると。幅広い知識やアンテナが求められるわけですね。
松田:今は社会が変わるスピードが早まっています。新型コロナウイルスの国内感染者が確認されたのは約1年前です。この社会を誰が想像できたでしょうか。5年後、10年後はもっと予想がつかない社会になっているはず。
そんな時代を生き抜くための知識をビジネスを通して学べるだけでも、すごいことですし、駐在や出張を通じて、リアルな世界を見られる場所に商社は連れていってくれるのです。
──自分では登らずも、商社に入ったことで高いところからの景色が見えたということでしょうか。
松田:そうです。商社が、世界の人々が活動する山の麓までを一望できる景色を見せてくれました。やりたいことが分からない人ほど、きっかけは何でもいいので商社に飛び込んでほしいと思います。商社で働いて後悔することはないと、私は思っています。
それこそ、商社を一度飛び出した人でも、違う景色を見てから戻ってくる人は少なくありません。商社の良さというのは、辞めて初めて分かるところがあります。私もそうでした。
──確かに「辞めてから商社の価値を実感した」とお話ししてくれる方は多いです。
松田:商社にいるときは、辞めていく人たちの理由が分かりませんでしたし、逆に辞めるときは「なんでみんな辞めないんだろう」と不思議でした。40代後半の先輩たちからは「今辞めるのはもったいない」と言われましたが、僕らが生きていくのは、彼らが引退するころ、10〜20年後の商社です。そこまでいい会社だという保証はありません。
ただ、商社を辞めてからいろいろな人に出会う中で、一つのことを続けていくのも素晴らしいことなのだと分かったところがあります。だから今は、「商社を辞めるのも残るのも、どっちも正しい選択だ」と思っているんです。
▼商社マンのキャリアパスを知りたいあなたへ
【ONE CAREER PLUS】では総合商社からの転職事例を複数掲載しています。
総合商社マンの転職先を知りたい方は、以下を参照してください。
・ONE CAREER PLUS『三菱商事/転職体験談』(別サイトに遷移します)
・ONE CAREER PLUS『三井物産/転職体験談』(別サイトに遷移します)
▼【辞め商2021:コロナ転職は英断か、迷走か】の他記事はこちら
・あの「#辞め商」が帰ってくる──商社卒業生に聞く「コロナ禍の今、総合商社に入りますか?」 意見が割れた理由とは?
・32歳、一念発起して丸紅から政治家へ。「政界進出」が商社パーソンのセカンドキャリアである理由
・本質に迫る問いが、商社のキャリアを左右する。住友商事を辞めて気が付いたクリエーティブな人とオペレーティブな人の違い
・住友商事から独立して「1人総合商社」に挑戦。傍流の果てに見つけたオンリーワンのキャリアとは?
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