「僕は科学者の道を踏み外してしまった(笑)と思っているので、こういう切り口は大事だと思っています」。「理系異端児のキャリア論」という企画を提案したとき、澤山陽平さんからは、こんな返信があった。
投資ファンドを運営し、多くのスタートアップを支援してきた澤山さんは少年時代、科学者を夢みていた。その道に近づくべく東大の大学院で原子力を研究していたが、博士課程には進まずにJ.P.モルガンの投資銀行部門に入社。きっかけは、研究室の外の世界を見たことだった。
「レールから解き放たれた感じだった。だだっ広い荒野を車で走り、右にも左にも行っていいんだ、と感じた」。当時をそう振り返る澤山さんだが、日本経済の浮き沈みに直面しながらレアなキャリアを築いてきた。今も業界のトップランナーとして走り続ける澤山さんに「理系のレール」の外の世界を語ってもらった。
「東大理系→研究者」の幻想から解放。J.P.モルガンに進む2つの転機
──澤山さんは子どものころの夢は科学者で、東大では原子力などを研究されていました。そのまま研究者を目指すこともできたと思うのですが、なぜJ.P.モルガンに入ったのでしょうか。
澤山 陽平(さわやま ようへい):東京大学大学院 工学系研究科 原子力国際専攻修了。2009年にJ.P.モルガンに入社し、投資銀行部門で資金調達やM&Aアドバイザリー業務に携わる。その後野村證券に転職し、ITセクターの未上場企業の調査・評価・支援業務を担当する。2015年、世界最大級のシード投資ファンドの日本版「500 Startups Japan」の立ち上げに際し、マネージングパートナーに就任。2019年には新ファンド「Coral Capital」を創業。ファンド名には「海の生態系の基盤を支えるサンゴ礁(Coral)のように、起業家たちを育む基盤になりたい」との思いが込められている。
澤山:大学院生時代に転機が2つありました。1つはM1のときに、友人が外資系投資銀行のインターンに行くことを知り、自分も応募したことでした。日給1万円にひかれました(笑)。それでゴールドマン・サックス(GS)のテクノロジー部門のインターンに参加したのですが、衝撃を受けました。
──どんな衝撃を受けたのですか?
澤山:一番受けたのは、時間軸の違いですね。大学や研究開発の世界は時間軸が年単位。5年、10年という単位で物事が動いていく。でも、GSでは毎日、毎時間という単位で動いていました。直感的に「若いうちは、こっちの方がいいのかな」と思いました。年を取ってから速度を緩めたり、研究に戻ったりはできるかもしれないけど、加速することは難しいかもしれませんし。
それで、就職活動ではコンサルや金融などいろいろと受けてみました。複数社から内定をもらったのですが、ヘッドハンターだった父からの「内定はとりあえず承諾しとけ。何も損することはないんだから」という教えを忠実に実行し、就職先についてはしばらく悩んでいました。
──2つ目の転機は何だったんでしょうか。
澤山:大学院2年生の夏に大学の特別プログラムでボストンに留学したことです。ハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)の特別研究所だったのですが、さまざまな経歴の人が集まっていました。「1回就職したんだけど、やっぱり医者になりたいから、通っているんだよ」「1回やめて放浪してここ入った」と、みんな好き勝手生きている。そんな姿を見て、ジョジョ的に言うと、キャリアは自由に選べるんだということを“「言葉」でなく「心」で理解“したんです。
日本人っていい大学、いい会社っていうレールを目指しがちじゃないですか。私も中学受験して、神奈川県の中高一貫の進学校に入り、高一くらいから塾で黙々と勉強して「東大で理系で研究者だ」とそれしか見ていませんでした。当時はそういう幻想に囚われていたのですが、いい形で解き放たれました。
──アメリカでの体験が就職先を決めるのに影響したのでしょうか。
澤山:留学で「人生なんとでもなるんだな」と感じたことで、「どうせだったら分からない方角に飛び込んだ方が、結局自分の幅が広がっていい」と思うようになりました。就活では、GSのテクノロジー部門やJ.P.モルガンの投資銀行部門(IBD)、コンサルやメーカーの開発職で内定をもらっていました。当時、金融の知識は全くなく、投資銀行部門が一番何をするか分からなかったので、J.P.モルガンを選びました。
2年後「クビなう」。野村でつくれたキャリアの掛け算
──とはいえ、外銀は激務で有名です。「分からないから」という理由で飛び込むと、大変ではありませんでしたか。
澤山:いやー、大変でした(笑)。今でこそホワイト化したとも聞きますけど「暗いうちに帰れるとうれしい」という生活でした。プレッシャーも激しかったし。その代わりにあっという間にいろんなことを身に付けることができました。投資銀行のIBDは、企業の部長や役員クラスのファイナンスやM&Aの相談に乗らないといけないので、財務、税務から法務、業界知識、法人営業と幅広い知識を身に付ける必要がありました。社会人の基礎が鍛えられたなという感覚はあります。
とはいえ、2011年の末にクビになりました。
──え、クビですか!?
澤山:私はリーマン・ショックの前に内定をもらって、起きた後に入社した世代なんですよ。会社が求める水準もすごく高くて、チームごとバサッとクビになりました。「あなたのポジションはなくなりました」というやつですね。カルチャーとしてクビになることがあるのは分かっていたのですが、「新卒に対してもこのタイミングで来るか」とは思いました。とりあえずTwitterで「クビなう」ってつぶやいて人事の話とか聞いていました。
当時は入社前からどんどんクビになっていました。J.P.モルガンは、入社後1週間くらい他の部署も加わる全体研修もあるんですが、IBDの人たちだけは全体の研修が終わった後にオフィスに行って先輩に「何か手伝うことはありませんか」と聞くのが慣習でした。それなのに最終日、先輩に「今日はみんなと飲んでこいよ」と言われて。「人の心も残っているのかな」と思ってみんなで飲みに行きました。で、月曜に出社したらかなりの人がいなくなっていました(笑)。
──当時は、外資系金融機関がどこもリストラを断行していた時代ですものね。次の職場に野村證券を選んだのはなぜでしょう。
澤山:ヘッドハンターから紹介されました。野村證券での仕事は、IT業界の未上場企業をリサーチすることで、IPOさせるべき企業か、IPOで主幹事を取るために仲良くなっておくべき企業かなどを判断するのが仕事でした。高校時代からプログラミングをしていたりとITに詳しかったので、いいポジションだなと思いました。金融とITの両方の知識が必要だし、これから盛り上がってくるベンチャーやスタートアップの世界に詳しくなれそうでした。
私は、金融とITの両方が詳しいっていう立ち位置は意外とレアだなって思っています。理系ってついつい視野が狭くなりがちで、大学のときの専門性を生かして就職しようと考えがちですけど、一本の専門性だけで何とかなる仕事ってどんどん減っています。日本の新卒採用はすごくいいチャンスなので、そのときに全然違う、でも興味を持てるかもしれない領域に自分を放り込んでみると、なかなかレアな掛け算が生まれると思います。
──もともと専門性のある理系の人材が、それとは別の領域で専門性を高めれば、キャリアの掛け算ができるということですね。澤山さんは野村で働いたことで、IT、金融、ベンチャーの3つの掛け算が完成したのだと思います。野村での仕事はJ.P.モルガンとは違ったのですか。
澤山:J.P.モルガンは大手企業に対して「うちはこういうことができます」と提案することが多かったです。一方で、野村ではベンチャーに対しての「あなたたちの新しいビジネスモデルをこれだけ理解していて、これだけのポテンシャルがあると信じているんです」というストーリーが重要です。当時は通訳に近い仕事だと思っていました。ITの言葉で聞いた話を金融の言葉にして通訳し、レポートを書く仕事だと思いました。調べるのは苦でなかったですし、楽しかったです。
野村にいた2012年〜16年は日本のベンチャー業界が一気に膨らんでいったときで、IPOも年々増えてきました。その間にフリークアウト・ホールディングスや弁護士ドットコムなど十数社のIPOに携わりました。運が良くいい経験を積めました。
幅を広げるだけでは生きがいは満たせない。4つの円を意識せよ
──その後、投資ファンド「500 Startups Japan」を立ち上げるために野村證券を退職されます。きっかけは何だったのでしょうか。
澤山:500 Startups Japanは、J.P.モルガンの後輩だったJames Riney(ジェームズ・ライニー)と立ち上げました。世界でも有数のベンチャーキャピタルで日本版を立ち上げることになり、まずジェームズに声がかかり、「日本人のパートナーが必要だ」という話になって私に声がかかりました。ジェームズは営業的なネゴシエーションが得意で、私は金融が得意と、スキルセットがバラバラなのも良かったです。
2012年くらいから盛り上がってきた日本のベンチャーシーンをさらに1つ上のレベルに押し上げるためにも、海外とつながって新しい風を吹き込んでいくことで大きなインパクトを作れると思いました。誘われて30秒くらいで「やろう」と言いました。新卒のときはもう1年くらい、野村に行くときも数カ月くらい悩みましたが、このときは即決でした。
──このときも、「分からないものに飛び込めば、幅が広がる」という感覚だったのでしょうか。
澤山:J.P.モルガンや野村に入ったときほど未知ではなかったですね。この2つは本当に未知に飛び込んで自分の幅を広げたという経験です。500 Startups Japanのときは、「今まで培ったもので挑戦してみよう」という気持ちが大きかったです。
──これまでは「幅を広げる」がキャリアの重点でしたが、ここでフェーズが変わったのでしょうか。
澤山:そうですね。私はここで一気に収束しました。
──ここで澤山さんにお聞きしたいのは、「いつキャリアをビシッと決めるべきか」です。幅を広げ続けるだけでは「薄い人」になってしまう可能性があります。外銀に行く人の中には「やりたいことが決まらない」と選択を先延ばしにしている人もいます。決めるタイミングはいつ訪れるのでしょうか。
澤山:すごくいいポイントですね。振り返って見ると、私のキャリアはここでドットが全部つながったような気がするのですが……。うーん……。
学生にメッセージを送る際に話すのですが、私は「ikigai(イキガイ)」に書いてある4つの円(※)の話がすごい好きです。「好きなこと」「得意なこと」「儲(もう)かること」「社会のためになること」の4つの円が重なる部分が「生きがい」になるという考え方です。
(※)……スペイン人のFrancesc Miralles(フランセスク・ミラージェス)氏とHéctor García(エクトル・ガルシア)氏が2016年に出版した共著「ikigai」に登場する考え方。「ikigai」は世界的なベストセラーとなっている。
多分、最初からこの全部を満たす仕事はなかなか手に入らないです。それを見つけるためには、自分の幅を広げていったり、できることを増やしていったりすることが大事なのだと思います。自分のキャリアを考えると、J.P.モルガンの投資は「得意で儲かる」仕事でした。野村は「好きで得意」だったのだと思います。前職の経験を経て、すべての円を満たしている今の仕事をしているような気がします。
──学生のときは、好きなことも得意なことも分からないことが多いと思います。人生で時間をかけてでも、得意なことや好きなことを探すのが大事だということでしょうか。
澤山:大事だと思います。好きなことはすでに見えている人もいれば、少しずつ見えてくる人もいると思います。外銀・コンサルに入ってから「人生をかけてもいい」と思えることを見つけて起業する人もいると思いますからね。得意という部分では、自分の幅を広げることが役に立つと思います。得意なものが1つだとすごくいい仕事にありつくのが難しくても、3つあると日本に数えるくらいしかない「得意」になりますよね。
──もし、澤山さんが研究を続けていたら、レッドオーシャンの中でものすごいレベルの高い争いを繰り広げ、その中で頭1つ抜き出ないと「得意」が生まれていなかったのだと思います。それが違う領域に行くことで、掛け算でつくれる「得意」に変わったのかなと思います。
澤山:キャリアの作り方を考えたとき、大事なことの1つだと思います。もちろん、レッドオーシャンを駆け上ることも正しい道かもしれない。私が常に学生に言いたいのは、視野を広げて、その上で選んでほしいということです。「やっぱり自分はこのレッドオーシャンを目指したい」と、外の世界を見てから思ったんだったら、それでいいと思うんですよ。外を見ないうちに研究室の狭い人たちだけの意見で目指していくとなると、息苦しくなってしまいます。
若さの投資先は「アクセルベタ踏みできるか」で決める
──投資家的な観点の質問になるのですが、学生が若さを投資する先として、企業のどこを見たらいいでしょう。
澤山:自分を振り返ってみても、アクセルをベタ踏みできる環境に放り込んだのは正解だったなと思っています。これからの時代、特にそれが難しくなる。働き方改革がどんどん進んじゃって投資銀行でも早い時間に帰されてしまいますから。とはいえ、まだまだプレッシャーは激しいと思うので、自分を追い込める環境ではあると思います。
人間ってすごく環境に左右される生き物なので、周りが常に全力で走り続けている環境に放り込まれると、相当自分も走ります。逆に、周りがのんびりしている環境で走り続けることはすごい大変なことだと思います。なので、まずは激しい環境に入ってみて、自分はゆっくり歩く方が向いているな、と思ったらコースチェンジすればいいのではないでしょうか。
──スタートアップはどうですか。
澤山:スタートアップもありですね。ただし、その中で自分がどの能力を身に付けていくのかは相当意識しないといけないところはあります。人数が少ない分、一人一人が幅広く何にでも対応することになりがちで、戦略的に自分のスキルを身に付けていかないと、単なるジェネラリストになってしまうリスクもあると思います。
──逆にやめておいた方がいいという企業はありますか。
澤山:まず、あまり見ないで決めちゃうのは良くない。あえて自分の興味がない企業でも「チラ見」して、それでも「あ、違うな」と思うことが大事です。1社くらい自分の興味と違うところも見に行った方がいいと思います。
あと、私は特に変わり続ける世界に身を置いているので、バイアスかかっているとは思うのですが、転職が当たり前になる時代、変わることを拒絶するような場所に入るのは良くないのではないか、とは思います。ある起業家が「履歴書を受け取ったときに、もう社会人になって10年以上たつのに1回も転職していない人だと、逆に不安になる」と言っていました。
もちろん、変わらないことが大事な会社もあるのだと思います。ただ、これからの時代を生きる人たちは、変わり続けなければならないので、変わることを拒絶しがちな会社にいると、そういうマインドセットを植え付けられてしまいます。その会社の50〜60代の人は逃げ切れるかもしれないけど、今から入ると逃げきれないんじゃないかな。
「就職=悪」の研究室は「出戻り」を歓迎しよう
──ワンキャリアは理系だけでなく、多くの文系の学生も利用しています。これからのキャリアを考える学生たちに伝えたいことは何でしょうか。
澤山:新卒というのは、日本固有の特殊な仕組みで違う領域に飛び込めるチャンスです。最大限生かして、自分のチャンスを広げてほしいです。私個人の経験として、よく分かんないところに飛び込んだら自分の可能性が広がり、今の仕事をしているので、こういう方向性もあることは伝えたいです。
──研究の道に戻ろうとは思いませんか。
澤山:いつか博士号取りたいな、という気持ちはありますね。理系から投資銀行に行く人でそう思う人は多いです。昔、理系の研究室を修士まで行ったけど、外銀や外コンに行っちゃった人で「道を踏み外した科学者の会」という飲み会をやったことがあるんですけど(笑)。やっぱりみんな「博士号は取りたいよね、いつかは」という心残りは持っていますね。
──一方で、澤山さんのキャリアは、大学院生時代にレールを外れようとしたことで、大きく世界が開けました。優秀な人ほどレールを外れるべきでしょうか。例えば、スタートアップに行くとか。
澤山:それはあるかもしれないです。優秀な人材だったらリカバリーきくし、損ないじゃんって思います。
最近、医者の起業が増えています。この間もあるピッチコンテストの書類審査やっていたのですが、医者が社長のベンチャーが3、4社入っていました。考えてみると、医者って起業しても何のデメリットもありません。お金なくなったらアルバイトしたらいいですから。これは、優秀な人全般に当てはまると思います。
──澤山さんにとっての「優秀な人」っていう定義は何ですか。
澤山:成績優秀って意味ではないです。定義が難しいですね。社会人だと仕事で評価できるのですが……。エンジニアのような「手に職」系なら技術です。エンジニアリングは技術だけでいくらでも食っていける時代で、ノーリスクです。
でも、コンピューターサイエンスを学んでいる東大生は、あまりベンチャー行かないらしいんですよ。GoogleやFacebookに、ものすごく高給で青田買いされていくので。彼らこそ、ベンチャーで失敗した後でもグーグルは雇ってくれるんですけどね。
──研究で積み上げてきたものがあるからこそ、リスクを恐れるのかもしれませんね。
澤山:悩ましいところですね。私は「『出戻り』を歓迎すべきだ」と大企業にも研究室にも言っています。研究室の中には、就職を悪みたいに言う教授がいるじゃないですか。「就活で休みます」というとあからさまに不機嫌になる教授とか。
大学発ベンチャーは、研究室のイキのいい学生たちが飛び出して起業するのがいいんじゃないかと思っています。飛び出してビジネスして、失敗したらまた同じ研究室が迎えてあげたら、すごく心強いと思うんですけどね。研究室としてもビジネスを知っている人材が戻ってくるんですから、心強いですよ。
【撮影:保田敬介】
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※こちらは2019年10月に公開された記事の再掲です。