新卒で入った会社で経験を積み、ゆくゆくは起業を──。1つの会社に定年まで働くことが当たり前でなくなった時代、こんなキャリアプランを描いている人もいるのではないでしょうか。
25歳で起業した鈴木亮平もその1人。新卒で記者として働き始めた後、お手伝いを求めている介護施設とサポートしたい人をつなぐマッチングサービス「スケッター」を立ち上げ。介護業界の人手不足問題を解決する取り組みとして注目を集めています。
「就職→起業」というキャリアを順調に歩んだかのように思える鈴木さん。しかし「事業が白紙になり、迷走したこともあった」と振り返ります。一体、何でつまずき、どう乗り越えたのか。創業秘話をお聞きしました。
新卒で記者になったのは、将来の起業を意識して
──鈴木さんは2015年に新卒で入社したアイティメディアで記者として働きながら、2017年に起業しました。どうしてそういうキャリアを歩まれようと思ったのですか?
鈴木:記者になったのはどちらかというと、事業を立ち上げる上で、いろいろな世の中の変化の最前線で見ることが大事なのではないかと思ったからです。
2年くらいは記者に専念していたのですが「自分でやらなきゃな」という思いが芽生えました。ただ、貯金があったわけでもなく……。でもすぐに始めたいと思い、まずは法人登記だけしました。その後は本業以外の時間を自分の立ち上げる会社のために使って準備をしていました。
鈴木 亮平(すずき りょうへい):株式会社プラスロボ 代表取締役 CEO
1992年生まれ。大学卒業後、アイティメディアで編集記者、メディアベンチャーで編集長などを歴任。 2017年に株式会社プラスロボを起業。2018年に「スケッター」事業を立ち上げる。
──起業したのが介護領域だったのはどうしてですか?
鈴木:事業をやるなら社会課題に関わりたいと思っていました。その中で一番根深い問題が高齢化の問題で、特に介護の人手不足問題だと思ったので、やるならここだなと。
だから、僕自身に介護の経験があったわけではありません。問題意識を持ったのは大学時代に福祉関係の授業を受けたことや、認知症についてのテレビ番組を見たことがきっかけです。そして何も解決策のないまま問題が深刻になっていくことへの衝撃が残ったまま就職活動の時期を迎えました。
──学生時代から起業は意識していたけど、社会を知るために記者になった、と。
鈴木:本当は5年くらい続けるつもりだったのですが。
──思ったより短かったんですね。
鈴木:起業というのは、ある程度貯金ができてからやるものだと思っていたんです。ただ1、2年目を振り返ったときに思っていたよりも貯金できなかったので、5年後も一緒だなと思って。だったら早くやった方がいい。お金をかけずにできる方法は、働きながら1回起業しちゃうことだと思いました。
結局2018年にアイティメディアを辞めて、比較的時間の融通が利くメディアベンチャーに転職しました。一方で、自分の会社に使える時間を増やし、資金調達したタイミングでそのベンチャーも辞めて完全に独立しました。サラリーマンと自分の会社の比重を、最初はほぼサラリーマンだったところから、半々くらいにして、最後は逆転させるイメージです。
──徐々に起業家へとシフトしていったんですね。
鈴木:会社の規則にもよると思いますが、起業家が入社してくるみたいなのも1つのあり方だと思います。本当にやりたいことの比重をどうバランス良く取っていくか、みたいな部分だと思います。
1年で事業は白紙に。「辞める方が怖かった」
──本格的に起業した後、事業は順調に進んだのでしょうか?
鈴木:いえ。最初は介護ロボットで解決するということを考えていたのですが、1年くらいで見切りをつけました。
──1年で……! 何があったのですか?
鈴木:やはり現場の声を聞く中で、現場が求めていないことに気付きました。記者時代も、介護ロボットの取材をしていたのですが、成功した現場はまだまだ本当に一部で。そこは見抜けなかったんです。
「ロボットは活用しない」というリアルな意見を聞くうちに、確かにちょっと僕が勘違いしていたのかなと。
──どんな意見だったんですか?
鈴木:介護ロボットの販売代理店をしていたのですが、ヒアリングや売り込みに行く中で、「ロボットではなくて人に来てもらった方が絶対に助かる」と聞きました。介護問題をロボットで解決しようと思うと、ドラえもんのように人と自然な会話ができるロボットでないと難しいのですが、まだまだ先の未来です。介護業界は5年、10年後に何十万人の人材が不足するという世界なので、そうなったときにまだまだ人が必要なんです。
──そこで一度事業が白紙になったんですね。
鈴木: VRで介護の施設を魅力的に見せる事業など、わけの分からないことをいろいろやっていて、とにかく迷走していた時期がありました。ロボットではなかったんだと、じゃあ何ができるのだろうと模索していて。でも会社を作っちゃったし。あのときは、創業時に「手伝うよ」と集まってきてくれた仲間が抜けていくタイミングでもありました。
──それは、かなりつらいですね……。
鈴木:計画が白紙になって、何もない状態なのに会社は残っている、みたいな。当然起業したと言えないし、「会社をやっています」とはあまり言えなかったです。
──「辞めどき」と思うことはなかったですか? そのままフェードアウトして、メディア業界に戻ることも可能だったのかなと思うのですが……。
鈴木:そこでフェードアウトするという選択肢はなかったです。ない理由は、自分が本当にたどり着きたい場所は「自分の事業で生きていく」という状態なので、それを辞めるということは考えなかったです。「やっぱり無理だったから戻ろう」という方が怖くて。
──怖い、ですか? 何に対しての恐怖でしょうか?
鈴木:そのまま時間が過ぎることへの恐怖です。
会社に残って何かやらなきゃと思っているうちはきっと考え続けるし、結果的に「この事業だ」というゴールにたどり着くでしょうが、完全に辞めてしまうとたどり着けないし、戻った場所に安住してしまう気がしたんです。だんだんそれが普通になってしまう、慣れてきてしまう怖さですね。
自分をだまし続けるくらいの大義名分が欲しかった
──迷走していた時期から、どうやって立て直したのでしょうか?
鈴木:あちこち考えが散らかったときに「結局どういう問題を解決するべきなんだっけ?」とちゃんと立ち直っていました。
最大の課題は人手不足だよねということを思い出して。つまり人に関わる事業なのだと、だから人材だと。そこで考えたときに、介護業界で正社員の採用が難しいなら隙間時間で関われる人が増えていればいい、と。それでスケッターのサービスを立ち上げることを考えました。
「家族と介護施設利用者を繋ぐ!『スケッター』が新たな挑戦」より引用
ちょうど当時、近所の困りごとを解決するようなCtoCのマッチングサービスやスキルに関するシェアリングエコノミーサービス(※)がすごく出てきたタイミングで、僕もユーザーとしてサービスを使っていたというのも大きかったです。家事代行など生活シーンにまつわるものは、介護領域にそのままつながるなと思いました。
(※)……インターネットを介して、個人同士でモノや場所、スキルなどを取引するサービスのこと
スケッターのサービス画面
──解決したい問題と向き合うことで、ヒントが見つかったのですね。
鈴木:ロボットが無理だとなったときは、とにかくこれならマネタイズできるんじゃないか、と迷走していました。いったん少しでも稼げたら自信が付くと思っていたのだと思います。
──「本当にやりたいことは何か」と問い続けていないと、行き詰まったときに迷走してしまうのかもしれませんね。
鈴木:それは常に思うことです。事業領域を社会課題にした理由も実はそこにあります。起業したら、人生のほとんどを使うことになるので、忙しいし大変じゃないですか。そのときに、他の人に「あなたのサービスがあってもなくても、誰1人困らないよ」ともし言われたら、続けられないと思います。
だから、人生をほとんど使うことに見合う理由、自分が納得できる、真偽は分からなくても「これがないと困る人がいる」と自分をだまし続けるくらいの大義名分が欲しかった。
じゃあ、圧倒的に一番求められているものはなんだと。介護の担い手がいないことだ、と。介護をしないと人が死ぬのだから。
人の生き死に関わるくらいの社会課題ど真ん中で事業をやっているのであれば、さすがに「君の事業があって良かった」という人が誰もいないことにはならないだろうと思いました。
──自分の中で働く意味や仕事の価値が分かっていることが一番大事なのでしょうね。
鈴木:人生の時間をそこに投資するだけの価値があると、自分の中で腑(ふ)に落ちている状態がすごく大事だと思います。活躍していようがしていまいが、あるいは、その仕事が向いていようがいまいが、腑に落ちていることが一番エネルギーを使えます。
社会課題でちゃんと儲かる仕組みを作りたい
──紆余曲折(うよきょくせつ)あって始まったスケッターの事業ですが、何を目標にしていますか。
鈴木:一番のゴールは、福祉にまったく興味がないですという人が、スケッターをやりに行こうかなと、関わろうかなと思うような仕組みができることです。今は福祉に関心がある人が参加していますが、理想はまったく興味のない人も参加してくれることです。切り口次第では、そこがガラッと変わるくらいの変革を起こせるはずだと思っています。
──介護問題が身近な課題と感じる機会はなかなか少ないし、興味を持たない人も多いでしょうから、そこが変わるとインパクトは大きそうです。
鈴木:スケッターで募集している仕事が、レクリエーションへの参加など介護と直接関係のないものが多い理由は、介護業界の仕事の中で一番楽しい部分というか、明るい部分から入ってもらいたいからです。介護に対して暗いイメージを持っている人もいるかと思いますが、実際に現場を見ないとたぶん変わらないと思っていて。
たとえメディアで明るい部分をPRしたとしても、「福祉」や「介護」という言葉にこびりついてしまったイメージを変えるのは難しい気がしています。実際に現場に行って楽しい体験をしてきた思い出がイメージを書き換えるのだと思います。
──業界イメージを変える挑戦でもあるんですね。鈴木さんが他にチャレンジしたいことはありますか。
鈴木:僕の中のもう1つのミッションとして、社会起業家をアップデートしたいというのがあります。できることは経済力に比例するので、社会課題の解決とビジネスの両立は妥協してはダメだなと思います。社会課題ど真ん中の事業だけど、ちゃんと儲(もう)かって、ちゃんと投資家がそこに安心して投資できる仕組みを作りたいです。
例えば「TikTok」のByteDanceは時価総額が何十兆円にもなっているわけじゃないですか。エンタメの会社にあれくらいのお金が集まるなら、社会課題の会社ももっと企業価値が高まっていいはずだと僕は思っていて。投資家の意識も変わっていくといいなと思います。
「様子見の10年で、人生が終わったときに大丈夫ですか?」と問いかける
──お話を聞いていると、鈴木さんのキャリアからは「これだけは譲れない」というような熱意を感じました。大事にしている生き方や考え方はあるでしょうか。
鈴木:僕は高校時代、野球をやっていました。仙台育英学園高等学校という甲子園も行ったことのある強豪校で、3年間白球だけ追い続ける泥臭すぎる日々でした。でも、振り返ったとき、あれ以上の日々というのは僕の中でありません。勝っても負けても仲間と泣きながら抱き合うみたいな。
生きているという実感が最も得られた瞬間が高校時代でした。あの感覚を味わいたいと思っても、会社員になってからはそんな機会はほぼなく、そう思える生き方、そう思える挑戦が必要だと思いました。
甲子園はもう目指せないけれど、それに匹敵する目標を作ってチームでやっていく。そんな感覚ですね。
──でも、甲子園を目指していたときの練習ってしんどかったですよね? 苦しさと引き換えに、また高みを目指そうとするのはどうしてでしょうか。
鈴木:死生観みたいな話で大きい話になるかもしれませんが、日々を生きているとその時間が永遠に続く感じがします。でも、そうではなくて人間はすぐに歳を取るということを常に意識している部分はあって。
それをすごく意識すると、たぶん1つ1つの選択の基準が変わっていくような気がします。例えば「とりあえず10年はここで様子を見ようかな」と考えがよぎっても、「その10年で、人生が終わったときに大丈夫ですか?」と自分に問い返すような感じです。
たぶん、僕以外の人でも「いきいきしていたな」と思える瞬間はあったと思います。ただ、僕はその瞬間が終わった後も「仕事の中ではそういう感覚なんて味わえない」と諦めたくないのでしょうね。
(Photo:Le Panda , natrot/Shutterstock.com)