「これまでのキャリアで『逆算』したことなんて、一度もありませんでした」
笑顔でインタビューに答える軽やかさの裏には、自らが歩んできたキャリアへの骨太な自信が感じられた。柔軟で、力強い。そんな魅力を持った人物だった。
メドレー代表取締役医師・豊田剛一郎さんは、東京大学医学部を卒業後、日本の病院に勤務。その後アメリカ留学を経て、外資コンサルのマッキンゼーに入社。ヘルスケア企業などへのコンサルに携わった後、医療ベンチャー・メドレーの経営に参画した。
「医療」というテーマは共通するものの、高度な専門職の代表とも言える「医師」と、ITベンチャー企業を経営する「ビジネスパーソン」という、業種の壁を越えた独自のキャリアを築き上げている。
特集:二項対立するキャリアの「嘘」。
この連載では、「脱・二項対立」的なキャリアを歩むビジネスパーソンにインタビューすることで、世間一般で語られている固定観念の欺瞞性(ぎまんせい)を暴き、キャリア選択の際に心がけるべき「本質」を明らかにしていく。
Vol.1の今回は豊田氏に話を伺い、「医師/ビジネスパーソン」という、全く異質に見える業種を横断したからこその、不安への打ち勝ち方やキャリア論に迫る。
【本記事のみどころ】
・「医療を救う医師になれ」。尊敬する医師の一言が、キャリアチェンジへと背中を押した
・マッキンゼーからメドレーへ。苦労して手に入れた「コンサル的思考」を糧に、ベンチャー参画を決めた
・「視野を広く持とうとして、立ち止まってしまうこと」こそ最も危ない
・「なんとなく不安」への自問を続け、業種の壁を乗り越える
・隙あらば一歩前へ。「可燃性」「不燃性」ではなく、「自燃性」を持った若者が活躍する社会
「医療を救う医師になれ」。尊敬する医師の一言が、キャリアチェンジへと背中を押した
──豊田さん、本日はよろしくお願いします! 医師から外資コンサル、そしてベンチャーと、既存の枠組みに囚われずに数多くの業界を渡り歩いてきた豊田さんが、どのような判断軸でキャリアを選択してきたのか教えてください。そもそも医師を辞め、ビジネスの現場に移ろうと思われたのはなぜでしょうか?
豊田 剛一郎(とよだ ごういちろう):株式会社メドレー 代表取締役医師
1984年生まれ。2009年東京大学医学部卒業。脳神経外科医として勤務後、渡米しミシガン小児病院で脳研究を行う。その後、医療現場を離れ、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、ヘルスケア業界の戦略コンサルティングなどに従事。2015年2月より株式会社メドレーの共同代表に就任。著書に『ぼくらの未来をつくる仕事』。
豊田:脳外科医として臨床の道を続けていきたいという思いは変わらなかったのですが、それ以上に、日本の医療の未来への課題意識が大きくなってしまったからです。高校時代に医師を志して以降、医学部入学からアメリカの医師免許の取得まで、臨床医としてのキャリアを積み上げていました。しかし、臨床に立つようになってから、日本の医療の制度に構造的な課題を感じるようになっていったのです。
──と言いますと?
豊田:日本では医師不足が叫ばれて久しいですが、僕が臨床に立っていた頃も、「残業」という概念がもともと存在しないほど多忙だったのを覚えています。仕事はやりがいを感じていたし苦ではなかったのですが、医療現場がシステムによってではなく、医師の「頑張り」という属人性によってまわっている状況。
にも関わらず、当時は医師の業務効率化の動きはあまり感じられませんでした。また、高齢化や医療技術の進歩で国の医療費がどんどん膨れ上がっていく一方で、少子化により保険料を負担する人口は減っているという状況にも危機感を覚えました。「いつか日本の医療は崩壊してしまうのでは」。何か対策を考えなくてはいけないのに、医療の現場では目の前の患者さんがもちろん最優先。医療全体に向けて行動を起こす時間は全くありませんでした。
「このままではいけない」。そんな想いを尊敬する先輩医師に相談したところ、「医療を救う医師になりなさい」とアドバイスされました。その言葉に突き動かされ、医療現場を離れることを決意したんです。
マッキンゼーからメドレーへ。苦労して手に入れた「コンサル的思考」を糧に、ベンチャー参画を決めた
──マッキンゼーでのお話も聞かせてください。「医師」と「コンサル」、全く違う業界だと思うのですが、苦労したことはなかったのでしょうか。
豊田:もちろん苦労はありました。最初に苦労したのは、医師として働いているときにはあまり使うことがなかった「逆算思考」です。数カ月くらいのプロジェクト単位で仕事が進んでいくマッキンゼーでは、限られた時間で何をする必要があるのか、綿密な計画を立てます。しかし、入社当初はこの逆算が全くといっていいほどできませんでした。
──医師として働く中で「逆算思考」が身につかなかったのはなぜなのでしょう?
豊田:もちろん医師として働く中でも、治療や検査のスケジュールを立てるための「逆算」は存在します。ただし、コンサルのプロジェクトと違って、患者さんの容体に応じて、状況は刻一刻と変化していく病院では、予期せぬ有事が発生したときの「実行力」が大事になります。医師とコンサルとでは、仕事の進め方が大きく異なります。
──そこから、どのように順応していったのでしょうか?
豊田:マッキンゼーは多様なバックグラウンドの人が集まる場なので、個々人に対して客観的な「成長」のステップを明確に提示してくれました。それでも医師からの転身は少数派でしたが(笑)。自分が苦手とする部分を明確にしながら、日々着実に成長のステップを踏むという環境を会社も提供してくれるので、逆算思考が身についていきました。
そこからマッキンゼーに1年半勤めた後、小学校からの友人だった瀧口浩平に誘われ、メドレーに参画することになりました。
──苦労して「コンサル的思考」を手に入れたのにも関わらず、なぜマッキンゼーを辞めようと思ったのでしょうか?
豊田:マッキンゼーでは、ヘルスケア領域のコンサルティングを担当しており、勉強になることも多かった反面、全てのプロジェクトが自分の想いに合致するわけではありませんでした。「クライアントファースト」を信条とするマッキンゼーにおいて、自分の想いと相違するプロジェクトに関わる中で疑問を感じることも増えていきました。
「自分が医療に情熱を持っているからこそ、起業もありなのでは」。そんなことを考えていたときに、メドレーの創業者であり、幼馴染の瀧口が誘ってくれました。実はその時点では私が入ったとしても何をやるのかはまだ固まっていなかったのですが、会社として掲げていた「納得できる医療」を目指す、に強く共感したことと、瀧口が深夜2時に自宅まで来て熱い想いを語ってくれた熱量もあり、参画を決めました。
──「医療」と「ビジネス」はかけ離れた領域だと感じます。豊田さんはなぜ、そうした二項対立に囚われずに、横断的にキャリアを積み上げられているのでしょうか?
豊田:目の前にある仕事にとにかく打ち込み続け、自分の「陣地」を作ることができたからですね。私は今でこそ、医学会やさまざまな業界の経営者とのコミュニティに所属していますが、それは自分が置かれた環境に全力で打ち込んできたからだと思います。自分を受け入れてもらえる、いわば「陣地」を築けたことが大きいと思います。
「視野を広く持とうとして、立ち止まってしまうこと」こそ最も危ない
──医師から外資コンサル、そしてベンチャーと、既存の枠組みに囚われずに数多くの業界を渡り歩いてきた豊田さんですが、キャリアを考える上で大切にしていることを教えてください。
豊田:まずはさっき話したこととつながりますが、「一旦決めて、打ち込む」ことですね。多くの学生を見ていると、「打ち込むこと」と「何に打ち込むかを決めること」を切り離して考える人が多い印象を受けます。しかし、悩み続けることではなく、目の前の物事に120%コミットすることで、「次の一手」は見えてくるものです。
僕はマッキンゼーでは仕事の進め方としての逆算思考を学びましたが、キャリアという意味ではこれまでの人生、「逆算」して行動したことはほとんどありません。学生時代は部活と勉強に打ち込み、医師になってからは脳神経外科の道を進むべくときにはがむしゃらに働きました。当時の自分は、まさかこうしてスーツを着てインタビューを受けているなんて、想像もしていなかったと思います(笑)。
──たしかに、「打ち込むこと」と「何に打ち込むかを決めること」は、まさに「二項対立」として語られがちなイメージがあります。
豊田:なにかに打ち込んでいる人を見て「視野が狭い」と揶揄(やゆ)する人がいますが、最も危惧すべきなのは、「視野を広く持とうとして、立ち止まってしまうこと」だと思います。なにか1つのことに打ち込み、PDCAを回し続けた人こそ、広い視野が獲得できるのではないでしょうか。
──とはいえ、なかなか一歩踏み出せず、目の前のことに没頭し切れない人も多いと感じます。豊田さんはなぜ「一旦決め、打ち込む」ことができるのでしょうか?
豊田:学生時代から、受験勉強や部活動を通じて「打ち込むこと」の意義を体感してきたからだと思います。たとえ結果に結びつかなかったとしても、やるべきことに全力で取り組めば、必ずその後の人生に活きてきます。多忙な研修医時代に培った「困難な状況でもベストな選択をする実行力」は、コンサルになってから「課題解決力」という形で自分の強みになりました。
「なんとなく不安」への自問を続け、業種の壁を乗り越える
豊田:あとは、常に「不安」を判断基準に入れないように留意している点も大きいかもしれません。
──なるほど、異業種を超えてキャリアを作ってきた豊田さんこそ、転換点では不安の連続だったかと思います。その真意を教えてください。
豊田:不安の大部分は、「なんとなく」に起因するものです。メドレーにいると現役の医師から転職相談を受けることも多いのですが、「ベンチャーに就職するのは不安だ」と懸念する声も少なくありません。しかし、その不安を因数分解していくと、世間の風潮や自分の思い込みの「なんとなく」であることがほとんどです。
──たしかに……。「『なんとなく』安心だから大企業に行きたい」といった事もよく耳にします。どうすれば、そうした不安から脱することができるのでしょうか。
豊田:ベンチャーだとなぜ不安なのか、逆に大企業だとなぜ安心なのか、不安の原因がどこにあるのかをしっかりと考えましょう。もし「なんとなく」で不安になってしまっているなら、それはチャレンジから逃げるための「言い訳」として無意識に作り上げてしまった思い込みかもしれない。そうした実体のない不安は、何かに「打ち込む」ことでなくなっていくと思います。
隙あらば一歩前へ。「可燃性」「不燃性」ではなく、「自燃性」を持った若者が活躍する社会
──豊田さんのように主体的なキャリアを歩めるようになりたいと思いました。最後に、読者の皆さんに向け、何かメッセージをいただけますでしょうか。
豊田:自分で自らの心に「火」を灯し、どんな環境に置かれたとしても自分から主体的にアクションを起こすことができる「自燃性」を持ってほしいと思っています。自ら機会を手に入れ、隙あらば一歩前へ成長する機会を狙っていく姿勢を身につけて欲しいです。
──「自燃性」……。与えられた仕事をこなすのではなく、主体的に仕事に「意味」を見いだせる力が必要ということですね。
豊田:自燃性があれば、どこへいっても楽しく仕事ができると思います。そして自燃性は、打ち込んだことによる成功体験が多ければ多いほど、自然と身についていきやすい。振られた仕事でも主体的に楽しみ、一生懸命頑張れる人はどこへ行っても活躍できますし、20代後半から30代にかけて、引く手あまたの人材になっていくのではないでしょうか。
【取材・執筆:半蔵門太郎(モメンタム・ホース)/撮影:岡島たくみ(モメンタム・ホース)/編集:小池真幸(モメンタム・ホース)】
【特集:二項対立するキャリアの「嘘」】
<Vol.1>異業種を超える不安は、「なんとなく」に過ぎない?:医師→マッキンゼー→ベンチャー経営のメドレー・豊田氏の「逆算しない」キャリア論
<Vol.2>「大企業でスタートアップみたいに働くには、どうすればいいんですか?」博報堂でブロックチェーンビジネスに取り組む加藤さんに聞いてみた
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