こんにちは、ワンキャリ編集部です。
今回は、JR九州(九州旅客鉄道株式会社)で人事部長を務める三浦さんにお話を伺いました。鉄道会社のイメージを覆すキャリアパスや事業内容のほか、九州で働く魅力や求める人物像についてもお聞きしました。
JR九州や鉄道会社に興味のある方はもちろん、Iターン就職(地方に移住して働く)やUターン就職(地元に帰って就職する)を考えている方も必読です。
「悩み深き」20代、会社設立を一人で担った30代、地元・大分を支えた40代
——本日はありがとうございます。就活生にとって、JR九州はじめ鉄道インフラ企業の総合職は「そもそもどんな仕事をしているのか分からない」、謎に包まれたイメージのようです。まず三浦さんご自身の職務経歴/キャリアを簡単に伺えますか?
三浦:1993年に入社し、旅行事業や人事を経てグループ会社の立ち上げに関わりました。その後は駅長業務を経験し、2017年から現在の人事部長を務めています。いわゆる鉄道事業等の現場に関わる部門と、総務人事的な全社管理部門という両極を行ったり来たりしていますね。
三浦 基路(みうら もとみち):JR九州(九州旅客鉄道株式会社) 人事部長。1993年入社。駅・車掌業務を経て、旅行事業本部配属。2005年、JR九州100%出資のJR九州高速船(株)の設立に関与。その後、旅行事業本部企画課長、大分駅長、鉄道事業本部営業部担当部長などを歴任し、2017年より現職。
——そのキャリアの中でも、特に印象的なエピソードを伺えますか。
三浦:私は現在入社24年目で48歳になりますが、20代、30代、40代とそれぞれの年代で印象的な仕事を経験しました。
<三浦さんのキャリアハイライト>
20代:新卒入社後、駅・車掌を経て旅行事業へ。法人・個人を相手にセールス
30代:グループ会社「JR九州高速船」の設立を一人で担当
40代:駅ビル開業や大規模キャンペーンに沸く大分駅の駅長に就任
——鉄道、旅行、船舶から総務までと、まさにJR九州の業務を縦横無尽に経験されたのですね。三浦さんの仕事のエピソードについて、それぞれ掘り下げてお伺いします。まず、20代の旅行事業での経験は、なぜ印象的だったのでしょうか?
三浦:辛さとやりがいの両面が大きかった点ですね。旅行事業に配属された頃は、正直「辞めたい」と思っていました。新卒の事務系総合職の場合、当時は駅・車掌業務を経て、おおむね本社へ配属されていました。同期のほとんどが本社へ配属される一方、私は入社前にイメージしていた『JRの仕事』とは違う、しかも引き続き現場での業務に携わることになり、ショックを受けました。旅行事業では3年間セールスとして旅行プランの提案や切符の手配などを担当しましたが、実際に働く中でも、「お金を稼ぐのはこんなに大変なんだ」と実感する日々でしたね。
——旅行事業は、新人時代の三浦さんが描いていたキャリアとは異なる配属だったのですね。その複雑な気持ちのまま、それでも働き続けられたモチベーションはどこにあったと思われますか?
三浦:「逃げたくなかった」からですね。与えられたことに立ち向かい、乗り越えられる自分でいたかったし、旅行事業に先輩が少なかった当時、私がトップランナーとして頑張らないと後輩が続かないという使命感がありました。営業の最前線で汗をかき、お客様へ頭を下げるようなこともある中で「どうして私が……。」と苦しむこともありましたが、一生懸命に取り組み、少しずつ成果を出していくと周囲も期待をかけてくれるので、必然的にやりがいを感じるようになっていきました。
——九州の旅行・観光産業は、2000年代以降の韓流ブームや訪日旅行客の増加で非常に注目を集めていますね。三浦さんのトップランナーとしての気概が、今の注目を支えているのかもしれません。
タイムリミットは半年。「会社を創る」特命担当
——JR九州で旅行・観光事業といえば、博多ー釜山(韓国)間をつなぐ高速船「ビートル」も挙げられますね。日韓双方で多くの観光客が利用し、2017年には累計乗船客数が600万人を突破しました。三浦さんは、このビートルを擁する「JR九州高速船」の設立に携わっています。どのようなプロジェクトだったのでしょうか?
三浦:社会人10年目頃に、JR九州内の船舶事業部をグループ会社として分社化するため、社内の制度設計等を一人で担当しました。設立時期が決まった状態でプロジェクトは始動し、タイムリミットはわずか半年でした。設立時期から逆算し、JR九州の管理部門や経営陣と相談しながら進めていきました。
——半年で会社設立ですか! ハードな業務に思えますが、実際はいかがでしたか?
三浦:限られた時間でミッションを果たすのは決して楽ではありませんでしたが、不思議と辛くはなかったですね。「会社づくりのいろはの『い』」から学んでいる感じがして楽しかったです。例えば、会社名は日本語表記だけじゃなくて英語表記も決めたり、公証役場や労働基準監督署で手続きをする必要がある……など、普通のサラリーマンではなかなかできない経験をさせてもらえました。
——三浦さんは当時、30代前半ですよね。分社化とはいえ、実質「起業」に近いことを、しかも一人で担当するのは、総合商社やコンサルなどと比べても非常にチャレンジングですね。
「若手駅長」の凱旋。夢が叶った地元・大分駅長
——その後、三浦さんは40代で大分駅長を務められます。大分駅の乗車数は1日あたり2万人と、九州でも5本の指に入る大型駅です。 駅長業務へのモチベーションや思い入れは大きかったですか?
三浦:私は入社当時から地元の大分駅で駅長になるのが一つの夢で、就任した時期は新たな駅ビルの開業に携われるという最高のタイミングだったので、本当に嬉しかったです。しかも当時は、40代前半の駅長はJR九州に数えるほどしかおらず、前任者は50代後半でした。年齢を含め、自分の持てるリソースを全て使って、とにかく「大分のために」という想いで駅長業務にあたっていましたね。
——大分駅長は、まさに念願だったのですね。地元と連携を深めていくために、具体的に、どのような取り組みをされましたか?
三浦:「自分の顔を売る」ため、地元の方々とコミュニケーションを重ねました。地元の方々にとって、駅長というと「名誉職で、ふんぞり返って座っている名士のおじさん」というイメージが根強かったので、それを払拭したかったのです。「大分駅の若い駅長は、行動力があって、なんでも話を聞いてくれて、外に向かって活動する」というイメージづくりが、結果として会社にプラスになると思ってのことです。
そこで、地方銀行や高校の校長先生の電話番号を調べてアポイントを取り、100軒以上に挨拶回りをしました。「こんなことをしてくれた駅長は、三浦さんが初めてだ」と言われたのが最高の褒め言葉でしたね。私が有名になりたいというわけではなく、私の顔を売るということを通して、JR九州を売るということをしたかったんです。
——徹底的に地元に密着していたのですね。こうした地道な活動を通じて、地元の方との絆が業務に活きたエピソードはありますか?
三浦:大分駅の駅ビルが開業した頃に、全国規模の大きなキャンペーンが大分で開催されることになりました。オープニングイベントの開催日の数日前に盛り上がりが不足していると担当者から聞き、私から地元の方に声を掛けてみたところ、平日の昼間にもかかわらず500人以上が集まってくれました。地元の皆でクラッカーを鳴らしたりと、すごく絵になるキックオフを演出することができ、その写真がマスコミに報道されたりもしました。「三浦さんの頼みなら」と応えてくれる絆と人脈を築けていることを実感し、嬉しくなりましたね。
30代で海外法人立ち上げ・M&Aに携わる。九州のためなら、レールの外へ
——今までのキャリアを踏まえて、今のJR九州の事業や風土の魅力をお聞きしたいです。
三浦:一言で表すなら、「新しいものを創ろうとしている会社」です。もちろん鉄道が中心ではありますが、新しいものを常に模索しています。商業ビル一つ取っても、JR九州の路線から離れた場所にも施設を開業しますし、東京や沖縄、上海、バンコクではホテルを運営しています。
実は、2010年から農業にも参入していて、2014年にはグループ会社「JR九州ファーム」の設立に至っています。とにかく「九州のため」「九州を元気にするため」を考え、様々な事業領域や地域に出て行って九州の良さを伝えるという方針が根っこにあると思います。
——実際、財務の情報を見ると、鉄道事業以外の部分が年々増加していますよね? 非運輸サービスは営業収益の50%以上を占め、過去5年間で120%を超える成長率です。(※出典:IR情報)
三浦:関連事業分野には、意識的に注力しています。鉄道は、維持はできても大きく伸ばせる事業ではありません。実際に営業収益において、過去5年間はほぼ横ばいの状態です。その分、JR九州には年齢問わず活躍できるフィールドが多いと感じます。
みんな経験がない中で、発想力や新たなことに向かう事を怖がらない推進力が大切になります。当社は失敗を叱るような会社ではありません。会長や社長を始め、チャレンジに対して待ったをかけることなく、むしろ「面白いことがあったらやってみろ」と背中を押してくれるような環境です。実際に観光列車の「ななつ星in九州」は、会長自らの発想力と推進力で成し遂げた一大事業です。
——確かに三浦さんのエピソードを聞いていても、インフラ業界の「堅そう」で「年功序列」なイメージを破る事業が多いですね。とはいえ、三浦さんのキャリアは特殊なケースではないでしょうか。現在のJR九州でも、若手社員に同じような活躍のチャンスはありますか?
三浦:確かにタイミングもありますし、全ての若手社員が会社設立や制度設計に携われるわけではないと思います。ですが、現在のJR九州は株式上場を経てさらなる多角化を進めているので、活躍の機会は増えていると思います。
最近では、2017年12月にタイのバンコクに不動産事業の現地会社を設立しましたし、M&Aにもためらわずに取り組んでいます。現在このような会社の立ち上げや、M&Aの手続き・交渉ごとを担当する社員はほぼ30代です。いわゆる「鉄道会社」というイメージとは違うと思います。
九州に縁はなくても、チャンスあり! 求めるのは「生意気」な学生
——インタビューも終盤です。最後に、就職活動やJR九州の選考についてお聞きします。三浦さんは、最初から九州での就職を考えていたのでしょうか?
三浦:私は大分の出身ですが、関東の大学に通っていました。JR九州にはいわゆるUターン就職をしましたが、周囲でUターン就職をする人は少なかったです。私も関東をメインに就職活動をしていて、九州の企業はJR九州しか受けませんでしたね。
<用語解説>
Iターン就職:生まれ育った故郷以外の地域に就職すること
Uターン就職:地方で生まれ育った人が都心で一度通学・勤務した後に、再び自分の生まれ育った故郷に戻って働くこと
※参考:東京労働局HP
——なるほど、意外なお答えですね。その時の企業選びの軸は何だったのでしょうか?
三浦:業界はバラバラで、自分の感性で「将来伸びそうだ」と思う企業を受けていました。その中でJRは各地に大きな鉄道インフラを持っているので、将来は運輸以外にも事業を展開して大化けする気がしたんです。最終的には「生まれ育った九州に貢献したい」という思いがJR九州を選ぶ決め手になりましたね。やはり地元に貢献できるところがいいと思ったのです。
——企業の成長性を軸にした上で、「九州への貢献」を最後の決め手にしたと。そんな三浦さんから見た、JR九州の採用についてもお聞きします。今後のJR九州が求めるのは、どのような学生ですか?
三浦:若い人は「生意気」でいいと思います。周囲に合わせることなく個性を発揮できる人材、組織の中で何かを成し遂げようとする野望や意志を持つ人を求めています。大企業に入って安定を求めたい人は向かないですね。むしろ、自分の力を生かすために会社のパワーを利用したいくらいの人が欲しいし、そのためのチャンスを提供できる会社ですから。面接や選考の場でも、自分が何をやってきたか、何がやれるかという自信を感じさせてほしいですね。それは、根拠のない自信でもいいんです。
——それは興味深いです。他に、選考で重視するポイントはありますか?
三浦:出身かどうかは問いませんが、「なぜ九州なのか?」は深掘りします。九州にどんな魅力と可能性を感じているか、私たち自身も聞きたいです。例えばJR一つとっても、JR北海道は豊富な観光資源を持っていて、訪日インバウンドが魅力です。規模ならJR東日本だし、新幹線が強いのは東海だし……と、魅力的な5社と比べて、なぜJR九州を選ぶのか? は根拠を持って話していただきたいです。
——JR九州を選ぶ根拠を説得力を持って語れば、出身地は関係ないと。では、最後に就活生の読者にメッセージをお願いします。
三浦:就職は人生において一大イベント。だから自分がどういう人間か、何をしたいのかを本気で考えてほしいですね。何が好きで、何をやりたいのかを考えたときに、自分の価値観に気づくはずです。「入りたい会社」「入れる会社」から選ぶのではなく、まず自分を知ることです。自分を見つめず、ただ走っていくだけの就職活動は寂しいものです。
この機会に自分を見つめ直さずして、いつ見つめ直すの? と問いかけたいです。自分の価値観に確信と想いがある人は、面接でも伝わると思います。
——三浦さん、ありがとうございました。
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