私が就職活動をしていたのは今から5、6年前、2014〜15年頃のことだ。
大学は関東の某国立大。地方都市のはずれにあり、さらに駅徒歩30分という驚異の立地である。まわりにはスーパーとパチンコ屋と腐れ大学生の住むアパートくらいしかなかった。
高校時代はそれなりに勉強ができたのに旧帝大に行きそびれた「なんちゃって進学校の2番手」くらいの人々が行きつく場所であり、学歴コンプレックスをこじらせた者たちが、やけっぱちでサークル活動に明け暮れ、恋愛トラブルに巻き込まれ、酒に溺れて堕落。果てにあるのは「留年」の2文字……そんな人を度々見かけた。
例に漏れず学歴コンプレックスを抱えつつもこの環境に早々に嫌気が差した私は、ゼミやバイト、女だけの小規模サークルなどで気楽に過ごし、幸い恋愛グズグズルートも落単留年ルートも回避。至極のほほんとモラトリアムを味わっていた。
<連載:キラキラOLなりそこない どっこい就活記>
周囲の女子学生たちが黒髪をポニーテールに結き、アイロンがかけられたスーツと黒いパンプスを身に纏(まと)っているのを横目に、「就活私服参戦」を決意したあの頃。敷かれたレールにうまく乗れず、悪戦苦闘した就活時代を振り返る。
だが、そんな私にも「就活」はやってくる。
学生起業をした経験も、海外留学をした経験もあるわけではなく、大学のOB・OGはほとんど公務員か教員か地銀の行員。「先輩のコネ」というカードはほぼない。都内の名門私大のキラキラ大学生たちに比べ、圧倒的に「就活に役立つ武器」を持ち合わせていなかった。
「くそ、あいつらセンター試験半分しか受けてないのに不公平だぜ」
そんなキラキラ大学生たちへの逆恨みと、これまでモラトリアムの旗の下、のんべんだらりと暮らしてきた自分への嫌悪がないまぜになっていた3年生の3月1日、いわゆる「就活情報解禁」の日が訪れた。
そもそも「就活情報解禁」というのがまず謎である。企業が学生を採用するのに、みんな同じ日に条件やら何やらを解禁しなきゃいけない、なんてのは意味が分からないし、さらには、そういった取り決めをあの手この手でかいくぐり、いわゆる「青田買い」をする企業も暗黙のうちにまかり通っているなんてのっけからヤな感じだ。なんか気に食わない。
しかし、気に食おうが食わまいが、卒業後はどこかしらに就職しなければニートかフリーターである。
そんなアウトサイダーな生き方をいざ選べるかといったらビビって選べないのも、元なんちゃって進学校の、なんちゃって優等生マインドなのだ。
大人しく乗るしかない。この就活ビッグウェーブに。
ということで、就活情報解禁日の3月1日に、都内のなんたらフォーラムで開かれる合同就職説明会に行くことになった。いわゆる合説というやつだ。
ゼミの友人と「就活業界への反対デモとして、コスプレに自撮り棒で参戦してシュプレヒコールをし、ツイキャス実況でもしてやろうか」などと軽口を叩(たた)き合ったものの、結局「企業様」に楯(たて)突く勇気はなかった。
入学式ぶりに袖を通すリクルートスーツに、全く履きなれていないパンプス。この間まで浮かれポンチな色味だった頭髪も、無理やり黒染めした。いわゆる「就活スタイル」というやつである。ゆとり大学生から一変、簡単に「量産型就活生」の一丁上がりだ。
大学から都内までおよそ1時間、電車に揺られてたどり着いた渋谷の巨大なイベントスペース。全く同じ格好の男女が集ってうごめいている様は圧巻だ。決して楽しくはない催しのはずなのに、異様な熱気に包まれている。
「就活」というレースをヨーイドンで走り出し、我先にと急ぐ者、戸惑う者、とりあえず走ってはいるものの何がなんだかよく分からない者。みんながどこかハイになっているような、それでいて不安そうな顔をしていて、ひょっとしたら知らないうちに大規模な社会実験に巻き込まれているのではないかとさえ思った。
企業の採用担当も必死である。この年は比較的売り手市場な傾向であったらしく、少しでも良い学生を予定人数分見繕うべく、新卒採用担当たちはギラギラした顔で企業パンフレットを居酒屋のキャッチばりに押し付けてくる。
受付でもらった不織布のトートバッグは、すぐに色とりどりのパンフレットでいっぱいになり、人を殴れば気絶くらいさせられそうな重さになった。ほぼ鈍器である。
そんなビッグウェーブの熱に圧され、鈍器を腕に引っさげ、とりあえずどこかの会社の説明を聞かねばと思い、目についた人気企業のブースに立ち寄ってみた。有名な広告代理店ということですでに空き席はなく、立ち見まで出ている。
その会社紹介は、これまで手がけたさまざまなCMやキャンペーンなどのきらびやかな実績を列挙したもので、実に学生受けが良さそうである。最前列に座っている学生は相当に志望度が高いと見え、「前世が赤べこだったのではないか」というくらい、社員の説明に逐一頷(うなず)いていた。
そして、説明が終わった後に人事や社員に群がる学生の、まあ多いこと。みんな質問する体で自分の大学と名前と、どれくらい「御社」を志望しているかなどを必死に売り込んでいるようだった。
「こいつら本気だ」と思った。やばい。明らかに自分とは面構えが違う。みんな「なんかすごそう」だ。悠長に周りを観察している場合ではない。私も赤べこにならなければ。
意を決して次のブースへ向かい、席を前方へ陣取り、人事の説明にうんうん頷(うなず)き、質疑応答で質問の一つもして、終了後に人事に駆け寄り名刺をもらった。なんだ、やればできるじゃないか。意外とチョロいな就活。このように、実はビビりなくせにすぐに調子に乗るのが私の良くないところである。
しかし、そんな調子でブースをいくつか回ったところで、突如胃痛と頭痛がやってきた。慣れない格好と慣れない態度をいきなりいくつもしたことによるダメージがどっと出たのだろう。めったに着ないスーツと緊張で肩がガチガチに凝り、慣れないパンプスを履いた足には靴擦れができていた。重い鈍器を下げている腕も、人を殴る前にこちらが引きちぎれそうである。人事に向けた作り笑顔のせいで、表情筋が早くも筋肉痛だ。
でも、まだ帰るわけにはいかない。私はまだ目的のブースを回りきれていない。靴擦れをかばう妙な歩き方で私はヨロヨロと次のブースへ向かった。
この手のイベントスペースは馬鹿みたいに広く、歩いても歩いても目的地にたどり着かない。私は、シルクロードで重い荷物を運んだ遠い昔の商人に思いをはせた。彼らもこんな気持ちだったのだろうか。
満身創痍(まんしんそうい)でなんとかたどり着いたものの、疲労に加え、空腹も手伝って説明の内容はほとんど入ってこなかった。
そこからの記憶はほとんどなく、気付くと私は渋谷の宮益坂の大戸屋に座っていた。どうやってたどり着いたのか覚えていないが、とりあえず座って何か食べないとマズいという本能が働いたのだろう。知らないうちに「チキン母さん煮」を注文していた。
運ばれてきたチキン母さん煮はふんわりと湯気が立ち上り、今日見たもので「やさしいもの」はこれだけだと思った。私はマッチ売りの少女がごちそうの幻に飛びつくがごとく、わしわしと食べた。あの味は生涯忘れないだろう。
しっかり食べて、落ち着いてきたころ「私は社会人に向いていないのでは?」という疑問が湧いてきた。
ちょっとスーツを着て出歩き、愛想よく振る舞ったらこの有り様だ。こんなんじゃ、いわゆる「お堅い」感じの職業や営業系の職種は難しいだろうし、そもそも会社で働くことに向いているのか……もしかして私、「社会不適合者」??
これまでそれなりに優秀な部類でやってきたはずなのに、あれ? どこにも就職できなかったらどうしよう……田舎に帰って家事手伝いをしながら、社会との接点もなくパラサイトシングルとして一生を送るのだろうか……。
あの日あのとき、あの大戸屋で、最も深刻に悩んでいたのはおそらく私だろう。
しかし、今思えばそんな風に自分を卑下する必要は全くなかったのだ。
そもそも、「社会人」はスーツにパンプスを履かなきゃいけないなんてことはないわけで、第一、あんな痛い靴を履かないといけない職種なんてどうかしている(この数年後に「#KuToo運動」が沸き起こり、自分も賛同することになると、あの時の自分に教えてやりたい)。けがしないで済む靴を履いて働く権利くらい認めてほしい。
緊張から来る胃痛も作り笑い疲れも、単に「社会人ルール」に慣れていなかったから起きたものだし、そんなルールは時代や場所によって変わる。それに慣れることができなくても、自分を責めなくていい。他に生きていける場所はいくらでもあるし、世の中には想像以上にいろんな生き方があるのだ。
そんな考えを、その後の社会人生活で徐々に身につけていくことになるのだが、まだ大海を知らぬ腐れ大学生だった自分は知る由もない。目の前に突然現れた「社会人たるものこうであるべき」「就活とはこうするべき」という、巨大な2大「べき」にしっかりぶち当たって落ち込んでいた。
しかし私は母さん煮を食べながら考えた。「そもそもなぜこんなルールに従わないと就職できないのか」「理不尽に耐えて就職したとて、理不尽に耐えることを要求する企業なのだろうから、どの道自分には向いていないのでは」と。我ながら本質的である。このルールが向いていないのであれば、このルールから外れても許してくれるところに雇ってもらえばいいのだ。
私は「理不尽だったり、無駄だと思う就活ルールには極力乗らない」ことに決めた。この日を境に合説へ行くのを辞め、指定がない限りスーツを着ないことにしたのである。合説は空気に気圧されるし、結局深い話も聞けないので必要ないと判断した。服装もTPOをわきまえた普段着の方が落ち着いて話せるし、「自分」でいられる気がしたのだ。
今まで「べき」に圧されてあたふたしていたのが、自分でルールを決めると一気に楽に、強気になった。なんかいけそうな気がする。私は追加でプリンを注文した。いつの間にか胃痛は消えていた。
そんなわけで、私の就活は万事うまくいき複数内定を獲得、一件落着!
……となることは、残念ながらあるはずもなく、今後もさまざまな理不尽にぶち当たり苦労をすることになるのだが、その話は、またの機会に。
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※こちらは2020年2月に公開された記事の再掲です。
(Photo: Spica_pic/Shutterstock.com)